太田啓子さんと考える「男らしさ」から自由になるためのレッスン

8月30日(日)、弁護士の太田啓子さんを講師に迎え、第46回マガ9学校「『これからの男の子たちへ』出版記念オンラインイベント〜太田啓子さんと考える『男らしさ』から自由になるためのレッスン〜」を開催しました。初のオンラインでのマガ9学校開催でした。
なぜ、「男の子へのジェンダー教育」についての本を書いたのか? 次の世代を担う男の子たちに伝えたいこととは? 当日のお話の内容を、レポートと動画で一部ご紹介します。

■なぜ、男の子へのジェンダー教育が重要か

 今年8月に、初めての単著『これからの男の子たちへ』(大月書店)を出版しました。小学校6年生と3年生、2人の男の子の母親でもある私が、社会の性差別、性暴力をなくすためには、子ども、特に男の子へのジェンダー教育が重要なのではないかという問題意識から書いた本です。出版前にツイッターで予告をしたところ、非常に大きな反応をいただき、こういうテーマを待っていた人は多かったんだという手応えを強く感じました。

 私が「男の子へのジェンダー教育」という問題に関心を持ったきっかけは、弁護士として働く中で、離婚事件やセクハラ事件を数多く扱ってきたことです。その中で、こと性差別、性暴力が絡むと、絶望的に話が噛み合わなくなる男性を何人も見てきたんですね。

 たとえば、DVによる離婚事件。夫が妻を失明させる寸前まで殴ったり、家庭内で3ヵ月間妻を無視し続けていたりして、もちろん妻のほうは夫のことが怖い、一緒にいたくないから離婚したいと言っている。ところが、夫のほうは「どうしても離婚したくない」と言うんですね。それもDVへの自省はまったくなく「自分は何も悪いことをしていないのに妻が出て行った、きっと男がいるんだろう」と、勝手にストーリーを作り上げていたりもする。それくらい当事者間の温度差が激しい場合が、離婚事件ではしばしばあるんです。

 また、セクハラ事件の場合、触ったか触っていないか、ホテルに連れ込んだか連れ込んでいないかといった事実レベルで争いがある事件もあることはありますが、むしろ非常に多いのは、性的接触は認めたうえで、「ホテルには行ったけれど、相手も同意してたんだから問題はない」というふうに、同意の有無について争うケースなんですね。

 でも、職場の50代男性上司と20代女性部下、それまで2人きりで飲みに行ったこともなかったというようなケースで、どうして「意気投合してホテルに行った」と思えるのか、あまりに性的関係への同意に関する認知が歪んでいると感じることが多々ありました。しかもそういう人たちは、裁判になって負けてもその認識を改めようとはしません。女性が会社や裁判所にも嘘をついてだましたんだと、女性に恨みを向けたりするケースをたくさん見てきました。

■「普通」の人が、性暴力や性差別の事件を起こす

 でも、彼らが極端な社会不適合者かというとそうではありません。職場ではそれなりの地位についていて、普段も穏やかに社会生活を営んでいたりします。

 2年ほど前、財務省の事務次官がテレビ局の女性記者に対して、「胸触っていい?」「手を縛っていい?」と、あり得ないようなセクハラ発言をしていたと週刊誌で報じられました。エリート中のエリートで、おそらく仕事もできたであろう人が、そんなことをやらかしてしまうわけです。

 政治家だけではありません。2016年には、東大や慶応大学など、いわゆる有名大学の学生による集団での性犯罪が相次いで報じられました。でも、少なくとも報道を見る限り、彼らに日常的な犯罪傾向があったわけではありません。本当に「普通」の人たちが、こと性暴力、性犯罪に関してはなぜか極端にたがが外れてしまう。そのアンバランスさがすごく怖いし、「やってはいけないことをやっている」という認識が乏しかったのではないかとも感じました。

 そんなことから、きちんと「これは性暴力だよ」「これは性差別だよ」と意識的に教えていかないと、性暴力や性差別に鈍感になってしまうような空気が日本社会にあるんじゃないか。そういう不安を、息子を持つ母親としてずっと抱いてきました。

 逆に言えば、これからの社会を作っていく世代である今の男の子たちが、性差別的ではない男性に育っていけば、20〜30年後の日本社会はすごく明るくなるはずだ。そう考えて、この本を書きました。

■「男らしさの呪い」から自由になってほしい

 男の子たちに向けて、伝えたいことは大きく分けて二つあります。

 一つは、いわゆる「男らしさの呪い」から自由に生きてほしいということ。今の性差別的な社会構造の中で、もちろん女性もいろんな不利益を受けていますが、男性は男性でとても苦しんでいるはずなんです。

