第116回:歴史に「もし」はタブーだが……(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

それでも「もし」を考える

 最近、なぜか昔のことをよく夢に見る。まだ若い父や母が出てきたり、幼いころの兄や姉、弟までも現れる。会社の同僚や一緒に仕事をした人たちが、まるで脈絡もなく出てくる。やっぱりぼくが年を取ったせいだろうな。そろそろ人生のラストランか……。
 「週刊金曜日」(4月17日号)に、上野千鶴子さんのインタビューが載っていた。なかなか面白かったが、その中で上野さんは「人生なんて一度でたくさんだ」と言っていた。ふむふむ、その気持ち、今のぼくにはよく分かる。でも、かつて井上陽水さんは「人生が二度あれば……」と歌っていた。あの頃は、ぼくもそう思っていた……。

 あなたは、もしあの時、別の選択をしていたら……などと考えたことはないだろうか。もし、あの日、あそこへ行かなければ…なんて。
 「歴史に『もし』はあり得ない」と言われるが、小説や映画では、「もし……だったら」という設定は珍しくない。
 例えば「もし、信長が明智光秀に殺されていなかったら」とか「もし、坂本龍馬が生きていたら明治維新は……」、「もし、第2次大戦で日本が勝利していたら……」。外国だって「もし、南軍がアメリカの南北戦争で勝利していたら……」などなど、たくさんの「もし」がエンターテインメントとしてぼくらを愉しませてくれている。
 まあ、個人的なことなら、頭の中の妄想じみた「もし」を楽しむこともできるだろう。だが、これが政治や社会のこととなると、そうもいかない。このところの政治を見ていると、ぼくはつい「もし」を考えてしまうのだ。

もし東京オリンピックがなかったら

 新型コロナウイルスの蔓延は、そう簡単には止まりそうもない。なぜ日本はこんな状況に陥ってしまったのか。
 そこで思ってしまうのだ。もし「東京オリンピック」の招致がなかったら…と。
 あの国際オリンピック委員会(IOC)総会で、安倍晋三首相は厚顔無恥の極みの「原子力発電所の事故は、アンダーコントロールされている。『復興五輪』としての東京オリンピックを」と訴え、見事に成功したわけだ。しかし原発事故は収束などしておらず「原子力緊急事態宣言」はいまだに発令中である。なにが「アンダーコントロール」なものか!
 まさに強引な招致だった。当初から、酷暑の東京の夏はアスリートにも不評だった。こぢんまりとした費用低減の大会にする、などとウソをつきまくってもいた。しかし、最初は数千億円とされた開催費が、あれよあれよと思う間に2兆円規模に膨らんだ。それでもまだ足りない分は、これからさらに積み増しされるだろう。
 そこへ新型コロナウイルスが襲いかかった。だが、どうしても「オリンピック開催」に固執する安倍首相。なにしろ歴史に残る長期の名宰相として、首相引退劇の花道を飾りたかったのだ。
 小池百合子東京都知事もまた、オリンピック成功を、この7月に予定されていると知事選挙のアピールに使う腹だった。同じ穴の狢である。ところがどっこい、そうは問屋が卸さなかった。新型コロナウイルスの来襲だ。
 ここで「もし」だ。
 もし、「東京オリンピック開催」が決まっていなければ、もっと早く対策の手は打てたはずだ。だが、オリンピックに執念を燃やす安倍首相は、なんだかんだと言い訳しつつ、PCR検査を徹底的に遅らせてしまった。検査を増やせばそれだけ多くの感染者が見つかってしまう。オリンピック開催に水を差すようなことだけは、なんとしても避けたい。
 素早く実施すれば、なんとか水際で防げたかもしれぬのに、検査がなされないまま感染者はうなぎ上りに増えていく。
 感染が広がって、もはや手の施しようがないところまで追い込まれて、やっと「東京オリンピックの1年先送り」をIOCと合意できた。だがそれも、中途半端な「1年延期」だった。ウイルスはグズグズの安倍政権を尻目に蔓延の一途をたどっている。
 小池都知事も同罪である。それまでダンマリを決め込んでいたくせに、3月24日にオリンピック延期が決まると、翌日から突然の百合子劇場。もたもたする安倍政権を尻目に次々と「都独自の考え方」とやらを発表し始めた。それができるなら、なぜもっと早くやらなかったのか、との批判などどこ吹く風。間近に迫った都知事選を視野に入れた動きだろう。
 中央も都も政治先行のいやらしさ。
 今回のウイルス蔓延を止められていない原因のひとつが、この「東京オリンピック」にあることは間違いない。もし東京オリンピック招致がなければ、もし「アンダーコントロール」というウソがなければ……。

