第545回:命の危機でも生活保護を拒む人たちと、増える自殺者。の巻(雨宮処凛)

 怒涛の年末年始が終わったと思ったら、東京を中心とした一都三県は二度目の緊急事態宣言となった。

 多くの飲食店が悲鳴を上げ、飲食の仕事にあぶれた人々は日雇い派遣に殺到し、そうなるとそれまで日雇い派遣で働いてきた人たちがシフトに入れなくなり、ネットカフェ生活も維持できなくなる。昨年3月から感染者が増えるたびに繰り返されてきたことだが、国にはそんな不安定層の現実はまったく見えていないようで、ここにはなんの手当てもない。

 東京都は住まいがない人へのホテル提供を2月7日まで延長したが、当事者にどれほど届いているかも未知数だ。「新型コロナ災害緊急アクション」に届くSOSは、今回の緊急事態宣言前からかなり増えている。すでに野宿という人も多く、寒さが耐えられないという悲鳴に胸が痛む。支援者が駆けつけるが、同様の人は増えるばかりだ。

 そんな中、年末年始に東京・大久保公園で開催された「年越し支援・コロナ被害相談村」の詳しいデータが出た。

 前回の原稿で紹介したデータは閉村の日に発表したものだが、以下はその後、集計をして出たもの。

 それによると、相談件数は12月29日、30日、1月2日の3日間で344件。男性280件、女性61件、不明・その他3件。外国人は24人。国籍はエチオピア、ベトナム、バングラデシュ、フィリピン、ミャンマーなど。3日間で合わせて約400セットの食料品が配布された。

 相談者の年代別は、40代がもっとも多く22%。ついで50代21%。30代と60代がぞれぞれ16%。

 相談の種類としては、もっとも多いのが「生活」で50%。ついで「食事」で19%。その次は「仕事」の13%、「住居」の9%が続く。

 衝撃的だったのは「住まい」に関してのデータ。相談者のうち、住まいが「あり」と答えたのは47%。対して45%の人が「なし」と回答したのだ。
 また、のちのフォローが必要と思われる75件のうち、電話がある人はわずか37件であることも判明した。ということは、すでに38人が携帯が止まっている状態。

 「ここまで携帯が止まっている人が多いとは」。実行委員のメンバーも驚く数字だった。確かに、「新型コロナ災害緊急アクション」にSOSメールをくれる人々も約半数がすでに携帯が止まっているかもうすぐ止まるという状態。よってフリーWi-Fiのある場所でしか連絡がとれないことが支援の壁となり、本人にとっては携帯番号がないことが仕事や不動産契約の壁となってしまう。

 そんなふうに携帯が止まり、すでに住まいを失い野宿生活、そして全財産も1000円を切っているのに、「生活保護だけは受けたくない」という人が多かったのもこの年末年始の特徴だった。前回も少し触れたが、そんな状態で使える制度は生活保護制度くらいしかないので提案するも、「生活保護だけは嫌だ」と頑なに首を横に振る人が多いのだ。時には「自分はそんな人間じゃない」と怒り出してしまう人もいる。

 一方、それほど抵抗はないけれど、親や兄弟に知られるのが嫌だからと申請をためらう人もいる。生活保護を申請すると、「扶養照会」といって家族に連絡がいくのだ(虐待やDVがあったりするとされない。また、長いこと音信不通だったり、親が高齢だったりするケースもされない場合がある)。これが生活保護申請の大きな壁になっているのだが、では、「あなたの息子さん/親が生活保護の申請に来ているが面倒をみられないか」と言われて、どれほどの人が「面倒をみます」となっているのか。

 ここに貴重な数字がある。困窮者支援に奔走する足立区区議会議員・おぐら修平氏によると、2019年、足立区で生活保護新規申請世帯は2275件。うち、扶養照会によって実際に扶養がなされたのはわずか7件で1%以下。照会したところでほとんどが「無理」と答えているのである。事務的な手間を考えても照会しないのが合理的ではないだろうか。

