松井久子さんに聞いた:憲法って、何? 無関心な人にこそ観てほしい

松井久子さんに聞いた:憲法って、何? 無関心な人にこそ観てほしい

50歳を過ぎて映画監督デビュー、介護をテーマにした『折り梅』や彫刻家イサム・ノグチの母を描いた『レオニー』、フェミニズムを生きた女性たちの軌跡を追ったドキュメンタリー『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』で知られる松井久子さん。昨年、憲法をテーマに若者や主婦、学者、政治家など約30人にインタビューしたドキュメンタリー『不思議なクニの憲法』を発表しました。その自主上映会は900回を越えた今も、観た人から次の人へと広がり、共感を呼んでいます。憲法は一人ひとりの生活や生き方の問題と繰り返す松井さんにお話を伺いました。

関心がある人とない人の間の溝を埋めたい

──日本国憲法をテーマにしたドキュメンタリー映画『不思議なクニの憲法』を作ろうと思い立ったきっかけはどこにあったのでしょう。

松井 私は憲法が誕生した年に生まれ、71年間ずっと日本国憲法とともに生きてきました。その間、政治に不安や疑問をもったときも「私たちには憲法があるから大丈夫」と思ってきたんですね。ところが第1次安倍政権の頃から、急に改憲の動きが現実化し始めた。2012年に出された自民党の改憲草案を読んだときは、ほんとうにびっくりしました。そして特定秘密保護法の成立、集団的自衛権行使容認の閣議決定と、憲法も立憲主義も無視した政治が平然と行われるようになり、これは大変なことになるという危機感を持ちました。
 そこでもっと憲法のことを勉強したいと、いわゆる護憲派のいろいろな講演会とかシンポジウムに行きましたが、そこで感じたのは「ここは少数派の集まり」という違和感。どこに行っても参加者は私と同じような年代の中高年の人ばかり。彼らの知識や意識は深まっても、そこから外へはなかなか広がらないのではないか、という疑問です。
 国会前の集会には若者や子育て中のママたちもいましたが、そこから一歩離れてみれば、道行く人も地下鉄でスマホをやっている人も、まったく別世界の人のよう。政治に関心のある人とない人との溝がこんなにも広く深いとは……。私にできるのは組織に属して運動をするのでなく、この溝を埋めることではないか? 憲法なんて関係ない、忙しくて考えたこともないという人に、「憲法は一人ひとりの生活や人生にかかわることなのよ。私たちの問題なんですよ」と伝え、気づいてもらうことが、これまで劇映画をつくって普通の人々に観てもらってきた私の役割だと思い、ドキュメンタリー映画の制作を思い立ったのです。

──映画はさまざまな人へのインタビューで構成されています。取材するかたはどのような基準で選んだのでしょう。

松井 とにかく政治的なことは苦手という人にも抵抗なく観てもらえるよう、既成の組織や団体に属していない普通の人、観客に「ああ、この人私と同じだわ」と共感してもらえるような人を選びました。取材を始めた頃にSNSでみつけた札幌の「戦争したくなくてふるえる」デモの発起人のひとり高塚愛鳥さんもその一人です。当時フリーターだった彼女は金髪につけまつげ、Gジャンにミニスカートといういわゆるギャル風で、集会に集まる常連さんとは年齢も雰囲気も明らかに異なる、渋谷や原宿を歩いていそうな普通の女の子でした。「ギャルだって政治のこと考えてる。戦争なんて絶対いやだ」という彼女のスピーチを聞いて、そうだ、こういう若者の真実の声を拾っていこう、と映画の方向性が定まりました。
 安保関連法に反対するママの会@埼玉の辻仁美さんも、一見政治と縁遠い主婦でした。東京電力福島第一原発事故をきっかけに社会のことに興味を持ちはじめ、自民党改憲案と安保法案のどちらにも強い憤りを感じて、ママの会を立ち上げたといいます。彼女のようにもともと政治運動に無関心だった普通の人が今なぜ憲法に興味を持ち動き始めたのか、という過程を見てもらいたかったし、彼女たちが取材していくうちにどんどん成長していくんですね。その成長物語に観客が自分を重ねてもらえればと思いました。
 テレビドラマや劇映画を作っていた私の関心は、人間を描くこと。イデオロギーや政治的主張を前面に出すのでなく、その人の人間そのものに興味を持ってもらう。人間そのものに共感できたら、おのずとその人の考え方にも興味がわいてくると思って。
 憲法学者や自民党の議員さんにも取材しましたが、多様な意見を並列に並べて、観た人に自分で考え、判断してもらうための材料を提示したつもりです。私自身が観客と同じまっさらな状態でお話を伺いたかったので、取材した方とは全員が初対面。打ち合わせもなしで、ほぼ私ひとりでインタビュアー兼カメラマンとして取材に臨みました。

