2018年、スタッフが選ぶ「わたしの三大ニュース」

いろいろなことがあった2018年も、いよいよ終わろうとしています。新しい年を迎えるにあたって、まずはこの一年をじっくり振り返ってみたいと思います。マガジン9のスタッフやボランティアがそれぞれに「わたしの三大ニュース」を選んでみました。みなさんは、どんなニュースがいちばん心に残っているでしょうか。2019年は良いニュースが増えますように……!
【※2019年の更新は1月9日(水)からです】

鈴木耕

●沖縄県知事選での玉城デニー氏圧勝(9月30日)と、辺野古への土砂投入(12月14日)

 翁長雄志知事の死去によって、9月30日に投開票された沖縄県知事選で、翁長さんの遺志を継いで「辺野古米軍新基地建設反対」を訴えた玉城デニーさんが、自公の推す佐喜真淳前宜野湾市長に8万票あまりの圧倒的な差をつけて大勝。今年のほんとうに嬉しいニュースだった! しかも、これまでの沖縄知事選での最高得票。基地反対の沖縄の民意は間違いなく示された。
 だが、安倍政権はそんな民意を踏みにじり、12月14日から辺野古の海への土砂投入を開始。使用しようとした本部港が使えないと見るや、民間の琉球セメントの桟橋から土砂を積みだすという、法を無視した奇策。さらに、その桟橋周辺には軍用の“カミソリ刃つき鉄条網”を張り巡らすという凄まじいまでの悪意。
 けれど、屈しない沖縄への連帯は強い。アメリカ政府への「辺野古新基地建設見直しを求める署名」が、12月18日で10万筆を超えた。ほんの10日間でこの成果。1月7日まで有効だというから、数十万筆に達するだろう。
 10万筆を超えると、米政府もなんらかの見解を示さなければならないということらしい。さて、どんな見解が出てくるか?

●安田純平さん、解放(10月24日)

 シリアの武装勢力によって、ほぼ3年4カ月間も拘束されていたフリージャーナリストの安田純平さんが、10月24日に解放されたと報じられた。ぼくにはこれが、玉城デニーさんの沖縄県知事当選とともに、今年もっとも嬉しいニュースだった。そして、あの高遠菜穂子さんたちの解放に伴って起こった「自己責任論」という、下劣なバッシングが、今回はそんなに目立たなかったこともよかったと思う。
 日本という国には確かに一部、卑劣な連中も存在するけれど、安田さんが生きて解放されたことを素直に喜ぶ真っ当な人たちのほうが多いということが示されたわけだ。だから、このニュースは、ほんとうに嬉しかった。
 ぼくの名刺ファイルには、安田さんの名刺もあった。どこかのシンポジウムでお会いしたときの名刺交換だった……。

●日本の原発輸出、壊滅へ

 言葉は悪いが、ぼくは本気で「ざまあみろ」と言いたい気分。なにしろ、経団連会長も務める日立製作所の中西宏明会長が12月17日の記者会見で、日立が参加していたイギリスのアングルシー原発計画について「資金調達が難航、もう限界…」として、事実上の計画断念を示唆したのだ。
 トルコ、台湾、アメリカ、リトアニア、ベトナム、そして今回のイギリス。安倍首相が自ら売り込み、アベノミクスの柱のひとつとして推し進めてきた「原発輸出」が、これでほぼ壊滅状態となった。
 あれだけの大事故を福島原発で起こしておきながら、恥ずかしげもなく「原発輸出」に狂奔した挙句、東芝はそのための膨大な赤字で経営そのものが傾きかけたし、日立も、もしこのまま英国原発計画から撤退すれば、数千億円の損失を出すことは確実である。
 各企業だって、本音を言えば「原発事業から撤退」したいのだ。だが、それを表立って言えないのは、安倍政権への忖度。経産省も仕方なしに原発にしがみつく。まさに安倍首相こそは「亡国のイージス」ならぬ「亡国の政権」なのだ。

