【特別寄稿】昨日までの「日常」を破壊された欧州(栗田路子)

2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻。地理的にも心情的にも、日本よりもはるかにウクライナと近い欧州に住む市民は、今回のウクライナ情勢をどのように受け止めているのでしょうか。30年以上ベルギーに在住し、海外在住ライターによる共同メディアSPEAKUP OVERSEAsを主催されている栗田路子さんに欧州の生活者目線での緊急レポートを寄せていただきました。
※栗田さんが共同執筆された『夫婦別姓—家族と多様性の各国事情』(ちくま新書)についてのインタビューもあわせてごらんください

 ロシアによるクリミア侵攻(2014年)をニュースばかりでなく、クリミアに住む娘の友人家族の苦悶を通して目の当たりにした私にとって、ウクライナ国境近くでのロシア軍の行動にはデジャヴ(既視感)があった。それでも、心のどこかで、最悪でもウクライナ南東部の実質支配で終わると思って(願って)いた。あの時と同じように…。「欧州人」の大半が――政治家も軍関係者も市民も――皆そう思い、願っていたと思う。それなら、「Business as usual」、つまり、私の「日常」は保たれるからだ。

 だが2月22日、ロシア・ベラルーシの合同軍事演習が延長されることになった瞬間、「キーウ(キエフのこと。あえてウクライナ語風に)を攻めるのか!」と足腰が震えて止まらなくなった。24日、ロシアが「平和維持軍」と呼ぶ大部隊が、東から北から、そしてクリミア半島のある南の黒海からウクライナへ攻め込んだ。砲弾でぶち壊されたアパートや防空壕と化した地下鉄構内で肩を寄せ合って怯えている人々の姿が毎分、毎秒、報道されるようになり、夜中も空爆の音のような幻聴が聞こえて眠れなくなった。私の住むベルギーから陸路でたった2000㎞先で、昨日まで私達と同じような日々を過ごしてきた同胞たち。この日から、ウクライナだけでなく欧州の「日常」は破壊された。

当事者感の圧倒的違い

 ドイツやフランスの公共放送、ブリュッセルのユーロニュースなど気骨あるメディアの、現地で踏ん張る数多くのレポーターやカメラマンが、24時間絶え間なく状況を伝え続けている。ウクライナ現地の被害、難民の逃避行、ウクライナ・ゼレンスキー大統領やロシア・プーチン大統領の言動、各国首脳の必死の外交交渉、世界での反戦運動、ロシア市民の反応が刻々と伝えられる。
 もちろん、英国のBBCも、アメリカのCNNも伝えてはいるが、今一つ他人事で実感が伝わってこない。日本のニュースはBBCやCNNの英語報道をベースに翻訳することが多いし、どんどん変わる状況では時差も致命的だ。現地に住む邦人やNGO職員などが安全なところから声を伝えることはあっても、欧州メディアのように防弾チョッキとヘルメット姿で、時にはロシア兵に銃を突きつけられながら爆音を背に現地人目線で伝えるようなものではないから、日本でニュースを見ていても現実味がないのは必然かもしれない。

 ドイツのショルツ首相が第二次大戦後75年間守り続けてきた「武器輸出はしない」という立場を一転させると連邦議会で発表した瞬間にも、フランスのマクロン大統領が、どんなに顔をつぶされても必死で食い下がりプーチンとの電話会談を何度でも繰り返している間も、ベルリンやパリやローマやマドリッドばかりでなく、欧州中の中小都市で普通の人々が集まってウクライナの同胞のために立ち上がり、反戦運動を起こしている。その数は、数千、数万、数十万人にも及ぶ。

 私が住むベルギーなんて人口1100万のちっぽけな国なのに、万国旗を売る業者によると、この1週間でウクライナ旗が数千枚売れたという。民家でもオフィスビルの窓でも青と黄色の旗が掲げられているのを、あちこちで見かけるようになった。そう、この私も黄色と青のリボンを胸につけて歩き始めた。

私の胸もとにも青と黄色のリボン ©Michiko KURITA

連帯する欧州人

 ウクライナに隣接するポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニアなどのEU加盟国は、300~400万に及ぶであろうと予想されるウクライナ難民を全面的に受け入れようとしている。欧州には他にも、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)、フィンランドといった、かつてソ連邦の一部であったり、ロシアに占領されたりした国々があり、こうした国々には今もウクライナ人やロシア人が肩を並べてともに住んでいる。それどころか、ドイツやベルギーやフランスなど地理的にはかなり離れた国々でも同じだ。皮肉なことに、ロシアに占領・支配された歴史を持つこうした国々の人々は、ロシア語を共通語として意思疎通ができるのだ。

