第477回:「マイバースデイ」とスピリチュアリズムと子宮系と「ゆるふわ系」愛国。の巻(雨宮処凛)

 私が中高校生の頃、「マイバースデイ」という雑誌が流行っていた。

 中高生の頃と言えば、30年近く前。思えば昭和の終わりを迎えたのは中学2年生の頃だった。

 「マイバースデイ」を自分で買ったことはない。私のおこづかいでは、他に漫画なんかを買ってしまうと雑誌一冊買う余裕なんてとてもなかったからだ。そんな「マイバースデイ」には、少女の大好物がすべて詰まっていた。正統派少女漫画風の表紙。占い。「両思いになれる」「願いが叶う」おまじない。西洋占星術。ホロスコープ。星座。タロットカード。予知夢。超能力――。神秘的で魅惑的で、だけどとびきり怪しい異世界。友人の家なんかにあると、ドキドキしながらページをめくったものだ。

 突然そんなことを書いたのは、『占いをまとう少女たち 雑誌「マイバースデイ」とスピリチュアリティ』(橋迫瑞穂 青弓社)という本を読んだからだ。タイトル通り、マイバースデイを研究した本である。なぜ手にとったのかと言えば、何かこの研究がスピリチュアル系や「ゆるふわ系愛国」を読み解くヒントを与えてくれそうな気がしたからだ。

 ちなみに「ゆるふわ系愛国」とは、2017年、森友学園と首相夫人である安倍昭恵氏の関係が明るみに出た頃に私が勝手に作った言葉で、この連載の第406回で初めて使った。詳しくはその原稿を読んでほしいが、ざっくり言うと、反原発と大麻と神社と農業と天皇と神と宇宙と夢と平和とエコロジーと「水の波動」などのエセ科学と「もう一度日本の素晴らしさを取り戻そう」的な国粋主義が矛盾なく共存しているという、かなりとっ散らかった状態を指す。そしてそれをあますところなく体現しているのがまさに安倍昭恵氏というわけだ。

 ちなみに関心がある人には申し訳ないが、私はスピリチュアル一般にまったく興味がない。が、自身の人生を振り返ると、小学生の時には「ムー」を愛読し(よく行く親戚の家にあった)、中高生は「マイバースデイ」全盛期(たまにしか読んでなかったけど)。20歳でオウム事件が起きて以降、メディアからは超常現象系が消えたものの、2000年代に入ると「スピリチュアルブーム」が到来。パワースポット巡りや伊勢神宮、前世、オーラなどのキーワードが同世代女性たちを虜にしていた。

 さて、スピリチュアル系やゆるふわ系愛国を論じる前に、まずは『占いをまとう少女たち』について、書こう。

 本書では、1980年代と90年代の「マイバースデイ」の違いが論じられ(06年に休刊)、少女たちが「占い・おまじない」に夢中になった背景について探られている。

 たとえば80年代の「マイバースデイ」には「魔女」「魔法」「魔術」といった言葉が多く登場。「素敵なBFに出会える魔法」として、「金星が輝く晩にワインを供えて呪文を唱え、さらに洗面器と鏡を用意してそのなかを覗き込む」などの手順が紹介されている。一体、80年代の日本の一般家庭にどれほどの確率で「ワイン」があったのか、また、深夜に自室でそんなことをしている娘を親が見たらどんな反応をしたのかなど気になる点はたくさんあるが、80年代の誌面は神秘的ながらも牧歌的な印象だ。そんな誌面には「魔女っこ」という言葉が多く登場したという。人を攻撃する「黒魔術」ではなく、「『人々のために、病気をなおしたり、天候を予見したり』していた白魔術」を学ぶことの重要性が唱えられていたという。

 しかし、90年代になると誌面は微妙に変化していく。外見を重視する内容が目立つようになり、相手に好印象を持ってもらうにはどうしたらいいかについてのマニュアルや、「心理テスト」「ランキング」といったキーワードが目立つようになったというのだ。恋を叶えたいなら、深夜に怪しげな呪術なんかするよりも手っ取り早く第一印象を良くしろ、というメッセージだろう。よりによって「マイバースデイ」までもがそんなメッセージを発し始めたということが、そしてそれが女子高生ブームなんかが起きた90年代であることが、なんとも興味深いではないか。

 そうして95年には誌面に「風水」が登場し、「パワーストーン」が取り上げられる。96年には、マドモアゼル・愛という男性占い師による「ハートカプセル 精神世界エッセイ」が始まる。いよいよマイバースデイは、「占い/おまじない」から「精神世界」へのバージョンアップを遂げるのだ。

 著者は80年代の「占い/おまじない」を、「学校での人間関係を築き上げて、そこに溶け込む努力を促すもの」とする。一方で、90年代の「占い/おまじない」は「学校での人間関係を効率的に分析して、手っ取り早くよりよい関係を築くための現実的なツール」に変化したと指摘する。そして90年代の「占い/おまじない」が「認識のための地図」の役割を担っていたとも書く。「認識のための地図」。なんだかグッとくる言葉だ。この言葉を使ったのは、社会学者の芳賀学氏と宗教学者の弓山達也氏であることが紹介されている。以下、その部分だ。

 「芳賀と弓山によると、『マイバースデイ』が主として取り上げる西洋占星術が若者から支持を得たのは、占いが生得的属性との因果関係によって自分自身を解釈するだけでなく、互いが深入りしないことを前提とする現代社会で、複雑な人間関係を解釈し『重い』関わりをもつことなく対処するためだとしている。その役割を担う占いを、彼らは『認識のための地図』と表現する」

