「湖東記念病院事件」から学ぶ 〜供述弱者の冤罪を防ぐために〜 講師:小出将則氏

大学で法学を学び、新聞記者を経て現在は精神科医の小出将則氏は、2003年に起きた湖東記念病院事件の冤罪被害者である西山美香さんの獄中での精神鑑定を行い、法律・医学・報道の「三位一体」で再審無罪へと導きました。なぜこのような冤罪事件が起きたのでしょうか。この事件の経過を紹介いただきながら、「供述弱者」の権利が守られるために学ぶべき教訓、必要な心構えについてお話しいただきました。[2022年5月21日@渋谷本校]

湖東記念病院事件について

 本日のテーマである「湖東記念病院事件」とは、いまから19年前の2003年5月22日に起きたものです。滋賀県にある湖東記念病院で、植物状態で入院していた72歳の男性患者Tさんが亡くなりました。その後、その日たまたま看護助手として居合わせた西山美香さんがTさんの人工呼吸器の管を抜いて殺したという筋書きがつくられて、冤罪被害者にされました。この冤罪事件を中日新聞が「呼吸器事件」と名付けて報道しましたので、本日もこの名称でお話をしていきます。私は、この美香さんの獄中鑑定を担当しました。

 その日、美香さんは資格のいらない看護助手として、A看護師と勤務にあたっていました。事件の発端は、Tさん死亡後の第一発見者であるA看護師が「呼吸器のチューブが外れていた」と報告したことでした。最初はA看護師への業務上過失致死罪容疑での捜査が始まったのです。しかし、本来チューブが外れると大きなアラーム音が鳴るのですが、捜査をしてもアラーム音を聞いた人はいませんでした。結論からお話ししますと、実はチューブは外れていなかったのです。Tさんは半年間ずっと植物状態でしたが、夜中でも痰の吸引をする必要がありました。ところがA看護師はそれを怠りました。それで心肺停止状態のTさんを発見したときに、A看護師はとっさに嘘を言ってしまったようです。

取り調べにおける「暴力」と「優しさ」

 捜査が進展しないまま約1年がたち、この事件は地元警察から滋賀県警に担当が移りました。2004年5月11日、美香さんの取り調べの担当になった山本誠刑事が机を蹴ったあと、Tさんの写真を机の上に並べて美香さんの頭を近づけ、「Tさんに申し訳ないと思わないのか!」と迫ります。ここで初めて美香さんは「アラームが鳴った」と言ってしまいます。刑事のことが怖かったのでしょう。これは暴行といってもいい捜査だと思います。

 ところが、その後、山本刑事の美香さんへの対応が一変して優しくなります。警察にとっては喉から手の出るほど欲しかった証言だったからです。美香さんは取り調べで頻繁に山本刑事に接する機会がありましたが、彼は美香さんの身の上話を聞いてくれました。一流大学を出た兄2人と比べられてコンプレックスの塊だった美香さんに、山本刑事は「あなたは賢い」と言ったそうです。自分のことを初めて理解してくれる人が現れたと思い込んだ美香さんは取り調べを心待ちにするようになるのです。

葛藤から出てきた嘘の自白

 のちに詳しく述べますが、A看護師と美香さんは仲の良い関係でした。発達障害を抱えていた美香さんには友人が少なく、A看護師は数少ない相談相手でした。しかし、美香さんの「アラームが鳴った」という証言をもとに、A看護師への取り調べはきつくなります。当時は、A看護師の業務上過失致死容疑が捜査の本線でした。しかし、A看護師は供述調書へのサインを拒否し、精神的に非常に追い詰められていきます。そのことを知った美香さんは、自分の証言を撤回するために何度も警察を訪れています。ときには夜中にも訪れたようです。しかし、山本刑事は了承してくれません。A看護師が母子家庭であることもあって彼女に申し訳ないという気持ちと同時に、自分の理解者だと思っていた山本刑事にどうしたら関心を持ってもらえるかと美香さんは葛藤します。そして、出した答えが「私がチューブを外した」という嘘の自白だったのです。

 こうして美香さんは、2004年7月6日にTさんへの殺人容疑で逮捕されます。10月の公判では否認しますが、2005年大津地裁は懲役12年の判決を下しました。控訴審、上告審でも弁護団の訴えは棄却され、15年前に罪が確定してしまいます。第一次再審請求は棄却され、第二次再審請求で弁護に入ったのが井戸謙一弁護士でした。この事件の重要な問題点の一つが、美香さんの自白以外に証拠がほとんど何もないことです。なのに、なぜ有罪とされたのでしょうか。それは井戸先生がのちに書いていますが、捜査側が殺人事件と認識していない段階で美香さんが「チューブを抜いた」と供述したため、自白の自発性が認められたからでしょう。しかし、もし美香さんが犯人なのであれば、山本刑事に対して必死に「アラームは鳴っていなかった」と訴え続ける必要はなかったはずです。

