第527回:生きる意味・価値を問うという傲慢〜『谷間の生霊たち』と相模原事件・傍聴記。の巻(雨宮処凛)

 45年前に書かれたその小説は、「相模原障害者施設殺傷事件」を、そして現在のコロナ禍の医療現場の逼迫を奇妙に予言するような内容だった。

 その小説とは、『谷間の生霊たち』。著者は朝海さち子。1975年、私が生まれた年に出版されたこの小説は、第10回太宰治賞を受賞している。しかし、著者の名前も小説タイトルも私はまったく知らなかった。

 教えてくれたのは、現在発売中の『季刊 福祉労働』167号で対談した荒井裕樹さん。二松学舎大学文学部准教授で、障害者運動に非常に詳しく、『どうして、もっと怒らないの? 生きづらい「いま」を生き延びる術は障害者運動が教えてくれる』などの著書がある。荒井さんと対談したのは、『福祉労働』のこの号の特集が「津久井やまゆり園事件が社会に残した『宿題』」だったため。荒井さんと私は巻頭で「『生きさせろ!』が笑われる世の中にどう抗うか」というタイトルで対談している。ちなみにこの特集、もう鳥肌が立つほどに読み応えがあるのでぜひ読んでほしい。

 対談に先駆けて行ったzoom打ち合わせで、荒井さんはこの小説を紹介してくれたのだ。

 さっそく入手して読んで、震えた。図らずも当時は新型コロナウイルス感染拡大が世界的に広がり、日本でも「ステイホーム」がさかんに呼びかけられていた頃。海の向こうのアメリカやイタリアでは、人工呼吸器不足で医療者が「トリアージ」に引き裂かれるような苦悩の中にいることが報じられ、この国でも医療崩壊を目前に、日々、戦場のような現場で働く医療従事者の奮闘を多くの人が祈るような思いで見つめていた。

 そんな中、私は困窮者支援をする一方で、3月に判決を迎えた相模原事件の裁判傍聴記をまとめる作業をしており、日々、植松聖の「障害者は時間とお金を奪う」「社会の役に立ちたいと思って事件を起こした」などの言葉を自分の傍聴メモから拾っていた。

 それでは、ここで『谷間の生霊たち』の内容を紹介しよう。45年前の小説なので、今は「差別的」という理由などから使われていない言葉もあるが、原文を引用する際はそのまま使うこととする。

 小説の主人公は、菜々枝。昨年成人式を迎えた年齢で、「重症心身障害児施設の、山麓病院に、補助看護婦」として働いている。もともとは母親が病院の炊事場で働いてたのだが、栄養士や看護師たちに使い走りさせられていたところ、院長の目に止まったのだ。

 私費を投げ打って病院を建て、重度心身障害児の実情を訴えて講演や陳情活動をするような院長は、「知恵おくれで、誰にも相手にされず、世間から隔離されて育った」菜々枝の雇用を思い立ち、採用する。菜々枝はそのことを深く感謝し、誇らしい気持ちで働いている。病室の子たちも、やさしい菜々枝を慕っている。

 菜々枝の所属するA病棟の患者は、「殆どが聾唖者で、盲目で、その上、白痴で、手足の機能障害まで重なり、三重苦のヘレン・ケラーよりも重症な患者ばかり」。2〜17歳で、全員おむつをつけている。菜々枝たちの仕事は、深夜も含めて1日8回のおむつ交換や食事介助、入浴介助、検温、投薬など。子どもといってもA病棟で最年長の健ちゃんは82キロの巨体。おむつ交換だけでも菜々枝は汗だくになってしまう。

 そんな病院で年の瀬、職員たちを追い詰めることが起きる。日頃から腰痛を訴えていた看護師たちが一度に5人も退職届を出してしまったのだ。ただでさえ人手不足の現場。残された者たちの仕事は2、3倍にも増え、日頃は大人しい看護師までもが、「早く食べろ!」と障害児の頬をぴたぴた打ちながら食事介助をするようになる。病院には院長の甥で研修医の小牧が手伝いに駆り出されるのだが、病院が貧乏ゆえ、アルバイト料も交通費も出ていないと菜々枝は知る。

 大晦日を前にして更に3人の看護師が腰痛で自宅療養となり、病棟は「非常事態」となる。その上、悪性のインフルエンザが流行し、患者も医師も看護師も次々と罹患。

 そんな中、最年長の健ちゃんが熱を出して口から食べられなくなり、流動食を鼻腔から流すことになる。しかし、体調が悪いせいかたびたび嘔吐してしまう。そのたびに「寝巻から枕、シーツ、蒲団にまで浸透し、残らず取り替えなければならない状態」になってしまい、そのことが看護師たちを苛立たせる。

