第18回:「命の経済」の回復~資本主義を問うフェミニストの視点から~(岸本聡子)

 この連載の第15回で欧州グリーンディールの弱点を論じた際、最後に「フェミニスト・グリーンニューディール」が各地で芽生えていると書いた。インドの開発経済学者ジャヤティ・ゴーシュ(she/her)の言葉を振り返りたい。

 「世界規模で、グリーンだけでなくレッド、ブルー、パープルのニューディールが必要です。グリーンは環境と生態系の崩壊を止め、生産と消費を変更し、温暖化効果ガスの排出を劇的に減らすこと。レッドは極端なまでになった富の格差を是正すること。ブルーは汚染されてしまった海や淡水を回復すること。パープルは、労働者階級の女性を中心とするエッセンシャル・ケアワークを経済価値システムの中心にすることです」

 医療、病院、教育、食料(流通)、保育、介護、福祉、自治体サービス、清掃など社会に必要な仕事の3分の2を女性が担っている。しかし、その価値は過小評価され、賃金は抑えられているか無償である。『99%のためのフェミニズム宣言』(人文書院)の筆者の一人のティティ・バタチャーリャは、このような分野を「ライフメイキングシステム(命を育む仕組み)」と呼ぶ。その対極は、軍事、武器、化石燃料、車、原発などの「デス(死)メイキングシステム」だ。

 資本主義は労働力を得るために、やむを得ずライフメイキングシステムに依存しながら、常にこれを攻撃してくる。賃金を減らし民営化を推し進める。彼女は、命を育む仕組みを社会、政治、経済の中心にしなくてはいけないという。

 2008年の世界経済危機以降、ヨーロッパでは緊縮財政が正当化され、10年以上にも渡って社会保障費の削減、医療サービスのアウトソースや民営化が粛々と進行した。結果、多くの国で経済の回復は遅れ、賃金は低下し、格差は深まった。そういう中、新型コロナウイルスが世界を襲った。パンデミックは緊縮財政や民営化がもたらす破壊的影響を明らかにしただけでなく、健康かつ危機に強い社会の基盤は、ケアを含めた多岐にわたるエッセンシャルワークとその従事者によって支えられていることをはっきりと示した。この世界的な経験にもかかわらず、日本ではオリンピック・パラリンピック下で医療従事者の圧迫が続いている。

フェミニストが捉える危機と回復

 2020年3月にパンデミックが始まり、アジア太平洋地域のフェミニストネットワークAPWLDは「COVID-19は新自由主義的な資本主義の失敗を明らかにした:私たちにはフェミニスト的なグローバルな連帯が必要だ」と題した論考をいち早く5月に発表した。

 医療、ケア分野の従事者の70%は女性で、コロナ禍で高い危険に晒されて仕事をしている。経済、社会、政治の複合的な危機が明らかになり、社会の中で一番周辺化された人々が、一番かつ最大の痛みを受けることもまた明らかになりつつあった。ロックダウン中の家庭で、家父長制とジェンダーにより規定された無償の(育児、介護、家事などの)ケアワークが固定化され、その中で家庭内暴力が世界中で増えたのだ。

 この論考の発表から、1年半が経過した。この間、国際的フェミニストのネットワークは、他の社会運動と急速につながり、政治経済の鋭い分析や提案を目覚ましいスピード感で世に送り出してきた。それらは現在の植民地主義と家父長制の延長にある、限りない人間の搾取と自然の収奪によって利益と成長を求める資本主義を根源的に問う。

 その先にあるビジョンは、一言で言えば、「人間と環境のケアを最優先する公正な経済を実現する改革」である。具体的なテーマは、労働、(公正な)税制、債務、気候変動 (気候正義)、食料・種子(主権)、デジタル政策、貿易・投資政策、刑事司法、そして警察権力にまで及び、包括的だ。

 イギリスのウォーリック大学のフェミニスト・リカバリープラン(回復計画)プロジェクトがまとめた政策提案の資料集も圧巻だ。フェミニストがリーダーシップをとる草の根運動の進化・深化を見ながら、脱資本主義を目指す「パープルのニューディール」の道筋に想像力を膨らませていきたい。

高齢者介護ビジネスから巨額の利益をあげる

 変革のためには、現実を把握しなくてはならない。ヨーロッパの状況は、公正なケアエコノミーとは対極のシナリオにある。

 ヨーロッパ10カ国をカバーする調査ジャーナリズムのコンソーシアム「Investigate Europe」は一国を超えたヨーロッパ全体の課題を各国のジャーナリストが協力して調査し、各国語で発信する貴重な独立メディアだ。Investigate Europe の最新の調査報告は「グレー・ゴールド──ヨーロッパの巨大な高齢者ケアビジネスの実態」である。