 本来ならば「安倍政権の無法」を、今年の重大ニュースのトップにあげるべきだろう。水道法、漁業法、入管難民法、防衛費の狂乱的な増大、対ロ外交の大失敗、アメリカへの恥ずべき朝貢外交、国際社会での孤立化…。数えあげればきりがないけれど、ぼくはもう、あの顔を思い出すだけで不愉快になる。だから、ここでは挙げない。
 しかし、これはぼくの希望的観測だが、多分、安倍政権は来年の参院選で手痛いしっぺ返しを食らい、退陣へ追い込まれるだろうと思う。ま、それまでの辛抱である。

仲松亨徳

●入管難民法改定案成立(12月8日)

 現在滞日している外国人労働者の環境改善がないどころか、中身が何一つなく殆どを省令などで定めるという法案が強引に成立。その前の国会審議中に、野党が求めた失踪外国人技能実習生の「聴取票」のコピーが許されなかったのには呆れるを通り越して、背筋が寒くなった。与党の嫌がらせに役人までが加担している。しかし野党は手分けして写し取り政府の集計を覆した。最低賃金を下回っていたのを政府は22人だとしていたが実は1927人(67%)だった。さらに、成立後にしれっと出してきた2010年から17年の「外国人研修生・技能実習生の死亡事案一覧」によれば、外国人技能実習生が合計174人死亡していたという。外国人労働者の正確な苦しい実態を国民に知らせぬまま無理矢理つく った法律だが、そこに何よりも欠けているのは人間が人間であるという考えだ。人間は「労働力」じゃない。

●杉田水脈作文とその擁護特集に非難が集中し『新潮45』休刊(9月25日)

 「生産性」云々と宣った杉田作文(8月号)も酷かったが、その10月号の擁護特集、中でも小川榮太郎の「LGBTを認めるなら、痴漢の触る権利も保障せよ」といった内容に、読者のみならず寄稿家からも批判が殺到し、雑誌は休刊(事実上廃刊)した。内容の酷さは改めて言うまでもないが、メディアとしての最低限の矜持すら失った老舗出版社への失望は大きい。新潮社の佐藤隆信社長は「(『新潮45』の休刊で)原稿料をお支払いするチャンスがまた減ってしまった」と自社の関連団体が主催する賞の授与式で挨拶し、危機管理能力以前の認識のなさを露呈した。しかし、これはいち出版社の問題ではない。出版界全体で「なぜこのようなヘイト表現が商売に乗ってしまうのか」と問い直す姿勢を共有しなければならない。そういえば、若杉良作編集長はいま何をしているのだろう。

●琉球新報の「ファクトチェック」が平和・協同ジャーナリスト基金賞大賞を受賞(11月29日)

 1月の名護市長選挙での基地に反対する現職へのデマの流布は酷いものだった。結果は現職落選。ネットの言説が投票行動に与える影響は無視できないと考えたのだろう、9月30日投開票の沖縄県知事選挙をめぐる報道で、琉球新報は企画記事「ファクトチェック」、沖縄タイムスは「偽ニュース調査」を不定期で掲載し、ネット上のデマや中傷を検証した。受賞した琉球新報の滝本匠・東京報道部長は「記事化する上で留意したのは、事実に語らせて書くことだ。さらに、選挙期間中に記事を出すことも心掛けた。投票行動の判断材料にならないと意味がないと思ったからだ」と語る。トランプを米大統領に押し上げたのもフェイクニュースと言われている。おかしな「公平」に縛られずフェイクニュースに対抗する、既存メディアの新しい道を示したのではないだろうか。

 この1年を振り返ると跋扈するのは、強行、無視、開き直り、言い逃れ、無責任、論点ずらし、ハラスメントとマウンティング…。暗澹とするばかりだが、来年は選挙の年。こんな時代を終わらせる一歩としたい。

