これまでにないほど議会では「ジェンダー」の言葉が聞かれたが……
新型コロナウイルスの影響を大きく受けた2021年度の予算案でしたが、3月23日の本会議において賛成多数により可決され、豊島区議会の第1回定例会は閉会となりました。
9日間に渡り行われた予算特別委員会の審議を聞いてきましたが、今回ほど「ジェンダー平等」「女性のエンパワメント」「女性の貧困」といった言葉が聞かれたことはなかったのではないでしょうか。ジェンダーの視点から政策を見直すことの重要さについて、議員になって初めての一般質問の時から言い続けてきた私は、この1年の間に取り巻く環境は随分と変わってきたな〜と感じいったものでした。
例えば、前回のこのコラムでも指摘しましたが、豊島区の防災危機管理課に女性の正規職員がゼロであった問題については、予算委員会においてもさっそく取り上げられました。防災危機管理課の課長からは「防災の仕事は男性も女性もかわりなくできると考えており、女性職員の配置をこれまでも要望してきた」との発言もあり、4月の新しい人事では2名の女性職員の配置(一人は係長)を決めたところだとの答弁がその場で副区長よりありました。
東京新聞の一面に、女性の占める割合が23区でも最下位(職員ゼロなのは豊島区のみ)という順番のついたリストが大きく載ったことも響いたのでしょう。「こんな不名誉なことが今後ないように気をつける」とわざわざ区長が答弁でも話していました。
救援センターのような現場を取り仕切るのは男性でなければ務まらないだろうというジェンダーバイアスが、メディアのような「外部」からの指摘で外れた一つの例だと思いますが、対応は素早かったです。
「防災備蓄用の生理用品の無償配布」にまつわる後味の悪さ
さてもう一つ予算委員会でも話題になったのが「生理の貧困」についてです。この間、メディアにおいてもコロナ禍で浮き彫りになった女性の貧困の問題として「アルバイトが減り収入が減ったことで、毎月必要な生理用品が十分に買えない」といった悩みを持つ人が少なくない、ということが衝撃を持って伝えられていましたので、このテーマは予算委員会でも話題になるだろう、とは思っていました。昨年、一般質問で取り上げていた女性議員もいましたから。
予算委員会では、これまで女性の貧困などの問題について言及していなかった男性議員が「生理用品」についての発言をしていたので、ちょっと意外だなあと思いつつも、それだけ問題が一般化してきているのだなという認識は持ちました。しかしその後、区から正式なお知らせ(通常は、ニュースとなりそうな新規事業やサービスについては、議員には事前に所管課長が通知を持ってまわることが多い)がある前に、twitterで「豊島区が備蓄用として区が所有している生理用品を、困っている女性に無料で配布するらしい」というネットニュースが回ってきたのです。
えっ? いつのまに? 委員会でそういう話になってたっけ? と混乱するとともに、そのネットニュースに、A党の区議団の緊急申し入れによって区が緊急配布を決めた、というような文言が書かれているのを読んで、ずいぶんとA党に肩入れをしている記者さんが書いた記事だなあ、と思いました。そこでニュースソースの元となる豊島区のホームページを見ると、そこにも「A党区議団の緊急申し入れにより〜」と明記してあるのです。
そういうことなの? と思うと同時に、A党区議団の緊急の申し入れがあったところで、区のホームページにわざわざ特定の政党名を書く必要があるだろうか、という疑問がわきました。行政は中立の立場をとるべきなのに、公式ホームページのガイドラインは一体どうなっているんだろうか? 何かのうっかり間違いではないのか? など違和感と不安が残りました。
その後の予算委員会では、当然「備蓄用生理用品の無料配布」についての質問が出ました。前述した、このテーマについて一般質問でも取り上げていたA党とは別の党の女性議員が予算委員会のメンバーにおり、彼女は区が生理用品の緊急無料配布を決めたことを評価しつつ、さらなる今後の支援の予定やニーズの背景などについて問うていました。私が違和感を持っていた特定の政党名がニュースリリースに明記されていたことなどについては、特に触れませんでした。誰が提案したところで実現したことは喜ばしいことだとの、しごく真っ当な考えからでしょう。
それに対して女性副区長から長めの答弁がありました。女性と生理用品の関係や世界的にも問題になっている「生理の貧困」について語るとともに、この2月に立ち上げたばかりの、横断的な体制で若年女性の支援を進める「すずらんスマイルプロジェクト」の会議についても触れていました。地域で女性の支援のために活動するNPOなどの団体からの「支援活動の一つとして生理用品をお渡しすることもある」という声が今回の取り組みのヒントにもなるなど、有益な意見交換ができている、とのことでした。
ニュース発表については違和感もあったものの、それでも私は、こんなに「生理」や「生理用品」のことが公の場でいろいろ話されるようになったのも、時代がようやく変わったからかなあ、とちょっと感慨深くもなっていました。