 本の中でも、「有害な男らしさ」という言葉をキーワードとして挙げていますが、「男はこうあるべき」という社会の価値観が、ときに男性自身をも傷つけてしまうことがあるんですね。「意気地なしは駄目」「動じない強さがある」「弱音は吐かない」……。そうした価値観になじめず、苦しんでいる男性は少なくないのではないでしょうか。

 そして、男の子たちに伝えたいことの二つ目は、そうした「苦しさ」を「男はつらいよ」で終わらせないでほしいということです。自分でそう望んだわけではないにしても、男性として生まれてきた以上、性差別構造の中ではマジョリティとして特権を持つことになるのは事実。そうであれば、性差別を他人事としてとらえず、当事者意識を持って抗えるようになってほしい。そうできる男性が増えれば、社会の性差別構造はどんどんなくなっていくはずだと思うのです。

■「男子ってバカだよね」で終わらせてはいけない

 そうした視点を持ったときに、子育ての風景の中で、問題だなと感じていることがいくつかあります。

 一つは、男の子が物を壊すとか何かやんちゃなことをやらかしたときに、「ほんと男子ってバカだよね」と言う人が多いこと。私もそう思うことはあるし、絶対に使っちゃ駄目な言葉だとは思いません。でも、同じようにやんちゃな女の子だっているし、それぞれの個性もあるはずなのを、何でもかんでも性別に還元していいのか。仮に、本当に男の子が女の子より「バカ」なのだとしても、女の子がやったら絶対に注意されるような行為を、「男の子はバカだからしょうがない」と見過ごしていたら、暴力の萌芽をそのまま放置してしまうようなことにもなりかねない、と思うのです。

 その典型が、本の中で「カンチョー放置問題」として書いた問題です。スカートめくりや小学生男子がよくやる「カンチョー」のような、本来は性暴力であるはずの行為が、面白おかしいコミュニケーション、もしくは微笑ましいやんちゃないたずらみたいな文脈で語られ、放置されている。これは、子どもたちに性暴力を非常に矮小化させて認識させることにつながると思っています。

 先日も、ある俳優さんがおむつをしている小さな娘さんのスカートをめくって写真を撮り、「懐かしのスカートめくり」とキャプションを付けてツイッターに投稿するということがありました。私がそれを批判するツイートをしたところ、「子どものときのスカートめくりがトラウマで、スカートを履けなくなった」といった心痛むリプライがたくさん付いたんですね。一方で、「子ども時代の楽しいやんちゃ」としてとらえる男性が少なくない。少し乱暴な言い方になりますが、男女で見てきた光景が違うところがあって、そこのギャップを埋める言説が必要だと思っています。

 あと、ちょっと乱暴な男の子が女の子に意地悪をして泣かせたりしたときに、周りの大人が男の子のことを叱りながらも「あの子のこと好きなんでしょ」とからかったりすることがありますよね。逆に、泣いている女の子に「あの子はきっとあなたのことが好きなのよ、許してあげて」と言ったり。これも、非常に問題だと思っています。

 好意を表現するのに意地悪なことをするというのは、コミュニケーションの手段として間違っていますよね。もちろん、子どもですからコミュニケーションが稚拙なのは仕方ないけれど、それなら「意地悪をしたら嫌われるよ」とちゃんと伝えなくてはならないのではないでしょうか。いじめられた側にも、「あの子があなたのことを好きだとしても、それを理由に暴力を許す必要なんかないからね」と言ってあげるべきだと思います。

 そこできちんと話をしないと、コミュニケーションの手段を間違えたまま大人になってしまう人が出てくるかもしれません。弁護士として関わった事件の中でも、暴力をふるうなど女性にひどいことをした男性が「いや、あれは君を愛していたからなんだ」と言い張る光景を何度も目にしました。

 こうしたことは、一つひとつを見れば些細なことです。でも、それが積み重なれば、子どもが性暴力や性差別に対する感覚に影響を及ぼさないとは思えません。その累積を、大人が許さないようにすべきじゃないかと考えています。

■性暴力の加害者を生まないために

 本の中では、「性暴力加害者にならないための教育」についても書きました。女の子は成長の過程でしばしば、性暴力被害に遭わないための自衛の方法を教えられます。それ自体がよくないとは思いませんが、どんなに気をつけていても被害に遭うときは遭ってしまう。加害者がいなければ被害は発生しないのですから、むしろ「加害者にさせない」ための教育を、特に男の子に対して──現状、性暴力事件の加害者の90%以上は男性なので──していくべきだと思うのです。