 このレポートは、初期のヨーロッパのコロナ禍で亡くなった人の約半数が高齢者ケアホームの居住者だったことを受け、今まで見過ごされてきた高齢者ケア施設の実態にせまった。フェミニストがリーダーシップをとる社会運動がケアやエッセンシャルワークの実態を訴えたことで、調査ジャーナリズムの課題に押し上げたともいえる。

 レポートの内容を短くまとめると、こうだ。

 ケアワーカーの不足と低賃金の長時間労働が各国共通の課題としてある中で、高齢者ケア施設の民間参入が急激に拡大し、この傾向に拍車をかけている。スペイン80%、イギリス76%、オーストリア49%、ドイツ43%、ポルトガル29%、フランス23.9%、ベルギー21%と、各国の高齢者ケア施設はすでに利益拡大を最優先する国際的な民間ケアビジネスの手中にある。なかでも最大手の2社はフランス資本のOrpeaとKorianで、約1700の施設(15万のベッド数)をヨーロッパ各国で運営する。

 高齢者社会の進行で、ケア施設の市場は拡大するばかりだ。EU加盟国にイギリス、ノルウェー、スイスを合わせて、年間2200億ユーロ(約28.6兆円)の公的資金が投入され、さらに600億ユーロ(約7.8兆円)が居住者の財布から捻出されている。トップ25の民間ケア会社であわせて約45万5000人分のベッドを有し、その増加率は4年間で22%である。

 Investigate Europeの調査は、このような巨大なケアビジネスの経営ガバナンスを解明していく。すでに30に及ぶプライベート・エクイティ・ファンド(以下PEファンド)(※)がケアビジネスに参入、2834のケア施設(約20万のベッド数)を所有していることを明らかにした。PEファンドは企業・事業体を買収し、別の企業・ファンドに売却することを主たる事業とする攻撃的な投資行動で知られる。

※PEファンド:複数の機関投資家や個人投資家から集めた資金を基に事業会社や金融機関の未公開株を取得し、同時にその企業の経営に深く関与して「企業価値を高めた後に売却」することで高いIRR(内部収益率)を獲得することを目的とした投資ファンドである。

 ケア施設の民間経営そのものは新しいことではない。政府は新しい公的ケア施設を作るお金も、直営で維持する資金も「不足し」、民間参入を正当化、促進してきた。とはいえ、実際のところ民間ケア施設には巨額の公的資金が使われ、さらに居住者から料金を得て運営されている。しかも、民間ケア施設はスタッフを減らし、ベッド数を増やすことで「効率性」を上げてきた。

 OECDはコロナ前の2019年に「高齢者ケア施設はスタッフが不十分で、適切な資格を有していない労働者を安く雇い、ケアの質と安全性を犠牲にしている」と報告している。日本にも共通する姿だろう。言うまでもなく労働者に非はない。コスト削減を宿命とする経営ガバナンスの問題である。

ケアワーカーの現実

 名もない労働者階級の普通の家族の姿から、イギリス社会の格差の問題に切り込む、ケン・ローチ監督の映画『家族を想うとき』を思い出す。高齢者の訪問介護をする介護ケアワーカーのアビは、丁寧なケアをしたくても時間が許さない。彼女は「すべての人を自分の母親だと思ってお世話する」という仕事倫理を大切にしているが、一日10時間を超える労働に疲労していく。週6日の長時間労働、ガチガチのシフトとノルマでいっぱいいっぱいの両親は、繊細な年頃の息子に寄り添う時間もない。

 私のデンマーク人の親友アネッタも、アビと同様に高齢者を訪問してお世話するケアワーカーだ。福祉国家の北欧でも、競争や選択の自由の名の下に介護分野に民間企業が参入している。アネッタもそのような民間が運営する訪問ケア会社の職員だった。

 ある日、初めて訪れるお世話先の高齢者が言葉でコミュニケーションできないことをアネッタは会社から知らされていない、ということがあった。家の中や介護内容を把握するのに通常の数倍の時間がかかってしまう。が、ケアワーカーは会社から時間で厳しく管理されているため、十分なケアが終わらないまま次の場所に移動しなくてはならなかった。それはアネッタにもサービスを受ける高齢者にも辛いことだ。

