番外編:まだまだあります! “これは見ておきたい”3・11映画(ウネリ・牧内昇平)

原発事故が起きた福島県には、いまだに人の住めない場所もたくさんあり、さまざまな形で被害は続いています。しかし、時間が経つ中で記憶が薄れてきた人、もともとよく知らないという人もいるのではないでしょうか。震災や原発事故について学びたいけれど、ぶ厚い本を読む気にはなれない……そんな人におすすめなのが「映画」です。
福島県福島市の映画館「フォーラム福島」で支配人を務める阿部泰宏さんは、3・11後、原発や震災をテーマにした上映企画を粘り強く続けています。阿部さんを案内人として「いま観るべき映画」を毎回ピックアップしてもらい、そのポイントを語ってもらう連載。今回は番外編です。

ウネリ 終わったはずの連載ですが、「番外編」をさせてください。もっと多くの人に知ってほしい作品がたくさんあるからです。今回は特に若手・中堅の監督による話題作、意欲作を6本、一気に紹介します。アート系の作品も多いので、聞き手にはウネリウネラのアート担当、ウネラ(牧内麻衣)も加わります!

『息の跡』
【作品紹介】(DVDの作品紹介から抜粋)
 
『息の跡』(2016年/日本/監督:小森はるか/配給:東風)
公式サイト
 
岩手県陸前高田市。荒涼とした大地に、ぽつんとたたずむ一軒の種苗店「佐藤たね屋」。
津波で自宅兼店舗を流された佐藤貞一さんは、その跡地に自力でプレハブを建て、営業を再開した。

ウネリ この映画はかなり印象が強かったです。冒頭から不思議感が満載ですよね。三陸の復興道路を、車がビュンビュン通っている。津波に流された土地は更地となり、歩いている人がほとんどいない。そんな殺風景なところにぽつんと一軒、「種屋」が開いている。なぜ、こんな場所に種屋さんがあるのか。このおじさんは何を考えているのか。頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになる。

阿部 種苗店の商売を再開する一方で、佐藤さんは独学で英語の勉強を始めます。それは震災の記録や思いを、英語で書くためです。そして、なんと英語の手記を出版してしまいます。すごいですよね。その佐藤さんの日常を追いかけたのが『息の跡』です。

ウネリ 佐藤さんの家族は無事だった。でも、元の家は流された。柱一本残らなかった。小森監督に語った言葉が印象的でした。

「俺のものはなにひとつねえんだ。当然泣きはらしたよ。なに一つ、ねえんだもん。で、ちょこっと行ったところに、柱が立っている家があったのよ。それ見て、あの家は柱があってよかったなあって、うらやましいと思うんだよ。柱しか残ってねえわけだから、同じなんだよ。でも、柱が立っていれば、うらやましいって思うわけよ。(中略)だけども、私たち被災者は、そうやってひとのことをくらべ合ったって、満足するもんじゃねえのさ。私たちはすべて同じように悲しいんだ。遺体安置所ですべて同じように泣いてるんだ。けれどもそれぞれの人びとの苦しみは違っていて、それぞれ深くて、異なるものだ」

阿部 表面上はあっけらかんと暮らしていますが、やはり心に相当深い傷を負っていることがわかります。子どもの頃から慣れ親しんできた世界が一変してしまい、親しい人も亡くし、集落も何もかも失った。心の中はナイーヴさに満ちています。

ウネリ ラストがよかったですね。震災後の三陸の風景を、小森監督はカメラを動かさず静かに撮り続ける。音声はなし。そこに佐藤さんの手記から引用した字幕が重なる。

〈母国語で書くことはできなかった。日本語だとあまりにも悲しみが大きくなるから。「泣きの涙」「もぞやなあ」。どの言葉も感情的で曖昧だ。不得意だったが私はあえて英語で書くことを選んだ。曖昧な表現を避けるため、そして書く事で痛みから逃れるため〉

阿部 うん。ここがいいですよね。日本語で話せないというのは、すごく分かる。感情に負けちゃうわけですよ。ほかの言語で話すほうが、自分の気持ちを正直に出せる。冷静に語れる。私も分かる気がします。

ウネリ 監督の小森はるかさんはどんな人ですか。

阿部 東京芸大を卒業した美術家です。震災後、仙台を拠点にして三陸に通いつめて、この作品を撮ります。2、3年かけたのかな。限られた条件と経費の中で、ほとんど知恵とアイデアだけでこういう映画を作っている。すごいと思います。今の時代だからできるという側面もある。デジカメやパソコンがあれば一人で映画を作れる時代ですから。

