最近、「選択的夫婦別姓」についての議論を耳にすることが多くなりました。今年4月には、米国・ニューヨーク市で別姓を選んで結婚した映画監督の想田和弘さん、映画プロデューサーの柏木規与子さん夫妻が、日本に婚姻関係の確認などを求めた「夫婦別姓確認訴訟」の判決が東京地裁で出されました。判決文では、戸籍への記載などの訴えは退けられたものの、「婚姻関係自体は有効に成立している」と認定。また、このほか事実婚の夫婦が別姓の婚姻届が受理されないのは違憲だとして申し立てた3件の家事審判について、今後、最高裁が大法廷での憲法判断を示すといわれています。
マガジン9編集部にも、選択的夫婦別姓制度を実現させたい、と語るスタッフが何人もいます。ではみんな、「結婚」や「姓」に対してどんな思いを抱いているの? どんな理由で「選択的夫婦別姓制度が必要」だと感じているの? そんな疑問が膨らみ、何人かのスタッフに話を聞いてみました。
スケジュールの都合上(と、編集部におけるもともとの男女比率の関係で……)、話を聞けたのは女性スタッフのみ、しかもフリーランスで働いている人ばかりと、とても「平均的」な声とはいえません。でも、同じようにマガ9に関わっていても、それぞれの感覚や思いは本当にさまざまだと感じさせられました。別姓を求める理由というと「仕事で不便だから」「アイデンティティを守りたいから」といった声が目立つけれど、それだけではない。これもまた、リアルな声なのだと思います。
「結婚」とは何か、「姓」とは何か。選択的夫婦別姓制度は、なぜ必要なのか。そんなことを改めて考えるきっかけになればと思い、スタッフそれぞれの声をご紹介します。
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●子どもと姓は違うけれど、いやな思いをしたことはない(スタッフA)
若い頃はとくにフェミニズムに関心があったわけではありませんが、結婚したら女性が改姓するのが当たり前のようにいわれることにはずっと疑問がありました。でも十数年前、30代のはじめで結婚したときは、抵抗はあったものの周囲に説明するのも面倒で、夫の姓に変えたんです。
仕事は元の姓で続けていたものの、病院などで夫の姓で呼ばれるたびに違和感は膨らむ一方。結婚するとき、夫に改姓に対する違和感を訴えてもなかなか伝わらなかったことも関係していたかもしれません。結局、パスポートの更新を機にペーパー離婚し、数年後に事実上も離婚を選びました。姓のことだけが理由ではないけれど、今思えば遠因の一つだったとは思います。
今のパートナーとは特に結婚は考えないまま一緒に暮らし始め、妊娠が分かったときも、単純に「じゃあ結婚しよう」とはなりませんでした。いろいろ話し合った結果、子どもは一緒に育てていきたい、でも2人とも姓は変えたくない、子どもは夫と同じ姓にしたいということに。それが叶えられて、一番面倒ではなさそうな手続きとして、「出産前に胎児認知をしておく、婚姻届を出してから出生届を出し、すぐに離婚届を出す」という形を選びました。現状としてはペーパー離婚を経た事実婚ということになります。
子どもと私の姓は異なるけれど、特に違和感はないし、いやな思いをしたこともほとんどありません。学校や役所、銀行などでも特に何か聞かれるようなことはないし、周囲にも「事実婚です」と伝えていますが、「そういうもの」と受け止めてもらっているように感じます。ただ、それは住んでいるのが東京だからで、地方だったらまた違うかもしれない、とも思いますが。