塚田壽子

●ベーシックインカムのある社会

 昨年から今年にかけては、何度目かのベーシックインカム(BI)ブームだった。2030年には爆発的に技術革新が進み、AIが我々の多くの労働にとってかわり仕事を失う人が増え格差が開く、という予測が現実味を帯びてきている。それならば、BIの制度を今から準備しよう、AIとBIはセットで考えるべきだとする経済学者の井上智洋さんと、経済アナリストの森永卓郞さんとの対談を、今年の最初の企画でお届けをした。
 私ごとではあるが、2019年早々、しばらく無給になる。自分で決めたことではあるが、給料が入らなくなる、ということがこんなにも人を不安にさせるものかと、我ながらびっくりしている。だからみんなやりたいことがあっても、会社を辞められないとか、賃労働から抜け出せないんだと、身をもって知った。ああ、BIがあれば…。社会学者のルドガー・ブレグマン氏が言及しているように、人はBIによって怠けたり働かなくなるのではなく、新しいチャレンジをし、イノベーションが生まれやすい社会になるというのは、実感としてわかる。BIの実装に向けての議論、今すぐに本気でやって欲しい。

森永卓郎さん×井上智洋さん(その3)BI導入と「働く」価値観の大転換で、ディストピアをユートピアに

●「官から民へ」のスローガンの罠

 今年、各自治体が事業体となっている水道事業の民営化を促す改正水道法が、これまた国会で十分な議論を経ないまま、成立した。これを推進する側の意見としては、老朽化が進む水道のインフラ事業は、自治体の財政を圧迫しているし、非効率な公のシステムでは、たちゆかなくて破綻してしまうから、というのだが、本当にそうだろうか。公でできないことを、なぜ利益優先の民間企業でできるのか、さっぱりわからない。
 「官から民へ」というスローガンは、小泉郵政改革の時に大いに叫ばれ、「保守的で閉じられた既得権益集団から、新しく開かれた市民へ」といったイメージが、刷り込まれた。しかし「官から民へ」は、英語で言うと、「publicからprivate へ」だ、と「この人に聞きたい」に登場いただいた、世界の水の再公営化の動きに詳しい岸本聡子さんから教えてもらった。たしかにこちらの方がわかりやすい。
 さて、そんなことで、この水道民営化をめぐっては、来年こそが一つの正念場になるだろう。春の地方統一選挙、そのあとの国政選挙…竹中平蔵氏の怨念から、みんな早く解き放たれましょう。

岸本聡子さんに聞いた:水の運動から生まれた地域政党「バルセロナ・コモンズ」に学ぶ公(パブリック)の力

●従軍慰安婦問題と日本の#MeToo

 今年は、日本においての#MeToo元年と言われた年でもあった。ようやく、という思いと同時に、日本がかつて加害者となった日本軍従軍慰安婦の問題については、相変わらずメディアで取り上げることがタブーのような状態なのが気がかりだ。かつては、NHKにおいてもその特集番組が組まれるなど、みんなで考えるべき戦争がもたらした重要な史実として、取り上げられてきた。しかし第一次安倍政権の頃から、この問題をめぐっては、大きな政治的な圧力がかかるようになり、今や、テレビ、新聞、出版社もすっかり萎縮している状況である。今年「この人に聞きたい」で行なった、絵本作家クォン・ユンドクさんのインタビューを読み返しながら、この問題は、国と国との対立の問題にするべきではないのだろう、と改めて思う。しかしながら、女性たちがどんな思いでこの告発をしてきたか、ということに、出版社も含めメディアは圧力に屈することなく向き合ってほしい。市民もまたその運動をサポートし、教科書でも教え、「国境を超えて痛みを分かち合う」ことの必要性を感じている。来年は、そこも含めての日本の#MeToo運動になればと、願う。