 まず大切なのは、やはり性教育です。自分や他人の体を尊重するとはどういうことなのかを、しっかりと教える必要があると思います。

 今、世界の国々では「包括的性教育」といって、セックスとか出産だけではなく、性を通した人との関わり方やジェンダー平等なども含めて、人権の問題として「性」を教えようという動きが出てきているそうです。それに比べると、日本の性教育は愕然とするくらいに遅れている。性教育がまったくなされていないとも言えます。

 それから、性暴力がどれくらい人を傷つけるかについて教えるとともに、性暴力について誤った認識を持たせるような表現へのリテラシーを身に付けさせることもとても大事だと思います。

 たとえば、アニメの『ドラえもん』で以前、「からだねん土」という、身体にくっつけて自分の身体を自由に変形できるというひみつ道具が登場したことがありました。「鼻を高くしてほしい」とやってきたしずかちゃんに、のび太がこう言うんです。「今のままで十分かわいいよ。それよりもっとグラマーに……」。どう考えてもセクハラなんですが、それを面白いネタ、一種のギャグとして扱うことは、非常に有害だと思います。

 また数年前、『少年ジャンプ』の巻頭で、ある人気漫画の登場人物の人気投票結果を紹介するページがありました。その中で、女性キャラクターのほぼ全員が全裸に近いような格好で、涙目だったり怒っていたり、必死に手で服を押さえていたりと、明らかに「嫌がっている」様子に描かれていた。少年向けの雑誌で女性の裸を描くこと自体がダメだとは思いませんが、女性が見られることを嫌がっている、つまり「不本意に性的な姿態を見られる」という性被害の様子を「エロい」という文脈で描くことは、性被害を矮小化して理解させる可能性があると考えています。「お色気はいい、でも性暴力を『お色気』扱いすることはダメだ」「性被害を『エロ』扱いしないで」というのが、どう言っても伝わらない人には伝わらないことにも問題意識を感じています。

■性差別・性暴力に「傍観者」はいない

 性差別や性暴力については、「傍観者」というスタンスはありえません。以前、カナダのオンタリオ州が「性暴力をなくそう」というキャンペーンで、こんな動画を発信しました。泥酔した女性に男性が性的嫌がらせをしている場面が映っているのですが、突然その男性がカメラのほうを向いて「黙っててくれてありがとう」と言うのです。いじめは、いじめの加害者だけではなくて多数の傍観者がいることでいじめの構造が温存されるわけですが、性差別や性暴力もそれと同じですよね。そのことをうまく表している動画だと思います。

 だから、これからの子どもたちには、性差別や性暴力に対して傍観するのでなく、当事者意識を持って闘えるようになってほしいと思います。

 今の日本は、本当にひどい性差別社会です。昨年12月、世界経済フォーラムが発表した「ジェンダーギャップ指数」でも、日本は153ヵ国中121位という低さでした。それも、日本より下位の国にはほとんど、宗教的な戒律で女性の社会進出が進まないなどの事情があります。そうした縛りがあるわけでもないのに、こんなに女性の地位が低い国は他にないのではないでしょうか。

 それも、健康面、教育面での差別はあまりないけれど、経済面、政治面での男女差が非常に大きいというのが、日本の性差別の特徴です。だから、社会に出て働き出すまでは、それほど差別を感じなかったという女性も多いかもしれません。

 社会における男女経済格差は、そのまま家庭内の経済格差にもつながります。離婚事件を担当する中でも、夫にひどい暴力をふるわれているのに、そんな夫にでも経済的に依存しないと生活していけないというので離婚を悩む女性をたくさん見てきました。

 こういうことをなくしたい、社会を変えたい。これから大人になる男の子たちが性差別や性暴力に荷担しない男性になっていけば、性差別や性暴力のない社会に少しでも近づいていくことができるんじゃないか。そんな、次世代への責任を感じながら書いたのがこの『これからの男の子たちへ』です。今現役で男の子を育てているお父さんお母さんはもちろん、その周囲の大人たち、そしてできれば中学生高校生くらいの男の子当事者にも読んでもらえたらと思っています。

●質疑応答

Q. 社会の性差別構造が男性にも不利益をもたらしているというのは、たとえばどんなことでしょうか。

A. 深刻なものとしては、男性に多いといわれる過労死、過労自殺があります。労働事件に詳しい弁護士によれば、死に至るまで周りに弱音を吐けず、日記などにも書いていなかったため、過重労働との因果関係の証拠がなかなか示せないというケースが多いそうです。男性には自分の痛みや弱さを周囲に開示できない傾向が強く、その背景には「弱音を吐くのは男らしくない」という社会の価値観があるのではないでしょうか。アルコール依存症が男性に圧倒的に多いのも同様だと思います。

