黒川祥子さんに聞いた:東日本大震災後の「心の除染」 福島県伊達市で、何が起きていたのか?

福島県伊達市を知っていますか? 6年前の福島第一原発事故によって全村避難となった飯舘村の北西にあり、福島市の東に隣接する、人口約6万2000人の市です。福島第一原発からはおよそ60キロ。避難指示地域に指定された飯舘村や南相馬市に比べて、その名前を新聞の全国紙やテレビで見聞きすることは、そう多くはありませんでした。しかしそこで行われていたことは、原発事故のさまざまな問題の縮図ではないか──そう気づいた伊達市出身のノンフィクション作家・黒川祥子さんは、2011年夏から伊達市に通い、取材を重ねて『「心の除染」という虚構 除染先進都市はなぜ除染をやめたのか』(集英社インターナショナル)という本にまとめました。そこから見えてくる、原発問題の縮図とは……。

地域を分断した「特定避難勧奨地点」制度

——黒川さんは、今年2月に『「心の除染」という虚構 除染先進都市はなぜ除染をやめたのか』という本を出されました。これは福島第一原発事故後の福島県伊達市での放射能汚染への対応について取材されたものですが、黒川さんご自身が伊達市のご出身なんですね。

黒川 はい、伊達市というのは2006年に5つの町が合併してできた新しい自治体です。私が住んでいたのは梁川町という地域で、「伊達市出身」といわれてもピンとこないところもありますが……。今回伊達市のことを取り上げたのは、私のふるさとだからというだけでなく、原発事故のさまざまな問題の縮図がここにあると思ったからです。
 そのひとつが2011年6月から12年12月まで実施された「特定避難勧奨地点」という、いまだかつてない制度です。隣の飯舘村のように地域全体でなく地点、つまり一つひとつの家ごとに、避難を「勧奨する」というのです。同じ集落、同じ学校に、勧奨地点に指定される家とされない家が隣り合って存在する。しかも勧奨だから、避難はしてもしなくてもいいんです。この制度のおかげで、地域社会はズタズタに分断されました。

——同じエリアのなかに「避難できる世帯」と「できない世帯」が混ざってしまうということですよね。その地点はどうやって指定されたのでしょうか?

黒川 「地点」に指定されるかされないかは、電気事業連合会が各戸を回って、敷地内のたった2カ所の放射線量を測定するだけで決まります。そもそも原発推進派で東京電力も入っている電事連が測るなんて、泥棒が警察官をやるようなもの。その測り方にも「くぼみ、建造物の近く、樹木の下や近く、建造物の雨だれの後、側溝・水たまり、石塀近くの地点での測定はなるべく避ける」といったマニュアルがあって、できるだけ低い地点を探して測っているとしか思えません。指定の基準値は「地上1メートルで3.2マイクロシーベルト/時」とされていましたが、どういう根拠ででてきた数値かもあいまい。住民の間に不信が広がったのも当然のことだと思います。
 取材した中でも、10代のお子さんがいて被ばくが心配なのに、指定されなかったために避難できずに苦しむ母親に会いました。一方、その家の後ろにある高齢者が暮らす家は地点に指定され補償が出ましたが、避難することもなく庭で野菜を栽培しているんです。その人に非はないけれど、「どうして……」という気持ちになりますよね。そうやって行政が線引きをしたことで、コミュニティが分断されていったんです。

——特に子どもをもつ親にとっては、避難できるのか、補償がでるかどうかは大きな問題ですよね。地点が設定されることで、「選ばれた子どもしか助けてもらえないんだ」と思ってしまいます。

黒川 地点に指定されれば、東電からの補償はもちろん、税金や保険料が免除されたり、支援物資がもらえたりさまざまな優遇措置が得られます。地点にならなければ子どもでさえ何の補償もなく、その土地に縛り付けられる。地域のお母さんたちの思いはただひとつ、子どもたちは平等であって欲しいということです。
 「地点か地点じゃないかという線引きで子どもたちを引き裂かないで欲しい。地域全体が汚染されているのだから、せめて18歳以下の子どもが避難したいと思ったときに避難できる権利を保障して欲しい」と訴えていましたが、かないませんでした。指定されなかった家のお母さんが「うちの子は要らない、と言われたと思った」と言っていたのが印象に残っています。

