第91回:2022年改憲の動きにどう向き合うか(伊藤真)

伊藤真の「けんぽう手習い塾」
 読者のみなさん、前回から実に4年ぶりのコラムとなります。本年もよろしくお願いします。

 前回コラムを書いたときは第4次安倍政権下でしたが、そこからの4年間、政治に目を向けると、2017年の衆院選の後、2度国政選挙が行われ、安倍政権退陣後には新政権が2度も誕生しています。さらに、2019年末に中国で初めて確認された新型コロナウイルスについては、変異を繰り返し、今でも世界的な猛威を振るっています。改憲をとりまく動きも、コロナ禍による影響を受けながら、以前とは異なる状況に置かれています。

1 コロナ禍が憲法改正に与えた影響

 就任当初から、憲法改正への強い意欲を隠そうとしなかった安倍首相(当時)ですが、日米同盟の深化という目的を達成するため、2015年には改憲の露払いとして集団的自衛権行使を前提とした新安保法制を成立させ、いよいよ憲法9条をはじめとする憲法改正に本格的に着手しようという段階まできていました。

 そこに、日本がかつて経験したことのない感染症の猛威が襲います。医療体制の逼迫に加え、全国一斉休校、アベノマスク配布など場当たり的な政策が行われ、国民生活が混乱に陥ったこともまだ記憶に新しいところです。コロナ対策で失政が続き厳しい状況におかれた安倍首相ですが、第1次安倍政権時に辞職したときと同じ病気を再発し、2020年9月にあっけなく自ら退陣することになります。

 その後首相に就任した菅氏は、「安倍政権の政治の継承」を掲げました。しかし、長引くコロナ禍の影響を受け、改憲に関する世論調査では、コロナ対策には改憲が必要だとする回答が過半数を超えるようになっていきます。国民に改憲の必要性をアピールするためには、安全保障よりもコロナ対策が有効だと考えたのでしょう、菅首相は「新型コロナウイルス禍で緊急事態への国民の関心は高まっている」との認識を示しました。当時の加藤官房長官も「この現状において、(緊急事態条項創設について)議論を提起し、進めることは絶好の契機だ」という発言を行っています。

 しかし、当時のコロナ対策や、緊急事態宣言下での東京オリンピック・パラリンピック開催などへの批判が高まり、その後に控えた衆議院議員総選挙では闘えないとして自ら退陣することになります。

 約1年の短期政権に終わった菅首相後の岸田首相は、自民党内ではリベラル派とされる宏池会の出身であり、急進的な改憲派だった安倍首相と比べ、本来、改憲に慎重な立場と思われていました。しかし、昨年11月には、自民党の茂木幹事長が、コロナ対策のためと称して緊急事態創設の必要性について言及し、岸田首相も、「自民党では憲法改正が重要なテーマであり、茂木幹事長を中心に取り組んでもらいたい」と述べました。緊急事態条項の創設を含む改憲4項目(※)についても、「一部を先行させる形もあり得る」とこれまでの政権に同調するかのような発言をしています。

※改憲4項目……自民党憲法改正推進本部(現・憲法改正実現本部)は2018年3月に、「緊急事態条項の創設」「9条への自衛隊明記」「教育の無償充実」「参院選の合区解消」を「改憲4項目」とし、それぞれについての条文イメージ(たたき台素案)を公表した

2 近代立憲主義が求める国家ガバナンス

 国家の安全保障にしろ、コロナ対策にしろ、憲法改正を行うには、憲法制定権者である国民が改憲が必要だという意思を持ち、その国民の改憲意思を国会議員が受け止めて、国会において発議され、十分に議論を尽くし進められなければなりません。ところが、実際は、政治部門においては立憲主義が毀損され、国家ガバナンスが機能不全のまま、一部政治家の主導によって改憲が進められようとしています。

 立憲主義とは、憲法によって国家権力を縛り、国民の権利・自由を保障することをいいます。そのため、近代立憲主義国家は、憲法の想定する民主的な政治プロセスによって、正統性を持つ政治権力を作り出し、その権力を制限することで、合理的な統治(国家ガバナンス)を実現することを目指しています。

