第7回:福島の人びとの証言を聴く『福島は語る』(ウネリ・牧内昇平)

東日本大震災からまもなく10年が経とうとしています。原発事故が起きた福島県には、いまだに人の住めない場所もたくさんあり、さまざまな形で被害は続いています。しかし、時間が経つ中で記憶が薄れてきた人、もともとよく知らないという人もいるのではないでしょうか。震災や原発事故について学びたいけれど、ぶ厚い本を読む気にはなれない……そんな人におすすめなのが「映画」です。
福島県福島市の映画館「フォーラム福島」で支配人を務める阿部泰宏さんは、3・11後、原発や震災をテーマにした上映企画を粘り強く続けています。阿部さんを案内人として「いま観るべき映画」を毎回ピックアップしてもらい、そのポイントを語ってもらう連載です。

『福島は語る』

ウネリ 今回は原発事故被害者たちへのインタビューを集めた作品です。観ながら何回もため息をついてしまいました……。

【作品紹介】(公式サイト上に掲載されている土井敏邦監督のメッセージから引用)
 

『福島は語る』(2018年/日本/監督:土井敏邦/配給:きろくびと、ピカフィルム)
http://www.doi-toshikuni.net/j/fukushima/

原発事故から8年が過ぎました。日本は、2020年の東京オリンピックに向けて浮き足立ち、福島のことは「終わったこと」と片づけようとしているように感じます。しかし、原発事故によって人生を変えられてしまった十数万人の被災者たちの心の傷は疼き続けています。100人近い被災者たちから集めた証言を丹念にまとめました。その“福島の声”を、忘却しつつある日本社会に届けたいと願い、この映画を制作しました。

2018年 土井敏邦

阿部 はい。フォーラム福島では計3回上映しています。最初は2018年の8月に一日限定で上映しました。当時はまだ完成したばかりで配給会社がつかず、土井さんがご自分で映像素材を持って各地を回っていた状態でした。上映会を開いてみるとほぼ満席で、評判はとてもよかったです。そこで翌19年3月、配給会社がついてから改めて一週間上映しました。これらは2時間50分の「劇場版」ですね。そして、最近(2020年12月)には5時間超の「完全版」を1日限定で上映しました。

ウネリ やはり福島の人びとにとっては大切な映画なのですね。「劇場版」には14人の証言が収録されていますが、実際にはもっと撮影しているんですか。

阿部 100人近くにインタビューされたそうです。

ウネリ すごい……。

阿部 撮影に4年弱かかっています。土井さんは横浜在住です。ペーパードライバーでしたが、教習所に行って運転を練習しなおし、30万円の中古車を買って、車中泊しながら福島に通ったそうですよ。

ウネリ まさにジャーナリスト魂ですね。執念を感じます。最も印象に残っている証言はどなたですか。

阿部  私はやっぱり、冒頭に出てくる女性ですね。自主避難者の一人として、心をつかまれました。

カメラがとらえた原発事故被害者たちの声
【シーン解説①】
 
1988年生まれ、福島県郡山市に住んでいたOさんの証言。原発事故後、幼い子ども2人を連れて新潟へ母子避難した。仕事がある夫は福島県内に残り、週末ごとに新潟に通った。だが、しだいに夫婦間に溝が生まれていった。

「洗濯物とかも1週間分持って帰ってくるし、あたしが週末に洗って乾かして持たせてました。ごはんとかも2、3日分は作って持たせていました。負担が増えるんですよ。結局、旦那が来ると。だから私も、嬉しいのか嬉しくないのか分からなくなってくるんですよね」

「子どもを守りたいのは一緒なのに、守る方法が違う。私は健康を気にしたいから、福島から逃がしたい。パパは子どもは守りたいけど、健康じゃなくてお金の面で守りたい。だから仕事は辞められない」

阿部 20代の人、高校生の人が聞いても深く共感できる話ではないかなと思いました。子どもを守りたいという気持ちは一緒なんだけど、夫とは方法論が違うし、価値観も違う。3・11の前と後では、夫婦関係に微妙だけど決定的な変化が生まれてしまった。そこを彼女は語っています。これは誰にでも理解できる身近な問題だと私は思います。
 夫婦であろうと親子であろうと、ある程度のペルソナ(仮面)はもともと必要なのだと思います。本音だけでは人間関係は永くはつづかない。ある程度の建前は必要です。

