刑事司法における法曹三者の役割 講師:頃安健司氏

37年にわたり検察業務の中枢を経験された頃安健司氏は、現在は弁護士となり刑事司法の第一線で活躍されています。検察官と弁護士の両方のご経験から、日本型刑事司法の特徴、そして問題点についてお話しいただきました。[2021年4月3日@渋谷本校]

検察官と弁護士、立場は違っても目的は同じ

 そもそも検察官を志望した動機からお話ししますと、大学で法学部に入った当初は、司法試験を受けるつもりはありませんでした。しかし、民事訴訟法の三ヶ月章(みかづきあきら)教授の講演を聞きに行った時に、「アメリカのロースクールでもドイツの法学部でも学生はみんな司法試験を受ける。諸君も法学部に入った以上、司法試験を受けなければならない」と言われました。それで、その気になって司法試験を受けたわけです。
 裁判官・検察官・弁護士のどの道を選ぶかは司法修習の間にゆっくり考えればいいと思っていましたが、当時の検察の教官が非常に魅力的であったこと、そしてもともと民事事件より刑事事件に興味があったため検察官を選びました。
 裁判官・検察官・弁護士は「法曹三者」と呼ばれ、それぞれが役割を果たすことで適正な刑事司法が実現します。検察庁を退官して弁護士になったときに「犯罪者を糾弾する立場から犯罪者を弁護する立場に変わったことに戸惑いはありませんか」と多くの人から聞かれましたが、立場が変わっても適正な刑事司法を実現するという目的は同じなのです。

日本型刑事司法の特徴とは

 最近は、日産自動車元会長カルロス・ゴーン氏の事件などを機に、「日本の刑事司法は西洋より遅れているのではないか」という声も聞きますが、刑事司法というのはその国の文化や社会に根差すものだと思っています。他国の通りにやっても同じようにうまく機能するわけではありません。
 日本の刑事司法の特徴として、まず挙げられるのが「無罪率が非常に低いこと」だと思います。最高裁判所の無罪率の統計によりますと、100件に1件もありません。これに対して「裁判官は検察官の言いなりではないか」という批判がありますが、そこには少し誤解があります。無罪率が低いのは、100%有罪だと確信できる事件しか検察官が起訴していないからなのです。
 間違って起訴すれば、起訴された本人や家族は大変苦しい思いをするわけですから、我々は事実認定を厳密に行うようにと教育指導を受けました。その結果、有罪率が高く、無罪率が低くなっているのです。刑事法の恩師である平野龍一先生が、ただ無罪率が低ければいいという問題ではなく「適正無罪率」が大事だという指摘をされていますが、私もその通りだと思っています。
 要するに検察官が「100%有罪に間違いないという確信がなければ起訴しない」という厳しい起訴基準に則っているために、非常に有罪率が高いのです。逆に、起訴を非常に絞っているために、本来罰すべきものが罰されてはいない可能性があるのではないかというのが私の問題意識です。
 それから、これもゴーン氏の事件で有名になったことですが、いわゆる「人質司法」の問題があります。日本は保釈率が低くて勾留期間も長いので、第一回公判が終わるまで保釈が認められないということが行われています。そのことが「勾留によって被告人を人質にしている」と指摘されているのです。私が検察官だった頃は「そんなことはない」と思っていました。しかし、実際に自分が弁護士になって刑事弁護をしてみると、やはり日本には人質司法というものがあると痛感させられました。
 具体的な事件で例を挙げますと、ある自動車の中古販売業を営む人が脱税で捕まり、その弁護を依頼されたことがありました。被告人は起訴事実を全て認めていましたので、弁護人である私からは証拠隠滅の恐れはないように見えたのですが、検察官や裁判官に交渉してもどうしても保釈してくれません。なぜかというと、特に脱税事件では被告人が第一回公判で急に否認に転じる例があるからです。それがために、なかなか納得してもらえない。
 しかし、その被告人は中小企業の社長でしたので、身柄を拘束されてしまうと資金繰りに走ることもできず倒産してしまいます。被告人から「なんとしてでも保釈で出してください」と言われて、私も検察官や裁判官に事情を説明したのですが、結局は第一回公判で被告人が認めるまで保釈はされませんでした。

