第197回:「歴史戦」という言葉(鈴木耕)

「言葉の海へ」鈴木耕

ぼくのツイートがプチ炎上?

 先日、ぼくはこんなツイートをした。

「歴史戦」などというネット右翼用語を、NHKが平気で使い、さらに岸田首相まで口にした。日本最大のテレビ局や日本の最高責任者が認めたとすれば、日本総ネット右翼化が進行中ということになる。

 単に、こんな状況はいやだなあ…という感想のつもりだった。ところがこれが大反響。むろん「そうだそうだ」という同感のリツイートや「いいね」が大半だったけれど、やけに口汚い罵声も飛んできた。どうも「歴史戦」という言葉がネット右翼諸氏の感情をビビッと刺激してしまったらしい。

 例えばこんな感じだ。

◎極左から見たら国民全員がネトウヨに見えて大変そうだな。
◎自分らが時流に取り残されているのに気づかず〇んでいく。嗚呼滑稽。
◎ツイッターではパヨがパヨパヨしてますね。
◎ミサイル撃ち込んでいる側の意見か? 許さんぞ、カス共!
◎今までの極端な左傾化から抜け出しつつあるんじゃないでしょうか。

 まあ、これらは比較的品のいいほう。ここに書き写すのも気分が悪くなりそうなツイートもけっこう混じっていた。でもそれらは、「歴史戦」という言葉の持つ意味を、ほとんど理解していないようだった。

またもNHKが

 1月27日のNHKの「シブ5時」という番組で、例の安倍シンパとして有名な岩田明子解説委員が登場し、「歴史戦」を解説した。いま問題になっている「佐渡金山の世界文化遺産登録」をめぐっての説明で「歴史戦」に言及したのだ。
 NHKという大報道組織が、「歴史戦」を(批判的にではなく)こういう形で取り上げたことに、ぼくは大いに危惧の念を抱いた。
 まったく最近のNHKは、「河瀨直美が見つめた東京五輪」のキャプション捏造といい、この「シブ5時」といい、どこかタガが外れちゃった感じがする。どうなってしまったのだろう?
 「シブ5時」の背景には岸田首相が「佐渡金山問題」に関して、政府内に「歴史戦チーム」を立ち上げたという事情がある。むろんこれは、安倍晋三氏や高市早苗氏などの自民党超右派グループからの圧力のせいということもあるだろう。彼らの本音はただひとつ、「韓国の言い分を認めるな」である。しかし仮にも、正式な政府組織として「歴史戦チーム」を立ち上げたとなれば、岸田首相自身も超右派陣営に屈したと思わざるを得ない。これはそうとうに危ない。
 (注・なぜ「佐渡金山」問題がこれほど揉めるのかについては、以前の「軍艦島」の世界文化遺産登録問題が絡んでいるが、それを書くと長くなってしまうので、ここでは触れない)

「歴史戦」とは何か?

 そもそも「歴史戦」なるものが、なぜ危ないのか。
 2019年発行の『歴史戦と思想戦-歴史問題の読み解き方』(山崎雅弘著/集英社新書)という本がある。そこに「歴史戦とは何か」が詳しく、そして分かりやすく書かれている。少し引用する。

◆産経新聞が二〇一四年から本格的に開始した「歴史戦」
 初めて「歴史戦」という三文字を目にする人もおられるかもしれませんが、この「歴史戦」とは何でしょうか?
 分かりやすく言えば、中国政府や韓国政府による、歴史問題に関連した日本政府への批判を、日本に対する「不当な攻撃」だと捉え、日本人は黙ってそれを受け入れるのでなく、中国人や韓国人を相手に「歴史を武器にした戦いを受けて立つべきだ」という考え方です。
 書店の棚には、タイトルに「歴史戦」の三文字が入った本がいくつも並んでいますが、その嚆矢となったのは、産経新聞出版が二〇一四年一〇月に刊行した『歴史戦』でした。
 サブタイトルに「朝日新聞が世界にまいた『慰安婦』の嘘を討つ」とあるように、同書の内容は「慰安婦問題」がテーマで、二〇一四年四月一日付の「産経新聞」朝刊からスタートした「歴史戦」というシリーズ記事を再構成したものでした。(略)
 同書のまえがきには、産経新聞「歴史戦」取材班キャップの政治部長・有元隆志による次のような説明が述べられています。
 「歴史戦」と名付けたのは、慰安婦問題を取り上げる勢力のなかには日米同盟関係に亀裂を生じさせようとの明確な狙いがみえるからだ。もはや慰安婦問題は単なる歴史認識をめぐる見解の違いではなく。「戦い」なのである。(P7~8)