 この扶養照会について、せめてコロナ禍だけでも省略するよう求めているのだが、今のところ変化はない。

 もうひとつ、生活保護を忌避する理由として多いのは、「一度申請したことがあるが、相部屋のひどい施設に入れられたので逃げ出してきた、あんな思いだけはもう勘弁」というものだ。支援者が同行せずに路上から生活保護申請をした場合、劣悪な無料低額宿泊所など貧困ビジネスの施設に入れられてしまうことも多い。支援者が同行し、交渉すればそのような施設を回避してアパートに転宅する道筋をつけることができるのだが、一人で行くと、生活保護の「入り口」で、ある意味「地獄を見る」ようなことになってしまうのだ。

 路上生活が長そうな人であまりにも生活保護を拒否する場合、話を聞くと大抵このような施設に入れられてしまった経験がある。公的福祉に繋がることによってひどい経験をし、それがトラウマになって公的福祉を拒絶する人々を大量に生み出しているなんて、それはセーフティネットとは到底言えない、まるでわざと「福祉なんてこりごり」という思いを刷り込んでいるかのようではないか。

 さて、生活保護を拒む理由としてそれよりもダントツに多いのは、生活保護そのものへの抵抗感だ。

 「生活保護を受けるくらいなら死んだ方がまし」「やっぱり、イメージが悪い」「抵抗がある」「なんとか生活保護だけは避けたい」

 そんな言葉を聞くたびに、2012年、この国に吹き荒れた生活保護バッシングを思い出す。芸能人家族の生活保護利用を発端に自民党議員が繰り広げたバッシングだ。

 あのバッシングは、今、住まいもお金もなく、3日食べていないなど「命の危機」にさらされている人たちに強固に作用し、当人を殺しかけている。そんな事実を、当時バッシングを主導した自民党議員はおそらく知りもしないだろう。

 ちなみに、私たちも無差別に生活保護を勧めているわけではない。前回も書いたように、使える制度がそれくらいしかないから勧めているのだ。住まいがなければ仕事も見つからない。生活保護を利用すれば転宅費も出てアパート入居ができるから、まず安定した住まいを確保するために利用したらどうか、そうして働いて収入が上回れば保護を廃止すればいいのでは、と提案しているのだ。なぜなら、このまま放置すれば餓死する可能性が高いから。

 もちろん、中にはそのような説得が功を奏して「申請します」となることもある。しかし、それでも首を縦に振らない人たち。「もう少し自力で頑張ってみます」「炊き出しをまわりながら、なんとか生活立て直します」。大きな荷物を持ち、疲れ果てた顔でそう言う人の姿を見るたびに、やっぱり浮かぶのは生活保護バッシングをした自民党議員たちの顔だ。「生活保護を恥と思わないことが問題」などの発言を繰り返した片山さつき氏、フルスペックの人権を否定するような発言をした世耕弘成氏。あなたたちの言説はコロナ禍の今、呪いの言葉となって困窮者たちを縛り、命を危険にさらしていますがどう思いますか? そう問いたくなってくるのは私だけではないだろう。

 しかし、怒ってばかりいても仕方ない。私が今望むのは、あの時、生活保護バッシングを繰り広げた議員たちが、今こそ当時の言説を否定してくれないかということだ。あの時はそう言ったけれど、コロナ禍は災害のようなものだから、困窮は決して本人だけのせいではないから、どうか恥などと思わずに生活保護を利用してください。バッシングをした人たちが率先して言ってくれたら。そう望むのはあまりにも愚かなことだろうか。しかし、それで救える命は確実にあるのだ。

 この年末、厚労省は、「生活保護の申請は国民の権利です」と打ち出した。また、1月7日には全国に「生活保護申請をためらわせることがないように」という通知も出している。

 しかし、それだけでは足りないのだと思う。「権利」と言われて響く人は、もうとっくに利用している。いくら権利と言われてもためらってしまう人たちを動かす言葉は、ある意味でこれまでのバッシングを超えるような力強いものだと思うのだ。それを私はいまだに発見できていないことが歯がゆい。生きる方向に、制度利用の方向に動かすほどの力のある言葉。