編集者C

●「新潮45」8月号に杉田水脈議員の記事掲載。LGBTを「生産性がない」と批判。その後の杉田氏の擁護特集10月号にも批判が集まり、雑誌は事実上の廃刊に

 これは、とてもイライラするニュースだった。杉田氏の記事は論文とはいいがたいほどの出来だったし、その後の特集は腹がたったので読んでいない。差別云々は別として、私の個人的なイライラの理由は、新潮社ほどの老舗で、優れた校閲部を持っている会社がこのひどい記事を世に出したことに、「あの新潮社がなぜ!?」という論調が多かったことである。この問題は、校閲は何をしていたのか? という論点で語ることなのだろうか? あの「週刊新潮」を出し続けている出版社であることを忘れてはいないか?
 同社内の文芸誌「新潮」が「特集 差別と想像力」という企画を組んで、作家たちの意見を載せ、自らを批判し謝罪をした。それは会社員編集者としてできる最大限のことだったかもしれない。だけど、まともな社員たちは、これまでの差別を許すような会社の体質に対し、どんなことをしてきたのだろう? と思う。他部署のことだと、そのままに流してきたからここまでになってしまったのではないだろうか? (そして、これからはどう取り組んでいくのだろう) 会社員として、社内の一部が自分の思想信条に反することをしている場合に、自分ならどうするか? が突き付けられた。
 講談社ですらケント・ギルバート氏の本を出す。出版界は、いまやジリ貧なのだ。貧すれば鈍する、なのである。儲けられればなんでもあり、それは今や日本の常識となった。2019年は、よい本を読みたい。よい本が生まれるように、出版界を応援していきたい。

●#MeToo のうねりと、数々のセクハラ事件+東京医科大学入試差別事件

 日本の男女差別の構造が、あらわになった年だと思う。財務省事務次官のエロおやじっぷり。レイプ事件を起こして証拠もあるのに、誰かさんの「お友達」だと逮捕も免れる。果ては、公正だと信じていた大学入試まで、女子学生は点数を引かれていた(多浪生もだけど)。
 昔、「女性は差別されるから、公務員になりなさい」と大学の恩師に言われたことがある。当時は、女性は差別されるのが当たり前だった。給与も待遇も、出身大学さえ選別された。それは、もうン十年前の話だ。それが、まったく改善されていない。いや、表面上差別はしていませんと謳っているのに、内実は…というほうが始末が悪い。
 上記の新潮45の事件と同じように、女性たちが、良識ある大人たちが、ちょっとした差別やハラスメントを苦笑いしたり、涙をこらえたりしながらやりすごしてきたから、日本の女性差別はなくならないのかもしれない。
 いやです、不快です、やめてください。それはだめです、差別です、おかしいです。勇気をもって、声をあげることがどれだけ大切か。自己反省も含めて、小さなことを見逃してはいけないのだと思った。そして、それは男性たちのパワハラ被害者、さまざまな弱者との共感へとつながっていくと思う。日本の#MeTooはこれからだ。

●『タクシー運転手 約束は海を越えて』『1987 ある闘いの真実』『共犯者たち』――韓国民主化の動きを描く映画がヒット+さらに、物言う市民たちの姿!

 3本とも見た。面白かった。うらやましかった。こんな映画を作れる韓国の文化に脱帽した。特に『共犯者たち』は、フィクションではなくドキュメンタリーだ。キャンドルデモでソウルの町中が人々に埋め尽くされるシーンや、権力の介入にメディアの労組が立ち上がるシーンが印象に残る。
 さらにマイケル・ムーア監督の映画『華氏119』での銃規制を求める高校生たちのデモにも心が震えた。フランスのイエロー・ジャケットを着た労働者たち、#MeTooで立ち上がる欧米の女性たち、辺野古のゲート前で座り込む人々、みんなみんな自分たちの問題を自分たちできちんと意思表示している。私たちも簡単にあきらめてはいけない。飼いならされてはいけない。継続しなくてはいけない! と強く思うこの頃(まあ、南青山に児童相談所を作ることを、青山のレベルが下がるという理由で反対している住民たちも、意思表示しているわけだけど)。

西村リユ

●小学校で「道徳の教科化」はじまる(4月〜)

 全国の公立小学校で、今年4月から「道徳の教科化」がはじまりました。これまで「特別の教科」として他の教科とは別の扱いになっていた「道徳」が、正式な「教科」に。それに伴って、教科書の使用や通知表による評価も求められるようになったのです。
 「道徳」を評価って、誰がどう判断するの? という疑問がまず浮かびます。本来、誰がどんな場面でどう行動するのが「正しい」のか、それを一律に誰かが決められるほど、人間の思いや社会のあり方は単純なものではないはず。それを無理矢理「こっちが正しい」と評価することは、ある一定の価値観に子どもたちを誘導することになりはしないか。さらには、それとは違う「少数派」の考え方をもつ子どもたちに、沈黙を強いることになりはしないか。不安が募ります。
 来年には、公立中学校での教科化もスタート。引き続き、インタビューなどでこの問題、追っていきたいと思います。下記の記事もぜひ、お読みください!

