働きながら子どもを育てる親たちにとって、なくてはならない存在の保育園。仕事で深夜や早朝まで帰れない親たちに代わって、子どもたちに夕食を食べさせ、お風呂に入れて寝かしつける……。そんな「夜間保育園」を取材したドキュメンタリー映画『夜間もやってる保育園』(大宮浩一監督)が、まもなく全国で公開されます。
ときに「夜間まで子どもを預けるなんて」という偏見にもさらされる夜間保育園の現場をもっと知ってほしいと、映画の制作を企画したのは、新宿歌舞伎町に隣接する大久保で24時間保育を行う「エイビイシイ保育園」園長の片野清美さん。「24時間」にこだわる理由や、30年以上にわたる歩みをふりかえっての思いをお聞きしました。
「夜間もやってる保育園」を開いた理由
──「エイビイシイ保育園」は1983(昭和58)年に誕生以来、ずっと24時間保育を続けておられるそうですが、開園当時のことを教えてください。
片野 私はもともと地元の九州で保育士の仕事をしていて、その年の春に東京に出てきたんですね。最初は東京でも保育園で働いて食いつなごうかと思っていたんですが、職安にも全然求人はないし、あっても給料がすごく安い。主人(夫で現・エイビイシイ保育園理事長の片野仁志さん)と相談して、ともかくしばらくは保育士にこだわらずひたすら働いて、何かを始められるお金を貯めようということになったんです。
それで、昼間は私はベビーシッター、主人は営業の仕事をして、夜は二人とも歌舞伎町のクラブの厨房で働き始めました。そこでよく見かけたのが、クラブで働く若い女性たちが近くのベビーホテルに子どもを預けて仕事をしている姿だったんですね。ああ、夜の保育を必要としているお母さんは多いんだなあ、と思いました。
──当時、夜に子どもを預かってくれるのは、基本的には無認可の「ベビーホテル」のみだったんですね。
片野 ちょうど、ベビーホテルでの死亡事故が多発していることなどが大きく報道されて社会問題化して、夜間保育園に関する法律が国会でつくられた(※)ばかりのころでした。そのベビーホテルに子どもを預けるお母さんたちを目の当たりにしながら、「昼間の保育園」は認可制度などで公的に守られているけど、「夜の保育園」は全然守られていないということを痛切に感じましたね。
それで、2〜3カ月働いてお金がある程度貯まって、主人に「何がしたい?」と聞かれたときに、「夜間の保育園をつくりたい」と答えて。昭和58年の8月3日に、大久保の職安通りに面したビルの一室で「ABC乳児保育園」を開設したのが始まりです。
※無認可ベビーホテルでの死亡事故などを機に夜間の保育施設整備を求める声が高まり、1981年に夜間保育園の認可制度がモデル事業として始まった。
──じゃあ、初めから必然的に「夜間もやってる保育園」だったんですね。
片野 そうです。私も東京に出てくるまで知らなかったけど、夜間保育にこれだけニーズがあるのなら、どうにかしてちゃんとした、公益性のある夜間保育園をつくらないといけない、という思いがありました。
──「ちゃんとした」というのは、主にどんな点ですか。
片野 やっぱり、保育の質ですよね。開園前、近くのベビーホテルを見学に行ったんですよ。そのころはブームみたいなもので、新宿だけで60カ所以上もベビーホテルがあったんです。
でも、その中には相当劣悪なものもあって……。子どもたちがみんな鼻水を垂らしたまま廊下をハイハイしていたり、中身も何だかよく分からないようなごはんを回し食べしていたりしている光景を見て、ああ嫌だなあ、と思いましたね。こういう悪いところは見習っちゃいけない、子どもを育んでいく仕事なんだから、保育の質ではどこにも負けないようにしよう、と考えたんです。
──映画『夜間もやってる保育園』にも、まだ園舎にお風呂がなくて、先生たちが子どもを銭湯に連れて行っている写真が出てきましたね。
片野 ほんとに、頑張ってましたよ。ハード面はお金のある保育園にかなわない分、ソフト面で頑張ろう、と思っていたから。
銭湯は、子どもたちが喜ぶから週に2〜3回行っていたかな。お風呂から上がった子どもたちは、近くにあった私の自宅に順番に連れて帰るんです。そこで主人に湯上がりの面倒を任せて、私はまた次の子どもたちを連れに行く、なんてことをやっていました。
何があっても「24時間」と
「保育の質」のポリシーは曲げなかった
──本当に手探り、手作りのスタートですね。最初はどのくらいの規模だったのですか。
片野 最初は、保育士は私と、新任の先生の2人だけ。その状態で、夜勤も含めて365日を2年間くらいやり通しました。若くて体力もあったからやれたのかなと思いますね(笑)。
でも、肝心の子どもは開園から3カ月くらいは誰も来なかったんです。
──「ここに保育園がある」ことが知られていなかったからでしょうか?
