憲法の現場を生きる 講師:六車明氏

私たちが一人の人間として尊重され、自分らしく生きるための基本的権利を保障する憲法は、国家権力の在り方を規定する国家の基盤的法律でもあります。しかし、各条文は抽象的な言葉で表現されていることが多く、具体的にどのような場面で憲法の意義が発揮されるのかを、想像することは難しいかもしれません。今回の講演では、これまで40年以上にわたって様々な立場で憲法の現場を見てこられた六車明さんに、私たちの暮らしと憲法の関係について具体的事例をもとにお話しいただきました。[2019年11月30日(土)@渋谷本校]

経済活動の自由におびやかされる平穏な暮らし

 私は日本が連合国の占領から独立した年である1952年の6月に生まれました。当時の日本の家庭には、洗濯機もテレビも自動車もほとんどありませんでした。それが、自由な企業活動により次第に経済が良くなっていくにつれ、大量に生産し消費し廃棄する社会へと日本全体が変化していきました。当時このシステムに疑問をもつ人は少なかったでしょう。
 1967年に日本で最初の環境に関する法律として、公害対策基本法ができました。当時、四大公害訴訟をはじめ全国各地で公害に関する裁判が展開されていましたが、制定当初の公害対策基本法1条には「経済の健全な発展との調和が図られるようにするものとする」という規定がありました。これは省庁間の妥協の産物であり、経済界は、この1条をまだ「経済優先」という意味に理解していました。
 瀬戸内海に浮かぶ香川県の島・豊島(てしま)は、まさに高度経済成長の弊害が顕著に表れた現場の一つです。この島の海岸沿いには、1970年代頃からある業者によって大量の産業廃棄物が運び込まれました。島の人たちは業者と県を相手どって、総務省(当時は総理府)の公害等調整委員会に原状回復を求める調停を申し立てました。
 1998年に公害等調整委員会に出向した私は、この事件を担当することになりました。現場に行ってみると、海岸沿いには東京ドーム6〜7つ分の広さにも及ぶゴミの山が広がっていました。あたりを歩いてみると、水たまりは真っ黒。そこら中に廃棄されたテレビが転がっていたり、ひっくり返った自動販売機が半分ほど浜辺に埋まっていたりと本当にすごいところでした。
 その後、2000年に無事に調停がまとまり、原状回復の作業が始まりました。これまでに700億円以上の税金が使われていますが、廃棄物が捨てられていた海岸は未だ穴ぼこだらけです。汚染されてしまった地下水をいかにしてきれいにするか、失われた森や海岸線をどのようにして元に戻していくかなど、課題は山積しています。これらが一企業の経済活動によるものだということを、どう考えるべきでしょうか。
 二つ目の現場として、国立駅から一橋大学の前を通って南にのびる大学通りで起きた事案についてお話しします。街路樹が美しいこの通りでは、景観を守るために、通り沿いの建物は二階建てで統一されていました。ところが、この通りの端に高さ40mを超える高層マンションが建築されてしまいました。これに関してたくさんの訴訟が提起されたのですが、そのうちの一つの訴訟で東京地裁が「マンションの20m以上の部分を撤去しろ」という非常に衝撃的な判決を下しました。物理的にどのようにカットするのかなど大きな議論になりましたが、控訴審で逆転し最高裁が高裁の判決を維持したため事件は終結しました。この高裁の判決文には「人によって景観の見え方が異なる」と指摘している箇所があります。法が定めている基準が必ずしも全ての人に適切であるわけではないというのは、この事案にかかわらず、個人の尊厳や基本的人権の尊重にも関わる重要なテーマです。

