第6回:福島を訪れた巨匠が撮った「放浪」と「再生」のロードムービー『セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター』(ウネリ・牧内昇平)

東日本大震災からまもなく10年が経とうとしています。原発事故が起きた福島県には、いまだに人の住めない場所もたくさんあり、さまざまな形で被害は続いています。しかし、時間が経つ中で記憶が薄れてきた人、もともとよく知らないという人もいるのではないでしょうか。震災や原発事故について学びたいけれど、ぶ厚い本を読む気にはなれない……そんな人におすすめなのが「映画」です。
福島県福島市の映画館「フォーラム福島」で支配人を務める阿部泰宏さんは、3・11後、原発や震災をテーマにした上映企画を粘り強く続けています。阿部さんを案内人として「いま観るべき映画」を毎回ピックアップしてもらい、そのポイントを語ってもらう連載です。

『セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター』

ウネリ 今日は少し趣向を変えて、一人の映画監督と、福島の人びとや阿部さんとの交流について語ってもらいたいと思います。東日本大震災のおよそ半年後、国際的に有名な映画監督が福島を訪れました。『ベルリン・天使の詩』や『パリ、テキサス』などで知られるヴィム・ヴェンダース氏です。監督が福島を訪れた時、原発事故の被害を受けた土地を案内したのが、こちらにいらっしゃる阿部さんでした!

阿部 はい。そうですね……。

2011年10月末に福島を訪れたヴィム・ヴェンダース監督(写真:阿部さん提供)

ウネリ まずは監督がやってきた経緯を教えてください。

阿部 3月11日からしばらくして、うちの本部(※)が世界の映画人たちに「被災地の映画ファンへメッセージを」と呼びかけたんです。結構いろんな俳優や映画人からコメントをいただきました。ヴェンダース監督はメールで、「必ず近いうちに福島に行きます」と書いてくれました。最初はリップサービスかなと思っていたら、本当に来てくれたんですね。
 この年の秋に東京国際映画祭があり、当時の新作『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』が招待されていました。それに合わせて彼も久しぶりに来日することになった。そのとき配給会社から連絡があり、「ヴェンダースが『どうしても福島に行きたい』と言っている。なんとかならないか」と相談を受けました。

※フォーラムシネマネットワーク。阿部さんが支配人を務める「フォーラム福島」のほか、青森、岩手、山形、宮城、栃木で映画館を展開している

ウネリ 阿部さんに案内役の白羽の矢が立ったわけですね。

阿部 映画祭の合間をぬって半日だけ福島に来る。夜にはフォーラム福島で『Pina』の上映会を開く。そんなスケジュールでした。それならばと、福島市内から25キロくらいしか離れておらず、事故後の放射線量が高くて全村避難となった飯舘村に行くことにしました。飯舘村在住の知人に協力をお願いし、ヴェンダース監督とドナータ夫人を迎えました。知人の家に行ったり、田んぼを見たり、2、3時間くらい村内を車で案内しました。

飯舘村を訪れたヴィム・ヴェンダース

ウネリ 飯舘村でヴェンダース監督は何をしていたのですか。

阿部 沈思黙考という感じでしたよ。田んぼのあぜ道を少し歩いては立ち止まり、「うーむ」と考え込む。彼は高性能の線量計を持参していましたが、そのアラーム音がピーピーと鳴っても、全然動じず、とにかくじっと考え込んでいましたね。

ウネリ どんな人だったですか。

阿部 とても気さくな人でした。最初は気を遣ったけど、本当にフレンドリーで。190センチくらいの大男ですけど、全然威圧感はありませんでした。想像以上に謙虚で礼儀正しい人です。こちらに質問するときも「どうなんだ?」という感じじゃない。「ちょっと質問していい?」という感じでした。
 飯舘村からの帰りの車中では、運転している僕が信号待ちしている時に後部座席にいた彼が、「阿部さん、これ」と言って、なにか渡してきました。『Pina』のサウンドトラックだったんですけど、「よかったらもらってください」といった感じで。とても世界の巨匠が劇場の支配人に渡す感じじゃなくて、その謙虚さにこちらが恐縮してしまいました。アルバムはきれいな布に包まれていました。たぶんヴェンダース監督が自分で包んだのだと思います。

ウネリ いい人ですね。

JR福島駅に到着したヴェンダース夫妻(写真:阿部さん提供)

阿部 彼が若いころにすごく苦しんだ人だっていうのは、映画を観れば分かります。1970年代の半ばから80年代にかけて作ったロードムービーは、映画を作ってなかったら死んでいただろう、というくらいヒリヒリする作品です。