片野 それもあったでしょうけど、何だかよく分からなかったからじゃないかな。雑居ビルの4階を借りてたんですけど、同じ階のお隣さんは24時間営業の麻雀屋だったし(笑)。
それで、ともかく園児を募集しようというので、街にポスターを貼ったり、歌舞伎町のお店にチラシを置かせてもらいに行ったり、いろいろやりました。お金もなかったから、不動産屋のチラシ配りのアルバイトをやりながら、園のチラシを一緒にまいたこともあります。
そうするうちに1人、まだ6カ月の女の子を預けに来た人がいて。お母さんは歌舞伎町で働いてたんですが、夫婦げんかして家を飛び出したらしくて、子どもを迎えに来なくなっちゃった。それでも主人と「警察に届けたほうがいいのかな、でもまあ、迎えに来なかったらうちで育てたらいいよね」なんてのん気に話してたら、結局1週間くらいで迎えに来たんですけどね。そこからは、口コミで徐々に園児が増えていきました。
──映画の中に出てくる保護者の方たちは、国家公務員だったり、付近の飲食店で働いていたりと、職業もさまざまでしたが、当初からそんな感じですか。
片野 そうですね。公務員から会社員、飲食関係、やくざまで、いろんな人がいましたよ。0歳の子を預けに来た歌舞伎町のクラブのママさんとはすごく仲良くなって、その後「子どもを預けて働かないと食べていけないけど、仕事が見つからない」っていうお母さんが来たときには、彼女に頼んで店で雇ってもらったりしました。
本当は、保育園がそんなプライベートにまで首を突っ込むべきではないのかもしれないけど、どうしてもそうなっちゃう。シングル親などに対しても世間はいろいろ言うけど、話を聞いていくとやっぱりそこにはいろんな事情や、悲しみがあるんですよね。今も、「そうかそうか」って、しょっちゅう親御さんの話を聞いてます。
──特に、最初のころはトラブルも含めていろんなことがあったでしょうね。
片野 いろいろありましたよ。よく覚えてるのは、大雪の降った日。保護者が何人も、迎えに来ても連れて帰る足がないって電話してきたので、「いいよ、無理して迎えに来なくても一晩くらいうちで預かるから」って言ってたら、結局10人以上赤ちゃんが残っちゃって。「まあいいか」って、ほとんど寝ずにミルク作っては飲ませて夜を過ごしました(笑)。
まあ、いろんなことがあってもそれはそれで楽しかったし、「24時間」と「保育の質は落とさない」っていうポリシーだけは曲げなかったです。続ける中で、やっぱり新宿みたいな場所には24時間保育が絶対に必要だとますます感じるようになりましたし。
──でも、認可の夜間保育園は現在でも都内でエイビイシイのほかにわずか1カ所、全国でも80カ所しかないんですね。
片野 もちろん、全国津々浦々どこでもなくてはならない、とは思いません。でも、必要としている人がいる場所にはつくるべきじゃないでしょうか。今、うちの保育園では夫婦ともにフルタイムで働いている保護者が7割くらいなんですが、「夜遅くまで預かってくれる場所がないと仕事を続けられない」というので、他区から引っ越してこられた方もいますよ。
また、保育関係者でも「片野先生、夜の保育って何をするの」と聞いてくる人がいるんですが、夜間保育だからといって深夜まで子どもが遊んでいるわけではありません。子どもたちは、家庭と同じように夕食を食べて、お風呂に入って、8時半には布団に入るんです。
「夜まで預けられるなんてかわいそう」なんていう人もいますが、子どもだって、親が仕事をしている間1人で家にいるよりは、保育園で好きな友達や先生と過ごすほうが楽しいでしょう。昼だろうと夜だろうと、子どもが幸せならそれでいいと思うんです。
何よりも、子どもたちのために夜間保育園を
──ちなみに、エイビイシイ保育園の給食は、すべて手作りのオーガニックだそうですね。
片野 理事長が「やろう」と言い出して、始めてから16年になります。子どもが長時間いる場所なんだから、できるだけいいものを食べさせたいという思いからなんですが、いきなり全部をオーガニックにはできないから、まずお米を無農薬のものに替えて、そこから少しずつ広げていきました。生産者さんとのつながりも大事にしていて、「あそこにいい食材がある」という話を聞いたら、栄養士たちと訪ねていくんです。先日も、青森にリンゴについての打ち合わせに行ってきたばかりです(笑)。