検察と行政の関係から見える権力分立の危うさ

 1985年から4年間、法務省刑事局付検事として働きました。検事といっても犯罪捜査や公判を担当するのではなく、国会答弁を作成したり実際に国会で答弁の補助をしたりすることが任務でした。法務省はピラミッド型の組織なので、なにか文書を起案すると十数人に決裁を受けなければなりません。特に罰則のある法律案は、何をしたら罰せられるのかが条文上明らかでなければならないので一人ひとりの決裁も厳しくなります。係長、課長補佐、課長、部長、審議官、局長、官房課長、官房長、事務次官から無事に判子がもらえると事務次官会議にかけられ、そこで決裁されると閣議を経て国会へ提出されます。
 このような立法作業のほかに、最高検の会議に出席することもありました。重要な事件について高裁で無罪判決が出たときに、最高裁に上告するかを議論する会議です。検察は最高裁で絶対に有罪になると確信しなければ上告しません。法務省の立法作業に従事する検事は過去の判例などを研究しているので、最高検に対しても対等に意見を言うことができます。
 しかし、そういう会議の場に検事とはいえ法務省の職員が参加するというのはどういうことでしょうか。法務大臣には検察庁への指揮権があるので、大臣は政治的理由で検事総長に上告するなと命令することができます。逮捕状の請求も同じです。検察は準司法機関です。公正であるべき検察に政治が入ってくることをどう考えますか。当然政治家を選んでいるのは国民なので、国民の意思でもあります。

大学・民間・NGOの現場から見えた世界

 1999年、慶応義塾大学法学部で新たに環境法の授業をつくりたいという話が来て、裁判官を辞めて大学に移りました。退職前の1年と退職後1年、授業を担当したグローバル法務専攻(LL.M.)には日本語ができない留学生もたくさんいたので、アメリカ人の弁護士とともに授業は全て英語で行いました。国によって裁判の仕組みが違うため、授業を進める前に学生たちに自国の裁判制度について簡単に説明してもらわなければなりません。憲法について考えるときも、国によっていろいろなやり方があるのだなと感じました。
 2018年からは国際協力銀行で環境ガイドライン担当審査役という仕事を担当しました。メガバンクが海外の開発に融資を行う際に、よく開発現場における環境破壊や人権侵害が問題になります。それらを救済するための最も有効な策は融資を止めることです。国際協力銀行は日本のメガバンクと協調融資を行っているので、融資先で少しでも問題が起きると国際NGOのサポートを受けた現地住民の人たちから差止請求を受けます。その際に、現場に行って事情聴取したり、その国の環境影響評価書を読んだりして環境破壊あるいは人権侵害の実態を調査・報告するのが私の仕事でした。和解のようなことをすることもあります。例えば地元住民に立ち退きを求める場合には、その後の生活が保障できないということも有り得るので責任重大でした。
 
 これまで裁判所・法務省あわせて21年間、大学で19年間働いてきました。裁判所を離れてから、NGOの人と知り合ったり勉強会に行ったりして付き合いがぐっと広がりました。「権力」から解放されたことで精神的にも楽になりました。
 これからの時代はAIとの付き合い方が課題になります。AIが最も受かりやすい試験が司法試験だと言われています。アメリカでは裁判に提出する準備書面もほとんどソフトでつくっているそうです。法曹自体の役割もどんどん変わっていくでしょう。
 そのような時代にどう対抗していくか、試験に受かった後のことまで見据えながら、法曹界を目指すみなさんには頑張って頂きたいと思います。

ろくしゃ・あきら(慶應義塾大学名誉教授、元東京高等裁判所判事)
 1952年、東京生まれ。1975年、慶應義塾大学法学部卒業、司法試験合格。1978年、判事補として任官(東京地裁、高松家裁)。1985年、法務省刑事局付検事。1989年、判事として任官(東京地裁、仙台地裁、東京高裁)。1998年、公害等調整委員会審査官。1999年〜慶應義塾大学法学部、同大学法科大学院にて教鞭をとる。2014年、弁護士登録。2018年、(株)国際協力銀行 環境ガイドライン担当審査役。著書・論文に『環境法の考えかたⅠ―「人」という視点から』(慶應義塾大学出版会・2017年)など多数。