 「今までたくさん税金払って支えてきたんだから、今度は〇〇さんが少しくらい支えてもらったっていいんじゃないんですか?」

 年末年始、何度も口にした。少しだけ、気持ちが揺らぐ瞬間が垣間見えたけれど、彼ら彼女らのその後はわからない。携帯が止まっているから、連絡がとれない。

 さて、そんなふうに生活保護について延々と書いてきたのは、昨年末、悲しい事件が相次いだからだ。

 まずは11月28日、小田急線の玉川学園駅で、50代の娘と80代の母親が特急列車に飛び込んだ事件。親子は数年前からお金に困っていたようで、近隣住民にお金を借りていたという。駅の防犯カメラには、列車に飛び込む一時間ほど前から二人がホームを往復し、何度も飛び込もうとしてはためらう姿が記録されていた。

 一方、12月11日には、大阪市港区のマンションで40代の娘と60代の母親が遺体で発見されている。二人は餓死したとみられ、母親の体重はわずか30キロ。冷蔵庫は空で、水道やガスも止められ、所持金はわずか13円だった。親子は昨年春頃から困窮し、次第に追い詰められていったようだ。

 どちらのケースも、生活保護を利用していれば命を失うことはなかったと思われる。なぜ、親子は特急列車に飛び込むほどに、そして餓死するまでに追い詰められたのか。公的福祉に助けを求められなかったのか。もし持ち家だったとしても、自分が住んでいて二千数百万円以下であれば問題ない(住宅ローンがある場合は別)。車があったとしても通勤や通院に必要と認められれば受けられる。

 「福祉を利用すればよかったのに」。このような事件が起きた時だけ、一瞬そんな声が大きくなる。が、今の日本は「安心して生活保護が利用できる国」ではないとも思う。「受けたくない」という人の声を聞くと、「バッシングが怖い」「バレたらどんな目に遭うかわからない」というように、世間のバッシングへの恐怖も耳にする。もちろん、バッシングは2012年以前にもあった。しかし、08年から09年にかけての年越し派遣村ではそこまで抵抗が強くなかったことを思うと、やっぱりどうにも悔しいのだ。

 さて、ここで前述した、コロナ相談村に訪れた人々のデータを振り返りたい。

 私がもっとも驚いたのは、相談に訪れた女性が全体の18%だったことだ。

 年越し派遣村の時は505人中、女性は5人。ということはわずか1%。それが2割近くにまで増えたのだ。この結果を受けて現在、女性に特化した支援体制を作ろうと女性たちで動き始めている。

 緊急事態宣言は今のところ2月7日まで。状況はこれからさらに深刻になるだろう。なぜなら、貯蓄額によって困窮に至る時期に時差が出るだけの話で、これからさらに貯金が尽きる人が出てくるからだ。

 その上、今年の年度末には大量の非正規解雇が起きるのではと言われている。3月末、次の危機が来る可能性があるのだ。

 年末年始支援が終わったと思ったら、次は年度末に向けた支援の準備。その間にも、年末年始に出会った人々へのアフターフォローや役所への同行がある。もう一年近くこんなことをやっていると思うと、時々いつまで続くのかと怖くなる。

 最後に。

 私が生活保護バッシングについてしつこく書くのは、生活保護が必要なのにためらう人を増やすことは、自殺者を増やすことに繋がると思うからだ。

 昨年4月、生活保護申請者は前年同月比で25%増となった。困窮者支援の現場感覚で言えば、それからコンスタントに増え続けることが予想されたものの、その後落ち着き、9月に2ヶ月ぶりに増加したが、それほど増えてはいない。

 代わりに昨年後半から急増したのは自殺者だ。特に女性。

 命を守るはずの政治が、弱い立場に追いやられた人々の命を奪うなんて、そんなこと、絶対にあってはいけないのだ。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。