2017年6月28日、鹿児島地方裁判所は「大崎事件」(詳細は後述)の第3次再審請求について、再審を開始する決定を出しました。1979年に逮捕されて以来、一貫して無実を訴えてきた原口アヤ子さんは90歳となり、今回が再審無罪を勝ち取る最後のチャンスです。しかし、検察官が即時抗告したことにより再審への道のりは険しいものとなりました。
この日の講演では、大崎事件から垣間見ることのできる、わが国の刑事司法の問題点を考察するとともに、憲法の理想とする人権保障・適正手続の観点から、あるべき再審制度を考えました。[2017年10月7日(土)@渋谷本校]
大崎事件の概要
今年6月28日、NHKをはじめ多くのメディアが大崎事件の再審開始決定について報じたので、事件についてご存知の方もいらっしゃるかと思います。
1979年10月に鹿児島県にある農村で、自宅横・牛小屋の堆肥の中から男性の遺体が発見されました。遺体の状況から死後に埋められたことは明らかだったため、捜査機関は身内による殺人・死体遺棄事件として親族へ任意の事情聴取を行いました。
亡くなった男性(以下、仮に「四郎さん」とします)は四人兄弟の末っ子でした。検察は、四郎さんの長兄、次兄、次兄の息子の3名が犯行を自白したことを根拠に、長兄の嫁であったアヤ子さんを主犯とした保険金目当ての殺人・死体遺棄事件として4名を起訴しました。有罪の決め手となる証拠は男性3名の自白のみで、自白を裏付ける客観的証拠はほぼ皆無でした。絞殺に使ったとされるタオルさえ発見されませんでしたが、検察のみならず男性3名の弁護人さえも彼らが有罪だと決めつけていたため、裁判では否認を貫いたアヤ子さんの関与のみが争点となりました。
訴え虚しく、アヤ子さんは1981年に懲役10年の有罪判決が確定しました。アヤ子さんは服役した刑務所で模範囚となり、職員から「早期に仮釈放させてやるから罪を認め反省文を書きなさい」と勧められましたが、「やっていないことの反省はできない」と、その勧めを頑に拒否し、満期で出所しました。
事件のアナザーストーリー
事件が起きた日はアヤ子さんの親族の結婚式でした。日頃から大酒飲みだった四郎さんは、この日も朝から酔いつぶれており、結婚式には行かず近所をぶらぶらしていました。その後、四郎さんは酒を買うために自転車でふらふらしながら酒屋へ行きました。その帰り道、高さ1メートルほどの側溝に自転車ごと転落し、引き上げられた四郎さんの姿を地元の人が発見しています。そのとき四郎さんは下半身が裸の状態で、側溝の中にはカップの焼酎が落ちていたそうです。これだけ酔いつぶれて自転車に乗っていた人が側溝に落ちたらかなり大けがをしているはずですよね。しかし、捜査機関はこの事実は問題とせずに、事件当初から親族による殺人事件と決めてかかっていました。
大崎事件における最大の不幸
多くの冤罪事件では、過酷な取り調べに耐えられず一度は自白してしまい、後に否認するというケースが多いのですが、大崎事件では、共犯とされた四郎さんの親族の男性3名は一貫して自白を維持しました。なぜ3名ともに一度も否認しなかったのでしょうか。ここに、この事件最大の不幸かつ問題点があるのですが、実は3名全員が知的能力に問題を抱えていたのです。
長時間、密室で同じことを繰り返し尋問されると、捜査機関との間に支配服従関係が生まれ、どんなに強靭な精神力を持っている人でも心身ともに弱っていきます。ましてやコミュニケーション能力に問題のある障がいを抱えている人であれば、ひとたまりもありません。私には知的障がいをもつ弟がいるので、他人に強く詰め寄られたときに、彼ら供述弱者がどれだけ抗えなくなるかはよく知っています。長時間強い調子で繰り返し尋問され、「はい」と言うと優しくされる。この繰り返しの中で捜査機関に都合のいい自白調書がつくられてしまうのです。
大崎事件においてほぼ唯一の証拠とされた彼らの自白内容は、「殺したのも埋めたのも2人でやりました」という内容から「アヤ子さんの指示で殺しました」「埋めたのは甥(次兄の息子)も加勢し4人でやりました」と変遷し、それら自白を裏付ける客観的証拠はほとんどありませんでした。
公判においてもこの構図は変わりませんでした。誰が弁護人で誰が検察官かもわからず、何を聞かれているかも理解できない状態で、彼らはパニック状態になりました。裁判記録には、「やったのか、やっていないのか」というような裁判官の強い問いかけに対し、彼らは「……」と黙して語らずの様子が綴られています。
一見すれば、3名ともに知的能力に問題があるということは分かるはずですし、判決書にも彼らの知的能力が劣っている旨記載されています。しかし、アヤ子さんを含め4名全員に有罪判決が言い渡されたのです。
無罪に通じる証拠は検察官が隠している?!