もし公明党が与党でなかったら…

 右往左往するばかりの安倍政権の醜態は、数え上げればきりがない。あの「あごだし布マスク」2枚の全戸配布のバカらしさ。続いて「30万円現金給付」の圧倒的な不評。手続きのわずらわしさと給付が全世帯の20%にも及ばないことが判明。しかも給付時期が7月か8月以降になるとの観測。これでは、生活防衛にはとても間に合わない。
 大不評に耐えきれず、今度は全員一律への10万円給付に舵を切った。しかし、これにも麻生太郎財務相は「手を挙げた人に」という留保をつけた。つまり「自己申告制」にしたいとの意向だ。どうしても、すんなりと全員一律には給付したくないということ。まるで、自分のカネのように思い込んでいるみたいだ。税金は、お前たちのカネじゃない!
 これを実現させたのは公明党山口那津男代表の進言だったと、公明党は鼻高々の勝利宣言。だが実は、これはかなり前に野党各党が合同で提出していた案だったのだ。高額所得者には、のちに所得税に上乗せして払い込んだ分を回収するという条件まで付いていた。公明党がうまく利用したに過ぎない。
 このところ、支持母体である創価学会から、公明党のあまりの安倍ベッタリ路線にかなりの不満が出ていた。それに焦った山口代表が、安倍首相へ直談判。もし拒否されれば、連立離脱をちらつかせることで圧力をかけようとしていたという。連立政権の屋台骨がぐらついている。
 ここで考えてしまう。
 もし、公明党が自民党の“下駄の雪”になっていなければ、こんなに安倍政権が続くこともなかっただろう……と。

もし原発事故の際、安倍政権だったら……

 さらに、安倍ツイートが炎上! 4月12日、星野源さんの『うちで踊ろう』の曲を利用して優雅な自身の休日の動画を配信したのである。ぼくもそれを見て、思わず「このバカ」と呟いてしまった。
 まったく緊迫感のない不謹慎な動画だ。当然、ものすごい反発を食らった。当初は「この動画には賛否両論が寄せられている」などと、相変わらずの感度に鈍さを露呈していたマスメディアも、ついには「首相ツイートに大きな批判」と書かざるを得なくなった。コロナ禍で収入激減、苦しんでいる人たちの批判はそれほど大きかったのだ。
 こんな状況を見て、こんな「もし」が言われている。
 もし「3・11」の福島原発事故の際に、安倍政権だったらどうなっていただろうという「もし」だ。
 当時の菅直人首相は、自分の身を賭して、放射線汚染の度合いも分からぬ現場へ乗り込んだ。批判はあったけれど、あれはあれで首相としての在り方だった、という再評価がツイート上でなされていた。当然、比較して「もしあのとき、安倍政権だったら」ということになる。それが優雅に自宅でコーヒーブレイクを楽しむ安倍動画への批判になって炎上したというわけだ。
 あの原発事故の際、もし安倍晋三氏が首相だったら、今の日本はなかったかもしれないと、ぼくは真剣にそう思う。多分、当時の班目春樹原子力委員会委員長と同じように「アチャー!」と叫んで頭を抱えたまんまじゃなかったか。そんな様子が目に浮かぶ(まったくのぼくの想像です)。
 ほんとうに、安倍首相の危機感のなさにはイライラする。他の閣僚は誰も使わないあの“あご丸出しの布マスク”に固執しているのも、意地になっているガキにしか見えない。
 ぼくらは、ガキの支配下にある。つらい話だ。

最後の「もし」は?

 だから、最終的な「もし」は、もし今、安倍政権でなければどうなっていただろう、ということだ。
 この期に及んでも安倍内閣支持率は、各社の調査では40%前後だ。さすがに不支持率のほうが支持を上回ってはいるようだが、それでも僅差。ぼくにはとても理解できない。
 しかも毎度おなじみ、支持の理由のトップは「安倍さんに代わる人がいない」だという。
 えー加減にせえよ! と思う。
 ぼくはもう、安倍でなければ誰でもいい……という心境に近い。どんな人物だって、もう少し中身のある答弁を考えるだろうし、他人の(他党の)悪口のヤジを飛ばすことはしないだろう。森友学園問題で自殺した赤木さんへだって、少しは哀悼の意を示すだろう。
 もし、安倍政権でなければどうなっているんだ……と問われれば、少なくとも今よりはいいだろう、とぼくは答える。

「もし」のオマケです……

 「もし」のオマケ。
 もし、安倍晋三氏が昭恵氏と結婚していなければ、こんなに悩まされることもなかっただろうに。
 ホント、すごいよね、あの人。自粛なんかなんのその。レストランでタレント集めて花見をしても、首相「あれは公園の花見ではない。レストランの庭だから問題はない」。
 次はスピリチュアル系のお医者さんと一緒に、50人の団体さんで大分県までひとっ飛び。それでも首相「あれは神社参拝で3密には当たらないし、全国規模の緊急事態宣言をアタクシが出す前のことだったから問題ない」。
 奥さまが何をやっても「問題ない」。苦しいなあ。
 だけど、アッキーさん、少しは夫の迷惑も考えないのかしら?
 ご本人たちはどう思っているか知らないけれど、いつもアッキーさんの尻ぬぐいでワケの分からぬ言い訳を強いられる晋三さんを、そこだけはぼくは同情するんだ。

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。