第9回:教育学者が見つめた次世代への希望 『かすかな光へ』(ウネリ・牧内昇平)

東日本大震災からまもなく10年が経とうとしています。原発事故が起きた福島県には、いまだに人の住めない場所もたくさんあり、さまざまな形で被害は続いています。しかし、時間が経つ中で記憶が薄れてきた人、もともとよく知らないという人もいるのではないでしょうか。震災や原発事故について学びたいけれど、ぶ厚い本を読む気にはなれない……そんな人におすすめなのが「映画」です。
福島県福島市の映画館「フォーラム福島」で支配人を務める阿部泰宏さんは、3・11後、原発や震災をテーマにした上映企画を粘り強く続けています。阿部さんを案内人として「いま観るべき映画」を毎回ピックアップしてもらい、そのポイントを語ってもらう連載です。

『かすかな光へ』

放射能の「ほ」の字も原発の「げ」の字もない3・11映画

ウネリ さあ、いよいよこの企画も最終回になりました。きょう取り上げる作品は……。

【作品紹介】(配給会社ウッキー・プロダクションの公式HPから引用)
 
『かすかな光へ』(2011年/日本/監督:森康行/製作:ひとなるグループ)
公式サイト
 
90歳を過ぎてもなお、生きることや学ぶことの意義を精力的に問い続けた教育研究者・大田堯(1918~2018)の挑戦を追ったドキュメンタリー。経済大国となりながらも他者とのつながりが希薄となり、不安と混乱に満ちた現実の中で、過酷な戦争体験や、敗戦直後に取り組んだ「民衆の学校づくり」とその挫折、高度経済成長期に国を被告とした家永教科書裁判などを経て【命の特徴】~ちがうこと・自らかわる力を持っていること・関わりのなかでしか生きられないこと~を説き続け、人はどのように生きるべきなのかを探る彼の姿を映し出す。

ウネリ 教育学者のドキュメンタリーですね。とても感銘を受けましたが、「映画から考える3・11」というシリーズで紹介するのは少し意外でした。

阿部 これを入れなかったら、根本的なところが抜けてしまう気がします。私は、この作品は放射能の「ほ」の字も原発の「げ」の字もない放射能の映画であり、原発の映画だと思っているんです。

ウネリ ふむふむ。まずは作品について触れていきましょう。映画は太平洋戦争から大田氏の半生を掘り起こします。1944年8月、日本兵を乗せた船が南方の海で米軍の魚雷を受け、沈没した。生き残ったのは乗員4520名のうち1800名余り。生存者の中に、東京帝国大学大学院で教育学を学び、一兵卒として召集された大田氏がいました。

【シーン解説】①
 
船の生存者はインドネシアのセレベス島(現スラウェシ島)にいた日本兵に救出され、ジャングル生活に入った。大田氏によると、生き残るために力を発揮したのは農村や漁村の出身者たち。大学で得た学問は有用ではなかったと、本人自らが振り返る。
 
「農民兵や漁民兵が持っているのは身に付いた知恵なんです。鮮明に身に付いた知恵と、ただ詰め込んだだけの知恵というものの対比が鮮やかなんですね。俺は一体なんのために生きているんだっていう思いになるわけね」

ウネリ 映画が戦争体験から始まるのは、ここに大田氏の教育学の原点があると考えたからでしょうね。

阿部 若い頃にこうした経験をしたことが大田さんの財産になっているのだと思います。謙虚さ、ですよね。「教育」とは、上から目線で一方的に教え導こうという「教化」ではない。むしろ、共に育ち育てる「共育」である。そういった教育観の原点になっているのだと思います。

教育研究者の大田堯さん ©ひとなるグループ

チラシの重さから分かる現代社会の歪み
【シーン解説】②
 
大田氏は毎週土曜日、新聞に挟まれている広告チラシの重さをはかる。なぜそんなことをするのか。自身がインタビューに語る。

「広告が物語っているのは、『ここにおいしいものがありますよ』とか、『住みやすい家がありますよ』とか。生活のあらゆる部分について、私の欲望を開発してくれるわけですよ。そういう風に欲望が開発されて肥大しますと、おのずと自己中心になってしまうんですね。(中略)自分の欲望を満足するところに集中するというね。そういう状態が起こっていると思うんですね。簡単に言えば孤独化現象ということ。バラバラになっているという問題だと思うんですけど」