しかし! その後はさらに、首を捻りたくなるような展開が続いたのです。
区のホームページのガイドラインを遵守しているのか
この 「防災備蓄用の生理用品の無償配布」を3月15日から豊島区が行うということは、他の自治体に先駆けた決定だったため、なかなか大きなニュースにもなりました。ネットメディアだけでなく、新聞やテレビでも紹介されていました。
私のところにも個人的に、「豊島区、すごいね!」と知人からメールが来たりもしました。一方で「Twitterでこのニュースを拡散したいと思ったけど、区のホームページを見たら『A党の申し入れによって』と書いてあって、私がその党を支持して応援しているみたいになるのでやめておこうとなった」とも聞きました。メディアリテラシーのある方なら、素朴にそう感じると思います。
区の広報の姿勢としてこれは看過するべきではないのでは、と私たちの会派でも話をし、なぜこんなことになったのか? と区の広報責任者にその見解を聞きに行きました。
会派がさまざまな政策の提言や要望を、「区長申し入れ」という形で行うことは、普通によくあることです。特にコロナ禍においては、議会中の対応や通常の予算要望だけでは間に合わないことも多く、各会派が何度も緊急申し入れをおこなっていましたし、無所属の会でも数回行いました。
そこでの提案が実現されることも多々ありますし、それについて議員協議会や委員会などで、議員が「我々が要望したことが実現した」と言うのもしょっちゅうあることです。重要な提案については、必ずしも一つの会派や議員だけではなく複数の会派から声があがることも多く、特にどこが申し入れをしたから、ということではない場合もありますが、そこは政治活動ですから、議員が自分のHPやSNSで「私がやりましたよ」とアピールすることは問題ないでしょう。政党の機関紙に「私たちがずっと要望してきたことが実現しました!」と華々しく書いたりすることも、別に良いと思います。
しかし問題は、中立であらねばならない地方自治体の公式のホームページやニュースリリースに、「A党の緊急申し入れもあり」と、わざわざ明記したことにあるのです。
区の広報責任者に「過去にもこういうことはあったのでしょうか?」とたずねたところ、「私が知る限り30年間はなかった」との答えでした。ということは、今回のことは、行政がやってはいけない一線を超えてしまったということにならないでしょうか。そしてそれがどんどん常態化していきはしないかと心配になりました。
ちなみに、豊島区のホームページの掲載ガイドライン(「豊島区ホームページ運営基準」に掲載禁止事項について、次のように定められています。
(1) 区の信用を失墜するおそれのある虚偽の情報、公序良俗に反する内容を含む情報 及び特定の個人又は法人の名誉を毀損するおそれのある内容を含む情報を提供して はならない。
(2) 特定の政党、政治団体、宗教団体、思想又は宗教に対する支持又は不支持を表明する内容を含む情報を提供してはならない。
ここに書かれていることは、ごく当たり前のことです。
その後、私たちが問題だと考えた箇所はホームページからは削除され、「豊島区は、3月15日(月曜日)より、金銭的な理由で生理用品を購入できない女性を支援するために、防災備蓄用の生理用品を配布することといたしました」と更新されていました。
なぜそんなに自分たちの「手柄」にこだわるのか
しかし、予算委員会最終日の「意見開陳」の場で、A党の議員からまたびっくりするような発言がありました。「意見開陳」とは、出された予算案について、各会派が9日間の質疑を振り返りながら、賛成か反対かの意見表明をする場なのですが、そこで「備蓄用の生理用品の緊急配布は、わが党が申し入れをしたことにより実現したことであって、他の会派の議員は自分の提案のように言ったりしないでほしい」などという原稿を長々と読み上げたのです。これが予算の意見開陳なのか? という疑問もありますし、なぜそんなに自分たちだけの「手柄」のように振る舞うのかが、私にはまったく理解できませんでした。他の党の議員も良い取り組みだと思ったからこそSNSなどで発信したのであって、それを「やらないでほしい」というのは、一体どういうことなんでしょうか。
さらに、第1回定例会の議会最終日の午前中に行われた議員協議会(議会の順序を確認したり報告事項を受けたりする会議)でも、こんなことがありました。ある党の議員が今回の一連の件について、「区のホームページのガイドラインについての確認をしつつ、やはり中立性を保たなくてはならない区のHPに特定の政党名を明記することはおかしいし、きちんとルールを守ってもらうよう、今後は気をつけてもらいたい」という趣旨で発言し、区に答弁を求めたのです。
区の答弁は歯切れも悪く煮え切らないものでしたが、議会の中でも大きな力を持つA党に気を遣っているのだろう、と少し同情的に思っていたところ、最後のところでA党のベテラン議員が大きな声で「事実なんだから党名を掲載してどこがまずいんですか!? みなさんも区のHPに乗せてもらえるような良い提案をして、どんどん区に広報してもらえるよう、がんばればいいだけじゃないですか!」というような発言をしたのです。
