第3回:陽炎や被曝者失語者たる我ら(牧内麻衣)

東日本大震災と原発事故から11年が過ぎた福島。今も課題は山積していますが、世の中の関心が薄れ、記憶の風化が進んでいることは否めません。悲惨な原発事故を経験した俳人で高校教員の中村晋さんは、事故後から現在に至るまで、福島の高校生たちと俳句を通じて語り合い、「命そのものの尊さ」を実感できる社会を取り戻そうとしています。そんな中村さんの句を取り上げ、お話を伺うことで、もう一度震災と原発事故をみつめ直し、今の社会について一緒に考えていく短期連載です。

「原発なんか全部爆発しちまえばいい」

ウネラ 今回取り上げる「陽炎や被曝者失語者たる我ら」は、2011年当時、勤務していた高校の生徒から、衝撃的な言葉を投げかけられた頃にできたのですよね。後日中村さんはそのことを、朝日新聞の「声」欄に投稿しています。

陽炎や被曝者失語者たる我ら

中村 「原発なんか全部爆発してしまえばいいんだ」の発言ですね。今でもよく覚えていますよ。授業の初めに、私が「また原発の調子があやしいようだ」というようなことを軽く触れたんですね。もちろん深刻にならないように、でも注意を促すつもりで。
 すると、教室の端の列の、一番前に座っていた生徒が、こっちに背中を向けた状態で、ものすごく怒りを込めた語気で「原発なんか全部爆発しちまえばいいんだ」と言い放ったのです。教室は凍り付きましたよ。それまで和やかな雰囲気だったのが、一触即発状態に変わった感じがありました。ある生徒は、やばいことにならなきゃいいけど……といったような祈るような表情をしていました。
 ただ私自身は、その強い語気に驚きを感じつつも、わりあい落ち着いていたんじゃないですかね。というのも、少し間をあけて、「どうしてそう思うの?」と聞き返していましたから。激しい語気の中にも、この生徒は何か強く訴えたいものがあるんじゃないかと感じていました。
 すると彼は、「だって、俺たちの住む中通り地方は、こんなに汚染されているというのに避難させてもらえない。中通りに避難指示を出したら、高速道路や新幹線を止めなくてはいけなくなり、経済が回らなくなってしまう。避難させないのは、経済を回すためなんだ。つまり、俺たちは経済活動の犠牲になっているんだ。こんな状態はどう考えてもおかしい。ならば、原発なんか全部爆発して、全員が避難できるほうがいい」。そう語ったのです。

ウネラ 単なる怒りではなく鋭い指摘が突き付けられています。大人として、答えに窮してしまうような……。

中村 そのあと、どう返答したのか、私も実はよく覚えていません。全部爆発したら、ちょっと困ってしまうかもしれないけれど、経済活動の犠牲になっているのはその通りだな、くらいのことは言ったかもしれませんね。この生徒は、いざという時に個人の生命や尊厳を犠牲にして国や県や経済活動を優先する、大人社会への不信感が強いんだろうなと感じました。そういう大人社会への強い批判、「いったい何やってるんだ、大人たちは!」という思いが、強い怒りの言葉として噴出したんだろうと。ですから、それは私自身にも向けられた鋭い批判として今でも体に刻み込まれています。ほかの媒体には書きませんでしたが、この生徒は一度別の高校を中退していたのです。ですから、人一倍大人たちの欺瞞や嘘に敏感だったのだと思います。
 彼はこの発言の数日前に、職員室のパソコンを使って、当時の原発の状況や汚染状況などを調べていました。ですから、なぜ自分たちが住む地域がこれほどの汚染にもかかわらず避難地域に指定されないのか、情報を入手していたんだと思います。そんな姿も見ていましたから、私はわりあい落ち着いて対応できたのかもしれませんね。彼が「全部爆発してしまえばいい」と考える理由を知って、ほかの生徒も目が覚める思いをしたと思いますよ。初めて自分たちが住む場所が危険だと気づいた生徒もいたかもしれません。
 私自身も彼の言葉に強く刺激を受けました。あの言葉をなんとか知ってもらいたいと思って新聞に投稿しました。仮にボツになっても、新聞記者の誰かひとりには読んでもらえるんじゃないか。そんなことを思いながら。幸い投稿は掲載され、そこそこ反響を呼んだようでした。きっとあの生徒の言葉に、当時の「がんばろう東北」とか「がんばろう福島」とか「風評払拭」といったお題目みたいな言葉たちを、それこそ全部爆発させてしまうような力があったからでしょうね。しかし、あのときの教室は確かに、凍り付きつつ、一方では爆発してしまいそうな雰囲気でしたねえ。