阿部 新聞の広告の重さを量るという大田さんの行動は、資本主義社会に対する強烈な皮肉だと思います。消費することによってしか成り立たない生き方、消費させることによってしか成り立たない社会。それが果たしていいのか。そして、そういった社会を成り立たせる一つが原発なのだと私は思います。

ウネリ ここで話が原発に来ましたね。たしかに、少なくとも表向きは、経済発展のために原発が建てられました。福島原発が爆発したとき、「我々の社会は限界点に行き着いたのでは」と考えた人は多いのではないでしょうか。

一番大切なのは命だ

阿部 資本主義は失敗しつつある。では、どうするかと言ったら、「一番大切なのは命だ」というところからやり直す以外にないと私は思います。これをベースに置いた上で、社会の仕組みを考えようということだと思うんです。
 原発事故を経験した親としての考えです。あの時、仕事も人間関係もなくすかもしれないけど、子どもだけは守りたいと思い、妻子を自主避難させました。それは10年たった今も寸毫たりとも後悔していないです。
 当時は「とにかく子どもを守りたい」の一心でした。自分の子どもばかりではありません。3・11の直後は、普通に登園・登校している幼稚園児、小学生が福島市内を歩いているのを見ているだけで、涙が出てきたんですよ。なぜかと考えると、世代的に申し訳ないと思っているわけです。私たちの世代が原発事故を起こしてしまったと……。福島の人は少なからずそう感じていたはずです。

ウネリ そうなんですね……。

阿部 原発事故が何を問題意識として私たちに突きつけたかといったら、「大事なのはカネや経済なのか、それとも命なのか」ということだと思います。被災当事者としては、命についてこれほど考えさせられる機会はなかったです。
 3・11から10年おいて今、新型コロナウイルスの感染拡大問題が起きています。コロナの場合、経済システムの維持か、医療を崩壊から守るのか、ということを迫られています。カネなのか命なのか。原発事故の時に自主避難の問題が起きたことと通底するものがあると思います。大田さんが90年以上生きて培った教育観も、「命」がキーワードです。

【シーン解説】③
 
映画は後半、老境に達した大田氏の講演の様子を紹介する。大田氏は聴衆に向かって「基本的人権だとか個人の尊厳と言われたって、それは一体どういうことなのか」と問いかけながら、自ら答えを探していく。
 
「基本的人権。字引にどう書いてあるかと言うと、『生まれながらにして有する権利』と書いてある。生まれ出るのは命である。命の特徴というものを考え直してみたら基本的人権という言葉を解きほぐしていくことができるのではないか」

ウネリ 大田さんが講演で、絵本『はらぺこあおむし』を紹介する場面がありました。あおむしが誰の力も借りず、さなぎからきれいな蝶になる。大田氏はこのページを開き、「自らの力で変わっていくという、生き物ならではの力がある」と強調していました。命の特徴を見事にとらえた印象的な語り口でした。

©ひとなるグループ

「復興」とは「教育」である

ウネリ 昨年夏、この連載企画の打ち合わせをした時のことを思いだします。取り上げる作品のラインナップを決める時、私は「復興とは何か?」とか「3・11後の社会の構想」とかをテーマにしたい、と話したと思います。そのテーマに即した作品ということで、すぐに『かすかな光へ』が挙がりましたね。

阿部 そもそも「復興」という言葉自体がよく分からないんですが、強いて言えば、復興とは教育なんだと思います。「一番大切なのは命だ」という、言わば「生命主義」をこれからのパラダイムにしなければならない。それには少なくとも二世代かかります。私の世代ではもちろん無理だし、私の子どもの世代でも無理でしょう。自分の子どもが孫に対して教えるところから始まるような気がします。