ウネリ 小森さんはいま、『空に聞く』、『二重のまち/交代地のうたを編む』が公開中ですね。津波被災地の撮り手として、欠かせない存在になってきていると思います。

ウネラ 佐藤さんという人物の魅力ははかりしれないですよ。実はギター演奏にこっていて、YouTubeで配信しているんですよね。私はチャンネル登録して聴いています。もはや佐藤さんの「追っかけ」ですね。

『典座』
【作品紹介】(公式サイトから抜粋)
 
『典座』(2019年/日本/監督:富田克也/配給:空族)
公式サイト
 
10年前、本山での厳しい修行期間を終えた河口智賢(チケン)と兄弟子の倉島隆行(リュウギョウ)。智賢は、住職である父と、母、妻、そして重度の食物アレルギーを抱える3歳の息子と共に暮らしている。いのちの電話相談、精進料理教室など、意欲的な活動を続けている。一方の兄弟子・隆行は福島県沿岸部にあったかつてのお寺も、家族も檀家も、すべてを津波によって流されてしまった。今では瓦礫撤去の作業員として、ひとり仮設住宅に住まいながら本堂再建を諦めきれずにいた―。苦悩しながらも仏道に生きる若き僧侶の姿、そして高僧・青山俊董のことばを通じて、映画は驚くべき境地に観客を誘うことになる。演じているのは、全国曹洞宗青年会の実際の僧侶たち。現代日本の僧侶たちの日常が、フィクションとドキュメンタリーの枠を超え、円環しはじめる。

ウネラ 冒頭、曹洞宗の僧侶たちの修行の様子を細切れのカットでつないでいきます。作品のテンポ、リズムに引き込まれました。

阿部 富田監督は、「空族」という独自の映画プロダクションを作って活動しています。この監督が得意としているのは、フィクションとドキュメンタリーを織り交ぜたドキュドラマです。この人独自の映画文法があり、ひとことで言えば、よく分からない。おおかたの人が「おや?」と思ってしまう。そのつかみどころのなさがまた刺激的で、興味が尽きません。私が心に残ったのは、青山師です。あの人の存在感がものすごい。主人公の智賢さんが青山俊董(しゅんどう)尼に会いにいき、教えを授かります。

ウネリ 青山さんはこんなことを言います。

「お寺に生まれただけ、反発したほうがいいです。本気に求めるからこそ反発してみる。いまの仏教がどうあろうとも、仏法そのもののすばらしさに変わりはない。そうですよね(中略)お釈迦様の教えを一言で言ったら『縁起』なんです。お釈迦様は天地創造の神をつくらない。全部かかわり合うという縁起の教え。その縁起は、人と人とだけじゃない。まずは地球と太陽を結ぶ1億5千万キロ。この引力のバランスが保っているおかげですわな。近すぎても遠すぎても、命はありません。太陽系の惑星相互がバランスを保っている背景は、銀河系の他の惑星群とのバランスだそうです。ということはですよ。私が今こうしてしゃべることができる背景に、自覚するしないにかかわらず、銀河系の果てまでものはたらきをいただいているわけですわ」

阿部 自分自身が智賢さんになりきって聴き入ってしまいました。

ウネラ 智賢さんはそれまで、「演技」していますよね。プロの役者さんじゃないからなのか、演出なのかわからないですが。それが青山さんと対面するシーンではとたんに「演技」でなくなる。完全に「素」に変化しましたよね。演技しなかったというより「できなかった」んでしょうね。

阿部 フォーラム福島で上映した時、富田克也監督、河口智賢さん、倉島隆行さんが来てくれました。監督もあのシーンはぶったまげたらしいですよ。智賢さんが「青山さんに会いたい」というから、撮影のオファーを入れたらオーケーしてくれた。当日は台本無しだったそうです。

ウネラ 話している青山さんの背景に、宇宙の映像を入れたり。すごい映像感覚だと思いました。

阿部 シネアスト(映画作家)とは、ああいう存在ですよね。富田監督独自の映像文法で語っています。

ウネリ 隆行さんが「禅」という名前のスナックでしこたま飲み、酔いつぶれて店の前で嘔吐する場面はシュールでした。

阿部 あの「禅」という店、ほんとうに福島市内にあるらしいです。

ウネリ そうそう。JR福島駅の東口の、繁華街のほうですね。この前、看板見ましたよ。

阿部 『典座』のような作品は、発災直後に公開されたら「不謹慎だ」と言われかねない。5年、10年経って、ようやく許容される「遊び心」を大いに取り入れた映画だと思います。真摯さ、哀しみが基調にあっても、遊び心を忘れない姿勢は、映画にとって大切です。『典座』を観ると、こういう視点での3・11の総括があってもいいのかなと思いましたね。