鶴田敦子さんに聞いた(その1):道徳の「教科化」が意味するもの

宮澤弘道さんに聞いた:道徳は、学校で教えるべき「学問」ではない


 

●大阪市がサンフランシスコ市との「姉妹都市」提携を解消(10月)

 今年10月、大阪市の吉村洋文市長は、米サンフランシスコ市に対し、1957年から続く「姉妹都市」の関係を解消するとする書簡を送付したと発表しました。理由は、前年にサンフランシスコ市内で、現地の市民団体によって「慰安婦像」が設置され、市がその寄贈を受け入れたこと。像の碑文に刻まれた「性奴隷にされた何十万の女性」などの文言が、「事実と異なり、日本を一方的に非難する言説を流布している」というのです。「慰安婦」にされた女性たちが存在したことは、日本政府も公式見解として認めている事実なのですが…。
 SNSなどを見ていると、「南京大虐殺はなかった」「従軍慰安婦はでっち上げ」といった、いわゆる「歴史修正主義」的な論説(ともいえないようなもの)が、一部で堂々と、当たり前の話のように語られていることに驚きます。ときに「ばかばかしい」と笑い飛ばされてきたそうした主張が、いつのまにか現実の政治にも影響を与え始めている。そんな構図が見えた気がして、ゾッとしました。

●大阪で万博開催決定(11月24日)

 2025年の国際博覧会(万博)の開催地が、大阪に決定。「全日本おばちゃん党」代表代行の谷口真由美さんが「オッサンの郷愁(ノスタルジー)」と表現していますが、まさにそんな印象をもちました(実際、開催が決まった瞬間の映像を見ても、飛び上がって喜ぶ関係者たちは背広姿の男性ばかりなんですよね)。高度経済成長のまっただなかだった前回の大阪万博(1970年)とは、あまりにも時代は変わっています。万博を開けば経済が活性化して、夢よもう一度…とは、あまりに短絡的に過ぎないでしょうか。
 決定から3日後の松井大阪府知事の「風呂敷を広げすぎるくらい広げてきたので、日本の総力を挙げていただかなければ不可能」という発言にも、コケそうになりました。自分で広げた風呂敷くらい、自分で畳んでほしいもの。ちなみに知事が「万博誘致のため」ヨーロッパに出発した9月9日は、大阪でも多大な被害を出した台風21号から1週間足らず、まだ各地で停電などが続く状況でした。大阪も日本全体も、もっとお金が必要な場所が他にいくらでもあるんじゃないでしょうか。

寺川薫

●沖縄県知事選で玉城デニー氏が当選(9月30日)

 第二次安倍政権を誕生させた2012年12月16日の衆院総選挙以降、都知事選なども含めて、なんだか選挙と言えば「負ける(もしくは勝てない)もの」という気分だったので、9月の沖縄知事選での玉城デニーさんの完勝、圧勝ほどうれしいニュースはありませんでした。
 政府はこの民意を無視して12月14日には土砂投入を開始しましたが、工事全体から見ればほんの数パーセント進捗しただけ。『朝日新聞』までもが「後戻り困難」なんて書いていますが、まだまだ引き返すことは十分できます。来年2月24日の県民投票で再度基地反対の声を政府に届けることになるでしょう。
 宮古島市をはじめ県民投票に協力しない沖縄県内の自治体がいくつかありますが、今回の県民投票は地方自治法に則った直接請求権の行使なのですから、本当に投票が行われない自治体が出たらトンデモナイこと。言ってみれば自治体の議会や首長が、衆院選や参院選において市民に投票をさせないようなもの。こんな大事な問題なのに、テレビのニュースではほとんど取り上げられないのが不思議です。

●民放連が国民投票のテレビCMを規制しないと表明(9月20日)