ウネリ 阿部さんはヴェンダース作品が好きですか。

阿部 もちろん。若い頃は彼の映画に救われました。特に『ベルリン・天使の詩』は何十回と観ました。あの映画は巨大です。たった一人で世界を背負って立つという映画ですから。もう小さいことに構わなくていいかな、と思わせられます。すごい度量の映画です。本気で映画を観るようになってから40年近く経ちますが、「5本あげろ」と言われたら間違いなく『ベルリン』は入ります。
 原発事故直後、私は映画を観られなくなった時期がありました。原発や放射能の問題を扱った映画しか観る気が起きないんです。自分では気づかなかったけど、相当深い心の傷を受けていたんだと思います。でも、その時なぜか、若い頃に愛した映画だけは観る気になったんです。当時の、自分のアンテナがいちばん鋭敏だった頃の感覚を取り戻したいと思ったんじゃないですかね。その時もう一度観たいと思った中に、やはりヴェンダースの映画がありましたね。

ウネリ 阿部さんにとって大きな存在なんですね。

阿部 そうです。だからJR福島駅で初めてヴェンダース夫妻と会った時、正直言って「早く終わってほしい」と思ってしまいました。緊張して、気持ち悪くなってきちゃったんですよ(笑)。

ウネリ 飯舘村の感想をどのように話していましたか。

阿部 福島市内に戻った後、彼はメディアのインタビューにこう答えていました。「今まで目に映ったものを信じ、それを撮ることを仕事としてきた。が、初めて自分の目が信じられないという感覚を味わいました。目に見える山も森も、どこからか聞こえてくる鳥の鳴き声も途方もなく美しいのに、線量計は『ここは危ない』と警告してくるのです」と。

ウネリ 衝撃だったのでしょうね。

阿部 そうでしょうね。私たちは夕方の5時くらいに飯舘村を後にしました。飯舘は高地ですから、日が暮れかかっていました。集落の中を車で走っていると、あることに気がつきました。道路の周りには家が立ち並んでいるのに、一軒も灯りがついていない。真っ暗なんです。夕餉の支度で灯りがともっているはずの時間帯なのに、どこの家も真っ暗。人の気配が感じられない。映画の巨大なセットの中を走っている感じです。僕もこのとき初めて、「これが全村避難か」と思い知りました。

飯舘村にて(写真:阿部さん提供)

「私にできることは?」問いかけた巨匠

ウネリ 飯舘村から戻った後、フォーラム福島で行われた『Pina』の試写会では、ヴェンダース監督のトークイベントがあったそうですね。

阿部 印象深かったのはトークの終盤、司会が「ではそろそろ時間になりました」と言った時です。ヴェンダース監督が司会の進行をさえぎって、「ちょっと待ってください。私にひと言、言わせてほしい。みなさんお元気ですか?」と客席に向かって問いかけた。突然の質問に観客の皆さんが黙っていると、監督は「じゃあ質問を変えましょう」と言って、こう聞き返したんです。「教えてほしい。私にできることがありますか。あったら言ってほしい」と。ヴェンダース監督は切々と、頼み込むように言いました。そうしたらお客さんが泣き出しました。あちこちからすすり泣きや嗚咽が聞こえました。私もたまらなかったですね。泣きそうになりましたよ。ああ、自分はこういうふうに言われたかったんだな、と思いましたね。本当に寄り添いたいと思っている人でないと、出てこない言葉だと思いました。

フォーラム福島で上映後にトークをするヴェンダース監督(写真:阿部さん提供)

ウネリ 観客はどう反応しましたか。

阿部 お客さんの一人が立ち上がって、こう言いました。「本当にすばらしい映画を観せていただきました。『Pina』は私たちを癒してくれた。がんばってこの町でやっていこうと思った。こういう映画をこれからも作ってほしい。それが監督にしてほしいことです」と。やらせではなく、自然に生まれたすばらしいやりとりでした。ヴェンダース監督は最後に、「みなさんにはこのことを世界に伝える責任がある。また再会する時が来ます。私は必ず戻ってきます」と言って帰っていきました。

ウネリ 印象深いトークですね。

阿部 スケジュールに大変な無理をしてまで福島に来てくれた。相当な問題意識があったのだと思います。だからヴェンダース監督が福島の問題をのちの作品にどう反映させるのか、私はそれも楽しみでした。彼と半日一緒にいて、「この監督は必ず何かに活かすだろう」と思ったので。そして、早くも2014年に公開された『セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター』に、その影響はあったと思います。