ウネリ そうですね。福島第一原発の跡地が再利用できるには100年以上かかると言われています。原発事故の処理だけを考えても、何世代もかけて取り組まなければならない。社会の仕組みを変えるという意味でも、少なくともそれくらいの時間軸で考える必要がありそうです。

聴衆を感動させた94歳の教育学者

ウネリ 先ほどの講演のシーンですが、大田さんの話は本当に分かりやすい。大学者のはずですが、難しい言葉は使わず、誰にでも通じるように話します。ごく軽い口調で話すけれども、中身が濃い。

阿部 『かすかな光へ』をフォーラム福島で上映した時、大田さんに来ていただいてトークイベントを開いたのですが、圧倒されましたね。原稿なしですらすら話して、「あの~」「その~」といった言葉が全く出てこない。話した言葉をそのまま文章にできる。「この人はどんな頭をしているんだ」と、舌を巻く思いでした。

ウネリ 上映会は2012年10月でしたね。その時の様子を教えてください。

阿部 映画館はもちろん満席でした。大田さんは当時94歳です。スニーカー履きで登壇し、最初に「事故を止められなかった世代として、皆さんに心よりおわびします」と話しました。そして、日本が欧米列強に追いつこうとする過程で戦争を起こし、それが戦後の経済成長を経て原発事故につながったことを語り起こしました。内容としては初めて聞く話じゃない。でも、説得力が全然違いました。

ウネリ さまざまなことを経験した上での言葉は、やはり重い。

阿部 司会進行役だった私も、つい大田さんの話をいつまでも聞きたくなっちゃって、「もう一言」「もう一言」などと促しました。最後には、大田さんから「もうこのへんで、いいでしょう」と笑顔でたしなめられてしまいました。

ウネリ それだけ魅力的な人だったのですね。

阿部 企業経営者が駅から映画館までの送迎役を買って出てくださったり、かつて大田さんに師事していたという福島大学の教授が上映会に来てくださって、お二人が再会を喜んで子どものようにハグする場面があったり。本物の学者はいくつになっても孤独にならないんだな、と感じました。3・11以降たくさんの方が福島を訪れましたが、私の印象に強く残っているのは大田さんとヴィム・ヴェンダースの二人です。やっぱり大田さんが一番かな。

「スッキリ生きる」ために

ウネリ 作品に戻りますが、大田さんが理想としてかかげる教育の目標はとても高く、現実的には挫折の連続だったのではないでしょうか。今も学校では全国学力テストが実施され、新聞にはチラシがどっさりと挟まれています。消費社会は相変わらずで、人間の孤立は深まるばかりのように私には見えます。でも、この作品のよさは、その難しいところに近づいていこうという前向きな気持ちをもたせてくれる点だと思いました。

【シーン解説】④
 
映画のラスト。長年の活動を振り返る映像をバックに、ナレーターが大田氏の文章を朗読する。『かすかな光へ』というタイトルの意味がここで明らかになる。
 
「違うこと、自ら変わり続けること、そして新しい関わりを作り出し続けること。そういう命の特徴の上に立って、一人ひとりが世の中に生きる手ごたえを分かち合う。私のあこがれはそんなものかと考えています。現実の無機的社会の中から垣間見える『かすかな光』とも言うべきでしょうか。それへの道はとてつもなく遠く、かつ困難を持っていることは分かっているつもりです。ですが、どんな小さなことでもいいから、その光の方へ一歩一歩進めることが、その困難を喜びへと変える足掛かりであるのではと考えています」

阿部 大田さんは90代になってもさいたま市の自宅で勉強会、サークル活動を続けます。早朝に家の前をほうきで掃き、近所の人と挨拶を交わします。コミュニケーションがうまい。
 
ウネリ 勉強会やサークル活動を通じて、身近なところから教育の理想像を追求し続けた。すごいですよね。

©ひとなるグループ

阿部 冗談ぬきで、映画を観ていたら「大田さんみたいになりたい」と思いましたよ。大田さんには「確信」があります。民衆の中に溶けこんで、地域に根差し、コミュニケーションを大切にする。自分ひとりができることは小さいけれど、それ以外に世の中を変える方法はない、という確信です。そういう確信があるから、大変なこと、つらいことがあっても肝心なところでスッキリ生きることができる。