──映画の中でも、園に有機野菜を提供してくれている農園の方々が紹介されていましたね。ただ、すべてオーガニックとなると、予算的にも大変なのでは? と思ってしまいますが…。
片野 でも、昼と夜の2食プラスおやつで、予算は1人あたり1日700円ですから、それほど高いわけでもないと思います。子どもにとって何がいいのか、を考えると自然とそうなるんですよね。最近はシャンプーやリンスもすべて無添加のものにしたりと、今も進化を続けています。
──また、保育園だけではなく、夜間も含めた学童クラブや、最近では発達障害のあるお子さん向けの療育教室も始めるなど、どんどん活動が広がっていますね。
片野 儲からないことばっかりやってますね(笑)。特に学童保育は行政からの補助金もあまりなくて運営が厳しいんですが、保育園のほうが2001年に国の認可を受けたので、認可保育園として国や東京都の補助を受けられていて。それと一緒にやっているからなんとか回っているという感じです。まあ、東京都は全国的にも認可保育園への補助金が多い自治体ですし、それをケチってため込んでもしょうがないですから。
──すぐ近くに保育園の分園もありますが、そうして場を広げてくる上で、地域との摩擦はなかったですか。東京では、住民の反対で保育園建設が頓挫した自治体もありますが……。
片野 最初に今の場所に移ってきたときは大変でした。住宅街の真ん中だし、24時間子どもを預かるなんて……と。でも、繰り返しお願いをして、町内会にも入って、清掃活動なんかにも参加して交流をもつようにして。今では、近所の方たちもクリスマス会などの行事に来てくれますし、分園をつくるときにもほとんど反対はなかったです。「使わなくなった土地があるから買ってくれないか」と先方から持ちかけていただいたこともあるくらい。
──行政との関係はいかがですか。
片野 さんざんケンカしてきましたよ(笑)。行政はどうしても、「今困ってる一人の人のためだけに税金を使うわけにはいかない」という立場。私は「目の前に困ってる人がいるんだから、そこにお金を使うのは当たり前やろ」と思ってるから、何度もぶつかりました。
でも最近は、連携できる部分も増えてきました。電話で話を聞くだけじゃなくて、きちんと保育の現場に足を運ぶ職員も増えてきたし……。児童相談所などから、「あのお母さん、こっちでは何も話さないので、園長が聞いている話があったら教えてください」と頼まれたり、「頼りにできる存在」と思ってもらえているみたい。こちらも、「学童保育代が払えない」という保護者が少なくないことを話して、「補助金制度をつくったらどうなの」とアドバイスしたりしています。
──片野園長が「夜間保育園の映画をつくってほしい」と大宮監督に手紙を書かれたのが、今回の映画ができるきっかけだそうですが、見られる方へのメッセージはありますか。
片野 とにかく、夜間保育園というのがどういうところなのかを知ってほしい。それだけですね。
今もよく「どうして保育園を深夜までやる必要があるのか」「子どもは昼間遊び、夜は寝るものだ」といった声を耳にしますが、今の時代、24時間社会は動いていて、昼間の仕事だけじゃなくて夜の仕事もある。だからこそ世の中は成り立っているし、誰もがその恩恵を少なからず受けているはずです。
であれば、夜間保育が是か非かという議論をする前に、親が仕事をしている間、子どもが1人家で放っておかれることがないようにするにはどうしたらいいかを考えるべきだし、現実として夜間保育を必要としている親子がいるのなら、子どもがより安心できて豊かな時間を過ごせるようにするための手助けをすべきです。何よりも子どもたちのために、必要とする人がいる場所にはもっと夜間保育園が増えていってほしい。そう願っています。
(構成/仲藤里美 インタビュー写真/マガジン9編集部)
映画『夜間もやってる保育園』
エイビイシイ保育園をはじめ、全国各地の夜間保育園と、そこに子どもを預ける親たちの姿を追ったドキュメンタリー。
9月30日(土)より、ポレポレ東中野にてロードショー、ほか全国順次
■公式webサイト
http://www.yakanhoiku-movie.com/