今も、子どもに関係する場では夫と子どもの姓で呼ばれたり、自分で名乗ったりすることもありますが、特に抵抗は感じません。私にとっては戸籍名というか「本名」がもともとの名前であることが一番重要で、そこがしっかりあるからだと思います。ただ、それもあくまで「私にとって」であって、常に本名を名乗りたい人、戸籍名にはこだわらない人、そして家族で同じ名字を名乗りたい人など、感覚はそれぞれ違うでしょう。そのそれぞれの感覚を大事にできるような制度設計を望みます。
●夫婦同姓の強制は、利便性やアイデンティティだけの問題ではない(スタッフB)
私自身は、結婚を機に夫の姓に変えました。ただ単に旧姓が好きではなく、夫の姓の字面が好みだったため。また、結婚する前に夫から「自分が改姓してもいい」という一言があったためです。もし、旧姓に愛着があり、夫が「俺は改姓しないよ」という態度なら、少なからず悩んだことでしょう。
現在は、住民票にも運転免許証にも旧姓を記載して、仕事は旧姓、プライベートは夫の姓と使い分けています。そのハイブリッド感は意外と便利で、オン・オフの切り替えに役立っています。仕事で旧姓を通しているので、アイデンティティの喪失感もありません。それでも、現状の夫婦同姓強制には反対。選択的夫婦別姓の導入を強く望みます。
夫婦同姓を強いられている現状は、個人の利便性やアイデンティティを超えた大問題です。おそらく、選択的夫婦別姓にしても、一般国民で不利益を被る人はあまりいないでしょう。にもかかわらず、遅々とし議論が進まない理由は、やはり政治的な思惑があるとしか思えません。
自民党の中でも保守派の人達は、選択的夫婦別姓にすると「伝統的な家族が失われる」などと主張しますが、夫婦同姓が始まったのは明治31年で、伝統と言えるほどのものではないことは明らかです。頑なに選択的夫婦別姓を認めないのは、合理的な理由ではなく、「伝統的な家族」というイメージを好む支持者の票がほしいがため、ではないでしょうか。
それと、結婚で改姓する人のほとんどは女性ですから、議員の大半である男性にとって「他人事」なのでしょう。無意識のうちに「押さえ込み可能」「面倒なこと」という目で、問題を捉えているように感じます。夫婦同姓の強要は、男性優位社会の象徴。マイノリティーの話を聞かない“オッサン政治”の表れだと思います。だから、私のように夫婦同性で困っていない人にも、選択的夫婦別姓は必要なのです。旧姓の通称使用を拡大するなど事務的な話ではなく、国として正式に選択的夫婦別姓を認めることに意義があります。
どうしても夫婦同姓を維持したいのなら、政治家は「伝統的な家族」などというイメージだけで議論をかわすのではなく、何が合理的なのか、多様性を犠牲にしてまで維持したいのは何かを、正直に話すべきです。このままずるずる時間ばかり経つなんて、歯がゆいったらありません。
●制度をアップデートしてほしい。社会的には不安定な事実婚(スタッフC)
私がいまの結婚制度や、それに対する周囲の認識に疑問を感じたのは、20代後半のとき。結婚話と親の病気による介護が重なったことがきっかけでした。結婚話が進むにつれて、親が「おまえは嫁にいくのだから、相手の家のことをまず考えて、実家の介護のことは心配しないでいい」と言い出したのです。
親の介護生活が始まったばかりの大変な時期なのに「結婚したら、私は『相手の家の人』になってしまい、実家よりも相手の家を大事にしなくちゃいけないの?」と感じてショックでした。婚約相手は地方に住んでいて、相手の親が「いずれは家業を継いでほしい」と希望していたことも両親が遠慮する理由になっていたようです。