 人や人の命と直接向き合うケアワークの精神的、心理的負担は大きい。アビやアネッタも高齢者の尊厳ある生活をケアする仕事にやる気と誇りを持っているが、社会はそれに見合う賃金も敬意も払わない。企業経営の中では、労働者はコストであり、ケアの質よりもできるだけ多くのクライアントをさばくことが追求される。アネッタが勤めていた会社はその後、杜撰な経営が発覚し倒産。アネッタは今では自治体の提供するケアサービスに従事している。

エッセンシャルワークの金融化

 いくら「効率化」したとしても、ケアは労働集約的な産業だ。いくらかの利益を上げられても、巨額の利益は上げられないはずだ。ところが、イギリスのケアビジネスHC-Oneが2年間で4850万ポンド(約74億円)の株主報酬を分配していることが2019年に明らかになり、公的資金が過剰な配当金に消えているのでは、と社会的な懸念が持ち上がった。

 ケアビジネス産業でヨーロッパ市場ナンバー3のDomusVi(フランス)の場合、施設を直接運営するDomusViと、その会社の最終的な所有者の間に11に及ぶ中間企業がいて、それらは租税回避地として名高いルクセンブルクやジャージー島に籍を置いていることが分かった。つまり民間ケア産業の一部は、「民営化」を超えて「金融化」しているということだ。

 年金基金などの機関投資家の資金がPEファンドに投資され、PEファンドがケアビジネスを所有し、オフショア取引(※)を駆使。最後の利益は租税回避地に導かれる「金融エンジニアリング」が進行しているのだ。債務調達を含む金融化によってリスクが高まる半面、リターンも高まる。このような構造によってケア施設から巨額の利益を生むことが可能になった。この金融化傾向はケアビジネス市場をけん引するフランスより、イギリスで強い。

※オフショア取引:非居住者の金融・証券取引に対して金融規制や税制面で優遇されている国際金融市場のこと。

 高齢者ケアビジネスの金融化された所有形態は、イギリスで完全民営化された10の水道企業の所有と企業統治形態と酷似している。イギリスの水道も、サービス提供者と最終所有者の間にいくつもの中間企業(ファンド)が介し、すべての段階で利益を最大化し、最後の利益はタックス・ヘイブンに消える。水道料金収入は安定しているにもかかわらず、必要な投資は先送りされ、所有者の報酬が最重視される。規制機関の監視は複雑な所有形態に阻まれ末端にしか及ばない。

 水道にしろ、高齢者ケアにしろ、このようなエッセンシャルワークの金融化を許せば、サービスの質の向上につながらないだけでなく、膨大な公的資金や利用者料金は投資家や金融セクターに吸い取られる。労働者は最低限まで圧縮される。

ケアサービスの公共性を取り戻す

 福祉や医療費を削減しようと公的な支出を減らし、民間に参入させ、金融化を許し、結局は相当の公的資金を使いながら、利用者の料金と共に、金融セクターや投資家に吸い取られていく構造は、他のエッセンシャルワークでも同様だ。結果的には最も不効率で不公平なお金の使い方だと思う。エッセンシャルワークを公共財、公共サービスとして市場原理から隔離するまったく逆のビジョンが必要である。

 3000万人の労働者をつなげる国際公務労連とフェミニストの世界的なネットワークは幅広い運動の連帯を目指し「ケアの社会的な再構築」というマニフェストを発表した。人は生まれてから死ぬまで、誰かにケアされ、誰かをケアし、そしてまたケアされる。ケアは有償も無償の仕事も、多くが女性の負担や犠牲で成り立っている。このマニフェストでは、有償、無償に関わらず、ケアワークの社会的・経済的価値を認識し、ケアを人権と位置付けている。

 国際的に見れば、ケアの階層的なグローバル・サプライチェーンが形成されている。というのも、グローバルサウス(※)の貧しい労働者、主に非白人の女性たちは、金持ち国のケアの不足を補うために、出稼ぎし、低賃金で保障もない家事や育児のケア労働に従事しているからだ。自分の子どもは自国の親や親せきに任せるしかない。こうした移民や出稼ぎによる著しく安い労働力は、利益を最大化するケアモデルにぴったりと合致する。

※グローバルサウス:もともと主に北半球にある先進国と主に南半球にある発展途上国間の不平等性を「南北問題」として論じる概念だが、最近では先進国内の格差、支配階級とそれ以外と、地理的な概念を超えた概念となっている。

 マニフェストは、ケアを私的な領域として主に女性に無償で押し付けてきたことも否定し、ケアを公的で社会的な責任と位置づけ、国家が公的資金を適切に投入することを求める。そのためには、国際的な協調による革新的で公平な税制が必要である。「#MakeCarePublic(ケアを公的に)」のスローガンも新鮮だ。ケアを政治的な課題に押し上げる国際連帯と運動は確実に力をつけている。