——自己責任、自主避難、住民の分断……まさに今、明らかになっている問題の縮図を見る思いです。

「除染先進都市」から「心の除染」へ

黒川 除染に関しても、伊達市は先陣を切っています。2011年夏、まだ除染という言葉も一般的でない時期に、市は山のてっぺんから全部除染すると「除染先進都市」を宣言しました。当初、仁志田昇司市長は「何年かかっても除染する必要がある」と話していたんです。それが除染開始後から段々とトーンダウンしていきます。
 伊達市での除染計画は、市内を汚染の度合いによってA、B、Cの3エリアに分け、エリアごとに異なる除染を行うという、ほかにはないオリジナルなものでした。いちばん線量が高いとされたAエリアから除染がはじまり、市民は市内の7割を占めるCエリアも順に全面除染してもらえるものと思って期待していたのですが、実際にはCエリアは、線量の高い箇所だけを除染する「ホットスポット除染」のみだということが判明するのです。
 しかも、Aエリアは大手ゼネコン、Bエリアは地元業者が請け負うのに対し、Cエリアの除染は、雨どい下などのホットスポット除染のみで生活圏の全面除染は行わない。必要なら市民自らやって下さい、と。伊達市は「除染は市民協働の取り組み」だとし、軍手や土嚢袋を配って自分たちでやれというのです。みんなで力を合わせてがんばりましょう、みたいな……。市民は被害者であるはずなのに、除染の担い手にさせられたのです。
 Cエリアの除染が縮小した背景には、Aエリア除染後に出た汚染土の仮置き場の受け入れ先がなかなか見つからなかったことも影響しているのではないかと思います。結局、Cエリアでは、住民の生活圏である宅地の除染はほぼ手付かずで、放射性物質がふりそそいだままになっているのです。

——その実際の除染に取って代わられるのが「心の除染」ですね。

黒川 「心の除染」という言葉は、C地域の除染がしりつぼみになった2014年に「だて復興・再生ニュース」で仁志田市長が書いたものです。つまり「放射能汚染や被曝を心配する心や気持ち」を取り除くこと。実際の放射性物質を取り除くことより、安心とは思えない心を除染することのほうが大事なのだと……まさに市長の「迷言」ですね。市は事故直後から、とにかく「大丈夫、心配ない」の一点張りで、住民を伊達市からなるべく避難させないような対策ばかりをとってきました。
 3月15日夕方、福島第一原発周辺から東南東および南東の風が吹いて、飯舘村や伊達市の一部が含まれる北西方向が高濃度汚染されたというニュースがありました。それを聞いて不安になったお母さんたちが市に問い合わせても「大丈夫、心配いらない、入園式も入学式も普通に行います」と言われています。ほかにも「放射能による健康被害より、外で遊べない、プールで泳げないことによるストレスのほうが問題だ」「除染もすすめているし、この程度なら大丈夫。心配する方がおかしい」として、親として当たり前の疑問や不安をぶつける市民に「気にしすぎる親、神経質な母親」というレッテルが貼られました。

――そんな言い方をされたら、心配でも言いにくくなっていくのではないでしょうか。

黒川 市長や市の担当者はこんなことも言っています。「少子化と晩婚化による問題がある。過剰な愛情といいますか……いくら大丈夫ですといっても理解してもらえない、モンスターペアレントというのがいまして、昔は教師に文句を言っていた人が今は行政に向かっている」「いくら丁寧に説明してもわからない人、自分の信念に合わない話には耳を貸さない、いわばオウム真理教とかISの戦闘員みたいなもの」「子どもの成長には安心感や安全感に包まれていることが必要、親が不安がると子どもは不安定になる、親が騒ぐといじめられる、心配性の親のほうが問題」等々。放射能汚染と「折り合いがつけられない」市民は孤立し、母親同士の分断を招きました。