ウネリ 「スッキリ生きる」という言葉は、阿部さんが3・11後の日々を語るときに頻繁に使う言葉ですよね。

阿部 最終的に人間はスッキリ生きられるかどうかだと思うんです。私は妻子を自主避難させる道を選びました。周囲からどう見られるか分からないし、生活も楽ではなくなりましたが、子どもを守るというベース、確信の部分はしっかりしていたので、スッキリ生きることはできていると思います。

ウネリ この『かすかな光へ』は主に自主上映の形で細々と広がっていますよね。映画館での展開に比べれば、観ている人は少ないのではないでしょうか。内容がすばらしいのに、もったいない気がします。

阿部 だけど、この作品は古びないと思いますよ。何か問題が起きた時に、誰かが掘り起こして、テキスト(考える材料)にするでしょう。風霜に耐え得る作品です。

*****

 昨年11月から隔週で続けてきた連載「映画から考える3・11」は、今回で終了します。読んでくれた皆さん、本当にありがとうございました。
 東日本大震災と福島原発事故のことを学びたい。真剣に。でも、あまり気負わずに。そんなコンセプトで始めました。ウネリウネラが福島に引っ越してきたのは昨春のこと、地元の映画館「フォーラム福島」の阿部泰宏支配人と出会ったのは風薫る5月のことでした。それ以来、うだるような暑さの夏も、雪が降りしきる冬も、私たちは映画館の事務室で3・11映画について語り合いました。気がつくと、発災から10回目の3月11日が近づいています。
 連載第1回では、土本典昭監督の『原発切抜帖』(1982年)を取り上げました。この作品のテーマは、「人間は忘れやすい」でした。10年を境に、東日本大震災と原発事故を「過去のもの」とするのか。そこから学べることは何かを考え続けるのか。おおげさな言い方をすれば、ここが日本社会の分かれ道の一つであるような気がします。
 阿部さんというすばらしい「案内人」のおかげで、ドキュメンタリーからエンターテインメントまで、多彩な作品を紹介できたと思っていますが、皆さんはいかがでしたか? 「あの作品も紹介してほしかった」、「この映画についても阿部さんの感想を聞きたい」、などのご意見がありましたら、ぜひマガジン9編集部ウネリウネラにお寄せください。なんらかの形での配信を考えたいと思います。
 実は阿部さんもウネリウネラもまだまだ紹介したい作品がありますので、連載終了後いきなり「番外編」として書きます! これからもよろしくお願いします。

(ウネリ)

阿部泰宏(あべ・やすひろ):1963年福島市生まれ。市内の映画館「フォーラム福島」で30年以上働き、現在は支配人を務める。社会派・独立系の映画をこよなく愛する。原発事故で福島市内の放射線量が上昇したため、妻子を他県に避難させた被災者でもある。2011年6月以降はフォーラム福島で〈映画から原発を考える〉という上映企画を続け、3・11を風化させない取り組みを続けている。

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ウネリウネラ
元朝日新聞記者の牧内昇平(まきうち・しょうへい=ウネリ)と、パートナーで元同新聞記者の竹田/牧内麻衣(たけだ/まきうち・まい=ウネラ)による、物書きユニット。ウネリは1981年東京都生まれ。2006年から朝日新聞記者として主に労働・経済・社会保障の取材を行う。2020年6月に同社を退職し、現在は福島市を拠点に取材活動中。著書に『過労死』、『「れいわ現象」の正体』(共にポプラ社)。ウネラは1983年山形県生まれ。現在は福島市で主に編集者として活動。著書にエッセイ集『らくがき』(ウネリと共著、2021年)、ZINE『通信UNERIUNERA』(2021年~)、担当書籍に櫻井淳司著『非暴力非まじめ 包んで問わぬあたたかさ vol.1』(2022年)など(いずれもウネリウネラBOOKS)。個人サイト「ウネリウネラ」。【イラスト/ウネラ】