 憲法改正国民投票の際に賛成・反対を訴えるテレビCMについて、日本民間放送連盟(民放連)は「量的規制」をしないことを9月20日に表明。12月10日の衆院憲法審査会の幹事懇談会でも、量的規制は「実務上困難」と明言しました。
 2007年に国民投票法が成立して以来、国民投票とテレビCMについて一切発言をしてこなかった民放連が、このタイミングで「規制しない」と明言したのは、この問題に関心を持ってきた私にとって非常に大きなニュースでした。
 国民投票法の規定では投票2週間前からテレビCMの放送は禁止されますが、それまでは全く制限ナシ。お金のある大政党や大企業はCM流したい放題です。こんな不公平なルールのもと実施した国民投票では、どんな結果が出ても、多くの人が納得できず、投票後の分断をもたらすことになるでしょう。
 こちらも、こんなに大事な問題なのに、テレビの報道番組や情報番組は一切取り上げません(正確に言うと、TOKYO MXで月曜〜金曜に放送中の堀潤さん司会の「モーニングCROSS」は何度かこの問題を取り上げています。エライ!)。やはり、テレビ局にとって広告収入が増えるチャンスですから、「規制なんてトンデモナイ」「そんな話題は取り上げるな!」ということなのでしょうか。

●自衛隊幹部が国会議員に対して路上で暴言(4月16日)

 4月16日夜に参議院議員会館前の路上で小西洋之参議院議員(当時、民進党)に対して幹部自衛官(三等空佐)が「国益を損なう行為をしている」「バカなのか」と暴言を吐いたというもので、私はこのニュースを聞いたとき、大げさでなく身震いがしました。
 「武力組織」(「実力組織」なんて曖昧な言い方をするのはよくない)である自衛隊の幹部が、国民によって選ばれた国会議員に対して暴言を浴びせるという大不祥事なのに、下された処分は「訓戒」という下から3番目に軽いものというのも驚きです。
 私は、憲法に自衛隊の存在を書き込んで、海外に一歩も出さないことも書き込むという、いわゆる「新九条論」に共感していましたが、この事件をニュースで聞いてからは……。制服姿の自衛隊員が大手を振って街中を歩くような世の中が本当にいいのか? そんな単純なことを思うと同時に「軍隊なんて日陰者ぐらいがちょうどよい」というある著名な作家の言葉を思い出しました。

田端薫

●日本における#MeToo元年になるか?

 幸か不幸か、福田財務次官のセクハラ問題を機に、「セクシャル・ハラスメント」ということばが巷間にあふれた1年だった。この言葉が流行語大賞(新語部門)になったのが平成元年、今年は#MeTooがノミネートされた。セクハラはなくならない、日本では#MeTooは広がらないと言われつつも、少しずつ本当に1歩1歩、いい方向に向かっているのではと、かすかな期待を抱いた。
 とはいえ「セクハラは、された女性側がそう感じたらセクハラ」「セクハラか否か、認定するのは受け手の女性次第」という言説におびえ、男性たちは「触らぬ神にたたりなし」「物言えば唇寒し」と、じっと身を潜めているだけなのではないか。「セクハラとは何か」と正面から向き合うことなく、事なかれ主義で嵐が通り過ぎるのを待つ。そして問題は潜在化する。それは70年代に吹き荒れた「差別用語狩り」を思い出させる。セクシャル・ハラスメントを「男対女」の対立に矮小化するのでなく、普遍的な人権の問題ととらえ、後戻りさせないことが宿題。

●日本人はほんとうに死刑制度賛成なのか?