私にとっては、自分の親も相手の親も同じように大切な存在。相手の家業にも関心があったので移住して手伝うことにも抵抗はなかったのですが、私が姓を変えたら、親はますます私に頼ることを遠慮してしまうんだろうなと感じて、なんだか結婚に抵抗を感じるようになりました。そうして意識してみると、そもそも現在の結婚制度は家に入るとか入らないとかいうものではないはずなのに、「嫁に行く」「相手の家にはいる」という言い方があるように、実際にはそういう認識を持っている人が多くいることにも気づきました。同姓婚の強制や、ほとんどの場合で姓を変えるのが女性であることが、こうした認識と結びついてしまっているように思います。ですから、「じゃあ、相手があなたの姓に変えたらいいじゃない」という問題でもありません。
周囲には事実婚の人も何人かいて、対等なパートナーシップという意味では、それが今のところ一番自分の気持ちにはしっくりくる形です。しかし、事実婚というのは制度からの抜け道のようなもの。いざというときに家族として認められるのか、社会的には不安定な関係です。それにもかかわらず、事実婚の人たちが私の周囲に少なからずいるというのは、現状と制度が合っていないということではないでしょうか。結婚についての認識をアップデートしていくためにも、別姓婚という選択肢をきちんと国が認めて制度化してほしい。そのことの意味はとても大きいと思います。
●別姓のままの法律婚、ストレスなく便利(スタッフD)
団塊世代である私が若かった頃、女の子は結婚して夫の姓を名乗り、専業主婦になるのが当たり前でした。一方で全共闘世代でもあり、私もウーマンリブの影響を強く受け、学生時代から「経済的精神的自立」を強く意識するようになりました。なので結婚には興味がなく、仕事がおもしろくて、ずっとそのまま独身で生きていくのだろうと思っていました。ところが人生は奇なもので、37歳の時結婚することになりました。れっきとした法律婚です。名前を変えるなんてとんでもないと踏ん張っていたのにあっさり法律婚したのは、相手が日本国籍のない外国人だったからです。国際結婚では原則夫婦別姓。「今のままの名前で結婚できるなんてラッキー」という感じでした。
あえて法律婚したのは夫の在留資格が必要だったからです。留学生だった夫は結婚後まもなく卒業し、在留資格は「配偶者ビザ」へと変更になりました。法律婚していなかったら、即座に不法滞在になったかも知れず、やはり結婚の威力は大きいと、実感しました。私も結婚休暇(お祝い金も)とか忌引きとか、職場で堂々と休みがとれるようになって気持ちが楽になりました。また夫の国を訪ねるときも入国審査がスムースに進むので、結婚って便利だなと思います。
名前が変わらないのでずっと続けてきた仕事にも支障なく、アイデンティティの喪失とか、違う名前で呼ばれる違和感などもなく、ストレスはありません。
その後子どもが生まれ、日本では私の姓、向こうでは夫の姓を名乗ることで、何ら問題なく過ごしてきました。
「別姓のままで法律婚」って、ストレスはないし夫婦としての法律的な権利は保障されるし、とても便利。「家族の一体感」ですか?さあ、それは意識したことないけれど、なくても困らない。余計なお世話です。夫婦別姓婚、絶対おすすめです。選択肢の一つとして、日本人同士の結婚にも認められるべきだと思います。
●結婚したら改姓するのは当たり前と思っていたけれど……(スタッフE)
結婚したら夫の姓に変えるのが当たり前、むしろ好きな人と同じ名前になれてうれしい、というタイプでした。だから結婚したときはすんなり改姓したし、別姓婚なんて、最近ニュースで知ったくらいで、身近で話題になることもありませんでした。
ただ、私は今も実家の仕事も手伝っているし、主人とは財布は別だし、法律婚の夫婦といえども、なにもかも一緒というわけではありません。当時、別姓婚が認められていたら、選んでいたかなあ……?
