7月14日(金)に、NPO法人日本障害者協議会(JD)主催で行われた「日本国憲法施行70年と障害者」を考える集いに行ってきました。掲げられたタイトルは、「障害者に生きる価値はないのか! ―真に共に生きる地域社会の実現をめざして―」。憲法を土台に、だれも排除せずに地域で共に生きられるインクルーシブ社会をどう実現するのか、登壇者や参加者から意見が出し合われました。
集いは、東京大学先端科学研究センター教授の福島智さんによる基調講演から始まりました。バリアフリー分野の研究を行い、盲ろう者として初めて東大教授になった福島さん。「憲法の話をする前に…」と取り上げたのは、7月26日で1年が経つ津久井やまゆり園での事件のことでした。福島さんは、事件のあと体調をくずしています。
「障害者や障害に関連する人はどこかで、自分も被告のナイフに刺されたような感覚があったんだと思います。同僚の車椅子を使っている研究者も外を歩くのがこわくなったと、それまで信頼していた世の中が信頼できなくてこわくなったと言う」
福島さんは、命に価値をつけようとする優生思想の問題に触れて、ネット上で被告に賛同する声が多くあることを懸念。弱者を排除する優生思想は、さらに残った中から弱者を生み出し続け、最後には人間すべてを否定していくことにつながると指摘します。命に尺度をあてはめる考え方は、生産性で評価される労働者、成績で序列化される子どもへとつながるもの。貧困問題などでのバッシングも浮かびますが、津久井やまゆり園の事件から浮かび上がったこの社会のゆがみは、障害者だけの問題ではありません。
さらに、「障害者関連のさまざまな問題は生存権にかかわるものが多い」として憲法25条の条文をあげ、「健康で文化的な最低限度の生活」とは、「生物学的な生存保障」だけでなく、他者とのコミュニケーション、移動・外出の自由など、「文化的な意味での生存」を支えなければ、本当の意味では実現できないと訴えました。
プログラムは、このあと津久井やまゆり園家族会・前会長の尾野剛志さんとJD代表・藤井克徳さんによる、事件後の匿名報道についての話へ。本来は実名で報道される事件であるにもかかわらず、亡くなった19人の名前が出ないままであることへの違和感を投げかけました。その後、足立早苗さん(全国障害児者の暮らしの場を考える会)、大胡田誠さん(弁護士)、五井渕真美さん(DPI障害者権利擁護センター・相談員)、佐藤真智子さん(全国精神障害者団体連合会・事務局担当理事)、福島智さんによるパネルディスカッションへと続いていきます。
パネルディスカッションでは、「25条(生存権)、13条(幸福追求権)、14条(法の下の平等)と立派な憲法がありながら、実態が伴っていない。そのギャップをどう埋めるのか」「障害者を見えない存在にするのではなく、地域で共に生きていくことを模索することが、生きる価値を確かなものにする」などの意見のほか、脳性麻痺による身体障害と知的障害を抱える2人の子どもをもつ母親の立場からは「わが子は愛しいのに、障害に引け目を感じてしまう自分があった」と、自身の「うちなる優生思想」との葛藤についての話も…。
また、「憲法と障害者」というテーマからは、「過去の悲惨な戦争、人権侵害の反省から生まれた憲法に、優生思想とは対極の理念を見つけることができる」「あらためて憲法の根本的な価値観を考えたい」とすべての人がかけがえのない存在であるとする憲法13条の重要性をあげる一方で、この13条が自民党の改憲草案では「個人」から「人」と言い換えられていることへの不安と疑問もあがっていました。
政府の障害者白書が発表している身体障害者、知的障害者、精神障害者の人数を単純に合計すると、約860万2千人になるそうです、総人口でいえば、16人に1人というかなり多い数字。もちろん決して数の問題ではありませんが、私たちの社会や暮らしは、それだけ身近にいるはずの障害者の存在を反映していると言えるでしょうか。会場から手話で参加した男性からは「津久井やまゆり園の事件では、コミュニケーションのとれない人たちが犠牲になった。私は聞こえないので何かがあってもコミュニケーションがとれない。ある意味、生きる権利を奪われている。それを憲法はどう守ってくれるのか」という問いかけもありました。「生産性で命の価値を決めるのか」。そんな登壇者や参加者からの切実な声に何度も胸がつまりました。
会場からは、ほかにも「入所施設が障害者を『見えない存在』にしている」という意見、視覚障害者で性的マイノリティであるという方から「重複障害についてもっと知ってほしい」という要望などさまざまな発言があり、残念ながらここではすべてを取り上げきれませんが、多くの人と共に考えたい内容でした。「一人ひとりがかけがえのない存在」だと認められる社会は、さまざまな立場の人にとって必要なこと。なぜ津久井やまゆり園の事件が起きたのか、そのことはずっと問い続けていかなくてはいけません。憲法はもちろん大事な支えですが、憲法と現実の間にあるギャップを埋めていくことが求められているのだと思います。
(中村)