第1回:昔の映画から学べること『原発切抜帖』(ウネリ・牧内昇平)

はじめまして。物書きユニット「ウネリウネラ」のウネリこと牧内昇平と申します。今年の春に首都圏から福島県福島市に引っ越し、パートナーのウネラといっしょに、夫婦で物書き稼業をしています。
東日本大震災から間もなく10年が経とうとしています。原発事故が起きた福島県には、いまだに人の住めない場所もたくさんあり、さまざまな形で被害は続いています。しかし、時間が経つ中で記憶が薄れてきた人、もともとよく知らないという人もいるのではないでしょうか。震災や原発事故について学びたいけれど、ぶ厚い本を読む気にはなれない……そんな人におすすめなのが「映画」です。
独立系のドキュメンタリーから娯楽大作まで、3・11や原発をテーマにした作品はそれなりにあります。一見まったく別テーマの作品の中に、考えるヒントを見出せることもあるでしょう。映画を観ながら、私たちがいま何をすべきかを考えるきっかけにしたい。そのために、この企画を立ち上げました。
福島県福島市の映画館「フォーラム福島」で支配人を務める阿部泰宏さんは、3・11後、原発や震災をテーマにした上映企画を粘り強く続けています。阿部さんを案内人として「いま観るべき映画」を毎回ピックアップしてもらい、そのポイントを語ってもらう連載です。

(左から)「フォーラム福島」で支配人を務める阿部泰宏さんとウネリ

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『原発切抜帖』

新聞記事だけで原子力政策の歴史をひもとく

ウネリ 本日は、3・11の前に作られた映画について、話してもらいたいと思います。阿部さんに紹介してもらったのは、1982年制作、土本典昭監督の『原発切抜帖』です。

【作品紹介】(DVDケースの紹介文から引用)
 
『原発切抜帖』
(1982年/日本/土本典昭監督/配給シグロ)

1979年のスリーマイル島原発事故、1981年敦賀原発の放射性廃液の流出事故を機に、土本典昭監督(※)が長年切り抜きを続けてきた新聞記事のスクラップブックから、“原子力”をテーマに企画したドキュメンタリー。当時から問題にされていた原子力発電所や政府の姿勢を、日々家々に配達される新聞の記事から読み解き、小沢昭一(※)の軽妙な語りと新聞記事だけで構成した「シネエッセイ」。斬新な手法が話題を呼んだ、土本監督の隠れた傑作。
 

※土本典昭(1928-2008):ドキュメンタリー映画監督。水俣病公害の問題を撮り続けたことでも知られる
※小沢昭一(1929-2012):俳優、エッセイスト。数十年にわたって放送されたラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」でも有名

ウネリ 先日初めてこの映画を観て、とても驚きました。原発関連の新聞記事の静止画像ばかり。その映像にナレーションが添えられるだけ、という構成です。こういう手法は前例がありますか。

阿部 あまり記憶にないですね。

ウネリ 新聞記事だけで映画を構成するというのは、かなり異例なわけですね。

『原発切抜帖』より(C)1982年青林舎

阿部 監督の土本さんは、はじめからこれをやるつもりではなかったんですけど、原発は取材のガードがとにかく固かった。原子力業界の関係者には話を聞けないし、現地調査なんてもちろん叶わない。だから窮余の策として、新聞の切り抜きを集めた。目を皿のようにして読み込んだら、けっこう浮かび上がってくるものがあることに気づいた。こうして一編の映画になったんだと聞いています。とても斬新で、観ていておもしろい。

ウネリ 窮余の策だったんですね。

阿部 そう聞いてます。土本さんは水俣とかパルチザンの映画を撮ってきて、そういうときは現地の協力を得てきたんですけど、とにかく原発はどこも取り合ってくれなかったそうです。取材にならない。

ウネリ 水俣と比べても取材が難しいと。

阿部 全くもって。わかってはいたんでしょうけど。昔から「天皇」と「原発」は基本的にアンタッチャブルでしたからね。

【シーン解説①】
 
映画の冒頭。カメラは「廣島を焼爆」という見出しがついた短い新聞記事にズームアップする。<六日七時五十分頃B29二機は廣島市に侵入、焼夷弾爆弾をもって同市附近を攻撃、このため同市附近に若干の損害を蒙った模様である>。小沢昭一のナレーションが入る。

「当時、私は中学生でしたが、この小さな記事をよく覚えています。ちっぽけな記事でした。少年時代の記憶には『新型爆弾』という文字で焼き付いていましたが、こうして確かめてみると、『焼夷爆弾』と記されていました。子ども心にも相当なものらしいと思ったものです」

続いて「新型爆弾に対する心得」という記事に移る。ナレーション。「あのピカドンに、『初期防火』とは恐れ入ります。いったい、あの日の広島を目の前にしながら、なぜ? ウソ、ウソ! 終戦の時もそうでした。『負けた』という文字はどこにもありませんでした」