それはわかりませんが、地方では今でも結婚は家と家との結びつきと捉えられていて、結婚披露宴の案内が本人たちの名前ではなく「○○家」で来ることもまだあります。そういう「家」を強調するような空気は変わって欲しいし、いろいろな選択肢はあるべきだと思います。
●婚姻制度が、女性の自立を妨げてきたと感じる(スタッフF)
私が夫婦同姓以前に、そもそも法律婚に関して懐疑的なのは、最初の結婚に際しての経験があるからかも知れません。
25歳の時、恋愛の末に結婚しようということになりました。その時、思ってもみなかったことに義父に反対をされました。婚約者は東京で会社員をしていましたが、実家は地方の保守的な土地柄の農家であり、彼は長男でした。そのために「嫁」は同郷の人が望ましいという理由からでした。驚きましたが、義父母の考える結婚はその家に嫁ぐという昔ながらの「嫁入り」そのものだったんですね。
結婚についてはなんとか承諾されたものの、二人の新しい戸籍の本籍は彼の実家の住所にするようにと言われました。長男なんだから家督を継ぐのは当然で、嫁に入るとはそういうものだときっぱり言われました。結婚って、相手の家に入るということ? そんな決まりがどこに書かれているのか、といろいろ調べるうち、日本国憲法に出会いました。憲法24条に「夫婦が同等の権利を有することが基本」「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚し」と書かれてあるのを読み、義父母の言っていることは間違っていると確信。憲法を持ち出してきて抗議したのだから、めんどうくさい「嫁」がきたと苦々しく思ったんじゃないでしょうか。
私のほうが姓を変えたり、戸籍の筆頭者に彼がなったりしたことについても、多少違和感はありましたが、そこはこちらが妥協しました。ただ私が勤めていた会社を辞めてフリーランスで働くことになり、「扶養家族に入るか?」と聞かれた時に、「私はあなたの付属物ではない」という思いが強くて、頑として入らなかったという経緯もあります。受けられる控除や社会保険料など、冷静に考えるとものすごく「損」をしていたわけですが。その後、数年間結婚生活を続けましたが、結局離婚しました。
今の日本の婚姻制度の問題は、名前だけではないと思っています。さまざまなことが家族単位でくくられるため、本来は個人単位で受けるべき福祉の阻害になっていることも多いのではないでしょうか。例えば昨年のコロナの特別給付金も世帯単位で支給されましたが、世帯主が独り占めをしてしまったケースがあったりと、個人単位でない故にこぼれ落ちた人がいたわけです。
また婚姻によって女性の多くが姓を変え、世帯主も約90%が男性という現状をみると、この婚姻制度こそが女性の自立を妨げてきたとも言えます。コロナ禍でクローズアップされた女性の貧困につながる賃金差別など、社会問題の根幹に関わることだと思います。「女性は結婚して男性の扶養下に入るものだから」という時代遅れの考えが、婚姻制度には染みついてしまっているように思えて仕方がありません。
経済的にも精神的にも自立した個人を尊重し、それを基本とする社会であって欲しい。ひとりひとりにマイナンバーをつけて情報を一元管理するというならもはや不要になるし、「家制度」の名残りでしかない戸籍制度を廃止すべきだと思います。
そんなことを考えているので、今のパートナーとは、結婚届は出さず、事実婚状態を続けています。今のところとくに不便だとは感じたことはありませんが、おそらく「節税」という面からは法律婚をした方が「得」なんだとは思います。それでも「女性の自立」にこだわる私にとっては、たとえ別姓婚が認められたぐらいでは、今さら届を出すかどうかは微妙ですね。
●旧姓と夫の姓を使い分けているけれど……どちらも私(スタッフG)
結婚時に夫の姓に改姓し、仕事では旧姓を使用しています。改姓したのは、旧姓が珍しい名前で、読み方や漢字をいちいち説明しなければならず面倒な思いをしていたのも理由のひとつです。シンプルな夫の名になっていろいろな場面で楽になりました。私の父も「名前なんてただの記号だ」と言っていたし、義父母も合理的な人たちで「夫婦は同等」という考えなので、嫁という扱いはされず、改姓によってアイデンティティを失ったという思いはありません。
旧姓の説明は面倒だった一方で、個性的な名字に愛着もありました。今は戸籍名と旧姓を使い分けていますが、最近は公的書類も旧姓併記が広く認められるようになって、特に不便は感じていません。ただ、スマホの家族割とか変更手続きとか、どちらの名前にしていたのかわからなくなり、混乱することもあります。