 日本国憲法においても、国民の権利を保障し、その最高法規性を護るために、通常の法律よりも厳格な改正手続きを定め、公務員に憲法を尊重する義務を課しています。立法権、行政権、司法権の三権を相互に抑制させることで権利侵害を未然に防止し、仮に侵害された場合でも司法権によって是正する国家システムを持っているのです。

3 政治部門におけるガバナンスの機能不全

 しかし、安倍首相退陣後だけみても、政治部門において憲法に基づく国家ガバナンスがまともに機能していたとはいえませんでした。

 安倍政権下では、「法の番人」と呼ばれる内閣法制局の人事への介入、集団的自衛権行使の解釈変更、違憲の新安保法制の強行採決が行われ、また未遂には終わりましたが、政権にとって都合のいい人材を検察トップに据えるため検察官の定年延長を可能にする法案(国家公務員法改正案)が提出されました。このような、本来中立であるべき人事権を政権運営のためコントロールしようとする手法は菅政権以降にも受け継がれたようです。

 菅首相が就任して間もない2020年10月、内閣府の特別機関である日本学術会議の新会員について、学術会議が推薦した候補のうち6名が任命拒否され、大きな問題となりました。「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」とする憲法15条を根拠に、国民を代表する政府には任命しない権限があり、研究者らの学問の自由を侵害したわけではないという理由でしたが、学問の自由は時の権力に抑圧・干渉されやすいという側面があるからこそ、あえて「学問の自由は、これを保障する」と定めた23条が設けられているはずです。

 昨年7月には、政府のコロナ対策などについて議論するため、野党から憲法53条後段に基づき臨時国会の速やかな召集を求められましたが、菅首相は安倍首相と同様に応ずることはありませんでした。憲法53条後段は、少数派の国会議員による国会の召集要求の途を開き、少数派の国会議員の意見を国会に反映させることで、立法府による行政監視機能を全うさせようとしています。そのため、内閣の裁量の範囲は狭く、合理的期間内に召集に応ずることは義務であり、合理的期間も20日程度とされています。

 10月にようやく召集が決定されましたが、この召集の目的は、菅首相の後任を選出するためで、もともとの召集目的とは異なるものであり、憲法53条後段の国会の行政監視機能をないがしろにするものでした。

 このような国会の憲法軽視の傾向は、立法行為にも及んでいます。昨年5月にはデジタル改革関連法、昨年6月には重要土地利用規制法が成立しましたが、いずれも多くの識者からさまざまな問題点が指摘されていました。個人一人ひとりが国家に常時監視される社会に向けた法整備ではないか、監視対象であるべき国家と主権者である国民が完全に入れ代わってしまっているのではないかなど、立憲主義の観点から重大な指摘があったにもかかわらず、審議不十分のまま可決しています。

 2015年にも、多くの識者・専門家から違憲であると指摘されていた新安保法制を強行採決によって成立させてしまいましたが、それ以降の国会では憲法を尊重しようとする姿勢が完全に失われてしまったかのようです。

 行政の現場をみても、コロナ対策では、コロナ特措法では認められていない事実上の強制力を持った「要請」が繰り返され、一部の店舗や飲食店は長期間不利益を強いられました。法律による行政は国家ガバナンスの基本であるはずですが、それすら遵守しようという意識が生まれないのが、この国の現状であることがよく分かります。

 昨年末には、国土交通省が、GDP(国内総生産)の算出にも用いられる「基幹統計」の一つである「建設工事受注動態統計」の数値を書き換え、二重計上していたと報道されました。数値の書き換えは13年度から行われていたため、アベノミクスへの忖度で、国内総生産(GDP)拡大のために改ざんしたのではないかとも指摘されています。

 安倍政権以降、内閣人事局で省庁幹部人事は一元管理され、官邸主導の政治が行われるようになりました。その結果、省庁全体に政権への「忖度」という風土が定着し、このような数値の書き換えや、森友問題のような文書改ざんなどの不正行為が横行するようになってしまっているのではないでしょうか。

 改憲の前提には憲法に基づく国家ガバナンスがなくてはならないはずですが、このように政治部門全体が機能不全を起こしているというのが、わが国の現状です。

 東京大学の石川健治教授は、「憲法改正の議論をするには、賛成する側も、反対する側も、立憲主義的でなければならないが、日本学術会議の会員任命をめぐる対応など今の政権運営を見るかぎり、その前提ができていないと言わざるをえない」と指摘しています(2021年5月2日NHK政治マガジン 「“憲法改正必要”33%“必要ない”20%」)。