 ウクライナに隣接する国々を後方支援する欧州諸国の動きも活発化している。ドイツはポーランドのウクライナ国境の町からベルリンへの直行列車を出し、フランスはパリへの無数のバスを動かしている。3月4日、私はドイツ・デュッセルドルフから帰宅する列車で、案内役らしき女性に連れられた10人ほどのグループと乗り合わせた。ウクライナ難民の女性と子どもたちだった。彼女らはすれ違う人々すべてに「ありがとう、ありがとう」と繰り返し、周りの人々は「よく来たね、ここはもう安全よ」と笑顔で返していた。

 私の住むワーテルロー市でも「受け入れ家庭募集」が始まった。ウクライナ語かロシア語が片言でもできる家庭が優先というが、我が家も家族会議の末に、名乗りを上げた。
 シリアやアフリカからの難民は、若い独身男性が大半で、市町村が受け入れ、市民が支えてきた。市が借り上げたアパートやコンテナ式の快適な住居に住まわせ、現地語を教え、農業や下水工事などの手ほどきをして自立できるように努めてきた。そういう経験やノウハウはどんな市民の間でもすでに培われてきている。
 今度は女性や小さい子ども、高齢者が多い。いつまで? 健康保険は? 学校は? など不安はいくらでもある。でも、雨をしのぐ軒先と質素でも温かい食べ物くらいは分かち合えるはずだ。私の友人・知人でも我が家と同じように受け入れに名乗りをあげた人が数えきれないほどいる。

 24日以降、国外に逃れたウクライナ難民はすでに150万人。ポーランドは75万6000人、スロバキアは10万1000人、ルーマニアは6万3000人、ハンガリーは16万人、モルドヴァは25万人を受け入れている(中東のテレビ局アルジャジーラの3月6日付速報)。

喧嘩両成敗ではいられない

 日本の知人・友人のなかには、「ロシアに制裁をし過ぎれば、欧州は返り血を浴びて経済破綻する」と語る人がいる。それどころか、「西側世界の策略に、プーチンとトランプだけが戦ってくれている」などと言って、怪しいツイッターの書き込みやYouTube動画を回覧してくれる人までいる。
 
 欧州が返り血を浴びるのは、覚悟の上だ。ただでさえコロナ禍でエネルギーコストは高騰していたから、ガソリン代はすでにリットルあたり2ユーロ(約260円)にもなる勢いで、ガス代は5倍どころか10倍にまでなるとさえ言われている。給湯や暖房をガスで賄ってきた我が家は、長らく躊躇していた太陽光パネルを速攻で発注し、電磁調理パネルも購入した。できることから自衛するしか生き延びられそうにない。コロナ禍での行動制限や生活困窮への抗議はあるにしても、「隣人の命」にかかわる連帯意識のほうがはるかに大切だと、私たちは確信している。

 日本やアメリカの識者やメディアが、両論併記的な立ち位置で、「侵攻」か「侵略か」などと語彙選びに腐心している間に、欧州は猛烈な勢いでプーチンの犯罪行為を糾弾している。どのような歴史的背景があろうと、それぞれの言い分があろうと、絶大なる権力と軍力を持つ独裁者が、圧倒的に弱い国の市民の日常を力で破壊していいわけがないからだ。喧嘩両成敗は成立しないのだ。それは、ヘイトクライムは絶対に許さないという欧州の決然とした態度にも通じる。ウクライナはロシア領土に侵攻しているのでも、ロシア市民を攻撃しているのでもなく、独裁者の暴力から自国を防衛しているだけなのだ。

 ドイツの新政権で初の女性外相となったアンナレーナ・ベアボック氏は毅然としてこう言った。「プーチン戦争により、日常は失われたのです。もう昨日までと同じようには生きられない。中立という選択肢はないのです」

 私が敬愛する上智大学のある教授が、こんな風に解説してくれた。「一人の独裁者によって余りに多くの命が奪われる時、市民に選ばれた政治家は、苦渋の決断をしなければならない時がある。その決断が〈正義〉ではないかもしれないという自覚を持ち、自分が英雄であるかのような幻想を持たず、その行為で裁かれる日が来るかもしれないことを覚悟して行うなら」

民主主義とエンパシー

 私が日本にいた人生前半は、「議会制民主主義」という制度をとっていることが「民主主義」だと思い込んでいた気がする。「選挙」には行った方がいいのはわかっているけど、どうせ何も変わらないし、仕事や怠慢を優先するのは当然だと思っていた。だが、ここ欧州の人々は、候補者討論ではテレビにくぎ付けにもなるし、政治家にはがんがん陳情して、動いてくれなければ落選させる。政治が暴走していると思えば、身体を張って抗議行動に出る人がいるし、当事者ではなくても、その立場を想像し、感じ、連帯して動く人が驚くほど普通にいる。