「私は殺ろしていません」

 呼吸器事件の冤罪報道のきっかけとなったのは、今から5年半前、私がかつて勤めた中日新聞社の同期・秦融(はた・とおる)編集委員と大津支局(当時)の角雄記(すみ・ゆうき)記者の会話でした。美香さんが両親に送った無実を訴える350通余りの手紙の内容に真実味を感じた角記者が、秦編集委員に相談したのです。「これは冤罪だ」と感じた秦さんは、新聞の大型コラムに書くことを提案しました。

 美香さんが両親に宛てた手紙のあちこちには、「私は殺ろしていません」という表現が見られます。送りがなの「ろ」が余分です。5年前の2月に、私は秦さんから「ちょっと見てほしいものがある」と美香さんの手紙のコピーを見せられました。独特の漢字の使い方、無実無罪を訴える話のあとに突然「食べ物が欲しい」などと言って明るい話題に転換する書き方、不慣れな助詞や句読点など、そうした特徴からADHD(注意欠如多動症)と軽度の知的障害が疑われると秦さんに伝えると、彼は驚いたようでした。ADHDとは、生来の脳の働き方によって、不注意や衝動性、多動性の目立つ発達障害です。頑固でこだわりが強く、感覚過敏、あるいは逆の感覚鈍麻があり、人とのコミュニケーションがなかなかとりにくい特徴のASD(自閉スペクトラム症)の傾向も美香さんにはあります。

 その後、2017年4月22日に私はベテランの女性臨床心理士と共に和歌山刑務所で美香さんの精神鑑定を行うことになりました。鑑定結果は、軽度知的障害、ADHDとASDの傾向、そして愛着障害です。実は第一次再審請求の際にも鑑定は行われていて、大谷大学の脇中洋教授が、「自白は虚偽の供述をつじつま合わせのために変遷させていったものだとみなすのが妥当」という鑑定を出していました。それにもかかわらず、第一次再審請求はあっさりと棄却されていました。そのため、私の精神鑑定では裁判所の無知と傲慢をひっくり返すために、様々な心理検査も行いました。

なぜアラーム音を聞いた人がいないのか

 2017年5月から中日新聞・東京新聞で「西山美香受刑者の手紙」と題した大型連載がスタートしました。その年の8月に美香さんが満期出所したため、「西山美香さんからの手紙」にタイトルを変えますが、連載は4年にわたり40回続きました。そのコラムや報道の内容は、『私は殺ろしていません 無実の訴え12年 滋賀・呼吸器事件』というブックレットになっています。また、秦さんが『冤罪をほどく “供述弱者“とは誰か』という本も出しています。

 でたらめな捜査やずさんな裁判の経過を追うだけでなく、「供述弱者」に対する社会の偏見やあり方などを提示した連載です。連載第1回の見出しは「無実の訴え12年。私は殺ろしていません」。この美香さんの字余りの「ろ」が、全てを象徴しています。

 実は、美香さんが満期で出所したとき、高裁での第二次再審請求審では再審決定に向けた準備が進んでいました。呼吸器事件では、美香さんがTさんのチューブを抜いたかどうかが焦点でした。決定的な矛盾は、チューブを抜いたらけたたましいアラームが鳴るのに、その音を聞いた者がいないことです。94通もの供述調書や自供書が作られましたが、その内容は転々と変わっています。捜査側は当初、「美香さんが衝動的にチューブを抜いた」と供述書に書いています。しかし何回も供述内容は変わり、最後は湖東記念病院の臨床検査技師から得た情報をもとに、「人工呼吸器の消音ボタンを押すとアラームが1分間止む機能がある。チューブを抜いて頭の中で60秒数えて1分になる前に消音ボタンを再度押せばアラームは鳴らないので、これを繰り返して3分間チューブを外した」などという内容になっていました。