まるで「あなたたち、載せてもらえなくてひがんでるんでしょ」というような風にも聞こえる発言。区の責任者に対して「中立公正なルールを守りましょう」という話をしているところに、かなりずれたものであり、会議室がしら〜っとした空気に包まれた、と感じたのは私だけではなかったはずです。
「女性の貧困」を政治利用するな
私はこの間の議論や出来事を見聞きしながら、政治家や政党にとって「女性の貧困問題」は、都議会選挙や総選挙も近くなっている今、世論にアピールするための格好のテーマになっているのかなと感じ、非常に嫌な気持ちになりました。
これまで光が当たらなかった課題が注目されることはいいことだし、それで困窮している女性を支援するための予算がついたり政策ができたりするのは喜ばしいことではあります。
しかし今回のような「生理用品を困っている人に無料で配布する」というのは、ある意味一面からしか貧困問題を見ていませんし、「わかりやすくアピールしやすいものに飛びついた」感も否めません。加えて、その後の「我々の手柄に手を出すな!」と言わんばかりのゴタゴタを見ていると(しかも発言していたのは、ぜんぶ男性)、せっかくの良い取り組みも色あせてみえてきます。よく考えたら生理用品は自分で選んだものを使いたいし、肌に直接触れるものなんだから古いものだとよくないのではないか、生理用品を配布しておけば貧困対策をしたということにされたりはしないかとか、いろんなことを考えてしまいました。取り組みそのものにケチをつけるつもりはないですが、問題の本質を見ていないのではないか、と思いたくもなってしまいました。
第1回定例会は、開会の当初はこれまでになく「女性の問題」や「ジェンダー」が議題にあがり、議論が進んでいるのは良い傾向だな〜と思っていたのに、結局最後は、影響力の大きいベテランの男性議員が出てきて、大きな怒声でもって一方的な主張をされたので、「女性の貧困」や「生理用品」といった極めてデリケートで人権にかかわる問題が政治利用されたようで、がっかりの気分になりました。
結局これでは「あらゆる女性が生きやすい自由な社会」を目標として掲げている「ジェンダー平等と女性のエンパワメント実現」からはまだまだほど遠い。というか、これまでと同じような政治のパワーゲームを、言葉だけ掛け替えてやっているに過ぎないのかもしれません。もやもやが残りました。
政治や組織のフェミナイゼーションへの挑戦をやめない
そんなことを考えている時、マガジン9の連載でもおなじみの岸本聡子さんの論考「女性の代表や数を超える、組織のフェミナイゼーションという挑戦」を読んで、ああ、まさにこれだわ、と首を何度も縦にふりました。
一部引用します。
私たちの知っている政治や組織の特徴って何だろう。権力、強さ、カリスマ性、野心、緊張、競争、交渉、取引、かけひき、妥協、利益配分、足の引っ張り合い。こういう価値や文化の舞台で男性は闘い、女性も引きずりこまれる。私たちは男も女もこんな舞台で闘いたいのだろうか。役者だけでなく、この舞台そのもの、演出や照明を変えなくてはいけない。
フェミナイゼーションは政治や組織の性質や過程そのものあり方を問う。競争ではなく共有を、妥協ではなく共同を、かけひきではなく協力を。支配や恫喝を排して、少数者の声や慎重意見をすくいあげる。そのためのやり方や文化そのものを変えていこうというフェミニストからの提案である。
これが女性的な価値と言うかどうかは別として、競争とかけひきの組織運営が女性だけでなく少数者や強くないものを排除しているのは明らかだ。私たちが知っている政治や組織は野心の強い男性とそれ以上に強い女性しか生き残れない。
豊島区議会は現在、女性議員の割合が40%を超えており、日本の地方議会の中でその割合はトップクラスでしょう。一期生の私が議会に入る前から、女性の占める割合はそこそこ高い方でした。しかしそこに入ってみての感想は、岸本さんが書いている通り「権力、強さ、カリスマ性、野心、緊張、競争、交渉、取引、かけひき、妥協、利益配分、足の引っ張り合い」であり、「こういう価値や文化の舞台で男性は闘い、女性も引きずりこまれる」を、まさにやっているように見えます。
私たちに足りなくて必要なことは「競争ではなく共有を、妥協ではなく共同を、かけひきではなく協力を。支配や恫喝を排して、少数者の声や慎重意見をすくいあげる」。
まさに「フェミナイゼーション」です。
SDGsやジェンダー平等を掲げたところで、またみんながSDGsのバッジをつけたところで、その本質を理解できていないと、この国はいつまでたっても変われないでしょう。
ベルギーで暮らしヨーロッパに活動の拠点を持つ岸本さんでさえ「私たちを取り巻く政治、組織、職場、ひいては家族内の支配と競争の文化を問うのがフェミナイゼーションだと思う。私が所属する小さな非営利組織の職場でも、ケアを基盤にするフェミナイゼーションはほど遠い」と書いているのだから、その道はなかなか険しく遠いのだと思われます。しかしながら、やはり目指す目標は間違えないようにしなくては、と強く思った定例会でした。