 しかし、00年代には別の「認識のための地図」が登場する。ケータイだ。やりとりする内容よりも、やりとりする行為の方が重要、という「若者にとってのケータイ」は、「占い/おまじない」などよりもずっと正確な「認識のための地図」となったのだ。

 そうして00年代には、成人女性を対象とした「スピリチュアル・ブーム」が起きる。スピリチュアル・カウンセラーを名乗る江原啓之氏が人気を集め、西洋占星術研究家の鏡リュウジ氏が「FRaU」「anan」などの女性誌に登場。スピリチュアル市場ではオーラ、ヨガ、前世、パワースポットなどが人気を集め、関連イベントには女性たちが大挙して押し寄せるようになる。その中には、中高生時代に「マイバースデイ」を愛読していた元「魔女っこ」も多くいただろう。

 そうして、現在。

 スピリチュアル市場はさらに細分化し、今や「子宮系」と呼ばれるジャンルが注目を集めているそうだ。著者は以下のように書く。

 「これは、女性の生殖器である子宮に神聖性を見いだすことで、女性として輝く生き方を模索したり、母親になる準備をしたりするための一種のメソッドを指す。子宮に神聖性を見いだすヨガや瞑想、母親の胎内にいたころの記憶を子どもが語る『胎内記憶』をテーマにした映画などが人気を集めている」

 少し前、婦人科系の病名などをネット検索すると、この「子宮系」らしきサイトが多く出てきて驚いたことがある。科学的根拠をかなり無視したような記述が多い上にやたらと「ファンシー」なデザインばかりだったため「なんなんだろうこれは…」と不気味に思っただけだったが、今思えばそれこそが「子宮系」だったのだ。病気の不安を抱えていたりしたらあっという間にハマるかもな、と思ったことを覚えている。

 本書では、ほかにも「自然派」と呼ばれる女性たちの存在が紹介されている。子どもをできるだけ自然に出産したり、病院に頼らないなどのスタンスらしく、3・11以降に活動の活発さを増しているという。妊娠、出産、そして放射能への不安をきっかけとしてスピリチュアルに向かう女性たち。おそらくこの層は、私が思っているよりもずっと多いのではないだろうか。

 『占いをまとう少女たち』を読んで、ある対談を引っ張り出してきて読み返した。「婦人公論」17年5月9日号に掲載された中島岳志氏と私の対談だ。読んでみて、驚いた。中島氏は17年の時点で、スピリチュアルがナショナリズムに繋がることへの懸念を示していたからだ。また、この時点で子宮系にも言及している。引用しよう。

 「僕が注目しているのは、女性の身体の神聖化です。自然分娩が素晴らしいとか、母乳が絶対で粉ミルクはダメだとか、まずは近代的な出産や子育ての否定から入る。最近は、子宮の声に従ってありのままに生きるという『子宮系スピリチュアル』というのもあるようです」

 ちなみに母乳こそ素晴らしい、母乳こそ愛というスタンスには、現在「おっぱい右翼」と名前がついている。

 そうして中島氏は、「エコからスピリチュアルにいき、そこから自国礼賛に繋がる思考のパターンがあって、その流れが再び起きているように見えるのです」と指摘する。

 この対談では、主に安倍昭恵氏について語っている。彼女が大麻の国内栽培促進を訴えていることは多くの人が知っているだろう。その主張は、今の麻はほとんど中国産だが、日本の大地で生まれた麻こそがピュアなのだというものだ。この「自分たちの大地から生まれたものだけが純粋」という発想の危険性について、中島氏は以下のように語っている。

 「象徴的な例では、かつてナチス・ドイツも有機農業を称揚し、独自のエコロジー思想を打ち出しています。ヒトラーは『化学肥料がドイツの土壌を破壊する』と訴え、純粋な民族性と国土の繋がりを強調しました」

 また、中島氏は、16年、三宅洋平氏が安倍昭恵氏と出会ったことに注目しつつ、危惧を覚えていると語る。

 「僕は戦前の超国家主義を研究しています。超国家主義とは、第二次世界大戦前の日本やナチス・ドイツが典型ですが、その頃と今の状況が似てきている。大正デモクラシーの中で、農業および農村社会を国の基盤と考える農本主義の人たちが、超越的な力で国家を救済する思想を持つ日蓮主義などを介して、どんどん右傾化していきました。つまり左派的な自然主義(ナチュラリズム)と宗教的なもの(スピリチュアリズム)が出会って、超国家主義(ウルトラナショナリズム)になっていった」
 「そんな戦前の超国家主義に似た動きが加速し、しかもみんなが『右』だと思っていなかった方向から来ていると感じます」

 『占いをまとう少女たち』を読む少し前、山本太郎議員が日本母親連盟なる団体で講演し、団体とカルト的、エセ科学的、スピリチュアル的な主張との関係について指摘したことが大きな話題となった。

 日本母親連盟について、詳しいことを私は知らない。しかし、3・11以降、女性たちは不安の中でさまざまな場所でつながり始めているという現実がある。このような団体ができる背景には、母親たちの不安や孤立、疎外感があるのではないだろうか。彼女たちの不安に応えてくれる存在が、あまりにも少なすぎるのではないだろうか。

 3・11以降の不安。そして「失われた20年」と言われる中で、個々人が抱える将来への、この国の先行きへの不安。また温暖化など、地球環境そのものへの不安など、不安要素を上げていけばキリがない。

 だけど、手っ取り早く答えをくれる「認識のための地図」など存在しない。歴史を学びつつ、安易な方向や聞こえのいい言葉に飛びつかず、自らの手でその地図を作り上げていくしかないのだ。「マイバースデイ」と超国家主義の間にあるものたちに思いを馳せながら、そんなことを思った。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。