『原発切抜帖』より(C)1982年青林舎

ウネリ 広島に原子爆弾が落ちたことを伝える記事から始まり、映画は日本の原子力政策の歴史をひもときます。

阿部 当初は「原子力の平和利用」を打ち立て、経済性という部分で原子力を利用できないかと政府は考えた。しかしその過程で原子力船むつの放射線漏れ問題(※)や米スリーマイル島事故(※)が起きる。原子力がどんどん将来の危機を深めていないか? 証言者は誰もいないなかで、土本さんが頭をスパークさせて、こうじゃないか、ああじゃないか、と新聞記事を繋げていく。そして、それを小沢昭一さんに軽妙に語らせた。非常に才人が集まっている。少人数のユニットで作った映画としては真骨頂。風刺と皮肉に満ちた映画だと思います。
 

※原子力船むつの放射線漏れ問題:1974年、太平洋を航行試験中だった原子力船「むつ」で放射線漏れが発見された
※米スリーマイル島事故:1979年3月に米ペンシルベニア州のスリーマイル島原発で起きた事故。機器の故障と人為的ミスが重なり、炉心が露出、溶融する事態になった

“民意置き去り”を克明に
【シーン解説②】

放射線漏れが発覚した原子力船「むつ」は母港の青森・大湊港に帰れなくなり、近くの漁村に寄港しようとした。土本監督は、当時の新聞記事に載った地元の漁民のコメントにフォーカスする。

「こんな辺地に原子力船を入れようなんてわれわれを山ザルのように思っているからだ」

ウネリ このコメントは記憶に焼き付きました。

阿部 日本の原発政策がどんどん民意を置き去りにしていく過程を、新聞記事の読み込みと分析でじわじわと実感させてくれる。そういう作りになっています。

ウネリ 「敦賀原発のトラブルで海草が汚染された」、「ソ連の水爆実験の影響で山形や新潟に放射性物質を含む雨が降った」。こんな記事の紹介が続きます。この映画を観ていると、3・11の前から何度も同じようなことが起き続けてきたことが分かり、悲しくなりました。

阿部 その通りです。一つの事件がなぜ起きたのか、過去に遡って考えなければならない。それをしないと、結局何度でも同じことを繰り返す。やっぱり歴史って大事だなと思います。

ウネリ 私は今回阿部さんに紹介してもらって、初めてこの映画を観ました。自分が原発の歴史について余りにも何も知らなかったことを、改めて実感しました。もう少し早く、この映画を観ればよかったと。

阿部 私がこの映画を初めて観たのは、1980年代、学生の時です。だけど、当時は「ああそうか、こういう作り方があるのか」とか、「なるほど原発って深刻だよな」とか、そんな程度ですよ。血肉化してないんですよね。自分の中で。あくまで知識や教養でとどまっていた。
 そして2011年に約30年ぶりに観たわけです。もう、愕然としましたよ。俺は何を観ていたんだろうと。何に愕然としたかと言うと、「我々はすごく大切なことを置き去りにして生きてきた」ということです。「忘れてはいけないことも忘れちゃってる」という危機意識です。

『原発切抜帖』より(C)1982年青林舎

【シーン解説③】

映画は、原発の「廃炉」が子々孫々まで引きずる問題であることを伝え、「核のゴミ」を太平洋に捨てる話まで出ているという記事を紹介する。映画のラスト。被爆国である日本が原子力推進のアクセルを踏む現状に嘆息し、ナレーションはこう語りかける。

「私たちはいつの間に忘れてしまったのか。何と引き換えに、失ったのか」

人間は忘れやすい

ウネリ 人間は忘れやすい。3・11後もそうなってしまっているのでしょうか。

阿部 震災の1年目は、福島に住む人々はみんな悶々としていました。そのことによっていろんな他の問題も見えていたと思います。たとえば原発以外の社会問題についても、「これは原発と同じことが言えるんじゃないか」と怒りを持ったと思うんです。今までは通り過ぎて馬耳東風だったけど、「止まって考えなきゃいけないんじゃないか」と。それって人間のレベルを高くしているってことですよね。困難な状況に置かれたことで、見えなかったものが見えてきた。共感力が高まったんですよ。原発事故のプラス面があるとは思いたくないけれども、これはものすごくいいことだと僕は思っています。
 ところが1年過ぎた頃から、こういう意識がどんどん薄れていった。せっかくみんな、今までになかったレベルの意識の高さがあったのに、どんどん元に戻っていく。そして怒りが薄らぐことに対して苛立つ。そういう感覚があったと思います。

ウネリ 忘れかけていることへの苛立ち……。

阿部 でも、それも3年目までです。3年経ったら、その怒りや問題意識が薄れるのを惜しむ気持ちすらなくなっていった。つまり元に戻った。

ウネリ みんな、元に戻ってしまった……。

阿部 1年目のときは、今までデモなんて行ったことない人たちが国会を取り巻きました。今そういうことはほとんどなくなってしまっています。まず「自分は忘れやすいんだ」ということを自覚することが大事なんです。