 「きらい、健ちゃんなんか大嫌い、もう知るもんか、どこかへ来てしまえ!」。そう叫びながら健ちゃんの身体を乱打する看護師も現れる。

 極限状態が続いていた日、菜々枝は院長と甥の話を偶然耳にしてしまう。

 「重症の健ちゃんたちは、死んだほうがずうっと幸せですよ。死なせてやるべきだと思います」と主張する甥。それに対して、あの子らの命は神様から授かったものだと主張する院長。

 甥は院長に言い返す。

 「せめてあの子らが、親たちに愛されているなら話は別ですよ。クリスマスになっても、正月になっても、あの子らの親たちは見舞いにさえ来ないじゃないですか」

 「叔父さんが本当にあの子らを愛しているのなら、早く死なせて楽にさせてやって下さい」

 菜々枝はそれを聞いて、「やっぱり小牧先生はいい人だった……先生は健ちゃんたちがかわいそうでならないのだ、健ちゃんたちのことを心配しているのだ」とほっと息をつく。が、その後の小牧の言葉に青ざめる。

 「それにね、叔父さん。健ちゃんたちのために悩み苦しんでいるのは、肉親ばかりじゃないですよ。看護婦が次々にやめるのも、愛情だけでは生きられない証拠だし、僕だって、もう、ぶっ倒れそうですよ。入院中の婦長だって、へたすると死ぬかもしれませんよ。倒れるまで無理していますからね。叔父さんだって、あぶないじゃないですか……」

 「難しい話は、わからない」菜々枝だが、「健ちゃんたちのために、みんなが大変な目に会っている」ということははっきりわかる。

 「婦長さんが死んでしまったら、どうしよう。小牧先生が倒れたらどうしよう。もし、院長先生が死んだりしたら……」

 菜々枝は、健ちゃんの鼻と口にビニール布とタオルをあてる。

 ここで私が思い出すのは、現在は確定死刑囚となった植松聖だ。

 健ちゃんに対して「死なせてやるべき」と主張する院長の甥・小牧と植松の考えは近い。やまゆり園で働き始めて2年が経つ頃から、しきりに入所者を「かわいそう」と言うようになったという植松。「食事もドロドロで、一日中車椅子に縛りつけられている」とその理由を友人たちに語っている。それがいつしか「殺す」に飛躍する。

 「重複障害者を生かしておくために、莫大な税金が使われています。お金がなくて戦争するなら、もっと考えることがあるはずです」

 この言葉は、植松被告が事件前、友人に送ったラインである。同じような内容のものを、彼は実に多くの友人たちに送っていた。

 「障害者470人を抹殺できる」と、それが「世界経済と日本のため」だと衆院議長に宛てた手紙に書いた植松被告は、逮捕後も獄中で「日本の借金問題」についてさかんに言及してきた。

 「日本は社会保障を充実させていって100兆円もの借金を抱えることになりました(著者注 実際は1000兆円と言われている)。あなた自身はそれをどう思いますか?」

 「日本の借金だってこれ以上もう無理ですよ。これで大地震でも起きたら無茶苦茶になりますよ」

 「障害者は、他人のお金と時間を奪っています」

 借金はいけない。人に迷惑をかけることもいけない。国の将来を憂い、危機感を持っている。お金がなくて戦争するなんて悲劇もなくしたい。それらの思いをすべて凝縮し、危機感と正義感をもって彼が実行したこと。それが障害者の大量殺戮だった。

 日本は財政破綻寸前なんだから障害者を生かしておく余裕なんかない。障害者を殺害した犯人が口にするとことさら「異常さ」が際立つその言い分はしかし、私たちの日常に溶け込んでもいる。

 いつからか「高齢化」が報じられる時は「医療費にこれだけの金がかかっている」などとお荷物感とセットで語られ、「日本は少子高齢化で社会保障の財源がないんだから、ある程度”命の選別”をするのは仕方ない」という空気は、気づけばこの国を覆っている。10年前だったら口に出すのがはばかられた考えだろう。が、残酷な「本音」が「建前」を打ち破り、「命は大切だ」というような「正論」を口にする者が「現実を何もわかっていない」と嘲笑される光景があちこちにある。

 「わたしの教え子で障害者福祉に携わるものに言わせると、植松青年の犯行の原因は、『優生思想でも、なんでもない。単純な嫉妬ですよ』ってことです。社会的に何もできないものが、優遇されてノウノウと生きているのに対するやっかみだって。それに引き換え、おれは生活保護一つ取るのだって大変なのに、という」