ウネリ 普通ならばお互いの仮面の下の素顔は直視しなくても済むのに、福島では3・11によって、その仮面が無理やりはがされてしまった。

阿部 そうです。被ばくをめぐるデリカシーの問題が二人の考え方の相違を露わにしてしまい、夫婦関係に微妙なひびを生じさせてしまったんです。

郡山から新潟に自主避難し、夫との関係に苦しむOさん(撮影:土井敏邦)

ウネリ この女性は話しているうちに思いがこみ上げてきて、洋服のそでで涙をぬぐったり、ティッシュで鼻をかんだりしながら話し続けます。土井さんはカメラをほとんど動かさず、アップで彼女の顔を撮り続ける。インタビューって普通、ミディアムショットやバストショットを使いますよね。頭のてっぺんから机に置かれた手までスクリーンに入るような。この映画の場合、証言者の顔だけです。まさに『福島は語る』。人びとの声を伝えようとする土井さんの意志を感じます。ほかに印象深い人は?

阿部 双葉町の小学校の先生だった方ですね。

【シーン解説②】
 
1969年生まれ、小学校教諭のOさんは双葉町内の小学校に勤めていた。原発事故後、避難先の会津若松市内の小学校で再び教鞭をとった。同じように避難してきた被災地の子どもたちと学校で接してきた経験を語る。

「(子どもたちは、避難先では双葉のことを)語れません。それは無理なんです。親友と思って話している子たちに『放射能』って言われたり、(態度が)急変するのをずっと見てきているじゃないですか。(子どもたちは)前向きなんだけど、それは言わないほうがいいと分かっている」

「3月11日は学校には居られないので逃げる。年休をもらって休む。そのへんをドライブしています。(担任していたクラスに被災地の子どもが多かった年は)私だけが逃げるわけにもいかなくて、『この子たちと学校を出ていいですか』と校長に話をしました。どの学校もその時間に黙祷する。私たちとしては、わざわざ思い出すことをしてほしくないのに。でも、(避難先の学校は)当事者じゃないから、思い出すことをしなくちゃいけない」

阿部 この先生の話しぶりは、すごく共感できます。

ウネリ どういうところが?

阿部 この先生はとても軽妙に語るじゃないですか。3月11日に子どもたちを連れてドライブに行ってコンビニでアイスを食べた話とか、聞いていて面白いくらいです。でも、その話の中から滲み出してくるのは抜き差しならない状況です。被災者っていうのは、自分も含めて意外とこういう人が多いと思います。シビアな状況に追い込まれているが故に、むしろ明るく飄々としか語れないというところがあると思うんです。

ウネリ ふむふむ。

阿部 被災者が24時間、重い顔、暗い顔をさらけ出しているわけではありません。避難先ではずいぶん快活に振舞うんですよ。私は妻子を京都に避難させましたが、妻子の顔を見に行った時、地元で懇意にしてくれている方にお茶によばれたら、福島の話はしなかったです。むしろ京都の名所などの話で盛り上がって、楽しい気分で過ごそうとします。福島の暮らしでの悩みなんて、聞かれてもあまり言う気にはなりませんね。京都に行った時くらいは忘れていたいという気持ちもありますし、信頼できるなと思った人に本音で話して、「あれ」っていう反応が返ってきたこともありますので。

ウネリ たとえば。

阿部 国や行政の対応について疑問や批判をいうと「なぜ福島のことを悪くいうのか」と言われたり、被ばくに対する不安を吐露すると「その程度だったら大丈夫じゃないのか」と言われたり、とかね。

ウネリ そうしたら嫌な気持ちになりますよね。

阿部 娘の場合、京都の学校では本当に仲のいい友達にもよほどのことがない限り福島のことを話さなかったそうです。伝わらないことの怖さです。特に、仲がいい人に話す場合、こちらが下手に期待しているので失望感が二倍になるじゃないですか。だから話さないでおこう、となる。映画に出てくる快活な先生に関連して、そういうことを思い出しました。