4 各国のコロナ対策

 そもそも、コロナ対策として緊急事態条項創設は本当に必要なのでしょうか。

 海外では、コロナを封じこめるため、ロックダウン(都市封鎖)した上で外出禁止令を出したり、違反者の逮捕や罰金に踏み切ったりする国があります。これに対し日本における緊急事態宣言は、外出に罰則などはなく、政府も海外のような都市封鎖は「できない」との立場をとっています。そのため一部の政治家を中心に、有効なコロナ対策ができないのは「日本国憲法に国家緊急権が規定されていないことが背景にある」 という発言がされるのをよく耳にします。諸外国のコロナ対策をみてみましょう。

 ドイツでは、国家緊急権がナチスにより濫用されたことへの反省から、戦後のドイツ基本法には国家緊急権は設けられませんでしたが、1968年に行われた改正によって緊急事態条項が新設されました。ただ、これのみではなく、国民が自ら権利を回復させるための抵抗権とともに導入されていたことにも留意しなければなりません。そして、コロナ対策は、緊急事態条項ではなく感染症予防法によって行われています。以前は、州政府に感染症対策のための法規命令(政令等に相当)を制定する権限が認められていたため、各州で州政令が発出され、保育所や店舗の閉鎖、集会の禁止等の規制が行われていました。

 フランスでは、憲法上の緊急事態条項は、大統領の緊急措置権(憲法16条)として規定されています。しかし、フランスでもコロナ対策は緊急事態条項ではなく、公衆衛生法典や、これに基づくテグレ(政令)によって行われています。これにより、移動制限、外出制限、検疫措置、隔離措置、施設閉鎖、集会の制限、物資収容と人員収容、物価統制、医薬品の製造販売統制などの必要な措置(罰則あり)が認められています。

 イギリスやアメリカは、国家緊急権に関する明示的な規定はなく、マーシャル・ルール(戒厳令)の法理により、政府や大統領が、緊急事態に対処するためのあらゆる措置を講ずることが基本的にできるとされています。イギリスにおけるコロナ対策としては、コロナウイルス法ほか、民間緊急事態法という非常事態を想定した法律もありましたが、公衆衛生法の委任によって設けられた規則に基づいて、外出制限や集会規制などが行われました。

 アメリカでは、感染当初は大統領による国家緊急事態が宣言されたものの、一次的な対応は州・地方政府において行われています。ニューヨーク州では、2020年3月7日に知事令による緊急事態宣言が出され、以後集会禁止、選挙に関連する法令の一部停止、営業禁止、学校閉鎖、在宅勤務命令(罰則あり)などが行われました。

 肝心の、憲法に規定された緊急事態条項に基づいてコロナ対策を行った国ですが、国立国会図書館から出された「COVID-19 と緊急事態宣言・行動規制措置」という報告書をみると、イタリア、スペイン、スイスのみにとどまっています。

 そもそも諸外国における憲法上の国家緊急権は、戦争事態を想定して設けられたものであり、戦争と緊急権条項はもともと一体とされてきました。にもかかわらず、コロナ対策のような災害対策と結びつけて国家緊急権を創設しようという動きは、国家緊急権の本質を国民の目から遠ざけようとするものであり、憲法の徹底した恒久平和主義と真っ向から衝突するものです。

 立憲主義とは矛盾する国家緊急権のような権限を、ドイツやフランスの国家緊急権のように議会や司法による統制もなく包括的に憲法に盛り込もうとする日本での議論は、とても危険なものといえます。

5 現行法制下におけるコロナ対策

 ただ、爆発的感染が拡大し、従来のコロナ対策では収束させるのが難しい場合、さらに強い権利制限を伴う措置を認めざる得ない場合があります。この場合、国家緊急権ではなく、現行憲法の枠内で、個別の制度の改正・制定によって対応することができないのでしょうか。いくつかコロナ対策例を挙げながら考えてみます。