松井久子さん

オリジナル版からリニューアル版、さらに英語字幕つきへ

──取材から編集、そして完成までかなりタイトなスケジュールだったそうですね。

松井 取材を始めたのは2015年5月。その年の9月に安保法制が成立してしまって、もう時間がない、なんとしてでも翌年7月の参議院選挙までに仕上げなければとバタバタと編集し、5月21日の封切りにこぎつけました。それから参院選までの1ヶ月半、上映会はなんと700ヶ所も。DVDを発送するのにてんてこ舞いするほどのものすごい反響でした。でも参院選の結果は、国会で改憲の発議ができる3分の2を改憲勢力が占めるという残念なかたちに終わってしまい、その後は世の中全体がシュンとなってしまったようで、上映会の申し込みも減りましたね。改憲側は実現へ向けて着々とすすめているのに、このままではいけない、もっと論点を明確にして観た人々がみんなで議論できる映画にしようと、新たな取材を加えて、11月にリニューアル版を発表したのです。

──リニューアル版では、どのような点を加えたのでしょう。

松井 オリジナル版ではとにかく憲法を自分事だと気づいてもらうために、新憲法の成立から今日までの日本政治の歴史的背景と、人々があまり気づいていない人権条項に重きを置いた作りでした。ところが自民党側は、まず96条の憲法改正要件の緩和や緊急事態条項とか、具体的な提案を矢継ぎ早に次々出してくるし、そういった現実に対応する内容にしなければと思ったのです。
 さらにいわゆる護憲派のなかで意見の分かれる9条問題も、もはや避けては通れない。9条の文言と現実との矛盾について、今こそきちんとテーブルの上にのせて議論するときではないか、という気持ちで「9条の護憲的改憲」を主張する法哲学者の井上達夫さんや新9条案を掲げた伊勢崎賢治さんの意見と、それに対して、「今の自衛隊は憲法違反であるが、だから改憲ではなく、現実を憲法に近づける努力をするべき」という伊藤真弁護士の意見とを並列に並べて「あなたはどちらを選びますか?」と問いかけたのです。

──タイトルの『不思議なクニの憲法』には、どんな思いを込めたのでしょう。

松井 どんなタイトルにするかはずいぶん悩みました。まず政治的なアレルギーを起こさせないよう、ストレートなタイトルでなく、なんとなくあいまいなもの、「えっ、何のこと?」とまず興味を持ってもらえるものにしたい、と。「不思議」には、国民主権の憲法なのに、みんな自分のことと思っていない、それっておかしくないですか? 「戦力不保持」と明記された憲法があるのに、自衛隊という名の軍隊を持ってしまった日本、9条の矛盾を70年間も放置し続けた私たち、つくづく不思議だと思いませんか? と、そんな気持ちを込めました。「クニ」をカタカナにしたのは、漢字だと“国家”のイメージが強くて国を批判するだけととられてしまう。それより私たち国民の一人ひとりの意識こそ問題ではないか? と気づいてもらいたかった。安倍政権を選んだのも私たち国民ですからね。

──松井さんの映画は資金集めから上映会まで、市民サポーターに支えられて実現しています。今回も同じ方法ですか?