“除染のプリンス”話法

――伊達市では、放射線アドバイザーや健康相談員らによる“すりこみ”もさかんに行われたようですね。市職員の除染責任者は「除染のプリンス」「除染の神様」と呼ばれているとか……。

黒川 その職員は、除染の実務者として現場に精通しているというので、プリンスとか神様という異名をとったのでしょう。
 健康相談員と称する外部の人間が、学校の保護者会、地域の講習会で引き合いに出すのは自然放射能のことばかり。「お花にも草木にも放射能はどこにでもあるし、飛行機に乗ればたくさん浴びるし、皆さんもレントゲンをとるでしょう」と、事故で降り注いだ本来なら浴びなくてもいい放射能のことを聞いているのに、自然放射能のほうに話がそらされる。
 また、「放射能より、たばこやポテトチップスのほうが体に悪い」「早寝早起きして好き嫌いなく食べて、ゲームばかりしていないで、外で遊んで、放射能に負けない元気なからだを作りましょう」といった具合に、生活習慣の話にすりかえています。
 「風評被害に苦しむ農家を応援するために、学校給食にも(規制値に合格した食材については)地産地消をすすめよう」〈伊達市長〉とか「一度に何キロも食べるわけではないので、山菜を食べても大丈夫。あぶないかもしれないといって、せっかくの自然の恵みをあきらめてしまうのは山の神様に申し訳ない……おばあちゃんの愛情のこもった野菜は栄養も満点です、子どもたちにも食べさせましょう」〈放射能アドバイザー〉といった話法も、市のたよりによく見られます。

——「地産地消」って反対しにくいフレーズですよね。「早寝早起き」を、こういう状況で持ち出すのもおかしい。「大丈夫だと思いたい。安心したい」という市民の不安に忍び込むような話法に、すごく不気味さを感じます。

ガラスバッジ装着という人体実験

——伊達市は全市民に「ガラスバッジ」を配布したという点でも特異でしたね。

黒川 ガラスバッジとは、放射線業務従事者の線量管理に使われる個人線量計で、それを子どもからお年寄りまでの市民が毎日身につけることで一人ひとりの累積線量を測るというものです。いわば低線量被ばくに関する壮大な人体実験ですよね。2011年7月にまず妊婦、子どもに、そして翌12年7月からは全市民5万3000人に配布され、1年間のデータを集積、専門機関に解析してもらうという触れ込みでした。
 その背景には田中俊一氏(原子力規制委員会委員長)の存在が大きかったと思います。田中氏は小学校時代伊達市で過ごしたという縁があって、2011年7月1日に伊達市の市政アドバイザーに就任しています。事故当時田中氏は「NPO法人放射線安全フォーラム」の副理事をしていました。フォーラムは、放射線は安全だから活用しようという立場の機関で、その中に「千代田テクノル」というガラスバッジの製造メーカーも入っていたのです。

——なるほど……。そのメーカーのバッジが全市民に配られることになった、と。そもそもガラスバッジで、正確な測定ができるのでしょうか?

黒川 ガラスバッジというのは、ガイガーカウンターのようにそこに数字が表示されるわけではありません。期間を決めて回収されて、結果の数字だけが市民に通知されます。でも、専門家ではない市民に数字だけ知らされても訳が分かりません。
 もともとガラスバッジは放射線業務従事者が使うためのもので、身体の正面から放射線を受けることしか想定されていません。たとえば体の後ろとか横の放射線は、自分の体が遮蔽体となってしまうので拾えない。事故後の福島のように、全方位から浴びる環境での使用は想定されていないし、ましてや子どもがつけることは考えられていない。だから空間線量より数字が低くでるのです。

——それでは、意味がないのでは?