 7月6日、26日の2回に分けて、オウム真理教事件の死刑囚13人に死刑が執行された。上川法務大臣の、「鏡を磨いて、磨いて、磨ききった」心境で判を押したと語った記者会見での神妙な表情と、その前夜の「赤坂自民亭」おかみとしてのはしゃぎっぷり、その乖離。「公開処刑」さながらに、扇情的な演出で視聴率をかせぐテレビ番組。それをおもしろがって「やっちまえ、奴らをつるせ、次はあいつだ」とあおる一部のネットの声。「オウムは悪魔、死を持って償うのは当然、死刑廃止なんてきれい事、自分の子どもが殺されたらどうする」という“平均的世論”。再審請求、人身保護請求など、正当な法的手続きを一切無視して死刑執行してしまう国家権力のおそろしさ……。思い出すだけで気分が悪くなる。日本人の8割が死刑制度に賛成って、ほんとうなのだろうか。13名の死を機に考え直したい。

●LGBTについて、何も知らなかった

 『新潮45』の事件でいみじくもクローズアップされたLGBT問題。メディアや映画を通して当事者からの声を聞く機会が増え、「えーっ、そうだったの?知らなかった!」ということがいっぱいあった。たとえば、50歳前後から「女性装」をはじめた東大教授の安冨歩さん。それまでの写真を見るとひげ面にジャケット、ズボンという「普通の男性」姿、かつては結婚もしていて、お子さんもいらっしゃるのだという。あえてカテゴライズすれば、「トランスジェンダーのレズビアン」と言うことなのだろうが、まさかあの安富さんが、とびっくり。「女性装を始めたら生きやすくなった」と語る安冨さんはとても自然体で、ますますファンになった。LGBT=オネエタレントじゃないんだ、人間の性のありようって、人の数だけあるんだと思い知った次第。まずは知ることから始めよう。

中村

●IPCC特別報告書『1.5℃の地球温暖化』公表(10月8日)

 40ヶ国から91人の専門家が執筆作業に加わって作成した「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)の特別報告書は衝撃的な内容でした。現時点で世界の平均気温は産業革命前に比べてすでに1℃上昇。今後、これが1.5℃上昇した場合と、2℃上昇した場合では影響に大きな差が出てくることが報告されています。
 1.5℃上昇した場合、夏季に北極海が氷結しない可能性は1世紀に一回、2℃上昇の場合には10年に1回以上になります。ほかにも2℃上昇すれば、サンゴ礁の99%超が死滅するという予測も……。1.5℃に抑えるためには、世界のCO2排出量を2030年までに約45%以上減少し、2050年頃には実質ゼロにすることが必要なのです。これは並大抵のことではありません。しかも、たとえ1.5℃までの上昇に抑えられたとしても、地球環境はすでに厳しい状況にあることは変わりません。いま待ったなしの状況に来ていると、人類の危機を突き付けるような報告書だったのですが、どうも周囲の反応はいまいち……。

●メキシコ新大統領が誕生(12月1日)

 7月にメキシコで行われた大統領選挙で、元メキシコ市長のアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール氏が当選。12月から新政権がスタートしたばかり。既成政治の腐敗を批判し、不平等の解消に注力すると宣言し「新興左派政権の成立」として日本でも報道されました。なぜ、このニュースに注目するかといえば、この夏にメキシコを訪問してきたから。訪れた先は、先住民の人たちによって40年前に設立された協同組合です。そこでは、自分たちの尊厳や資源を奪われ続けてきた先住民たちが、学校やコミュニティバンク、診療所などを自分たちで運営。森林を守りながら作物を育てるという昔ながらの「森林農法」でコーヒーや胡椒を栽培していました。
 その協同組合の技術アドバイザーを務めてきた女性が、なんと新政権の内閣にも参加することになっているのです。新政権のプロジェクトでは、この森林農法を全国規模で広め、森林の再生と先住民や小規模農民の雇用を生むことを目的としています。市民運動から生まれた新しい大統領。政治家に期待しすぎるのはよくないけれど、希望の光を感じた数少ないニュースのひとつでした。これからに注目です。

●モリカケ、日報問題、入管難民法改正……選べない!!