Q. 性暴力を根絶するために、もっとも必要なことは何でしょうか。

A. 正しい答えがあれば私も知りたいところですが……一つ思うのは、性暴力というのは多くの場合、性欲というよりも支配力、加虐欲によるものだということです。自分よりも弱いものをいたぶることで、自分の弱さや不安を発散しているというところがあるのではないでしょうか。
 なので、そうした弱さや不安を、弱い者いじめではなく健康的に発露する方法を子どもたちにきちんと身に付けさせる。そして、自尊心とか自己肯定感をしっかり持てるように導いていく。抽象的ではありますが、それが性加害者を生まないこと、性暴力をなくすことにつながっていくのではないかと思っています。

Q. 周りのママ友たちとジェンダーについて話したくても、温度差があって話しづらいのですが……。

A. 私も、息子の中学受験に頑張っているママ友から「男の子は勉強できなかったら悲惨だからね」という言葉を聞いたことがあります。暗に「女の子は金持ちと結婚すればなんとかなるけど」という含意を感じて、いまだにそういう感覚があるんだと愕然としました。
 そのときは「いやいや、女の子も勉強できないと大変だよ〜」と軽い感じで返したのですが、あまり正面から真面目に返すと「引かれちゃう」んじゃないかと悩みますよね。私も毎回悩んでいますが、「あなたが言ってることは間違っている」という言い方をするとちょっと角が立つ。「私はこう思う」「私はこういう経験がある」という、いわゆる「I(アイ)メッセージ」で伝えると、少しは伝えやすいんじゃないかと思います。こういう小さいことから一つひとつ積み上げていくのには大きな意味があると思いますので、一緒に闘っていきましょう。

Q. 2人の女の子の親です。男の子のいる知人から「女の子を育てるのは楽でいいよね」と言われるたび、「男の子を育てる苦労をしていない人に言われたくない」という拒絶を感じます。女の子親として、男の子の子育てに関わっていくにはどうしたらいいでしょうか。

A. 女の子の親だろうが、子どもがいなかろうが、子育ては本来、社会全体でするべきものです。男の子の親だからといって、「適切な男の子育て」をしているとは限らないですよね。
 それに、自分の親以外の人から注意される経験って、子どもにはとてもインパクトがあると思います。親との関係を考えたりすると、自分の子どもなら注意するけど他人の子どもにはなかなか……という場面もありますが、「おばちゃんはこういうふうに思うよ」と、ここでもIメッセージを繰り返し発信していくしかないんじゃないかと思います。

Q. 女の子の育て方にはどんな問題があるでしょうか。小さいころから、かわいくやさしく異性にモテるのがいいという価値観を植え付けられる傾向があるように思います。

A. 女の子に対する「かわいくあれ」「愛されるようであれ」というメッセージはまだまだ強いですよね。雑誌を見ていても、「モテ力」とか「愛されメイク」とか、こうして今の社会に適応していくのが女性にとって賢い方法のように見える瞬間が絶対にあると思います。強く賢く、自立した女性になんてなってしまうと、男性から愛されなくなってしまうんじゃないかという不安が生まれてくるんですよね。
 私自身もそうでした。高校時代は男子運動部のマネージャーという「モテキャラポジション」にいてみたかったし、そこからもずっと揺れ動きながら生きてきています。今の女の子たちもやっぱり同じなのかと思うと悲しくなるのですが、男の人に合わせるんじゃなくて、自分がやりたいことをやってるほうが魅力的だよ、そういう女性をいいと思う男性もたくさんいるよ、と大人は自信を持って伝えたほうがいいんじゃないかと思っています。あとは、本にも書きましたが、「モテよりマッチングが大事」というのは本当に重要なので、「モテ」に過剰な価値づけをしないように、正面から大人が教えたほうがいいんじゃないでしょうか。

●当日のダイジェスト動画はこちら

太田啓子(おおた・けいこ) 弁護士。2002年弁護士登録、離婚・相続等の家事事件、セクシュアルハラスメント・性被害、各種損害賠償請求等の民事事件を主に手掛ける。明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)メンバーとして2013年より「憲法カフェ」を各地で開催。2014年より「怒れる女子会」呼びかけ人。2019年には『DAYS JAPAN』広河隆一元編集長のセクハラ・パワハラ事件に関する検証委員会の委員を務めた。


太田啓子『これからの男の子たちへ:「男らしさ」から自由になるためのレッスン』(大月書店)