きれいごとではない人びとの本音

ウネリ 連載第4・5回で紹介した『たゆたいながら』も人びとの声を丁寧に拾っていると思いますが、あの作品は福島市にフォーカスが当たっているじゃないですか。『福島は語る』という作品には、原発があった双葉町の人も登場します。また、内陸部だけど放射性物質の影響で生業に深刻な影響が出た田村市船引町の農家の方なども登場しています。福島県全体の広い範囲の人びとのことを知ることができて、勉強になりました。たとえば、こんな人もいましたね。

【シーン解説③】
 
1943年生まれのWさんは福島県葛尾村に住んでいたが、原発事故の影響で同県会津若松市に避難を余儀なくされた。避難先で、地元の人の心無い言葉に傷つく。

「精神的に参りましたね。こっちに来てお友達もできたんですけど、その方の一人から『毎月10万円ずつもらってっぺ。それ、我々の税金から出てんだよな』って言われて……。それがきっかけで、ガタガタっと……」

「今でも悔しいです。口に出した本人はそんな悪気で言ったわけじゃないと思うんですけども、やっぱり当事者の私としてはグサッときましたね。誰も好きこのんでこんな状態になっているわけじゃない……」

阿部 福島県内ではずっと横たわっている生々しい問題です。

ウネリ 原発近くから避難した人と、避難を受け入れた地域の住民との軋轢ですね。

阿部 人間の偏狭さを思わされます。私自身も正直言ってこういう偏狭さから完全に自由ではないと思っています。私が住む福島市内など「中通り」(内陸部)の地域は、「浜通り」(太平洋沿い)の一部地域に比べても明らかに放射線量が高かった。でも、行政からの支援はほとんど何もなかった。これはおかしいなと、私も日々思っていました。
 近所のカフェのマスターが言っていましたよ。「人間は結局、隣が一万円でも多く補償をもらっていれば、それで頭がいっぱいになってしまう生き物なんだよな」って。その通りで、それが人間のどうしようもない性(さが)だと思います。

ウネリ 本当は同じ被災者なのだから、一緒になって行政に補償を求めていくべきなのでしょうけれど……。

阿部 人間はどうしても怒りを横に向けてしまうところがあるのではないでしょうか。でも、この方(Wさん)が涙ながらに語るのを見ると、こちらも我に返るところがありますよね。当たり前のことですが、浜通りから避難してきた方々は家を失い故郷を失っている。補償金をもらっているからと言って、けっして自分たちの置かれた状況をよかったと思っているわけじゃない。

ウネリ あの方の話には心を打たれました。鈍感な人からすれば、「そんな理不尽な言葉には耳を傾けるな」ということかもしれません。でも、繊細な人にとっては、ああいった心無い一言が後々もずっと尾を引きます。

阿部 住民同士の気持ちの行き違いというのは、新聞などでは普段なかなか表に出ないじゃないですか。でも、そういう身近な生活レベルの葛藤が見えないと、本当のところは伝わらないんだと思います。『福島は語る』は、そこに着目しています。

ウネリ きれいごとではなく、人びとの本音が聞こえてくるように思いました。

心の奥底の言葉を届ける

阿部 土井さんは100人近くにインタビューしたと言いましたよね。いろんな証言がある中で、「劇場版」に登場する14人をどうやって選んだかというと、「ぼくの心に届くかどうかを目安とした」と話していました。土井さんは「原発は是か非か」とか、事故時の東電や国の対応について怒る言葉よりも、自分の人生がどう変わってしまったかとか、奥底の葛藤を赤裸々に吐き出す人の言葉に惹きつけられたと言っています。

ウネリ うんうん。

阿部 いわゆる「論客」や、インタビュー慣れしていて理路整然と証言してくれる人の言葉は心に届かなかった。追い込まれた人たちがカメラの前に立った時に思わず吐き出してしまった、証言者自身も予期せぬ言葉。その言葉が心に迫ってくると、土井さんは言います。