刑事司法のルールの一つに、検察官と被告人は対等であるとする「当事者主義」という建前がありますが、実際にはプロボクサーと素人ほどの圧倒的な力の差があります。国家権力を背景に、捜査機関は捜査開始と同時にまるで地引網のように根こそぎ証拠をさらっていきます。対する弁護人は民間人なので、勝手に人の家の中に入って証拠を探すようなことはできません。
みなさんは、『それでもボクはやってない』という映画をご存知でしょうか。この映画を制作された周防正行監督は、取材する中で刑事裁判での証拠の扱いに疑問を持ったそうです。今日は会場に監督ご本人がいらっしゃいますので、直接お話しいただきましょう。
「僕はある痴漢事件の東京高裁逆転無罪判決を知り刑事裁判に興味を持ちました。取材していくうちに、日本の刑事裁判では全ての証拠を調べているわけではないということを知り非常に驚きました。映画の中に『ちょっと待って下さい。証拠って全部見れないんですか』というセリフがあるのですが、僕はこれを大問題だと思っています。アメリカでは、検察官が無罪に通じる証拠を隠していることが明らかになれば罪に問われるようになりました。僕は15年刑事裁判事件を取材してきましたが、未だに、全ての証拠が開示されるわけではないことへの納得いく説明を受けたことがありません。不思議でしょうがないです」
いま監督が指摘されたとおり、検察官は自分たちが勝つための証拠しか法廷に出してきません。大崎事件では、捜査機関が収集した無罪方向の証拠が、再審段階に至るまで隠されていたという事実が判明しており、「再審における証拠開示」のあり方も問題となりました。
もしかしたら検察官の手のうちに無罪の証拠が隠れているかもしれないのに、被告人や弁護人にも、そして裁判官も見せてもらえないのです。そのような状況で本当に公正公平な審理ができるのでしょうか。
再審無罪を得るための二つのハードル
一度有罪判決が確定した人が無罪と認められるには、裁判の審理のやり直しを求めて再審請求を行い、それが認められたときに行われる再審公判で無罪判決を確定させなければなりません。しかし、再審公判を行う前提となる「再審開始決定」を得ることが非常に難しく、かなりの時間を要します。仮に開始決定を得ることができたとしても、検察官が抗告をすると最高裁まで争うことになります。
大崎事件では、1995年に行った第一次再審請求について2002年に再審開始決定を得ましたが、検察官の即時抗告により高裁によって取り消されてしまいました。2010年に行った第二次再審請求は、請求自体が地裁で棄却され、請求人の抗告も棄却されて終わりました。
そして、事件発生から38年が経った今年、第三次再審請求により二度目の開始決定を得ました。今回の決定においては、第一次再審請求中に「誰も自分のことを信じてくれない」と絶望し自死してしまった次兄の息子さんら事件関係者がどういう人生を送ったかについてまで配慮した評価をしてくれました。「疑わしきは被告人の利益に」という憲法の理念に近づいた画期的な判断です。
請求人のアヤ子さんは90歳になり、おそらくこれが冤罪を晴らす最後のチャンスです。全国16の新聞社が社説で「一刻も早く再審公判を開始せよ」と述べ、誰もが裁判のやり直しを求めているにもかかわらず、なんと鹿児島地検は即時抗告をしてきました。
憲法の理念から再審制度を考えて
刑事裁判において、国家権力は、逮捕・勾留により被告人の身体を拘束し、場合によっては命さえも奪うことができます。この強大な権力に縛りをかけるべく、憲法には刑事手続に関する条文が数多く規定されています。そして、これらの規定の根底には、憲法において最も重要な「個人の尊厳」という理念が存在します。
ぜひ、この憲法の理念から再審制度を捉え直してみてください。再審請求権は、冤罪被害を受けた者にとって、まさに個人の尊厳を回復するための非常に重要な権利であり、この権利を守るためにはありとあらゆる手段が認められなければならないはずです。このように考えていくと、検察官の抗告など認めるべきではありません。むしろ検察官は、公益の代表者として無実の人を救うためのお手伝いをすべき立場にあるのではないでしょうか。
大崎事件は、検察の即時抗告により闘いの場を高裁へと移しました。一刻も早く再審開始を確定させ、アヤ子さんに法廷で「被告人は無罪」という判決主文を聞いてもらおうと全力で闘っていきます。