私の体験的「憲法論」と実践的な「使い方」 講師:保坂展人氏

「麹町中学校内申書事件」と聞けば、大学の法学部などで憲法を学んでいる方はご存知だと思います。現在世田谷区長を務める保坂展人さんは、16歳のときにこの裁判の原告となって以来、憲法の実践的な使い方についてずっと考えてこられたそうです。
今回の講演では、内申書裁判の背景や後日談などとともに、「質問王」とまで呼ばれた衆議院議員時代の委員会活動や議員立法などについてお話しいただきます。[2018年3月21日(土)@渋谷校]

少年時代から憲法について考えてきた

 学生運動が高校にも波及し、硬派な本がベストセラーになる1969年当時、中学2年生だった私は被差別部落や在日韓国人への差別など学校では教えてくれないことをテーマに、一晩で16ページという内容の濃い新聞をガリ版で作っているような少年でした。近現代史を後回しにする歴史の授業で「先生の教え方はおかしい!」と意見し、先生の代わりに授業をさせてもらったこともありました。
 そんな私に、担任の先生は内申書を書いてくれませんでした。あとで分かったことですが、先生は教育委員会から、私の内申書に政治的な活動について記載するよう指示されていたそうです。私の進学を応援したかった先生は、何も書くことができなかったそうです。入試の面接では、他の生徒は5分で終わるところを私だけ40分も思想面接が行われました。結果、全ての試験に落ちました。さらに中学の卒業式では、大勢の先生たちに教室にねじ伏せられ出席することさえ出来ませんでした。
 これらの事実を問題視した周りの有識者たちは「憲法の保障する『思想・良心の自由』に反するのではないか」などと議論し、16歳の私を原告として裁判を提訴しました。
 第一審では、計6時間にわたる本人尋問で私自身のことについて話をさせてくれました。裁判官は「こういう少年を支えなきゃ」と思ってくれていたそうです。結果は全面勝訴で、翌日の新聞には「裁判所 中学生に政治活動の自由認める」という見出しで記事が掲載されました。しかし高裁で逆転敗訴し、最高裁でも上告が棄却されました。この16年間にわたって争った「麹町中学校内申書裁判」の判例は、司法試験に出題されたこともあり、大学の法学部の授業でも教えられているようです。
 最高裁判決が出た1988年当時、最高裁では判決期日を一部の記者に伝えるのみで当事者には通知しないという扱いがなされていました。憲法で「裁判の公開」が保障されているにもかかわらず、これは非常におかしなことです。私は自分の裁判の判決は必ず法廷で聞いてやろうと思っていました。あるとき、いくつかのテレビ局から「明日の午前中は何をしていますか?」と立て続けに聞かれたことで、私は「判決が出る!」と確信しました。翌日、関係者20人くらいを集めて最高裁に出向き、無事に原告席で判決を聞くことが出来ました。
 これはその後、衆議院議員になってからのことですが、1996年の法務委員会にて自分が裁判の元原告であるということを述べた上で「当事者に判決期日を教えないのはおかしい」と訴えました。私の通告を受けて、通告の前日に裁判官会議で「民事裁判判決の言い渡し日時を当事者に提出する」ということが決定していたそうで、国会の場で民事訴訟規則を改訂する答弁を得ることが出来ました。私にとっては、これが衆議院議員としてのデビュー戦でした。裁判としては負けてしまいましたが、裁判所の実務を変えることで一矢報いることができました。

500番目の議席から「国会の質問王」へ

 衆議院で小選挙区制が導入された最初の選挙で私は当選しました。議員になって欲しいと言われ出馬を決めてから選挙まで全く準備期間がなく、事前運動のやりようもない状態だったので、小選挙区ではかなり下の順位でした。しかし私は比例代表東京ブロックの一位だったので、当選したのですが、翌日の新聞に「落選しても国会へ」という見出しで私のことが書かれておりました。ならば、その分仕事で証明しようと思いました。500番目の議席にいるということは市民の声に一番近いのだから、質問の機会があれば精一杯頑張ろうと居直りました。色んな委員会に顔を出しては質問をし続けた結果、3期11年間で546回の質問をし「質問王」と呼ばれるようになりました。

わずかな時間で結果を残す質問とは

 議員になって二年目の頃、突然証人喚問をする機会を得ました。内容は、石油商の泉井純一氏を証人として、高級官僚への接待などについて問い質すというものでした。わずか7分という時間の中で自分に何ができるのかを考えた末に、私は国会国立図書館に駆け込み、戦後の証人喚問の中で「これは技あり!」というハイライト集をまとめてもらいました。その中で目を引いた手法が、言葉で答えさせようとするのではなく資料を出させるという方法でした。当時、泉井氏から大蔵省の官房長が高級絵画をもらったらしいという噂が出ていたので、私は「誰が描いた絵ですか」「その絵はありますか」「その絵を出してください」と続けて質問し、問題の絵を国会に提出してもらいました。その手法を知らない議員からは「何を言っているんだ」と呆れられましたが、効果は絶大でした。同じように、当時国会に出回っていた黒塗りされたメモについて、原本のノートを提出してもらうことに成功しました。