グローバルなフェミニスト経済と回復

 開発における女性の権利協会(AWID)も、国際的な運動のリーダーシップを取る国際的なフェミニストのネットワークである。2020年11月に発表された、5つの原則と10の行動からなる「グローバルなフェミニスト経済と回復」という短いレポートでは「女性の無償または低く価値づけられたケアワークに依存しながら、他の人の利益を最大化している」現在の経済を、「社会的なインフラと人々と環境のケアのシステムを発展の基礎とする」経済に変えなければならないと指摘。

 さらに、「ケアのシステム、医療・教育・住宅などの公共サービス、公共財と資源の平等な配分、食料主権、環境の保全を含めた社会的インフラへの投資が、成功的な経済を示す指標となるべき」で「ケアを社会の中心にするために強健でシステマティックな投資を行うことで、ケアのジェンダー不均衡を解消する」よう勧告する。

 これらの運動やビジョンは、共通してフェミニスト経済を基礎としている。長い間、フェミニスト経済学は、育児や家事労働を非生産的労働として勘定に入れず、ケアワークを軽視か無視する古典的な経済学に対峙して、経済における権力関係・支配関係を注視してきた。

 ただし、コロナ危機と気候危機の中で、労働運動、公正な税制、気候正義、人権、開発など社会正義を求める幅広い運動と結束し、フェミニストのオルタナティブが多様な運動をつなげる要として発展している点が新しい。私自身、国際的な社会運動の中に身を置きながら、そして個人的にフェミニストでありながら、コロナ前はフェミニストネットワークとの運動的な交流は乏しかった。しかし、感染症による世界的な危機と、待ったなしの気候危機を目の当たりにして、資本主義の根源的な変更を求めるラディカルなフェミニストのオルタナティブが、この1年半で私の運動観にしっかりと根を張った。

 大切さと裏腹に非正規化され、圧縮されてきたエッセンシャルワークが可視化され、私の中で起きたような化学反応が世界中の運動間で起きたのだと思う。この連載で度々紹介してきたミュニシパリズム運動においても、根源的に資本主義を問うフェミニストのオルタナティブは思想的支柱になっている。気候正義運動も確実にシンクロしている。ポストコロナ社会を構想するとき、脱炭素化社会の中心に広いケアワークを据える提案は具体的・実践的で、緊急性を伴って支持されている。

何が無駄で何が大切なのか

 そして日本では、国内外からのあらゆる批判を受け止めることなく、緊急事態宣言下でオリンピックが進行していったのは痛々しい。2013年に誘致が決定して以来、巨額の公費(税金)が説明責任を果たすこともなく、際限なく不透明に、オリンピック周辺の既得権益のために明らかに無駄に使われている。原発災害の犠牲者を始め、他の大切な課題を置き去りにして。今の政権に望むべくもないが、オリンピックへの政治的な強い意思、人材、資金が、被災者救済、気候変動対策、ジェンダー平等、コロナ禍で困窮する人々に向けられていたらと、むなしく想像する。

 既得権益のためにジャブジャブと税金を使う一方で、災害に備えた水道管の更新、過酷な環境の中で必死に働く看護師や介護士の仕事に見合う給料はコスト削減の対象で、貧困世帯のこどもたちのためのお金もない社会。社会に必要な支出を宿命的に「コスト削減」させるやり口を、私たちははっきりと拒否しなくてはいけない。

 環境が破壊されたグローバルな社会で、今後、感染症や異常気象、災害のリスクは減ることはなく増える一方だろう。だからこそ、本当の無駄を見極めて、環境と生命を守る政治と経済に本気で移行しなくてはいけないと思う。東京オリンピックは、ものすごい犠牲を払って、本当に削減するべき無駄なコストを世界中に教えてくれた。

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岸本聡子
きしもと・さとこ:環境NGO A SEED JAPANを経て、2003年よりオランダ、アムステルダムを拠点とする「トランスナショナル研究所」(TNI)に所属。経済的公正プログラム、オルタナティブ公共政策プロジェクトの研究員。水(道)の商品化、私営化に対抗し、公営水道サービスの改革と民主化のための政策研究、キャンペーン、支援活動をする。近年は公共サービスの再公営化の調査、アドボカシー活動に力を入れる。著書に『水道、再び公営化! 欧州・水の闘いから日本が学ぶこと 』(集英社新書)