民主主義を学び損ねた時代(芳地隆之)

 先週の鈴木耕さんのコラム「言葉の海へ」は「壁を造るな!」というタイトルでした。米国のトランプ大統領が目論む対メキシコ国境の壁、イスラエルによるヨルダン川西岸の分離壁、そして日本の本土と沖縄を隔てる差別の壁について言及するもので、冒頭、ベルリンの壁のことにも触れられていました。

 私はかつて『壁は必要だった』という本を上梓したことがあります。当時、東ベルリンにいた私が、ベルリンの壁崩壊後に現地で見聞したものをまとめたもので、25年前に出版され早々に絶版になってしまった自著を先日、読み直してみました。

 恥ずかしさに堪える苦行のようなものでした。底の浅い考えや稚拙な表現が目につき、何度か読むのをやめようかと思ったほどです。それでも最後のページまで我慢して読んだのは、今年11月には壁崩壊から30年を迎える、もはや歴史教科書に載っている出来事の、その数週間前の人々の表情がいまも忘れられないからでした。

 当時のソ連共産党書記長、ミハイル・ゴルバチョフはペレストロイカを掲げ、硬直した自国の社会主義体制の刷新に取り組んでいました。それはソ連の衛星国であった東欧諸国の一般国民には支持されていたものの、指導者たちの多くは自らの権力基盤が危うくなるのを恐れ、改革を拒んできました。

 東ドイツ政府はその最たるものでしたが、1989年10月7日の東ドイツ建国40周年式典に主賓として招かれたゴルバチョフが東ドイツ政府幹部に「遅れてくる者は人生に罰せられる」と彼らの姿勢を暗に批判すると、ゴルバチョフに勇気づけられた東ドイツ市民が「東ドイツでも改革を」と声を上げ始めたのです。

 現状の社会主義をどう改善させていくか――単純化を恐れずに言えば、失業やホームレスになる心配はなく、食べるものも供給されている反面、政権批判は許されないという現状から、衣食住はいままでどおり確保されつつ、言論の自由も成り立つ社会をつくっていこうという、平等と自由の両立を求めたものだったと思います。11月4日に行われた東ベルリンでの50万人規模の民主化デモで、政権に批判的でしばしば自作が発禁処分にされた作家のシュテファン・ハイムの「いま面白いのは向こう側(西側)ではなく、こちら側(東側)だ」という発言がとても印象に残っています。

 それまでは政府の言い分しか載せなかった新聞が、自社独自の積極的な報道をするようになると、地下鉄では新聞を手に見知らぬ乗客同士が議論する光景も見られました。自分たちの国をどうしようという熱気が伝わってきて、こちらまでわくわくするほどでした。

 だからこそベルリンの壁開放は早すぎた。

 東西ベルリンの通行が自由になると、多くの東ドイツ市民は西側の消費生活の豊かさに目を奪われました。そして、早く自分たちも同じレベルの生活がしたいと思い、西ドイツが東ドイツを併合する形でのドイツ統一へと雪崩を打つように傾いていったのです。

 後に残されたのは、硬直した独裁体制に異議申し立てをし、ときに弾圧を受けながらも民主化運動を主導していった人々でした。目の前の体制が瓦解したとたん、いままで沈黙を守っていた民衆が経済的な豊かさを求めてドイツ統一を、と声を上げる。彼、彼女らの勢いを前に呆然と立ち尽くす、といえばいいでしょうか。

 もしベルリンの壁がもう数カ月存続していたら、国内で民主主義の議論が深められたのかもしれない。拙著のタイトルにはそんな思いが込められています。また、当時の東ドイツに留学していたベトナム、キューバ、チリ、エチオピアなど、当時は「第三世界」と呼ばれた国々出身の若者にとって、社会主義は、植民地からの解放、軍事独裁政権の打倒のための希望だったことも。

 きらびやかな西側世界を見せつけられたら、「民主主義を考えよう」なんて面倒くさいことやってられるかという気分になるのは仕方のないことだったといまでは思います。

 と同時に、あれから30年が経ち、経済力と軍事力を背景に民主主義を軽視する指導者が幅を利かせ、豊かな国と貧しい国の対立という南北格差と、先進国、途上国問わず、貧富の格差がグローバルに増大していく世界を見ると、これがベルリンの壁がなくなったひとつの帰結なのかとも思います。

 とすれば、いまもう一回、民主主義について考える時が来ているのではないでしょうか。ドイツ首相のアンゲラ・メルケルが難民問題で、他の国々が躊躇するなか、積極的に受け入れる姿勢を示したのは、東ドイツの民主化運動を主導した彼女の経験と無縁ではないと思います(彼女自身は早期のドイツ統一を目指す立場でしたが)。

 「平成最後の〇〇」と世間は喧しいですが、鈴木耕さんのコラムに触発されて書いた自分の思い出話が、いみじくも平成という時代と附合したことに気づきました。

 1989年1月、昭和天皇が亡くなったというニュースが東ドイツ国営放送で報じられた際、当時住んでいた学生寮で、私に哀悼の意を表してくれたシベリア出身のロシア人女性の悲しげな表情が目に浮かびます。

(芳地隆之)

かつてのベルリンの壁近くにつくられた「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」。ベルリンの壁崩壊前後と当時の東ドイツの人々の心情に関心のある方には、映画『グッバイ!レーニン』がお勧めです