黒川 そうなんです。それなのに、ちゃんと一人ひとり測っているから大丈夫という口実に使われた。不適切な測定なのに、そのデータは除染や避難の基準値引き上げの根拠とされました。
 1年間の測定データを踏まえて、市長はこう語ります。「データを分析した結果、伊達市全体で心配な数値でないことはもちろん、空間線量が0.5マイクロシーベルト程度であっても、個人の累積被曝線量は年間1ミリシーベルトを超えない、つまり0.23マイクロシーベルトの2倍以上であっても目標は達成できるということが分かりました」
 ガラスバッジの実測値で得た結論が、被曝から人々を守る基準値をよりゆるい方向へと動かそうとする根拠になっているのです。

――伊達市の広報を見ていると、国や東電の責任をあいまいにする表現が目につきます。

黒川 それも伊達市の特徴ですね。「市民が被害者でなく主体となって放射能と戦いましょう」とか「人災だという意識、国や東電の責任だという態度が復興を遅らせている、自助努力なくしてことは進まない」とか、人災意識の払拭をさかんに訴えています。
 伊達市のやったことは、今後原子力災害が起きたときの前例になるでしょう。除染基準をゆるめることで損害賠償費用を削減し、ガラスバッジデータが空間線量の基準を引き上げても大丈夫なのだという根拠にされていく。原子力を推進する勢力にとって都合のいい前例が作られてきたのです。
 低線量被ばくについてはわからないことだらけ。ならば少しでも危険は避けたい。子どもに何かあってからでは遅い、後悔しないためにできるだけのことをしたい――この当たり前の思いがモンスター呼ばわりされる。社会にとって、子どもは一番大切な存在でしょう? 何を置いても子どもの未来は守る、それは幻想だったのかという憤りが、今回の取材の原動力になりました。

表に出にくい声を、伝えていきたい

――避難区域に指定された地域や、遠くに避難した人のことはテレビや新聞でたびたび話題になりますが、地元に残って生活せざるを得ない多くの人々のことは、あまり表に出てきません。理不尽な思いを抱えつつ、多くの国民に知られることもなく、ストレスフルな日々を余儀なくされている人もいる。その思いを地元出身の黒川さんがすくい上げ、広く世に問うたことの意味は大きいと思います。伊達市だけでなく、ほかにもいろいろな問題を自己責任として抱え込まされて暮らしている人がいるのではないでしょうか。

黒川 伊達市の人々からは「私たちにはできないことをしてくれた、外からの目で見て言うべきことを言ってくれた」と言われました。実は先日、出版の打ち上げ会があって、取材に応じてくれたお母さんやお父さんたちが集まったんです。その中に、本にも登場する高校生の女の子が来てきました。彼女は甲状腺の血液検査の数値が異常に高かったことがあって、そのとき「私、死んじゃうかもと思った」と、私たちに明かしてくれたことがありました。今は落ち着いていて、打ち上げの日も私たちの話をそばでニコニコ聞いていました。
 その姿から、「ああ、子どもはちゃんと見ている。何を言われようがお母さんは全力で守ってくれると信じているんだな」と感じました。「大丈夫」と言ってごまかされるより、怖くても事実を知った上で向き合いたいですよね。それは、子どもだって同じです。「だから親は妥協できない。“気にしすぎる”ことに誇りを持って育てたい。ちゃんと芯をもって生きている親の姿を子どもに見せたいんです」と語ってくれたお母さんたちの存在を、全国の人々に伝えることで支えていければ、と思っています。

(取材・文/板倉久子 写真/マガジン9編集部)

黒川祥子(くろかわ・しょうこ)ノンフィクション作家。1959年福島県出身。東京女子大学卒業。家族の問題をテーマに取材、執筆活動を続ける。2013年『誕生日を知らない女の子 虐待―その後の子どもたち』(集英社)で第11回開高健ノンフィクション賞受賞。著書に『熟年婚 60歳からの本当の愛と幸せをつかむ方法』(河出書房新社)『子宮頸がんワクチン、副反応と闘う少女とその母たち』(集英社)など。

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