ウネリ そうした証言を引き出すのが難しいんでしょうね。

阿部 土井さんは、証言者が語るに任せて撮り続けるそうですよ。編集時も言葉を切り貼りしようとせず、なるべく生の声をそのまま届けようとしています。2時間50分という「劇場版」の上映時間は十分に長いですけど、土井さんにとっては「これ以上切れない」という長さなのだと思います。象徴的なのは、子を失った飯舘村の男性へのインタビューです。

息子さんを亡くした飯舘村のSさん(撮影:土井敏邦)

【シーン解説④】
 
Sさんは1949年、福島県飯舘村の長泥地区に生まれた。石材業を営んでいたが、原発事故で全村避難となった。避難が長期化する中で、家業を継ぐ予定だった息子が体調を崩し、亡くなった。まだ35歳だった。

「(自分を)責めたときもありましたね。言葉では言えないですよ」

「こんな狂った人生になるとは、夢にも思わなかった……」

阿部 この男性の場面はなんと40分も使われています。土井さんはこの男性の言葉に全面的に共感したのでしょう。男性は息子さんが亡くなった時の状況を詳しく話し、そのうえで「誰にも言ってないですよ」と土井さんに打ち明けます。恐らくインタビューを受けると決めた時も、カメラに向かってここまで話すつもりはなかったのではないでしょうか。

ウネリ それが、取材を受けているうちに、心の中にある思いがあふれ出てきてしまった。

阿部 予期しなかったコミュニケーションが二人の間に生まれたのでしょう。これが、「証言者自身も予期せぬ言葉」です。だから撮影した土井さんも「ここは絶対に短くできない」という気持ちになった。自分にここまで胸襟を開いてくれたという感謝と、子をなくした悲しみへの共感ですよね。この二つが土井さんを激しく揺さぶったのだと思います。

ウネリ そうですね。この男性のシーンは見ていて非常につらかったです。「なぜこの人がこんな思いをしなければならないのか」と、強く憤りを感じました。

阿部 あれは映画としてどうなんだと言われたら、「映画じゃない」と言わざるを得ない(笑)。というくらい、1人に40 分という時間を割くのは作品のバランス的にはどうしてもおかしい。でも、土井さんにとって原発事故の罪深さを物語るのは、こういう人たちのこういう証言、涙とか懊悩、葛藤だということですね。

映画監督ではなくジャーナリストの作品

ウネリ 監督の土井さんはどんな方ですか。

阿部 つくづく謙虚。自分に厳しい人です。フォーラム福島では上映後にトークイベントを開催していますが、いつも印象深い内容になります。初上映の時はこう言っていたのを覚えています。「私は今、福島の皆さんの前で話すのがすごく怖いです。どんな批判も甘んじて受けますし、思ったことをどんどん言ってほしい。ここがダメだ、あそこがダメだと言ってくれれば、私は直します」と言いました。とても驚きました。

ウネリ へえー。

阿部 たいていの監督が「怖い」とおっしゃるんです。自分の作品が福島の人を傷つけていないか、もしくは「あなたは何も分かっていない」と言われてしまうのではないか、ということで。

ウネリ しかし、「おかしなところを指摘してくれれば直します」と言う監督はいないですよね。

阿部 これは映画ではなくルポルタージュという位置づけなんだなと強く思いました。上映会で「映画監督の土井さん」と紹介したときも、土井さんは「映画監督ではなくジャーナリストです」と言い直していましたから。トークではこんなことも言っていましたよ。「今後、出演者の方から『自分を作品から外してほしい』と言われれば、私は即座に外します」。

ウネリ それは、びっくりです。

阿部 たとえば森達也さんは、「いったん撮ったものは本人にもいじらせない。ボカシやカットも拒否する」と言いますよね。これが普通の“映画監督”のスタンスだと思います。匿名にしたりボカシを入れたりしたら、それはテレビだ。もちろん、そのぶんのリスクは自分で背負うけど、作品はいじらせない。それが、いわゆる“映画監督”がつくる映画です。でも土井さんは違う。「柔軟に対処する」と公言している。土井さんが自らを「映画監督ではなくジャーナリスト」と言う理由が分かる気がします。

ウネリ トークでのお客さんの反応はどんな感じだったですか?