【作品紹介】(DVDケースの紹介文から抜粋)
 

『セバスチャン・サルガド 地球へのラブレター』(2014年/フランス・ブラジル・イタリア/監督:ヴィム・ヴェンダース、ジュリアーノ・リベイロ・サルガド)

今世紀最も偉大な写真家セバスチャン・サルガド。彼の作品は、たった一枚で見る者の心を打ち、人生を変えてしまうほどの深い感動を呼び起こすーー。”神の眼”とも呼ばれる奇跡的な構図、モノクロを基調とし荘厳なまでに美しい作品の数々を彼はいかにして撮りつづけて来たのか? 劇映画のみならず、数々の傑作ドキュメンタリーを世に送り出してきたヴェンダース監督とサルガドの長男であるジュリアーノ・リベイロ・サルガド監督、二人の映像作家がそれぞれの切り口で稀代の写真家の人生を辿って行く。

ウネリ 写真家、セバスチャン・サルガド氏の半生を描いたドキュメンタリーですね。と言ってもいわゆる「密着」型ではなく、サルガドの過去の写真の数々を静かに映しているシーンが多い。そこに音楽とサルガド本人やヴェンダース監督らのナレーションが入るだけ。静かな映画です。でも、出てくるのがすごい写真ばかり。

阿部 サルガドはブラジル生まれで、お父さんが農園をやっていた。大学で経済を学び、その頃知り合ったレリアというとても素敵な女性と結婚します。政治運動をしてブラジルに居づらくなった二人は、船に乗ってフランスに向かった。サルガドはエコノミストとしてアフリカへ調査に行くうちに、経済の仕事よりも写真に生きがいを感じるようになり、写真家の道を歩み始めます。

写真家の魂の彷徨を撮る

ウネリ 8年かけて中南米を横断し、そこに住む人びとを撮り続けた『アザー・アメリカ』、世界30か国近くを回って労働者にレンズを向けた『ワーカーズ』。サルガドは世界中で活動し、評価を高めた。でも、そんな彼に転機が訪れる。

阿部 写真家として世界中を放浪し、大量虐殺とか人権無視の状況、金に目がくらんで人命がどうでもよくなってしまっている状況を目にする。そのうちだんだん、精神的に参ってしまいます。

【シーン解説①】

ルワンダ虐殺をカメラにおさめたサルガドは、あまりにもひどい現実に耐えられなくなる。当時の心境をサルガド自身が語る。
「もう限界だった。人間の救いも何も信じられなかった。あんな状況では誰にも生きる価値など見いだせない。何度カメラを置いて泣いたことか……」

阿部 傷心して故郷に戻ったサルガド夫妻は、荒れ果ててしまった父の農園に木を植え始めました。そして、何年もかけてみんなで木を植え続けた結果、その土地の一帯は、なんとジャガーが戻ってくるぐらいの大森林に再生したのです。

ウネリ そして自らの森林再生事業に触発され、もう一度写真に戻る。今度は人間ではなく、自然や生き物たちにカメラを向ける。すごいライフストーリーだなあと、感嘆してしまいました。

阿部 いろいろ放浪して、最終的におさまるところにおさまる。映画はサルガドが「おさまる」までの放浪のプロセスをずっと見せます。だからものすごく説得力があります。人間はこれくらい悩み苦しまないと心の平安は得られないのか、とも思えます。

ウネリ パートナーのレリアさんの存在が大きいと感じました。カメラだって、もともとはレリアさんが建築の仕事に必要で買ったのを、サルガドが使ってみて夢中になったんですよね。意気消沈のサルガドに「森を再生しよう」と提案したのもレリアさんでした。

阿部 そうそう(笑)。とにかく奥さん、レリアさんが素敵ですよね。

ウネリ 映画の終盤は、故郷で過ごすサルガドを撮っています。ラストシーンがすばらしい。

【シーン解説②】

サルガドが自ら再生した森の中にしゃがみこみ、あたりを見回す。野鳥がさえずり、木漏れ日が老いたサルガドの頬をなでる。

サルガドのナレーション「我々にとって大切な土地だ。ひとつのサイクルを完結させたい。その中で我々の人生が過ぎる。両親の人生が過ぎ、姉妹たちの人生が過ぎ、私の人生の一部が過ぎた。(中略)いつか死ぬ日が来たら、私が受け継いだこの森を残すことになる。森はサイクルを完結させる。私の人生の物語を」

ウネリ サルガドのリラックスした表情がなんとも言えなかった。見ているこちらまで、充足感を得ました。

阿部 うん。これって円環なんですよ。ロードムービーです。まわりまわって、彼は故郷に帰ってくる。自分が生まれ育った大地に戻り、それを再生させるという大団円。フィクションだとやりすぎだけど、それをドキュメンタリーの方法論で見事に物語った。

ウネリ 初期のヴェンダース監督はロードムービーで有名になりましたが、『サルガド』もある意味ロードムービーなんですね。

阿部 そうです。ロードムービーです。だって放浪してますもん。心がさまよっている。

福島へのメッセージ?