 しかし、この調書には決定的な錯誤があります。実は軽度知的障害のある美香さんは、60まで数えられないのです。20を超えると頭の中が混乱して続けられません。出所後に勤めた工場で商品の数を数えるときも、10個ずつを束ねて、さらにそれを5束、6束と数える方法をとっていました。美香さんに頭のなかで60秒を数えてもらう実験もしましたが、大体で答えるのでいつも80秒を超えました。現場検証のビデオも見ましたが同様でした。もし本当に事件の日に頭の中で60秒を数えていたなら、アラーム音が鳴っていたと思います。

「致死性不整脈」を生じうる状態だった

 呼吸器事件のほぼ唯一の証拠は美香さんの自白です。さらに、亡くなったTさんの司法解剖の鑑定書が自白を補強するものとして証拠に採用されています。鑑定結果は窒息死でしたが、これは「チューブが外れていた」という警察からの情報を前提に作成されたものです。私はTさんのカルテと鑑定書のコピーに隅々まで目を通しましたが、これは病死だと確信しました。カリウムイオン血中濃度が異常に低く「致死性不整脈」を生じうる状態でしたが、それがチェックされた形跡はありませんでした。

 亡くなる半年前に、呼吸不全で緊急入院したTさんは心肺停止状態となり、自発呼吸ができなくなって、すぐに人工呼吸器に繋がります。そのときのカルテには「低酸素状態が続いて脳にダメージを与えた可能性が強い。今の段階では回復する可能性は少ない。近いうちに亡くなる可能性も十分ある」とありました。さらに司法解剖鑑定書にも「生命中枢となる脳幹部も通常に比して軟化して脳幹死への移行状態である」とあったのです。患者の死因が致死性不整脈であった可能性が排除されず、急死の原因が酸素供給途絶であると証明されないのは明らかでした。

事件から約17年後の再審無罪判決

 こうして2017年12月20日、大阪高裁は呼吸器事件の再審を決定しました。再審決定を下した大阪高裁の後藤真理子裁判長(当時)は、足利事件(※)で無罪を訴えていた菅家利和さんのDNA再鑑定の訴えを拒否した最高裁調査官でした。のちに後藤裁判長は、この再鑑定拒否について「DNA鑑定が決定的な証拠であるかのような誤解を与えた可能性がある」とご自身の意見を修正しています。美香さんの再審決定には、このときの後藤裁判長の苦い経験があると、秦さんが連載に書いています。しかし、この決定の前にすでに24人もの裁判官が美香さんの冤罪を素通りしていたことが残念でなりません。しかも、検察が特別抗告をしたことで、再審開始はそれから1年3か月も延びてしまい、ようやく最高裁が再審開始を確定したのは2019年3月でした。

※足利事件:1990年5月、栃木県足利市内で行方不明になった女児が遺体で発見された事件。菅家利和さんのDNA型および血液型が犯人と一致したとして任意同行され、取り調べで虚偽の自白に追い込まれて無期懲役が確定した。その後、弁護側、検察側それぞれで再鑑定が行われたが、どちらも犯人とDNA型が一致しないことが明らかになり、2009年に刑を執行停止。2010年に再審無罪となった。

 2020年3月31日に、ようやく再審無罪判決が下されましたが、その内容は「知的障害や愛着障害などから迎合的な供述をする傾向が顕著である被告人に、誘導的な取り調べを行うことは虚偽供述を誘発する恐れが高く不当である」とするなど、自白の信用性だけでなく、任意性も明確に否定した「真っ白な判決」でした。井戸謙一弁護士が2020年の冤罪白書に、第2次再審の無罪判決の意義についてこう寄稿しています。〈死因についての多面的な考察もさることながら、自白の任意性判断手法の一般的基準を打ち立て、被疑者側の事情を考慮要素として明記したことにある。これによって供述弱者がした虚偽供述の証拠能力を否定する道筋が開かれることになった。また大西直樹裁判長が判決言い渡しのあとの説諭において、刑事司法関係者はこの事件を教訓として刑事司法の改善に結びつけなければならないと述べたのは、画期的なことであった〉

 その後美香さんは、この国にまだたくさん残っている冤罪に苦しむ人の力になりたいと国家賠償訴訟を起こしました。刑事事件で無罪が確定してもその捜査や公判そのものに対する県や国の違法性が直ちに認められるわけではありません。民事訴訟として長い道のりが待っています。