松井 私自身にはもちろん財力もないし、この種の映画にはスポンサーもつきません。だから頼れるのは「松井さんの映画を観たい」という観客に応援してもらうしかないと思って。今回もこれまでの映画作りを支えてくれたサポーターの方たちが中心になって、募金活動をしてくださいました。でもたとえば『レオニー』のサポーターの中には「えーっ、憲法? 松井さんは夢を与えてくれる監督だと思っていたのに、そっちのほうへいっちゃうの?」というネガティブな反応もありましたよ。
 でも、映画が完成したときは彼女たちも観に来てくれて「気づかなかった、誤解してたわ。憲法って自分たちのことだったのね」と言ってくれて。嬉しかったですね。

──英語の字幕がつけられて海外でも上映され、反響を呼んだとか。

松井 まったく予想もしていなかったことですが、上映会の参加者のお一人だったアメリカ文学者のかたが、ボランティアで英語字幕の翻訳をかって出てくださったんです。そのおかげで昨年8月にドイツ・デュッセルドルフでの上映が実現して、またそこで観た人がドイツ中の大学に上映会を呼びかけてくださって……というふうに、私は何もしていないのにすべて観た人が広げてくださっています。
 この5月にドイツの4都市の大学上映に行ったときは、どこでもたくさんの学生たちと熱い意見交換をしてきました。日本ではありえないことです。若い人の政治意識がまったく違うんですね。
 ドイツは学校教育できちんと政治、歴史教育をしています。国をあげてナチスが犯した過ちを総括している。日本との違いを痛感しました。また、若い人が当たり前のように自分の政治的意見を述べていました。子どもの頃から受けてきた民主主義教育のおかげで、互いに異なる意見をぶつけ合い、議論しあうことが身についている。それはほんとに羨ましいと思いましたね。
 映画の感想としては、第2次大戦における日本のアジアでの加害の歴史が描かれていないという意見もありました。また日本国憲法の意義を改めて知って、9条だけでなく人権条項まで変えられようとしているのか、という素直な驚きの声も。
 2月にあった韓国の上映会では「日本国憲法は、韓国にとっては日本のひとつの免罪符ではある」「もっとアジアの友好関係をどう作るかの視点が欲しかった」という意見が印象に残りました。

松井久子さん

今こそ9条論議を

──松井さんご自身は、9条改憲についてはどのようにお考えですか?

松井 まずお断りしておきたいのは、私の映画は自分の主義主張を訴えるためのものではないということです。明確なメッセージを主張する監督もいますが、私にはその欲も素質もない。自分の言いたいことを前面に出したほうが作る方も楽だし、ある一定の方向性や結論を持った映画のほうが、観る方もわかりやすいのかもしれません。でもそれではまた観客の一人ひとりが自分で考え、自分で答えを見つける可能性を封じてしまう。そしてそれが政治に関心がある人とない人の分断を招き、互いに口をつぐんでしまう。そういう負のスパイラルが政治家たちの思うつぼにはまってしまっているのではないか……と。
 私がいちばんおかしいと思ってるのは、この国の人びとが政治的な議論をしないことです。だから自分の考えは脇に置いて、観た後で、みんなで議論ができる映画にしたかったのです。もちろん「自民党改憲案は論外」という点では、私の意見を述べていますけどね。
 そのことをご理解いただいた上で、あえて私の個人的な意見を申し上げれば、憲法の文言を変えることを恐れてはいけないということ。
 憲法を守る義務がある総理が「自前の憲法を」と言っている今こそ、主権者である私たちが「戦争をしないための」、それでいて「現実との矛盾がない」9条を自分たちの手でつくる、あるいは主体的に選び直すときだと思います。
 ただひたすらピュアに「9条守れ」と言い続けている人に、「じゃあ自衛隊はどうするの?」「沖縄はどうするの?」と聞いても、確たるこたえが返ってこない。
 自衛隊の存在は多くの国民が認めているというけれど、いま政府が自衛隊につぎ込む予算は膨大で、いつのまにか世界有数の巨大な軍事パワーをもつ国になってしまった。安保法制も通ってしまって、自衛隊の役割は日に日に重大になってきている。それは見て見ぬフリで、ただ「9条守れ、守れ」では多くの国民の共感は得られない。
 よく、「安倍政権のもとでの改憲論議は向こうの土俵に乗るだけだからすべきでない」という意見がありますが、それがどれだけ憲法問題に関心を持ってこなかった人々をしらけさせているかを「護憲派」と呼ばれる人々はもっと気づいて、少なくとも議論はすべきです。私は「自衛隊は違憲だ」と思っていますが、野党さえどこもそう公言しなくなっている。そして「難しい問題は考えたくない」とみんなが思うようになっています。
 自衛隊や沖縄のことはそのままにして、きれいごとを言っているだけの護憲派の欺瞞性を、運動に参加しない人は直感的に見抜いているんですね。いまこそタブーなしに9条を議論の俎上に載せることが大事だと思います。

