100年前の光景
『サンセット大通り』や『情婦』などのミステリー、『お熱いのがお好き』や『アパートの鍵貸します』などの軽快なコメディなどで知られる映画監督、ビリー・ワイルダーの人生を描いたヘルムート・カラゼク著『ビリー・ワイルダー自作自伝』(瀬川裕司訳/文藝春秋)には、彼が少年だった頃のこんな一幕がある。
1914年6月末の暑い日、ビリーは父親が経営するクラクフの「ホテル・シティー」にいた。コペルニクスが学んだヨーロッパ最古のヤゲロ大学を有する古都として名を知られるクラクフ(現在、ポーランドの南部を代表する都市)は、当時はガリツィア地方と呼ばれるオーストリア=ハンガリー帝国の領土にあった。クラクフは西端に位置し、東は現在のウクライナ西部の都市、リヴィウも含めた現在のウクライナの南西部までのエリアだった。
オーストリア=ハンガリー帝国生まれのビリーは裕福なユダヤ人家庭に育った。父親はウィーンをはじめ中部ヨーロッパの主要都市でレストランを経営しており、夏の間はクラクフの保養地のホテルにいることが多かった。広いテラスでウィンナーコーヒーやスポンジケーキを楽しむ宿泊客、そして生バンドの演奏。典型的な夏のバカンスの風景である。
その空気を緊張した面持ちのビリーの父が破った。前裾を斜めにカットした上着にストライプのズボンという出で立ちの彼はさっと腕を挙げてバンドの演奏を中断すると、厳かな口調で宿泊客に告げた。
「みなさま、本日は、音楽はこれで終わりとさせていただきます。われらがフェルディナント大公がサラエボで殺害されました」
6月28日、フェルディナント大公とはオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子であり、彼が妻のゾフィーとボスニア=ヘルツェゴビナのサラエボを訪れた際、セルビア人のガヴリロ・プリンツィプに拳銃で射殺されたのである。プリンツィプはセルビア王国の拡大を目指すグループに属していた。
ホテルにいた宿泊客の多くはガリツィア地方を離れ、西へと逃げた。親セルビア感情の強いロシアが東から攻めてくるのを恐れたのである。ワイルダー一家は馬車を借りて、ウィーンへ向かった。列車は超満員でごった返していたからだ。
サラエボ事件から1カ月後、オーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦布告。そこにロシア、ドイツ、やがて欧州の各国が連合国、同盟国として加わる世界大戦に広がっていったのである。サラエボ事件が世界の国々を巻き込む大戦争に広がるなど誰も予測していなかった。
今回のロシア軍によるウクライナ侵攻により、ウクライナ国民が避難のためにリヴィウへ、さらには国境を越えてポーランドへ向かう姿が、100年以上の前の出来事と重なった。
これはプーチンの戦争だ
ウクライナは、第一次世界大戦時にロシア帝国が革命によって崩壊し、その後、誕生したソ連に共和国として組み込まれた国である。ソ連解体による独立後も、西部はカトリックの文化が色濃く、東部はロシア正教の影響が強い。その伝統は変わらないとはいえ、2012年のヨーロッパのサッカー選手権大会がポーランドとウクライナによる共同開催で行われたように、ウクライナが欧州の国であることは自明であった。
だからロシアのプーチン大統領がウクライナに仕掛けた戦争はヨーロッパに対するそれと欧州諸国は受け止めたのである。
ドイツのショルツ首相は連邦議会の緊急審議で、2022年予算から1,000億ユーロ(約13兆円)を国防費に追加し、連邦軍の装備強化などに充てると報告した。さらに国防費をGDP比で2%以上へと大幅に引き上げると確約。ウクライナにドイツ連邦軍が保有する対戦車砲を1,000、地対空ミサイルの「スティンガー」を500、弾薬をウクライナに提供すると発表した。
連邦議会でショルツ首相は「これはロシアによる戦争ではなく、プーチンの戦争である」と言った。「敵はロシア国民ではない」とも。対ロシア関係において終始、慎重姿勢だったドイツが「反プーチン」の立場を鮮明にしたことはプーチンの誤算だったのではないか。ヨーロッパが団結し、ロシア国内では反戦デモが頻発していることも。
領土の拡張は自国を崩壊へと導く
ドイツの歴史家・セバスチャン・ハフナーは『ヒトラーとは何か』(瀬野文教訳/草思社文庫)のなかで、18世紀半ばから19世紀にかけての産業革命以来、「民族の繁栄と権力の度合いはもはや所有する土地の大きさではなく、科学技術のレベルによって決まるようになっていたのである。科学技術にとって生存圏の大小など関係なかった」と書いている。
ハフナーによれば、1500年前にヨーロッパで民族が定住して以降、戦争が起こり、講和が結ばれ、領土の変更がなされたりしても、そこに住む人々は変わらなかった。支配者が代わっても、住民は自分たちの場所にとどまり続けた。それをアドルフ・ヒトラーが変えた。ドイツ民族の新たな生存圏を獲得するため、ドイツ人を移植させ、東欧諸国の人々を追い出す、あるいは従わせ、ユダヤ人に対しては抹殺しようとしたのである。
そしてナチス・ドイツは崩壊した。ハフナーは当時のソ連についても言及する。
「科学技術や産業の発展という視点からすれば、生存圏が拡大するというのは、ただ人口密度の低い土地がひろがるだけのことであり、これはまさにハンディキャップが増えることを意味する。ソ連などはそのことでたいへん苦労している。天然資源は豊かでも、広大で人口密度の低いシベリアなど、いくらがんばっても開発できず、いつまでたっても発展はおぼつかない」
旧ソ連第2の大国であるウクライナと広大な大地の広がるシベリアを同一視することはできないが、これだけの情報通信・輸送技術が発達した現在、国際世論を無視した武力による影響力の拡大は、結果として国家運営の足かせとなる。ウクライナへの侵攻を起こしたプーチンの政治生命は終わりのカウントダウンを始めたのではないか。この戦争を一刻も早く終わらせたい。独裁者が核兵器のボタンを押すなどという事態は絶対あってはならない。
ちなみにビリー・ワイルダーはその後ベルリンに移住し、脚本家としてデビューするが、1993年にヒトラーが政権を握ると、フランスに亡命。その後、米国に渡り、ハリウッドで多くの映画をつくった。そのなかには『ニノチカ』(脚本)や『ワン・ツー・スリー』(監督・脚本)などソ連の体制を皮肉ったものもある。