冤罪事件と証拠開示の問題点

 これまで呼吸器事件について話してきましたが、ほかの冤罪事件についても取り上げてさらに深めていきたいと思います。

 私が新聞記者を辞めて信州大学医学部で学んでいたときに「松本サリン事件」(※)が起きました。私はサリンがまかれた現場から数百メートルのアパートに住んでいました。毒ガスは住民8人の命を奪い、犠牲者には医学部の先輩女性も含まれていました。当初、河野義行さんという方が犯人と疑われましたが、その理由は現場の近くに住む第一通報者で、自宅に薬品などを持っていたからです。所持していた薬品からサリンは作れないし、動機もないのに、マスメディアは捜査情報を鵜呑みにして彼を容疑者扱いしました。

※松本サリン事件:1994年6月27日、長野県松本市の住宅街でオウム真理教の信徒らが猛毒のサリンをまき8人が死亡。第一通報者の河野義行さんが警察とマスコミによって犯人視された。

 20年後のインタビューで河野さんは「事件は風化します。その中で残せる教訓を整理することが重要です」と彼にしかできない表現で答えていました。自らは変化しないが反応速度などを変化させる物質を化学では「触媒」といいます。河野さんはサリンの被害者となった妻を介護しながら、冤罪被害者となっても淡々と事実の究明を求めました。犯罪捜査や報道のあり方を考えさせる河野さんはまさしく社会の触媒であり、情報の橋渡しを担う媒体であるマスメディアは彼から学ぶべきでしょう。

 『隠された証拠が冤罪を晴らす 再審における証拠開示の法制化に向けて』という日本弁護士連合会の特別部会が出版した本がありますが、ここでは証拠開示の問題がわかりやすくまとめてあります。検察の証拠開示の対応が問題となった冤罪の例を挙げると、1979年に鹿児島県大崎町で農家の男性が帰宅後に牛小屋で遺体となって見つかった事件があります。男性の兄2人と甥っ子、長兄の妻の原口アヤ子さんが殺人や死体遺棄罪容疑で逮捕されました。証拠は男性3人の「自供」でしたが、犯行を指示したとされたアヤ子さんは取り調べから一貫して否認していました。しかし1審判決は全員有罪とし、アヤ子さんは10年の刑に服します。

 この大崎事件を弁護したのが弁護団事務局長の鴨志田祐美弁護士です。この事件は、現在も第4次再審請求審が進行中です。事件発生から42年あまり、もうすぐ95歳になる原口さんと自分の人生を重ね合わせた鴨志田先生の著書『大崎事件と私〜アヤ子と祐美の40年』と呼吸器事件の『冤罪をほどく “供述弱者“とは誰か』の2冊は、将来司法に携わる者の必読書と私は考えます。

再審法改正の機は熟している

 刑事裁判の法的根拠となる刑事訴訟法は、公判前整理手続きの導入や裁判員裁判、取り調べ全過程の録音録画などの整備はされてきましたが、いずれも通常審に関わるもので、再審に関しては事実上一度も改正されていません。そのため、裁判官によって再審への扉が開いたり閉じたりということが起きるわけです。また検察側の即時抗告や特別抗告によって審理が長引くのが当たり前になってしまってしまいます。多くの識者が述べるように、再審請求審においては検察に異議申し立ての場を設ける必要はないと思います。異議があるなら再審公判の場で主張すればいいのです。「再審法改正を目指す市民の会」が結成されて今年で3周年を迎えましたが、法改正の機は熟したと思います。

 しかし、そうした流れに逆行するかのように、検察は組織の面子にかけて公判を維持しようとしています。一度有罪方針を立てると、それに合致しない証拠は表に出さないばかりか証拠を捏造することさえあるのです。2009年に、障害者団体向けの郵便割引制度を悪用した団体が不正減免を受けて関係者が摘発された事件がありました。捜査中に証拠物件であるフロッピーディスクの内容が大阪地検特捜部の検事(当時)によって改ざんされ、厚労省の担当だった村木厚子さん(当時は障害保健福祉部企画課長)が逮捕されました。驚くべきは、村木さんの部下の供述調書が完全に検察によって作文されていたことです。事件を起こした障害者団体への偽造証明書の発行が、村木さんの指示だったと供述したかのように完全に書き換えられていたのです。

呼吸器事件から学ぶべき教訓

 『岐路に立つ裁判官 湖東記念病院事件が問いかけるもの』というタイトルで井戸謙一弁護士が「判例時報」に書いた内容からまとめると、呼吸器事件によって明らかになった本件再審手続きの問題点は、まず証拠開示です。事件後に西山さんが自白するまでの1年余りのあいだの捜査での証拠提出は、当時ゼロでした。「無実の早期救済のためにも、検察官の即時抗告・特別抗告を許さない立法が求められる」とあるのも、その通りだと思います。