──いわゆる護憲派の運動が広がらない原因のひとつが、そこにあるのかもしれませんね。

松井 実際、観客の反応を見ていると、リニューアル版に井上達夫さんら新9条論の意見を入れたことで、旧来の護憲派の人たちから見放されるかな、と思ったけれどそんなことはなく、むしろより幅広い層の関心を呼び起こすことができたという実感があります。

──タブーを作らず正面から議論することで、関心の輪を広げる。そこは松井さんの狙い通りだったわけですね。

松井 ところが、野党もリベラル派も、そこに気づいていません。たとえばTwitterなどでのリベラル派の言論人の発言には、辟易とさせられることがありますね。これをどれだけの無関心層の人が読んでるだろうって。

──どんなところが気になりますか?

松井 リベラル派の人は「自分の言っていることは正しい」と敵(安倍政権)を攻撃するだけで、上から目線の言いっ放しが多いんですよ。いかにして人に伝えるか? という姿勢が見えないんですね。いま彼らが説得すべきは無関心を決め込んでいる人たちなのに。安倍を強い言葉で攻撃するだけの言い方では、味方につく気がしなくなるというか、ね。
 私は劇映画を作ってきたからか、どうすれば観た人に共感してもらえるか、相手の内的衝動を揺さぶることができるかに知恵を絞ります。多くの、特に男性の論客の発言にそれが感じられないのが、ほんとに残念でなりません。
 それともう一つ、安倍改憲をストップさせるにはやはり政治的なパワーが必要ですね。でも自民党に対抗できる受け皿は簡単にはできそうにありません。野党の中に私たち普通の人びとが心から支持し、応援できる政党がないのは、ほんとうに悩ましいことです。

──安倍総理は「2020年までに新憲法の施行を」と言っています。今の9条1項2項はそのままにして、自衛隊の存在を明記する3項を追加してはどうか、というものです。

松井 あれは「改憲」じゃなくて「壊憲」です。言語道断ですよ。要は「戦争をする国にしたいのか?」「戦争をしない国であり続けるか?」。その二者択一のはずなのに、後者を目指す人々が心ひとつになっていない。そこがいちばん深刻な問題です。
 今こそ安倍改憲に対抗する勢力が一致団結するために、9条の議論を正々堂々と戦わせて、それまで関心のなかった人も巻き込んで欲しい。それが映画の裏に隠された私のメッセージです。
 主権者である私たちにできることは、近々やってくるかもしれない国民投票で、一人ひとりがちゃんと考えて、理解して、判断して投票できるよう準備をしておくこと、それしかありません。
 前作『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』の冒頭に挙げた、フェミニズムのスローガンにもあるように「個人的なことは、政治的なこと」であり、決めるのは私たちです。
 映画の英語タイトルを「Choice Is Ours」にしたのも、そのことを国民の一人ひとりが、今こそ思い出して欲しいからです。そのためにまだまだ『不思議なクニの憲法』とともに全国を歩きたいと思っています。

(構成/田端薫 写真/マガジン9編集部)

松井久子(まつい・ひさこ)1946年東京都生まれ。早稲田大学文学部演劇科卒業。フリーライター、テレビドラマ、ドキュメンタリーのプロデューサーを経て、98年映画『ユキエ』で監督デビュー。2作目の認知症の家族愛を描いた『折り梅』では2年間で100万人観客動員。2010年彫刻家イサム・ノグチの母の生涯を描いた日米合作映画『レオニー』、15年ドキュメンタリー映画『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』を発表。著書に『ターニングポイント 「折り梅」100万人をつむいだ出会い』(講談社)、編著『何を怖れる フェミニズムを生きた女たち』(岩波書店)など。

映画「不思議なクニの憲法」公式サイト

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