阿部 活発な議論が行われましたよ。客席から次々に質問や発言が出てきました。映画への批判もありました。節度を保つのがああいう場でのトークなのですが、映画に出てくる人と同じような心持ちで自分のことを話し出したんです。誰でも本音で話していい、という気持ちにさせる映画なんだなと実感しました。私自身、非常に楽しいトークでした。

ウネリ 『福島は語る』という映画の鑑賞をきっかけにリアルの場で語り合いが始まる。印象深いですね。

土井敏邦監督(写真提供:土井敏邦さん)

顕在化していない福島の問題を提示する

阿部 この作品について付け加えておきたいのは、あえて原発の是非に踏み込まなかったことです。「反原発」、「脱原発」という言葉が一回も出てこない。そこに土井さんの戦略がありました。彼はおよそ30年もパレスチナ問題を取材している人ですが、遠い中東の問題を日本にどう伝えるか、こんな趣旨のことを土井さんから聞いたことがあります。
 「ハマスがどうしたとか、イスラエルの政策の変遷とか、そんなことを説明したって関心を持ってもらえない。ある日突然、爆弾でバラバラになった我が子との思い出を語る親の姿。それを伝えることで、初めて観る人の琴線に触れることができる。そういう切り口でなければ共感を得られない」と。私もそう思います。
 あと、『福島は語る』には、田畑が汚染されて苦しむ農家の方も出てきますよね。低線量被ばくや避難の問題だけではない。農作物の風評被害もある。忘れ去られようとしている福島の問題を俎上に乗せてくれる導き手のような作品だと思います。

ウネリ 私は最近、双葉町にできた「東日本大震災・原子力災害伝承館」という施設の取材をしています。この施設、一言でいえばダメなんです。震災と原発事故の「伝承」と言っておきながら、被災した人びとの息づかいがほとんど伝わってきません。『福島は語る』のような作品を各地で上映し続けたほうが、よほど「伝承」になるのではないかと思いました。

阿部 私も「伝承館」について話そうと思っていました。あの施設で被災体験を語ってくれるボランティアの「語り部」たちが、東電や国の批判を禁じられている問題がありましたよね。

ウネリ いわゆる「語れない語り部」問題ですね。

阿部 『福島は語る』の上映後のトークで、証言者の一人として作品に登場する武藤類子さんがこう話していたのを覚えています。「語れる時に語っておかないと、語れない時代が来るかもしれない」と。2018年のことです。聞いていた私はその時、実はピンときてなかったんですけど、今になってみると伝承館の語り部の問題と重なる部分がある気がします。

ウネリ 私たちも、語れるうちに語っておかないと、ですね。

阿部 ははは。

***

阿部泰宏(あべ・やすひろ):1963年福島市生まれ。市内の映画館「フォーラム福島」で30年以上働き、現在は支配人を務める。社会派・独立系の映画をこよなく愛する。原発事故で福島市内の放射線量が上昇したため、妻子を他県に避難させた被災者でもある。2011年6月以降はフォーラム福島で〈映画から原発を考える〉という上映企画を続け、3・11を風化させない取り組みを続けている。

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ウネリウネラ
元朝日新聞記者の牧内昇平(まきうち・しょうへい=ウネリ)と、パートナーで元同新聞記者の竹田/牧内麻衣(たけだ/まきうち・まい=ウネラ)による、物書きユニット。ウネリは1981年東京都生まれ。2006年から朝日新聞記者として主に労働・経済・社会保障の取材を行う。2020年6月に同社を退職し、現在は福島市を拠点に取材活動中。著書に『過労死』、『「れいわ現象」の正体』(共にポプラ社)。ウネラは1983年山形県生まれ。現在は福島市で主に編集者として活動。著書にエッセイ集『らくがき』(ウネリと共著、2021年)、ZINE『通信UNERIUNERA』(2021年~)、担当書籍に櫻井淳司著『非暴力非まじめ 包んで問わぬあたたかさ vol.1』(2022年)など(いずれもウネリウネラBOOKS)。個人サイト「ウネリウネラ」。【イラスト/ウネラ】