 本件から学ぶべき教訓としては、取り調べの可視化があげられています。ただし、一部だけの可視化はかえって冤罪につながることもあるので、任意捜査も含めた全面可視化が必要です。さらに、取り調べでも弁護士が立ち会うこと、被疑者と弁護人との信頼関係を妨害する捜査側の言動の禁止、起訴後の取り調べの厳格な運用、さらに余罪を取り締まるという名目での不当な捜査手法を許さないことも、重要な問題として提起しています。

 検察・警察は一旦起訴すると、自ら主張した事実に反する証拠や証明を断固排斥しようとする傾向があるように思います。客観的な態度がどんな場合でも必要なのは言うまでもありません。とくに記憶や本人の判断が入ってくる自白に関しては、捜査側に客観的、科学的な対応が望まれます。

供述弱者を取り調べるときの心構え

 私が美香さんの獄中鑑定で意見書を書いた際には『取調べにおける被誘導性 心理学的研究と司法への示唆』という海外の研究をまとめた本を参照しました。この本では、脆弱な目撃者、脅かされた目撃者、子供や精神障害者や身体障害、知的障害などが捜査の誘導に脆弱な理由は「弱い人間は情報に関して権威者に依存する傾向にある。彼らを喜ばせたいという強い願望がある」からと述べられています。目撃者に限定されていますが、まさしく「供述弱者」と同じです。「相手が正しいに違いない」という認識を持つと、内容に関わりなく質問に肯定的に答えて黙従する傾向があることも複数の研究者が指摘しています。また、質問が繰り返されることに対して、「最初の回答が許容できない」あるいは「間違っている」という合図であると認識してしまい、同じ質問を繰り返されると約40%が二度目で最初の反応を変えてしまうとも言われています。

 では、供述弱者に対する取り調べや裁判をするときには、どんな心構えが必要なのでしょうか。ブックレット『私は殺ろしていません』の最後のページは、西山美香さんの350通を超える両親への手紙で埋められています。そこには〈刑事にだまされてしまいました。人との接し方わからない。アラーム鳴っていたと言ったら、刑事さんが急に優しくなった。自殺はしないけど、苦しんでいます。嘘の自白、人生最大の後悔です〉という言葉が並んでいます。刑事法の分野では、証拠開示の徹底が必須であることは当然ですし、被疑者の自白のみの有罪が是正されるべきであることは、日本国憲法第38条第3項においても明確に記されています。

冤罪を解くカギは「個のつながり」にある

 呼吸器事件の再審無罪判決を取材した中日新聞の角記者は、裁判官が涙ぐむのを初めて見たとコラムに書き記しています。そこに裁判官としての深い自責の念を記者は感じ取っていました。また、大崎事件と再審の法制化に人生を捧げていると言っていい鴨志田弁護士は、弁護士3年目のコラム最終回でこう書いています。〈すでに有罪が確定していても被告人の「それでも自分はやっていない」という叫びに耳を傾け、裁判のやり直しである再審を申し立て、その弁護に全身全霊を傾ける弁護士たちもいる。……縁もゆかりもない僻地に赴き地域医療に情熱を燃やす医師も、圧政に苦しむ市民の姿を世界に発信すべく危険を覚悟の取材中に凶弾に倒れたジャーナリストも、きっと根底にある思いは同じだろう。彼らを突き動かす共通の原動力は、「ヒューマニズム」である〉

 秦さんは〈 冤罪は「組織」がつくりだす側面があります。その一方で、冤罪を解くカギは「個のつながり」にある気がします。裁判官も新聞記者も同じではないでしょうか。組織の歯車という感覚から抜け出せなければ、人として当たり前に感じるはずの目の前の真実に気がつくことはできない〉とコラムに書いています。憲法の「憲」も「法」も、訓読みするとどちらも「のり」と読みます。冤罪を防ぎ、人と人をつなぐ糊になるもの。本日の話でいえば、それは「ヒューマニズム」ではないでしょうか。

こいで・まさのり 一宮むすび心療内科院長。1961年愛知県生まれ。1984年早稲田大学法学部卒業後、中日新聞社入社。おもに東京社会部で警視庁、東京地検、宮内庁などを担当し、1991年退社。翌年、信州大学医学部入学。卒業後は愛知県内の精神科・心療内科で勤務し、2014年に開業。精神保健指定医・精神科専門医。労働衛生コンサルタント資格を有し、企業や官公庁での産業医も務める。専門分野は女性心身医学、成人の発達障害。

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