 スタッフの選ぶ「三大ニュース」かあ、と今年を振り返ってみると、あれもこれも見過ごせない大きなニュースだらけの1年だったことにあらためて気づきます。隠ぺい、ごまかし、およそ丁寧な説明などないまま強引に進める国会運営が常態化。政治のことを考えるのがしんどいと感じることも多いのですが、この状況に慣れず、あきらめず、来年もマガ9で記事を取り上げていかなくてはと思います。

海部京子

●財務省事務次官による女性記者へのセクハラ報道

 2018年は、性差別をめぐるニュースが多かった。福田淳一財務省事務次官のセクハラ報道もそのひとつ。4月12日発売の『週刊新潮』が次官の女性記者に対するセクハラを報じた。報道後、次官の態度も、麻生財務相と財務省幹部の対応も、ほんとうにひどいものだった。被害者への配慮ゼロ。女性蔑視全開の開き直り。とりわけ麻生財務相の「はめられて訴えられているんじゃないか」等々の言葉は、被害者本人だけでなく、すべての女性の尊厳を傷つけるものだ。なのに、批判は大きく広がらず、次官の辞任だけでなんとなく幕引きとなってしまったのだった。
 そのなかで希望を感じたのは、同じようなセクハラ被害を経験してきた女性記者たちが声を上げたこと。同業の仲間の窮地を、見て見ぬふりをしてやりすごすこともできただろう。だけど、彼女たちは黙っていなかった。女性記者やジャーナリストらは「メディアで働く女性ネットワーク(WiMN)」を設立。財務省などに抗議し、要望書や要請書を提出した。
 伊藤詩織さんの事件でも、医大入試の問題でも、性犯罪や性差別の被害者をひとりにしない、孤立させない、という共通認識のもと、行動している女性たちがいる。世界各国の男女格差の度合いを示す「ジェンダーギャップ指数」110位のこの国で、そんな動きが広がっているのは、とてもうれしく心強い。

●杉田水脈議員がLGBTに対する差別的な文章を『新潮45』に寄稿

 自民党の杉田水脈衆院議員が『新潮45』8月号に「『LGBT支援』の度が過ぎる」という文章を寄稿。これがメディアやネットのSNS上で批判を浴びると、今度は10月号で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」なる特集を組む。内容は、小川榮太郎氏の暴論を筆頭に、杉田議員の文章を擁護したり正当化するもので、批判の火に油を注いだかたちに。結果、『新潮45』は休刊に追い込まれた。
 この問題の核心は、杉田議員の「LGBTは『生産性』がない」という差別意識にあるのだろう。それと同時に、私自身は新潮社に対するやるせなさも大きかった。
 自分の本棚を見ると、捨てずにとってある文庫本のほとんどは、新潮文庫、岩波文庫、中公文庫のもの。思えば、LGBTや同性愛に偏見がないのは、高校生のときに『仮面の告白』(三島由紀夫著/新潮文庫刊)を読んだのがひとつのきっかけだった。大人びた同性の同級生に恋焦がれるせつなさ。人を好きになる気持ちは、相手が異性でも同性でも何も変わりはない。そんなことを直感的に理解できたのは、思春期にこの本を読んだからだ。オレンジ色の背表紙、三島作の文庫本は、いまも本棚に並んでいる。
 新潮文庫には、人の営みのなかで生じる悩みや苦しみ、喜びをつづった膨大な数の名著がある。新潮社は、一文字一文字書いていった古今の作家と読者の思いを踏みにじったのだということを、どうか自覚してほしい。

●米中間選挙、下院で民主党が過半数を上回る

 11月に行われた米中間選挙。下院は、野党の民主党が過半数の議席を奪い返した。下院の女性議員は過去最多になり、大半は民主党候補。しかも、初当選した女性候補は、元ソマリア難民やパレスチナ移民、LGBT、先住民、イスラム教徒など、実に多彩。選挙結果を伝える新聞紙上には、彼女たちの晴れやかな笑顔の写真が掲載されていて、米国民主主義の底力をまざまざと見る思いだった。
 ひるがえって日本の選挙。来年は、統一地方選挙と参議院選挙がある。各野党に望むのは、本気の共闘を進めることと、よい候補を擁立すること。さまざまな人権侵害や差別問題に関心があることは絶対条件。それも現政権批判のための言葉だけなく心底から。それが希薄な野党の候補に票を集めるのは、ほんとうにつらい。
 マイノリティや弱者を顧みない政治は社会を蝕んでいく。野党はよい候補を。米中間選挙の報道にふれて、そう願わずにいられなかった。