 この言葉は、雑誌『コトノネ』32号に掲載された最首悟さん(和光大学名誉教授)のものだ。重度障害がある三女を持つ最首さんはインタビューでこのように述べたのだ。

 その言葉に、深く頷いた。貧困の現場で14年にわたって活動を続ける私も、わかりやすい弱者性のない「マジョリティ」の嫉妬じみた感情が爆発寸前になっているのを感じる。

 振り返れば、2000年代前半には「公務員バッシング」があり、10年代には「生活保護バッシング」があった。バブルの頃は誰も公務員など羨ましがらなかったのに、格差・貧困が拡大すると「安定、高収入」と非難されるようになり、また人々の暮らしが地盤沈下していくと、生活保護を受けている人がバッシングの対象となった。そしてこの数年広がっているのは「障害者ヘイト」だ。障害者だけでなく、公的な支援の対象となる者に「特権だ」と言いがかりをつける人がいる。

 障害者が「守られて」いるように見えるのは、おそらく障害も病名もない人たちが「死ぬまで自己責任で競争し続けてください。負けた場合は野垂れ死ってことで」という無理ゲーをこの20年以上、強いられているからだろう。本当は苦しいけれど、弱音を吐いた瞬間に落伍者とみなされてしまう。だから、「弱者」が「守られている」のが許せない――。おそらくそんな気分の同一線上に、ベビーカーで電車に乗る人を執拗に非難する「子連れヘイト」があり、駅などで女性だけを狙ってぶつかってくる「わざとぶつかる男」がいる。

 この20年以上、生産性が高く、役に立つ自分を全方向にプレゼンし続けなければ生きる価値がないという強迫観念に、多くの人が苛まれている。毎日、毎分、毎秒。そんな中、「怠けて楽して得している」ように見える「誰か」へのささやかな殺意が本人も無意識のまま、胸の中でくすぶりながら肥大し続けている。

 そんなこの国で、16年夏、「あの事件」が起きた。

 さて、ここで植松がしきりに「かわいそう」と口にした入所者の「その後」を紹介したい。

 やまゆり園で「一日中、車椅子に縛りつけられて」いた女性は、事件によって別の施設に移り、そこで拘束を解かれ、足腰のリハビリを受けたところ歩けるようになり、今では散歩やカフェでの食事、資源回収の仕事ができるまでになったという。支援の仕方で、障害の重さはこれほどまでに違ってくるのだ。「かわいそう」と思うなら、本当はいろんなやり方があったのだ。何よりも残念なのは、福祉の世界に身を置きながら、植松は「殺す」しか思いつけなかったことではないだろうか。

 一方で、植松はSOSを発していたのではないかと思える瞬間もあった。

 判決の日、やまゆり園の入倉園長は会見で、事件の年から植松が入所者に対して軽い感じで「やばいですよね」「いらないですよね」と言うようになったことを話した。それがだんだんと「殺す」に発展していく。働き始めた頃からもろもろの問題はあったものの、最初は植松のことを「雑だけどやんちゃな兄ちゃん」という目で見ていたという。しかし、勤務を続ける中で、植松は少しずつ変わっていった。

 話を聞きながら、思った。

 もしかしたら「やばいですよね」と言うようになった時期、彼は深い葛藤の中にいたのではないだろうか? 重度障害者を目の当たりにして、自分では処理できないほどの戸惑いの中にいたのではないだろうか?

 やまゆり園での勤務を始めるまで、植松は障害福祉の世界について何も知らなかった。やまゆり園に入って、「すごい世界があるなと思いました」と言うほどに、彼は何も学ばないまま現場に身を置いた。それも、最重度の成人を受け入れる入所施設に。

 葛藤は、端から見て過酷に見えれば見えるほど、「この人は幸せなのか」「この人の生は苦しみに満ちているのではないか」「死なせてあげた方がいいのではないか」「生きる意味はあるのか」に発展していく。また、植松はおそらく「なぜ、彼ら彼女らは障害があるのに自分はそうではないのか」「命とはなんなのか」「生命の価値とはどういうものなのか」等、それまで考えたこともないような問いを突きつけられていたのではないだろうか。そうしてそんな根源的でもっとも難しいテーマについて、彼は誰かと語りたかったのではないか。「やばいですよね」とあえて軽い感じで同僚に言ったのは、「目の前の現実をどう受け止めればいいのか」というSOSではなかったのか。

 そんな葛藤は、ケア労働につきものだと思う。しかし、彼の葛藤に付き合ってくれる人間はいなかった。

 「殺す」と言う植松に友人たちは「捕まるよ」と言い、差別的な発言を聞いたある先輩は「心で思っても口にするな」と言ったという。それらの言葉は、植松の心には、おそらく、まったく響かなかった。

 命は大切だ。命の選別なんて、絶対あってはならない――。

 そう言われる一方で、コロナ禍の中、私は多くの命が踏みにじられているのを見てきた。家賃が払えない、食料がない、昨日ホームレスになった。SOSを受けて緊急出動しながら、この社会がどれほど命を大切にしないかを、3月頃から突きつけられるような日々だった。