 感染拡大時にコロナ用病床の不足が問題となりました。病院の多くを占める民間病院には営業の自由があるため、受け入れの強制が出来ないといわれることがあります。しかし、新型インフルエンザ特措法31条1項、3項では、都道府県知事は、医師、看護師などの医療関係者に対して、患者などに医療行為を行うよう要請でき、正当な理由なく応じないときは、厚生労働大臣及び都道府県知事は、医療行為を行うよう指示できるとされています。この「指示」は、受け入れるための費用や、損害補償を条件とした強制であり、都道府県知事は受け入れを要請し、応じない場合、国や都道府県は受け入れを強制することができます。

 仮に感染者数が爆発的に増加し、臨時の医療施設を設置する必要があれば、特措法14条、15条に基づき、大規模イベント会場や体育館を所有者・占有者の同意を得て利用することが可能となっています。正当な理由なく同意しなかったとしても、強制的に使用する権限が認められ(同49条)、検査のために立ち入り(同72条3項)、妨害などした場合には罰則も規定されています(同77条)。

 未発症者に対する強制隔離・入院は、たとえ感染が疑われても、人身の自由、移動の自由に対する侵害となり現行法上認められていません。しかし、感染症対策という公衆衛生目的のため合理的な措置であるといえれば、その法改正は憲法に違反するとまではいえないでしょう。例えば、感染力が非常に強い感染症の疑いがあり、感染拡大した国や地域からの移動であることを要件に、隔離する期間を限定し、感染症対策がされた施設であることを条件とすれば、法改正によって対応することは可能です。

 外国でよくみられる外出禁止命令ですが、これらの国においても、一切の外出が禁止されているわけではありません。生活用品の購入、医療機関への受診のための外出、散歩や運動についても距離を確保するという条件付で認めているところが多いため、日本の緊急事態宣言と効果においてそれほどの差がなく、運用の仕方によっては法改正の必要がない可能性もあります。

 仮に罰則を伴う外出制限を認める場合でも、外出制限措置自体の導入に厳格度を増した審査が必要であることと、例外事由が設けられなければならないことという2段階の検討と、迅速な裁判的救済を条件とすれば、一概に憲法違反だとは言えないとされています(曽我部真裕「日本国憲法における移動の自由」法学セミナー798号13頁)。

 感染が爆発的に広がる状況を脱することができない場合、安全のために人々を建物など特定の場所に閉じ込めておく「ロックダウン(都市封鎖)」が提言されることがあります。ロックダウンは、移動の自由を強く制限するものですが、現行法上不可能というわけではありません。差し迫った危険から人の生命を守るために行うのであれば、公共の福祉にもとづく正当な利益であるとして、認められる場合があります。例えば、感染症法33条、34条では、汚染された疑いがある場所の交通を制限し、又は遮断することも、まん延を防止するため必要な最小限度のものであれば認められています。

 仮に法改正によって、コロナ対策としてのロックダウンの規定を設けるのであれば、これら現行法の規定と同様に、切迫した状況が存在し、他の方法では防ぐことができないなどの厳格な要件と、期限を設定した上で常時解除の可能性を探るなど、必要最小限の制限にする必要があります。

 以上から、コロナ対策は、現行憲法の枠内で個別の法制度の制定・改正によって対応することが十分に可能であり、それが妥当です。

 これまでの日本のコロナ対策の特徴として、客観的科学的データに基づいて対策を行うという意識が乏しいことは否定できなかったように思えます。PCR検査については、東京都世田谷区は「誰でも いつでも 何度でも」という自治体独自の方針をとり、無料のPCR検査を拡大しました。大手の検査会社に検体を持って行けば、数時間後には変異株の検査も行えるそうです。一方、政府は、検査体制のパンクという理由から、頑なに検査を拡大しようとはしませんでした。そのため全国的には、不安になり検査を受けようにも、高額だったり、対応している医療機関が限られていたりという状況が続きました。

 最近ようやく、政府も世田谷区同様に、感染拡大時には無症状でも無料でPCR検査を行う方針を発表しましたが、まさに「知識は現場にある」のであり、こうした現場の取り組みも参考にすれば、本当に効果的な対策を取ることができます。現行法制下においてこのような効果的な対応が十分可能であるにもかかわらず、アベノマスク、全国一斉休校のような愚策を生み出した中央への権力の集中をさらに進めることになる憲法上の緊急事態条項創設など、愚の骨頂であることがよくわかります。