ウネリ だからこそ、『原発切抜帖』のような映画が役立つわけですね。

阿部 そうです。忘れてしまったように見えるけど、いっぺん得た知覚は、その人の心の奥底に眠っていると思うんです。「もう駄目だよ、みんな忘れちゃってる」と悲観的に言う人もいるけれど、私はそうじゃないと思っている。何かの瞬間に、本当に優れた作品に接した時に、呼び覚まされると思うんですよ。

テキストとしての映画

阿部 今回僕が強調したいのは、「映画の役割」です。この場合の映画というのは、娯楽エンターテインメントじゃなくて、テキストとしての映画です。これがすごく大切だと思うんですよね。

ウネリ テキストとは“ものを考えるための材料”ということでしょうか。

阿部 自分たちの頭では容易に飲み込めない、受容できないような大変なことを経験すると、テキストに頼ることがあると思うんです。たとえば新型コロナの問題が起きたらみんなカミュ(※)の文章を引き合いに出したりする。多かれ少なかれみんな、何かを参照することで現在の問題を考え、未来への知見をつかもうとするじゃないですか。映画もそうした役割を担える。そういう点において、やはり「たかが映画、されど映画」だと思います。僕自身は映画を通してしかものは語れないし、それが自分の中の矜持になっています。

※アルベール・カミュ(1913-1960):フランスの作家。伝染病をテーマにした小説『ペスト』は、新型コロナウイルスの感染拡大に伴って改めて世の注目を集めた

ウネリ 今日の話でいけば、『原発切抜帖』を観て、「人間は忘れやすい生き物である」ということを胸に刻む。そういうことですかね。

阿部 大切なのは、過去を知り、それがどういう風に現在に結びついてるのかを考えること。そうすれば、未来に何が起きるのか予測できるはずです。

ウネリ それにしても、学生時代に観たこの映画を今になって観なおしたら愕然とした、という話は興味深かったです。

阿部 とても過酷でヒリヒリする体験だったけど、でも理解するってこういうことなんだなと感じました。そうしないと染み込んで来ないんだなと。
 仏教のお坊さんは毎朝毎晩お経をあげるじゃないですか。なぜ毎朝毎晩続けるかというと、忘れるからなんですって。人間って忘れやすいから、毎朝毎晩たゆまず経を唱えて反芻する。そうしないと忘れてしまうんだと。そこに謙虚さが生まれるし、なるほどな、と思いました。

ウネリ お経を唱えるように『原発切抜帖』を毎日見続ける、なんてのもいいかもしれませんね。今日はありがとうございました。

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 3・11以前に原発を扱った映画は、もちろん他にもたくさんあります。たとえばドキュメンタリーでは、“土本典昭の後継者”と呼ばれる鎌仲ひとみ監督の『ヒバクシャ―世界の終わりに』(2003年)や『六ヶ所村ラプソディー』(2006年)などがあります。フィクションで阿部さんが『原発切抜帖』とともに推薦してくれたのは、山川元監督の『東京原発』(2004年)です。都知事(役所広司)や副知事(段田安則)たちが「東京に原発は必要か」という論戦を繰り広げます。コメディータッチでとても観やすい映画ですが、この作品も『原発切抜帖』と同じように、「人間は忘れやすい」というメッセージを明確に発しています。

(ウネリ)

阿部泰宏(あべ・やすひろ):1963年福島市生まれ。市内の映画館「フォーラム福島」で30年以上働き、現在は支配人を務める。社会派・独立系の映画をこよなく愛する。原発事故で福島市内の放射線量が上昇したため、妻子を他県に避難させた被災者でもある。2011年6月以降はフォーラム福島で〈映画から原発を考える〉という上映企画を続け、3・11を風化させない取り組みを続けている。

ウネリウネラ:元朝日新聞記者の牧内昇平(まきうち・しょうへい=ウネリ)と、その妻で元同新聞記者(=ウネラ)による、物書きユニット。ウネリは1981年東京都生まれ。2006年から朝日新聞記者として主に労働・経済・社会保障の取材を行う。2020年6月に同社を退職し、現在は福島市を拠点に取材活動中。著書に『過労死』、『「れいわ現象」の正体』(共にポプラ社)。個人サイト「ウネリウネラ」。(イラスト/ウネラ)

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ウネリウネラ
元朝日新聞記者の牧内昇平(まきうち・しょうへい=ウネリ)と、パートナーで元同新聞記者の竹田/牧内麻衣(たけだ/まきうち・まい=ウネラ)による、物書きユニット。ウネリは1981年東京都生まれ。2006年から朝日新聞記者として主に労働・経済・社会保障の取材を行う。2020年6月に同社を退職し、現在は福島市を拠点に取材活動中。著書に『過労死』、『「れいわ現象」の正体』(共にポプラ社)。ウネラは1983年山形県生まれ。現在は福島市で主に編集者として活動。著書にエッセイ集『らくがき』(ウネリと共著、2021年)、ZINE『通信UNERIUNERA』(2021年~)、担当書籍に櫻井淳司著『非暴力非まじめ 包んで問わぬあたたかさ vol.1』(2022年)など(いずれもウネリウネラBOOKS)。個人サイト「ウネリウネラ」。【イラスト/ウネラ】