『発酵する民』
【作品紹介】(公式サイトの作品紹介から抜粋)
 
『発酵する民』(2020年/日本/監督:平野隆章/配給:福々映像)
公式サイト
 
海と山に囲まれた古都・鎌倉。2011年、このまちで「脱原発パレード」を行った女性たちが「イマジン盆踊り部」を結成した。彼女たちは、日々の生活の中で浮かび上がってくる思いを唄にして踊り始める。お酒や味噌、パンづくりの思想から生まれた「発酵盆唄」。海水を汲み、薪で火を炊いて塩をつくる「塩炊きまつり」。やがて、風変わりな唄と踊りが、人びとをつなげてゆく。

画像:©福々映像

ウネリ 鎌倉発の3・11映画ですね。

阿部 福島に住んでいなくても、あの原発事故をきっかけに生き方を問い直した人はたくさんいますよね。身の丈に合った生活をしていきましょう、という。そういう人の背中を押す映画です。特に若い人、小さい子どもがいる世代の人などが共感するんじゃないかな。

ウネリ うんうん。

阿部 福島に住む人には、カタカナで「フクシマ」と表現されることを「良し」としない風潮があります。特に行政にその風潮が強い。でも、やっぱり「フクシマ」という言葉には、人びとの人生観を変える力があります。私なんかは、おおいに「フクシマ」を使ったほうがいいと思っています。 

ウネラ 今年の3月11日も含む1週間、フォーラム福島ではこの作品を上映しましたね。平野監督も福島の人の感想を丁寧に聞こうと、映画館に来ていました。見に来た人と監督が意気投合して、最終日には出演者も福島に来て、みんなで交流会をしたそうです。良い交流が生まれたのではないでしょうか。

ウネリ 「発酵」というキーワードがうまいなと思いました。作品の冒頭にこういう字幕が入ります。

〈発酵とは、微生物が有機物を分解し、人にとって有益な物質をつくりだすこと。人に害がある状態になると「腐敗」と言われる。発酵の「フェルメンテーション」という語源は「沸騰する」「政治的動乱」という意味を持つ〉

ウネリ そんなペースでじっくり進む社会変革がいいんだろうなと、共感しました。

阿部 正直言うと、「もう少しがんばってほしいな」というところはありましたけどね。まだ少し物足りない。あと5年、10年後の作品を観てみたいですね、期待を込めて。

ウネリ そうですか。私としてはリラックスできて、きれいな映像を楽しめましたけどね。

『自然と兆候/4つの詩から』
【作品紹介】
 
『自然と兆候/4つの詩から』(2018年/日本/監督:岩崎孝正)
公式サイト
 
原発事故後に福島に入った映画監督(ニコラウス・ゲイハルター)と2人の写真家(露口啓二、鄭周河)。3人のアーティストの活動風景を、岩崎監督がカメラにおさめる。合間には4つの詩(若松丈太郎『連詩 かなしみの土地』、河津聖恵『夏の花』、李相和『奪われた野にも春は来るか』、徐京植『歴史』)の朗読シーンが挿入される。

ウネリ 劇場未公開でDVDも流通していないはずです。私たちは阿部さんに紹介してもらって、アマゾンプライムで視聴しました。

ウネラ 出てくる詩の一つひとつはとてもいいのですが、私には朗読のスピードが速すぎて、せっかくの詩の言葉に集中できないところがありました。

ウネリ 映像も結構目まぐるしく変わるからね。一つひとつのシーンはセンスがいいだけに、もったいない感じがしました。

阿部 この作品は好きなんだけど、映画としては何かが足りない気がします。岩崎監督の問題意識が作品中に示し切れていない、という印象です。ただ、私はこの映画に出てくる人たちが大好きなんですよ。ゲイハルター監督も、チョン・ジュハ(鄭周河)さんの写真も。ソ・キョンシク(徐京植)さんの著書は数十冊持っています。私も監督と同じものに魅かれているのではないかと思っているので、岩崎監督にはぜひこれからも自分の作品を追求してほしいです。

『反歌・急行東歌篇』
【作品紹介】(DVDケースの紹介文から引用)
 