6 改憲結果の正当性を裏付ける手続の適正さ

 昨年6月、コロナ禍でありながらオリンピック開催を強行しようという状況下、国民の声を聴いてしっかり議論すべき課題が憲法改正以外にも山積みになっている中で、憲法改正手続法が改正されました。しかし、日弁連などから声明がたびたび出されていた、「有料意見広告規制」「最低投票率」「過半数の意味」等について、抜本的改正はなされませんでした。

 現行の憲法改正手続法は、有料の私的な意見広告に関しては、賛成・反対の投票を勧誘する意見広告(国民投票運動)は投票の14日前から禁止されるものの、それ以外の広告について一切規制はなく、単なる意見表明広告に至っては投票当日でも許されています。

 政府が効果的なコロナ対策をできないのは憲法の緊急事態条項がないからだ、災害救助で頑張っている自衛隊が違憲のままではかわいそう、地方少数者の声を国政に反映させるために改憲によって合区解消することが必要だ、教育の無償化につなげるための改憲だから必要……などの意見がテレビ、ラジオ、ネットの広告として頻繁に流されるようになれば、誤った情報や偏った情報に基づく判断によって取り返しのつかない結果を招く危険があります。

 また、憲法第96条第1項は、国民投票の議決については「投票の過半数の賛成」と定めるだけです。そのため、白票が多数投じられた場合には、有効投票の過半数で決せられた結果、投票権者全体の中の少数者の賛成により憲法改正が行われることとなってしまうことにもなりかねません。せめて「国民の意思が十分反映された」と評価できる国民投票となるような「最低投票率」を法により定めることは不可欠ではないでしょうか。

 以上のように現行の改正手続法には、大きな不備があるといわざるを得ません。その手続の適正さは結果の正当性を支える唯一の根拠となるのですから、改憲派にとっても手続の適正は必須の条件のはずです。

7 立憲主義、国家ガバナンスを回復させる取組み

 憲法に基づいた国家ガバナンス機能を回復するためには、政治部門の外にある裁判所が、内閣の意向を忖度したりすることなく、立憲主義の擁護者としてその役割を積極的に果たす以外ありません。私たちは昨年に引き続き、憲法価値、立憲主義の回復のため、国家の根幹に関わる憲法訴訟を積極的に進めています。これらの憲法訴訟では、司法が憲法判断を行うことによって、国会、内閣に憲法に従った国政を促し、国家ガバナンスを回復させる効果が期待できます。

 2017年に臨時国会の召集を安倍内閣が98日間放置したことは憲法違反だとして、国会議員により提訴された訴訟の判決が昨年出されましたが、東京地裁は「裁判の対象にならない」と門前払い、岡山地裁でも、「違憲と評価される余地はある」とされたものの請求は棄却され、違憲かどうかの判断は示されませんでした。直ちに控訴を行い、「明白に違憲」とする元最高裁判事の濱田邦夫弁護士の意見書が裁判所に提出されましたので、果たして98日間の放置が憲法上許されるものなのか、司法による明確な憲法判断が行われ、国会の行政監視機能が回復されることを期待しています。

 2015年に成立した新安保法制については、明白に憲法に違反しているとして、全国22の地域で25件の安保法制違憲訴訟が提訴されました。昨年までに20件の判決が出されましたが、どの判決も憲法判断を回避し続けるばかりで、コピペしたかのような内容が繰り返されました。ただ、「合憲」判断は一度も出されておらず、弁護団による緻密な迫力ある訴訟活動によって、裁判所が「新安保法制は違憲」であるという心証に傾いていることをうかがわせます。今年も、地裁や高裁で判決が予定されていますので、平和主義憲法に基づく積極的な違憲判断が示され、立憲主義の回復をはじめ、国会が憲法軽視の姿勢を改めるきっかけになってほしいと思います。

 さらに国家ガバナンスの大前提として、主権者の国政への影響力は等しくなければなりませんが、いまだ住所地によって投票価値に差がある状態が放置されています。昨年10月には4年ぶりとなる衆院選が行われましたが、その翌日、投票価値の是正を求めて、289に及ぶ全ての小選挙区において全国一斉提訴を行いました。今年の夏に予定されている参院選でも、同様に全選挙区で提訴を行う予定です。

