今年度の朝日賞を受賞したローマ法研究者の木庭顕・東京大学名誉教授の著作『誰のために法は生まれた』(朝日出版社)は、『近松物語』、『自転車泥棒』、『アンティゴネー』など、古今東西の物語を題材に高校生とともに考え、法とは何かを解きほぐしていく。個人が徒党を組む集団による犠牲にならないよう、人類が営々と積み上げてきた思考と実践の賜物であることが明らかになる過程は感動的ですらある。
この映画も、表現方法は違えども、同じものを内包している。
主人公は弁護士、南和行(カズ)と吉田昌史(フミ)。2人はゲイカップルで家族として暮らしているが、この映画のテーマはLGBTだけではない。彼らが支える裁判当事者――「わいせつ物陳列罪」などで逮捕されたアーティスト(ろくでなし子さん)、君が代不起立で受けた減給処分を不当とする教師、父親のDVで母親が離婚し、その間、出生届けがなされず大人になってしまった無国籍者(日本に1万人以上いるといわれる)ら、大多数の圧力(冒頭の木庭先生はそれを「グルになる」とも表していた)に晒されている少数派たち全員が主人公だ。
彼(女)らを孤立させてはならない、社会で虐げられた人たちの最後の砦が自分たちだ――そんな思いでカズとフミは裁判当事者に寄り添い、多数派に立ち向かう。それを「カズとフミは自分たちがマイノリティだからこそ、マイノリティの苦しみがわかるのだ」と解釈してはいけない。人間は誰でもいつでも少数派になりうる(いじめる側といじめられる側の関係がいい例だ)。もしあなたがグルになった集団に追い詰められたとき、あなたを守るためにあるのが法なのだ。
だからタイトルに「愛」がある。
「受け入れると楽になるのよ」とカズの母・ヤヱさん(カズとフミが大阪で営む「なんもり法律事務所」で働いている)は言う。息子から自分はゲイだと打ち明けられたときのことを振り返り、亡くなった夫もきっとそうしただろう、とも。ろくでなし子さんの父親は穏やかな表情で闘う娘に敬意を寄せる。帰る場所がなくカズとフミの家にかつて居候していたカズマは、ふたりの関係に驚く自分の彼女に「(ゲイカップルは)普通やから」とさらりと語る。
そんな周りの人々こそが希望だ。
南和行へのインタビューは当サイト「この人に聞きたい」に掲載されている。こちらを読んでから観ることをお勧めする。作品の深みがもっと増すはずだから。
(芳地隆之)