『反歌・急行東歌篇』(2012年/日本/監督:竹村正人)
参考サイト
 
朗読とは何か。映画はこの問いから始まった。ドキュメンタリーとは常に状況と出会い葛藤することだ。詩が本来そうであるように。藤井貞和の連歌による詩集『東歌篇』が出た時、彼の読者はきっと頷き、驚いたろう。湾岸戦争に際して詩を書き続け「なにがイッツウォーだ。ファックユーである。」と叫んだ人の、これは不変に変成を続ける鉱石である。だが、歌人とちがってしじんはいろめき立つことができませんと書いたのもまた藤井さんではなかったか。果たして彼の詩作は実験の中にあって今も自由詩でありつづけているか。それともうっかり歌の方へと転んでしまったか。朗読が幻の列車「急行東歌」に乗って走り出す時、「異なる声」たちがその問いに光を当てはじめるだろう。

ウネリ またしてもディープな映画です。劇場未公開。私たちは阿部さんからDVDを借りて見ました。インターネットで検索したら、そのDVDも簡単には入手できないようでした。DVDケースに書いてあった作品紹介を読んでも、よく分かりませんよね……。あえて作品のあらすじを言えば、詩人で文学者の藤井貞和さんが列車に乗って福島の被災地をめぐる。それに竹村監督がついていく。そんな感じですかね。説明が難しいな。

阿部 ロードムービーですよね。竹村監督という文学青年が、日本を代表する文学者である藤井さんと共に、被災地をさまよっている。

ウネラ 藤井さんが詩を朗読するシーンがよかったです。文章を句読点で区切って読んだりしない。本来そうあるべきだと思います。

ウネリ 読んでいる本人自身が何か確かなものをつかみたくて、詩の中に探し求めている。そんな読み方だったですね。藤井さんが避難指示区域の「立ち入り禁止」のゲート前で座り込むシーンもよかったですね。夕陽に照らされて、なにか考え込んでいた。

阿部 竹村監督とは京都で一度だけ会ったことがあります。原発事故後、妻子が京都に自主避難していたので、私も2カ月に1回ほど京都に通っていました。そのとき「カライモブックス」という古書店のご主人の紹介でたまたま出会ったのが、竹村さんでした。彼は「映画を作っている」と言い、後日福島にこのDVDを送ってくれたんです。

ウネラ 阿部さんはこの映画をいつごろ見ましたか。正直言って、とてもナイーブな作品で、私は見ていてつらくなるようなところもありました。

阿部 当時の自分のメンタルと、彼のメンタルとの波長が重なった記憶があります。竹村さんと会ったのは一度きりですが、とても繊細な人でした。純粋で、社交辞令が一切通用しない感じがしました。文学をやるために生まれてきたような人。むしろ、文学に没入していないと生きていけない人、という印象です。映画にも、その危うさがにじみ出ていると思いました。

ウネラ 阿部さん自身も苦しい時期だったでしょう。

阿部 すごくきつかったです。1カ月の休日を一カ所にまとめて5日ぶんほどの休暇を確保し、車で福島―京都間を往復していました。俺は何やってんだろう、と思いましたよ。

ウネラ そういう状態であの作品を見るのは、つらくなかったですか。

阿部 私の場合、ホッとするものを感じましたね。むしろこういう作品を媒介にして、福島のことをみんなと語り合いたいなあと思います。

『Life 生きてゆく』
【作品紹介】(公式サイトから抜粋)
 
『Life 生きてゆく』(2017年/日本/監督:笠井千晶/制作:Rain field Production)
公式サイト
 
舞台は、福島第一原子力発電所の北22㎞ 。津波に見舞われた福島県南相馬市萱浜(かいはま)地区。消防団員の上野敬幸さんは両親と子ども2人を津波で流され、必死に捜索を続けていた。その最中、福島第一原発が爆発した。捜索のため避難を拒んだ上野さん。その目に映ったのは、津波で一帯が根こそぎ流された故郷・萱浜に、唯一、遺った我が家だった。この「一軒の家」とともに、物語は紡がれていく。「天国のみんなに安心して欲しい。」すべてが流された萱浜で再起を誓う上野さんは、一面に菜の花の種をまいた。一方、震災後に生まれた娘と妻の3人になった家族には、それぞれの想いが交錯する。そこにはいつも亡くなった4人の存在があった。

ウネリ 感想が言いづらい作品です。私は見終わって、ずーんと沈んでしまいました。福島県内の津波による犠牲者の話ですね。原発事故が起きたため、捜索活動すら打ち切られた。映画の最初のほうで、上野敬幸さんがこう話します。