 現在の選挙制度で選出された議員には、憲法の想定する民主的な政治プロセスによって政治権力が与えられておらず、正統性がなく本来なら改憲発議もできないはずです。それにもかかわらず、国会は抜本的解決を先送りにしたまま改憲への動きを進めようとしており、国会での改革への取組みを促すため、司法による毅然とした判断を期待しています。

8 まとめ

 昨年10月末に行われた衆院選では、自民党、公明党のほか、国民民主党や日本維新の会など、憲法改正に肯定的ないわゆる「改憲勢力」が衆議院の465議席のうち352議席を獲得しました。衆議院は4分の3を改憲勢力で占められることになり、今年夏に行われる参院選の結果によっては、参院でも発議に必要な3分の2を超える可能性があります。

 各党の改憲案の内容にはかなりの差異があるため、ただちに改憲発議とはならないともいわれています。しかし、各党間でまとまりやすく国民からの理解も得られやすい「参院の合区廃止」「大学の無償化」を9条や緊急事態条項創設の前の「お試し改憲」として発議を行い、国民投票を実施しようとすることは十分に考えられます。

 憲法改正論議は、現行憲法の下では対処できない具体的な必要性を根拠に行われなければなりません。まず「改憲先にありき」の議論は誤りであり、国民の賛同を得やすく、比較的抵抗感のないものから発議しようという「お試し改憲」という発想自体許されません。

 何より改憲を主導しているのが、憲法改正を発議する正統性が与えられているとはいえない一部政治家であることも留意されるべきです。

 この憲法改正のための国民投票は、主権者たる国民が持つ制憲権の発動であるため、選挙などの間接民主制とは大きく性質が異なります。選挙では代表者を選ぶだけであり、その後の代表者による十分な審議討論が期待できますが、国民投票はそれがありません。国民による投票結果がすべてであり、投票結果がそのまま国のかたちを変えることにつながってしまいます。

 その上、憲法によって少数者を守るはずが、憲法改正においては憲法自体を多数意思で変更してしまうことになります。そのため、どのような不当な結果となっても、主権者の意思が表明されたことを理由に正当化されてしまいます。国民主権の名の下に憲法破壊、人権侵害が起こる危険すらあるのです。

 そのため、憲法改正を行うためには、偏りなく必要な情報が提供されて、十分な国民的な議論が行われることが不可欠です。突然議論が打ち切られ、改憲案が発議され、国民投票にかけられるような事態は避けなければなりません。これらが不十分なままの見切り発車は、国民にとって、自己責任で片づけることができない、極めて重大な不幸な結果を招く危険があります。

 昨年の12月、衆議院の憲法審査会では、岸田政権発足後、初めてとなる実質的な議論が行われました。一部の党は、国会の会期中は毎週開いて具体的な改正項目について議論を進めたいと主張しており、衆院選後、改憲発議に向けて本格的に動き出しつつあるといってよいでしょう。

 今まで改憲に関心が無かった方も、憲法改正には無関係ではいられません。われわれ国民は、審査会における議論に注意しながら情報を集め、それを自分の頭で考えておく必要があります。その改憲案によってどのように国のかたちが変わるのか、改憲が行われるのと行われないのと自分にとってどちらが幸せなのか今からしっかり考えておくべきです。

 今年行われる参院選の結果によっては、さらに改憲の動きが加速する可能性があります。今回の改憲の動きは、われわれ国民、市民がしっかり憲法を学び、力をつけ選挙に臨むチャンスと捉えることもできます。この国を将来どのようにしたいのかは、一部の政治家に主導させるべきものではなく、今を生きる国民・市民の自立に委ねられています。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!

       

伊藤真
伊藤真(いとう まこと): 伊藤塾塾長・法学館憲法研究所所長。1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。『憲法の力』(集英社新書)、『なりたくない人のための裁判員入門』(幻冬舎新書)、『中高生のための憲法教室』(岩波ジュニア新書)、『日本国憲法ってなに?』シリーズ(新日本出版社)、『9条の挑戦: 非軍事中立戦略のリアリズム』(共著、大月書店)など著書多数。