 そう、このウクライナ危機に陥るずっとずっと前から、欧州の人にはこんな風に「エンパシー」のある人が多いと私は感じてきた。「同情して涙を流す」というシンパシーだけでなく、他人の困窮に想像を馳せ、当事者じゃなくても、連帯し行動する力のことだ。

 たとえば、我が家の息子が重度障碍児であることを伝えると、日本の友人・知人には涙してくれる優しい人が多かった。一方、欧州では、私の話がたまたま聞こえてしまっただけの赤の他人に、「私に何かできない?」と言われたことが何度もある。長引くゼネストで、毎日何キロも歩かされ、足にできたマメがつぶれても、「同じ働く者同士だもん、文句はいえないね」と(暴力さえ振るわなければ)我慢して連帯する人々が大半なのにも驚かされた。
 少女に対する連続殺人事件を未然に防げなかった警察機構への抗議でも、コロナの行き過ぎた行動制限への抗議でも、膨大な数の普通の人が、連帯して街に出た結果、司法や政府を動かす事例をいくつも見てきた。欧州人が全員そうだといっているわけではない。でも、当事者でなくても立ち上がり、連帯し、行動する人々は日本とは比較にならないほど多いと感じる。

ウクライナと共に

 知り合いのウクライナ人・ゾヤさんのところへ、我が家に眠っていた支援物資を届けた。彼女はキーウの南西300㎞のヴィーニィツャ(Vinnitsa)という町の出身。ポーランド国境まで500㎞の道のりを、決死の旅に挑んだ妹とその娘たちを迎えるために、彼女の息子がトラックに支援物資を積んで運転して行くという。支援リストにあったのは、消毒剤や鎮痛剤、抗生物質などとともに、松葉づえ、車いす、使わない携帯電話やタブレット、ラップトップPC等。誰かの役に立つならと、私も隣近所や知人・友人にも声をかけてできるだけのものを届けた(私が支援物資を届けた6日夜、ヴィーニィツャの民間空港が爆撃され、妹さん家族の逃避行は断念せざるをえなくなったという)。

ベルギーのラジオでも窮状を訴え寄付を募るゾヤさん©Zoia

ゾヤさんが故郷の実家でお母さんの70歳を祝ったのはたった5カ月前のこと。あの日の日常はもう戻らない©Zoia

 たった1週間の間に、彼女は寄付用の口座を作り、役立ててくれる寄付先を開拓し、ベルギーのラジオにも出演して寄付や支援を呼び掛けている。もちろん、赤十字やユニセフなどの国際組織が、ウクライナ支援の特別口座を開設しているが、顔の見える人に託したいと思う方がいれば、日本からでも以下の口座に送金可能だ。

銀行名:    Argenta bank(アルジェンタ銀行)
銀行所在地:   Belgiëlei 49-53,  2018 Antwerpen, Belgium
口座名義:  Zoia Sysoieva
IBAN(国際口座番号):BE31 9734 2651 1155
BIC:  ARSPBE22

※海外送金の方法・手数料につきましては、お使いの金融機関にご確認ください

 国際銀行間取引に必須なBICとは、今回のロシア制裁で普通の人も知るところとなったSWIFT(国際銀行間通信協会)が銀行に割り当てるコード番号だ。EUやNATOの本部ばかりでなく、SWIFTの本部もここベルギーにある。狂気のプーチンが、核弾頭を積んだミサイルを撃ち込めば、ひとたまりもない。明日は我が身だ。

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義者ではなかったから
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから
そして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

— マルティン・ニーメラー財団

 このレポートは、戦闘状態にある現地ウクライナの一次取材や識者の入念な分析に基づくものではなく、アンテナを張りながら欧州で生きる欧州の人々の素肌感覚や空気感を伝えることを意図している。日本など遠方にいて冷静に見ている方からは、「偏向している」「ロシア側の視点が欠如している」と違和感を持たれるところが多々あるかもしれないが、その「温度差」そのものを感じていただけたら、と願っている。

EU旗とウクライナ国旗 ©Jurta, CC0, via Wikimedia Commons

くりた・みちこ●ベルギー在住30年。コンサルタント、コーディネーター業の傍ら、朝日Web論座、PRESIDENT ONLINEのほか、環境や消費財関係の業界紙などに執筆。得意分野は人権、医療倫理、LGBTQ、気候変動など。海外在住ライターによる共同メディアSPEAKUP OVERSEAsを主催。共著に『コロナ対策 各国リーダーたちの通信簿』(光文社新書)がある。

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