「原発が爆発して、避難所がなくなり、だれもいないなか、自分たちだけは家族を捜さなきゃいけない。捜索は警察と自衛隊がやったと思っている人たちがほとんどだ。うちらのところは、俺たちだけだ。あとは、ほんとうに、誰の手も借りてない。自分たちだけ」

「津波っていう言葉は出てこない。放射能しか出てこない。津波のこと言う人はだれもいない。放射能のことしか言わない。ずーっと置いてけぼりだ。ここは」

阿部 自分の訴えていることが受け止められていないという疎外感ですよね。監督の笠井千晶さんはそこを見すえて映しとろうとしている感じがするので、見るのはつらいんですけど、すごく訴求力のあるドキュメンタリーになっていると思います。笠井監督はテレビ局で働いていましたが、震災後の2015年に独立しました。名古屋から高速バスで被災地に足しげく通い、この作品を撮ったそうです。お会いしたとき、「カメラを向けている時間の何十倍も、わたしは上野さんたちと一緒に過ごし、話を聞き、そばにいました」と話していました。突き動かされた取材対象に寄り添うのが彼女の取材スタイルなのだと思います。

ウネリ 私は上野さんを見ているのがとにかくつらかった。あれだけ取材を受けて、すごいなとも思いました。

阿部 自分たちの体験や思いを家族の中で完結させようとせず、社会のほうにもありのままにさらけ出して共有してほしい。わが子の死を単なる犠牲にしたくない思いがそうさせているのでしょう。上野さんの活動によって、全然違う状況で子どもをなくした親御さんが救われることもあると思います。

ウネリ そうですね。

阿部 上野さんの人生は3月11日に子どもさんが亡くなった瞬間に止まっていますよね。もしかしたら子どもを救えたんじゃないのか。悔恨と申し訳ないという思いが、彼のその後の生を決定づけている。過去に縛られているのかもしれないけど、そうだとしてもああいう生き方ができる。本当に価値的な人生というのは、けっして未来志向でも、前向きでなくてはいけないものでもない。いろんな生き方ができる。「LIFE」というこの作品のタイトルには、そういう意味合いもあるんじゃないかと、私は考えています。

ウネラ 上野さんは「まだ見つかっていない下のお子さんを捜索する」ということでなんとか生きることをつないでいるのだと思います。

阿部 そうでしょうね。

ウネラ 私は、震災後に生まれた3人目の子が気になりました。あの子が、お姉ちゃんとお兄ちゃんの骨箱をなでて「帰って来いよー」と話しかけるじゃないですか。正直な気持ちだと思います。でも同時に、親の人生が上の子たちを亡くした時間で止まっているというのは、あの子にとってはつらいことだとも思うんです。大きくなるにつれて複雑な感情も出てくると思う。上野さんご一家は愛情が深いし、きっと大丈夫だと思うんですけど、あの子を見てあげてほしい。あの子にフォーカスしてほしいなというのはありました。

阿部 そうか。そういう見方もあるのかもしれませんね。

ウネリ というわけで今回は番外編として、多彩なラインナップを一気に紹介しました。阿部さん、ありがとうございました!

阿部 ありがとうございました。

阿部泰宏(あべ・やすひろ):1963年福島市生まれ。市内の映画館「フォーラム福島」で30年以上働き、現在は支配人を務める。社会派・独立系の映画をこよなく愛する。原発事故で福島市内の放射線量が上昇したため、妻子を他県に避難させた被災者でもある。2011年6月以降はフォーラム福島で〈映画から原発を考える〉という上映企画を続け、3・11を風化させない取り組みを続けている。

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ウネリウネラ
元朝日新聞記者の牧内昇平(まきうち・しょうへい=ウネリ)と、パートナーで元同新聞記者の竹田/牧内麻衣(たけだ/まきうち・まい=ウネラ)による、物書きユニット。ウネリは1981年東京都生まれ。2006年から朝日新聞記者として主に労働・経済・社会保障の取材を行う。2020年6月に同社を退職し、現在は福島市を拠点に取材活動中。著書に『過労死』、『「れいわ現象」の正体』(共にポプラ社)。ウネラは1983年山形県生まれ。現在は福島市で主に編集者として活動。著書にエッセイ集『らくがき』(ウネリと共著、2021年)、ZINE『通信UNERIUNERA』(2021年~)、担当書籍に櫻井淳司著『非暴力非まじめ 包んで問わぬあたたかさ vol.1』(2022年)など(いずれもウネリウネラBOOKS)。個人サイト「ウネリウネラ」。【イラスト/ウネラ】