取り調べが重要視される理由

 もう一つの大きな特徴として、「取り調べの重要性」があります。捜査の段階においては被疑者・参考人から時間をかけて事情を聞き、それに基づいて事実認定をして起訴か不起訴かが決められます。そのため、検察官の仕事の大部分は、被疑者・参考人の取調べに充てられるのです。これに対して弁護人側からは、「自白の強要がなされているのではないか」という批判を受けています。それを受けて、現在では取り調べの様子を録音・録画するようになりましたが、それでも日本ほど濃密な取り調べが行われている国はないと思います。その理由の一つは「何が真実かは被疑者が一番よく知ってるはずだ」という考え方があること。そしてもう一つ、本当のことを話してもらうことによって被疑者に反省してもらうのだ、という考え方があるからです。
 そして、最後に日本の刑事司法の特徴として挙げられるのは「刑の軽さ」です。極端な例でいうと「人を殺すつもりで殺した=殺人(被害者が一人の場合)」は、事情にもよりますが、日本では懲役10年から無期懲役というのが大体の相場です。これがアメリカだと「Life or Death」、つまり終身刑か死刑です。それくらい欧米の司法と日本の司法では刑の軽重が違います。なぜかというと、「それだけ刑が軽くても日本の安全が守られているからだ」と言われています。アメリカでは凶悪事件が非常に多く、しかも罪を犯した者が必ず捕まるわけでもありません。人を殺しても捕まらないかもしれないと思えば、犯罪を抑止する気持ちは薄れます。刑事司法の犯罪抑止としての機能が働いているかどうかの違いではないかと私は思います。

捜査から始まり矯正と保護で終わる

 私は若い頃アメリカに留学してアメリカのロースクールで刑事司法を勉強しましたが、アメリカでは刑事司法というのは、警察の捜査から始まって検察、裁判、矯正、保護、これらすべてをひっくるめたシステムのことを指します。ところが日本では、この「矯正と保護」が抜け落ちていると言えます。
 大学でも刑事訴訟法に重点を置いて講義が行われるため、矯正・保護までを含めた一連の流れとして捉える視点は薄いように思いますし、裁判中心主義的な教え方になっていると感じます。とくに法学部で司法試験を受けようという方々は、なかなか矯正、保護のことにまで関心がいかないのではないでしょうか。
 私がアメリカで勉強していた当時の教授は、仮釈放するかどうかを決める委員会の委員もしていました。その先生がこう仰っていたのを覚えています。
 「ある人が罪を犯して刑務所に入ると、その人は社会で仕事をすることが出来ないので、国家はその人が働いて得た収入から支払われる税金を失う。それどころか、残された家族を国家の費用で養わなければならないかもしれない。それに比べて、その犯罪者を社会内で処遇すれば、彼は働くことができるので家族を養うことも出来て税金も払ってくれるのだ」
 施設内処遇と社会内処遇を比べたら、社会内処遇の方がはるかに効率的で優れているということでした。私は、非常にプラグマチック(実際的)な考え方だと感心したものです。罪を犯した人を刑務所外=社会内で処遇することには、いろいろな面でプラスが大きいため、日本でも最近ではとても重視されてきています。
 刑事司法というと、まず裁判官や検察官、弁護士のことを思い浮かべるでしょうが、矯正機関である刑務所、保護観察官や保護司といった重要な存在のこともご記憶いただきたいと思います。
 日本に帰ってからは、こうしたアメリカでの経験が非常に役立ち、日本の制度と外国の制度を比較して考えることもできました。みなさんも将来法律家になられた際には、いろいろな経験の機会があると思いますが、外国の司法制度を勉強する機会がありましたら積極的にその機会を利用することをおすすめします。

弁護士・元大阪高検検事長。1964年、司法試験合格。翌年3月に東京大学法学部卒業後、最高裁判所司法研修所入所。1967年4月、東京地方検察庁検事に任官。その後は法務省官房長、最高検察庁総務部長、法務総合研究所長、札幌高等検察庁検事長、名古屋高等検察庁検事長、大阪高等検察庁検事長の要職を経て、2004年6月に退官。37年にわたり検事としての職に就く。2004年7月、第一東京弁護士会登録。2008年7月、TMI総合法律事務所顧問弁護士就任。