 お分かりのように、この「歴史戦」という言葉は、どうやら産経新聞が朝日新聞を叩くために使いだした用語のようである。これに、ケント・ギルバート氏や黄文雄氏、櫻井よしこ氏、百田尚樹氏らが乗り、たちまち右派陣営の専門用語化した。
 実はこれに先立って、雑誌「正論」(産経新聞社発行)では「歴史戦争」という言葉で、のちの「歴史戦」と同じような主張を展開していたという(同書P46)。つまり、出所は同じ産経新聞であったわけだ。かくして、産経新聞を筆頭とした右派論壇に「歴史戦」は定着していった。
 もう少し「歴史戦」の中身を、同書から引用する。

 歴史とは何なのか。人は、過去の歴史とどう向き合うべきなのか。
 そんな基本的な姿勢を根本から変えようとする動きが、日本国内で活発化しています。
 過去から何かを学び、未来をより安全で有意義なものにするために歴史と向き合う。自国で過去に起きた出来事や、かつて自国が他国で行ったことを、批判的あるいは反省的に分析・検証し、それが起きた原因や構造を解明する。それが自国民や他国民に対して否定的な結果をもたらしたのであれば、再発防止の方策を考え、同じような出来事を将来に再び繰り返さないための糧にする。
 昨今の日本では、当たり前のように思えるこの姿勢の意義が否定され、それとは根本的に異なる考え方に基づく別のものと差し替えられようとしています。
 従来の歴史と向き合う姿勢とは根本的に異なる考え方。それが、自国中心の戦闘的な態度で過去の歴史と向き合う「歴史戦」です。
 先に述べたような「南京虐殺の嘘」や「あの戦争は日本の侵略ではなかった」等の歴史関連書を表す概念として、日本では「歴史修正主義」という言葉が使われることあります…。 (P6~7)

SNS上に溢れる罵声汚語

 では「歴史戦」信奉者は、どんな主張をするのか?
 ぼくなりにまとめてみると、以下のような傾向があるようだ。

①日本の負の歴史を一切認めず、日本は悪くなかったと主張
②日本の戦争は、列強の支配からアジアを解放するためだった
③日本人が残虐なことをするはずはなく南京虐殺は中国側の嘘
④日本兵は現地女性をレイプしたりせず、慰安婦は強制ではなく売春婦だった
⑤中国や韓国は理不尽な要求ばかり、日本は毅然として拒否すべき
⑥現在の日米同盟こそが日本の基盤
⑦日本の負の歴史をわざわざ指摘するのは「反日」
⑧日本のリベラルという連中はすべて「反日」「売国」
⑨在日韓国朝鮮人は日本を食い物にしている連中、自分の国へ帰れ
⑩沖縄の米軍基地は中国の侵略から日本を守るため。基地反対運動は中国の資金

 ぼくが大雑把にとらえる最近の「歴史戦」信奉者の主張だが、あなたの周りに、こんなことを声高に主張する人はいませんか?
 1月27日深夜、沖縄で起きた警官の取り締まりによる少年の眼球破裂事故(?)とそれに抗議する300人を超える若者たちの警察署包囲事件では、翌日から凄まじいほどの「沖縄ヘイト」としか言えないツイートがSNS上に溢れかえった。