 それだけではない。新型コロナウイルス感染拡大を受け、4月はじめ、アメリカのアラバマ州では、重度の知的障害者や認知症の人は、人工呼吸器補助の対象になる可能性が低いというガイドラインが出された。このガイドラインはその後撤回されたものの、州によっては「重度障害者が所有する人工呼吸器もトリアージの際には取り上げる」と解釈できるガイドラインが生きている(NHK バリバラ 2020/5/7 「新型コロナ 世界では何が起きている?」)。

 5月には、医療現場が逼迫する日本でもある動きがあった。大阪市の医師が、高齢者向けに「集中治療を譲る意志」を表示するカードを作成したのだ。カードを作った医師は「高齢者に署名を推奨するものではまったくない」と言うが、「限られた医療資源でどう命を救うか」という課題が今、私たちにこれまでないほどリアルな問いとして突きつけられている。

 だからこそ、私たちは「命の選別」はいけないと、命は何よりも大切でかけがえがないと、声を大にして言わなければならないと思う。

 人の命を財源で語るなんておかしいし、誰だって、どんな状態だって、生きてるだけで価値がある――。

 いや、本音を言えば、自分自身だって自分の生存をどう肯定していいかわからない。特に10代20代は自殺願望の塊でリストカットばかりしていた。自分なんて生きてちゃいけないと思っていた。

 だけど、この14年、「無条件の生存の肯定」という言葉をスローガンにしてさまざまな活動をしてきた。

 この言葉は、フリーターやワーキングプアの運動が盛り上がった06年に現場から生まれたものだ。貧乏すぎてもう食えない、先のことなんか考えられない。そんな地平から逆ギレしたように「生きさせろ!」と叫び始めた当時の若者たちは、「企業の営利活動の役に立つ者だけに価値がある」という価値観に真っ向から抵抗し、「無条件の生存の肯定」を掲げたのだ。言い換えれば、「役立たずでも堂々と生きるぞ!」という開き直りである。

 このような「役立たずの開き直り系」運動にどっぷりとハマったことによって、私は「役に立たなきゃ生きる価値がない」というこの国で一番メジャーな宗教から解放された。

 その一方で、植松のあの「役に立たないといけない」というヒリヒリした感覚は、どこかとても、痛いくらいにわかるのだ。

 ここで、『福祉労働』での荒井さんとの対談を紹介したい。

 荒井さんは、相模原事件を考えるにあたって一番警戒していることについて語ってくれた。それは「障害者に生きる意味なんてあるの?」いうフレーズ。そして以下のように続けている。

 「これって、論理的にものすごく卑怯な言い方なんですね。どういうことかって言うと、『障害者に生きる意味なんてあるの?』という言葉に反論しようとすると、反論する側に『障害者の生きる意味』を立証する責任が出てきてしまうんですよね。それって、ずるくないですか。この問いを突き付けられること自体が暴力なんだっていうことを言ってかなきゃだめな話なんですよね」

 「だから、その問い自体が差別であり、暴力なんだと、根本的なところから訴えていかなきゃいけないんだろうなと思います」

 荒井氏の言う通り、常に生きる意味や価値を問われるのは弱者の方である。強者は、圧倒的な力の非対称性に無自覚なまま、弱いものに恐ろしいことを問う。その時強者は、自分自身が「あなたには生きる意味などあるんですか」と問われることは決して想定していない。そう問われた時、どれほどの痛みを感じるか、なぜ想像もせずに他人の生を、よりにもよって「評価」しようとするのか。

 そして植松は、「お前の生に価値はない」と勝手に決めつけた。それだけでなく、実際に、命を奪った。書きながら、改めて、そのことへの深い深い怒りに震えている。そんな植松に、司法は「お前こそ生きている価値はない」と死刑判決を下した。「障害者はいらない」と殺した植松に「お前こそいらない」と極刑が下される。そうして裁判は終わったが、そのことに強烈な違和感を抱いているのは私だけではないだろう。

 東京に緊急事態宣言が出た4月7日、彼の身柄はひっそりと横浜拘置所から東京拘置所に移送された。いつ死刑が執行されてもおかしくない身だ。

 あの事件について考えたこと、そして裁判を傍聴して思ったことを一冊にまとめた。

 タイトルは『相模原事件・裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』。あの事件から、もうすぐ4年。この4年間、あの事件にこだわり、しつこいほどに書き、考えてきた。

 ぜひ、手にとって、一緒に考えてほしい。

『相模原事件・裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』(雨宮処凛/太田出版)※7月18日発売予定

       

雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。格差・貧困問題、脱原発運動にも取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『ロスジェネのすべて』(あけび書房)、『相模原事件裁判傍聴記 「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ』(太田出版)。「反貧困ネットワーク」世話人、「週刊金曜日」編集委員、フリーター全般労働組合組合員。