私にとって二つの名前はどちらも自分。どちらかが本当の自分だとか、こっちのほうが大事とかそういう気持ちはありません。別姓婚が認められたとしても、手続きが面倒そうなので、たぶんこのままで行くと思います。
ただ、私が「このままでいいかな」と思うのはフリーランスで仕事をしていて、旧姓を使いやすい環境にいるからだと思います。名前を変えたくないという人の気持ちもよくわかるし、選択的夫婦別姓には大賛成です。日本の伝統だからとか、家族の一体感がくずれるから同姓でないとだめとか、そんなことはありえません。
今の社会はすべて「稼ぎ手である男性と扶養される妻、子ども」という家族単位でものごとが決められていて、そこから外れた人が不利益を被ったり、生きづらさを感じたりするのは、おかしい。多様な選択が出来る社会であって欲しいと思います。
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多様なライフスタイルを、自由に選べる社会に──話を聞いて、ウーマンリブ世代の私が考えたこと(スタッフD)
夫婦別姓はウーマンリブ世代にとってはまさに悲願でした。50年ほど前の日本では、結婚と言えば「女性のほうが名前を変える」のが当たり前だったので、ジェンダー差別に目覚めた女性たちも、とりあえず改姓し、仕事上は旧姓を名乗って、何とかバランスを取ろうとしてきました。
しかし「明治民法的な入籍という言葉がとてもいやだった」「通称使用は面倒なだけでなく、外国では二つの名前を使い分ける犯罪者扱いされるところもある」「戸籍名が違うことで会社の経理や給与かからいやみをいわれた」「パスポート名が仕事で使う通称と違ってトラブった」「事情があって夫が私の名前に改姓したが、婿養子に入ったのかとか、女房の尻に敷かれているとかいろいろ言われるらしい。そのため私はずっと夫に対して申し訳なさを感じてきた」など、彼女たちは改姓への違和感、不快感、二つの名を使い分けることの不便、不都合、改姓が女性だけに当然のように要求される不公平感をずっと抱いて生きてきたのです。
それから半世紀、通称使用や旧姓併記が広く認められ、二つの名を持つことへの不都合が大幅に改善されていることが、今回話を聞いてみて明らかになりました。BさんやGさんのように、二つの姓を積極的に使い分けている人も。夫婦別姓はすでに実態として確実に社会に根付いているようです。
また、話を聞いた人の半分以上は事実婚でした。彼女らは皆、フリーランスの編集者やライターなど自由業で、都市部在住ということもあって、特に不便や不都合を感じることなく「普通に」生活できていると語っています。事実婚という言葉が一般的でなく、婚姻届を出さない結びつきは「同棲」とか「内縁関係」とか背徳的なイメージがつきまとった半世紀前とは、隔世の感があります。
それでも「パートナーの親は、口に出しては言わないけれど、なぜ法律婚をして同じ姓にしないのか理解できずもやもやした気持ちを抱えているのがわかる。親たちにそんな居心地の悪い思いをさせていることに申し訳なさを感じる」「親しくもない人から“なぜちゃんと結婚しないのか”とかあれこれ詮索され、自分のことだけを考えているわがままな人のように言われるのも不愉快」などの声もあり、事実婚への世間の偏見はまだまだ根強いようです。
ここまで事実婚や旧姓使用が社会に滲透しているのなら、なにも別姓婚を制度化しなくてもいいのではないか、そんな声も聞かれます。しかし事実婚でいられるのは双方が健康で働けて収入もあればこその話。どちらかが病気になったり失業したりすれば配偶者控除など、法律婚でないと受けられない特典が必要になるでしょう。
さらに年を取れば病気になって、病院から検査や治療への同意を求められたり、臨終に立ち会うなど、事実婚ではできないあるいは面倒な手続きがいるなど、不利益を被ることが多くなります。また生命保険の受け取り人になれないこともあるとか、税金、年金、保険、相続など、いざというときに立ち現れる「婚姻の壁」は、まだまだ高いのです。
「婚姻制度が女性の自立を妨げ、貧困にもつながっているのでは」などと、Fさんが指摘した現状の婚姻制度そのものへの疑問についても、同意する声が聞かれました。婚姻制度の問題点は、決して名前だけではないのだと感じます。
結婚を巡っての価値観、選択は人それぞれ。多様なライフスタイルが語られ、多様な意見が交わされましたが、全員一致選択したのは「選択的であるべき」という点。法律婚、事実婚、別姓、同姓(さらに同性も)、そのどれも自由に選べて、どれを選んでも平等に扱われる社会であって欲しいと思います。