 警察はあんな連中をぶちのめせ
 辺野古反対の連中と同じ、やっぱり土人だったじゃねえか
 クソ沖縄は反日だ
 裏には中国がいて糸を引いている
 サルどもはぶち殺せ

 あの沖縄高江のヘリパッド反対運動の際、大阪の機動隊員が発したヘイト罵声を、そのまま使うバカがいるし、それ以上に、ここには書けないような汚語が飛び交っていた。つまり、お上に反抗する者はみんな同じ「反日」という言葉で括って罵倒するのだ。
 沖縄の「歴史」を少しでも知っていたら、こんな言葉を撒き散らしたりはできないはずだが、「歴史戦」信奉者たちは、日本軍が沖縄の住民を巻き込んだという歴史的事実は無視してしまう。あの沖縄戦で、実に沖縄県民の4人に1人が死んだのだ、ということぐらいは憶えておけ、と言いたくなる。
 彼らは沖縄戦があったということすら知らないのだろうか。むろん、米兵の乱暴狼藉に怒った住民の「コザ暴動」(1970年)など、知る由もない。

「権威主義国」の特徴

 さて、ぼくが「歴史戦」という言葉に危険を感じる意味は分かってもらえただろうか。そんな背景のある言葉を、NHKが平然と批判もせずに放送し、岸田首相は「歴史戦チーム」まで作るという。心配になるのは当然だ。
 こんなことを書くぼくも、彼らには「反日」認定されるだろう。
 『歴史戦と思想戦』には、面白い指摘があった。さらに引用させてもらう。

筆者の認識では、近現代における「権威主義国」に共通する特徴として、以下のようなものが挙げられます。
【1】時の国家指導者の判断は常に正しいと見なす「国家指導者の権威化」
【2】時の国家指導者とそれが君臨する国家体制を「国」と同一視する認識
【3】時の国家指導者に批判的な国民を「国への反逆者」として弾圧する風潮
【4】国内の少数勢力や近隣の特定国を「国を脅かす敵」と見なす危機感の煽動
【5】その国家体制を守るために犠牲になることを「名誉」と定義する価値観紀
【6】伝統や神話、歴史を恣意的に編纂した「偉大な国家の物語」の共有
【7】司法・警察と大手メディア(新聞・放送)の国家指導者への無条件服従(P121)

 つまり「歴史戦」に基づいて政治を運営すると、このようなところに行き着く、と著者の山崎さんは言う。とくに【3】批判者を「反日」と呼び、【4】韓国・北朝鮮・中国への敵愾心を煽り、愛国心を鼓舞する、【6】百田某氏の歴史改竄・誤記だらけの「日本国紀」等を称揚する、【7】検察、裁判、報道の政府“忖度”の横行……。
 怖いほど現在の日本にあてはまる。むろん、日本だけではなく、中国、ロシア、北朝鮮、ミャンマーなど、この7つの指摘にあてはまる国は多い。
 「歴史戦」は、残念ながら日本だけではなく、世界中にコロナのように蔓延しているということだ。世界中が自国に都合のいい「歴史戦」を始めてしまったら、もう収拾がつかなくなる。ウクライナ危機や台湾有事などは、まさにその象徴だろう。日本までがその尻馬に乗ることはない。

 「過去に目を閉ざすものは、現在にも盲目になる」(ワイツゼッカー元独大統領)
 「歴史から教訓を学ばぬ者は、過ちを繰り返して滅びる」(チャーチル元英首相)

『歴史戦と思想戦 ――歴史問題の読み解き方』
(山崎雅弘 著/集英社新書)

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鈴木耕
すずき こう: 1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸科卒業後、集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」を経て、「週刊プレイボーイ」「集英社文庫」「イミダス」などの編集長。1999年「集英社新書」の創刊に参加、新書編集部長を最後に退社、フリー編集者・ライターに。著書に『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『反原発日記 原子炉に、風よ吹くな雨よ降るな 2011年3月11日〜5月11日』(マガジン9 ブックレット)、『原発から見えたこの国のかたち』(リベルタ出版)、最新刊に『私説 集英社放浪記』(河出書房新社)など。マガジン9では「言葉の海へ」を連載中。ツイッター@kou_1970でも日々発信中。