国政調査権で役所を動かす

 刑務官による受刑者への暴行が疑われた「名古屋刑務所事件」では、受刑者の不審死が問題となっていました。ある議員が法務省の担当者に「この10年間に日本の行刑施設で亡くなった人の人数は何人ですか」と尋ねたところ、「全ての受刑者の生死を確認するのに記録の山の中、倉庫で記録を一人ひとり探し出さなければならないので、回答に半年はかかる」との答弁でした。多くの議員はここで諦めますが、受刑者の生死が一瞬で分からないというのはおかしいと思った私は再び国会図書館に出向きました。数日後、大正時代の受刑者の「死亡帳」を発見しました。そこで、確認したところ、この死亡帳は現在も存在し、各刑務所の総務課で管理していることが分かりました。
 野党議員が直接役所に訴えてもらちがあかないと思った私は、法務委員会理事会の場で法務省の矯正担当の審議官に「本当に全ての受刑者の生死を確認する必要があるのか」と問い質しました。担当者が前回と同じ説明をしたため、死亡帳のコピーを見せながら「これを調べればすぐに分かるのではないですか」と指摘したところ、これまで法務省の答弁が虚偽であったことが明らかになりました。これには委員長をはじめ与党理事たちも激怒しました。与野党合意のもと事実上の国会法104条に基づき国政調査権を発動し、私の指示する関係書類を至急国会へ提出するように命じました。数日後、何十箱という書類が提出されました。
 このようにたった1人の議員が切り込んでいくことで役所を動かすことができるのです。決して票が増えるような話ではありませんが、議員の職責として非常に重要な仕事だと思います。この事件を機に刑務所の医療体制が極めて不充分であることが分かり、後の行刑改革会議において明治以来の監獄法の改正へとつながりました。

人間模様が垣間見られた議員立法

 私が携わった議員立法の一つに「児童虐待防止法」があります。1990年代に児童虐待が社会問題化し、児童相談所などの施設関係者から虐待を防止する法律が必要だという声が上がってきました。他方、当時の厚生省は「必要ない」という立場でした。議論を重ねた結果、議員立法で作ることになりましたが、議員立法をするには自民党から共産党まで全ての党に賛成してもらわなければいけません。自民党からは家庭内の「しつけ」が虐待としてみなされないよう「正当な懲戒を妨げるものではない」という文言を入れてくれと言われ、野党側からは「子どもの人権を尊重する」という一言は外せないと言われ、なかなか成立に至りませんでした。そんな中で当時の総理大臣であった小渕さんが亡くなりました。解散まで時間がないという状況の中、結局自民党案も野党案も条文に入れない代わりに「何人も、児童に対し虐待をしてはならない。」という非常に抽象的な条項が入ることになりました。
 法律を作るということは、人間の暮らし、生活、命にかかわることです。選挙後、制定に一番反対していた自民党の大物議員から「本当に良い仕事をさせてもらったよ!」と言われました。どうやら選挙中に、「児童虐待防止法」が主婦層を中心に、支持を集めていたことがわかったのだそうです。人間というのは随分変わるものだなと思いました。このように人間模様が垣間見られるところも議員立法の面白いところです。

憲法の実践的な使い方

 いま行政の長として判断を迫られたとき、これまで国会で546回質問してきたことが判断の土台になっているように思います。名古屋刑務所事件で国会法104条の国政調査権を使おうという話になったときに、憲法学者でもあった土井たか子さんと「やっぱり憲法は使うものだね」と話をしました。憲法は抽象的で分かりにくいと言われたりしますが、私たちは憲法の理念や制度をまだまだ使い切れていないように思います。本日は、ますます意欲的に憲法を使っていく一例として、私の議員時代の話をさせて頂きました。どうもありがとうございました。

保坂展人氏(世田谷区長、元衆議院議員)
1955年宮城県仙台市生まれ。高校進学時の「内申書」をめぐって「内申書裁判」をたたかう(麹町中学校内申書事件)。1980年代から学校、教育問題をテーマにジャーナリストへ。1996年総選挙で衆議院議員となり、2009年まで、3期11年間をつとめ、国会質問546回を重ね「質問王」の異名をとる。2011年4月から世田谷区長(現在2期目)。著書に 『相模原事件とヘイトクライム』(岩波ブックレット)『脱原発区長はなぜ得票率67%で再選されたのか?』(ロッキング・オン)『88万人のコミュニティデザイン 希望の地図の描き方』(ほんの木) 他