阿部 映画の中でヴェンダース監督は、サルガドのある言動に焦点を当てています。
「汚染を告発するのではなく、起源(genesis)を見る」というものです。

ウネリ 故郷に戻って心を癒し、撮影活動を再開したサルガドはこんな風に言います。「最初は、森林破壊や海の汚染を告発することを考えたが、違うプロジェクトを考えるようになった。驚いたことに、地球の半分近くが起源の姿を残していた」。
 そして彼はガラパゴス諸島に向かいました。自然を再生させるために、まだ汚染されていない土地に目を向けよう、ということかなと思いました。

阿部 「起源」を見る。そして「再生」させる。これってまさに福島のことではないか。心の解放を得た一人の写真家の物語を通じて、ヴェンダース監督は福島の人に対して、「あなた方にもこういうふうに生きて欲しい」と、とてもポジティブなメッセージを贈ったのではないか。そう思っています。

ウネリ ふーむ。

阿部 僕は『サルガド』を観る前まで、とても「再生」なんて気持ちにはなれなかった。むしろ「告発」する気持ちの方が強かった。でも、ヴェンダース監督のメッセージで少し変わりましたね。すべてを受け止めた果てに、いつかあなたにゆとりができたら、汚染を告発するのではなく、起源を見なさい。ヴェンダースはそう伝えたいのだろうと受け止めました。彼がそう言うのなら、自分も変わろうかなと思いました。

ウネリ この映画には福島へのメッセージが込められていたのですね。

阿部 分からないですよ。深読みのしすぎかもしれないです。でも、映画は深読みでいいんです。自分にとってポジティブにとらえられるのであれば。

ウネリ 映画の解釈は観る者の側に委ねられるべきですよね。

上映トーク後、観客の一人と抱き合うヴェンダース監督(写真:阿部さん提供)

阿部 その後、ヴェンダース監督とは通訳を介してメールのやり取りをしていたのですが、この部分についてはひと言も聞いてません。僕の解釈と違っていたら嫌なので(笑)。とにかく『サルガド』はすばらしい映画です。ここ数本のヴェンダース近作のなかでは、傑出していると思います。人間の放浪から心の平安に至るまでを撮っている。ロードムービーの真骨頂という感じです。

ウネリ 今日は世界的巨匠の人間的な側面を知ることができました。

阿部 9年前、ヴェンダース監督は「私は必ず福島に戻ってくる」と言っていました。それは実現していないし、年齢的にはもう難しいかもしれません。でも、ある映画関係者から、「ヴェンダースが『福島でドキュメンタリーを撮りたい』と言っている」と聞いたことがあります。

ウネリ 期待したいですね。

***

阿部泰宏(あべ・やすひろ):1963年福島市生まれ。市内の映画館「フォーラム福島」で30年以上働き、現在は支配人を務める。社会派・独立系の映画をこよなく愛する。原発事故で福島市内の放射線量が上昇したため、妻子を他県に避難させた被災者でもある。2011年6月以降はフォーラム福島で〈映画から原発を考える〉という上映企画を続け、3・11を風化させない取り組みを続けている。

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ウネリウネラ
元朝日新聞記者の牧内昇平(まきうち・しょうへい=ウネリ)と、パートナーで元同新聞記者の竹田/牧内麻衣(たけだ/まきうち・まい=ウネラ)による、物書きユニット。ウネリは1981年東京都生まれ。2006年から朝日新聞記者として主に労働・経済・社会保障の取材を行う。2020年6月に同社を退職し、現在は福島市を拠点に取材活動中。著書に『過労死』、『「れいわ現象」の正体』(共にポプラ社)。ウネラは1983年山形県生まれ。現在は福島市で主に編集者として活動。著書にエッセイ集『らくがき』(ウネリと共著、2021年)、ZINE『通信UNERIUNERA』(2021年~)、担当書籍に櫻井淳司著『非暴力非まじめ 包んで問わぬあたたかさ vol.1』(2022年)など(いずれもウネリウネラBOOKS)。個人サイト「ウネリウネラ」。【イラスト/ウネラ】