除染土の山・2020年3月飯舘村(撮影:中村晋さん)

季語は「命の言葉」

ウネラ 生徒さんの言葉の重みは今もなおひしひしと伝わってきます。ところで、中村さんはしばしば「季語の被曝」という表現をされますね。これも私にとってはかなりインパクトのある言葉でした。

中村 原発事故による放射能汚染の影響で多くのものが被曝したわけですが、「季語」が被曝したなどと言う人間は私くらいかな。
 「季語の被曝」とはどういうことか。要するに、ほとんどすべてのものが放射性物質に汚染されてしまった状態で、今までのように「季語」と言われるものを扱うことができなくなったということです。
 例えば「桜」などという季語は、本来なら美しく咲き、はかなく散る日本の美の象徴のような存在で、そういう「本意」を踏まえて作品を作ることを俳人は意識的に、あるいは無意識的に行っていますね。しかし事故が起きて、あらゆるものが汚染され、その前提が吹っ飛んでしまった。「日本の美意識? そんなもん、福島ではそれどころじゃないよ。今、こんな汚染された状態の中で花見なんかできませんよ」。
 道端にタンポポが咲いていて、それを子どもが摘もうとする。何もなければいかにものどかな光景ですが、当時の福島の母親たちだったら、悲鳴を上げているでしょうね。そういうふうに、すべてのものが汚染され、季語と言われるものも汚染されてしまったんです。その中で俳句を作るとなると、季語を今までのようには使えない、少なくとも、何もなかったようには使えない、という思いにとらわれてしまったのですね。
 そうなった途端に、俳句ができなくなってしまいました。今まで当然のように使っていた季語が自分には使えない。季語をこれからどう扱えばいいんだ? 当時、俳句がなかなかできなかった理由には、震災と原発事故による混乱した状況もありましたが、俳句を作るうえで「季語」をどう扱うかという自分自身の葛藤もあったと思います。今までのように季語が使えないということは私にとっては危機的な状況でした。

福島の桜(撮影:中村晋さん)

ウネラ 想像を絶する世界です。

中村 想像を絶する世界というより、それが現実でしたよ。それが「被曝」の現実でした。
 ただ、「季語は被曝した」けれど、その一方で「五・七・五のリズムは被曝しなかった」とも思ったんですよね。当たり前ですが、韻律は被曝しない。正確には、韻律は被曝の影響を受けないといったほうがいいかな。だからこれを生かすしかないかな、と思い定めたところはあります。こう思えたのも金子兜太の普段の言葉があったからです。俳句にとっては「韻律」が本質であって、「季語」は属性なんだ、と。
 それ以降、歳時記を見ることはほとんどなくなりました。考えてみれば、これは季語、これは季語じゃないなんて、俳人の恣意でしかないわけです。五・七・五の韻律を使って見たままを捉える。福島の現実を描く。季語であるかどうか、季節がどうのこうではなく、命そのものを書く、そんな思いにだんだん傾いていくようになりました。そうしているうちに、「季語」というのは季節の言葉ではなく、「生きもの」の言葉だと感じるようになりました。「命の言葉」というのかな。そういう捉え方をすればいいんじゃないか。俳句の長い歴史の中で培われた本意にとらわれずに、今この場で、福島の危機的な状況の中で互いに生きている命の瞬間的な出会い、みたいなものを捉えて書けば、「季語の被曝」も乗り越えられるかもしれない。そんなことも思いましたね。

ウネラ 危機の中で、発想の大きな転換、ある種の解放が起こったのですね。

中村 要するに、私自身、この危機的な事態を経験するまでは、季語の捉え方がまだまだ常識的で、伝統的なものの見方から自由ではなかったということだと思います。もちろん、今だって自分が自由だとは全然思っていません。ただ、いかにも俳句的なものだけが俳句だとは全然思わないし、生徒に教えるときも、「季語」にとらわれなくていいと言います。ただ、「命をしっかりとらえたいね」ということは話します。
 とはいえ、やはり俳句にとって「季語」はとても大切なものです。それが原発事故で一瞬にして危機に晒された。つまり俳句の大事な部分が危険な状態になったわけですね。でも、俳壇ってあんまり動きがなかった。伝統俳句系の方々はとくに季語を大事にされていると思うんです。それがないがしろにされたわけですから、もっと怒ってもよかったんじゃないかな。福島のことは、どこか遠い別世界のことだったのかなと、今もちょっとわだかまりを抱いています。

あまり使わなくなった歳時記とよく使う俳句用ノート、鉛筆、消しゴム(撮影:中村晋さん)

被曝した者の実感

ウネラ 中村さんの「被曝とは光ること蟻出でにけり」という句も非常に印象的です。

被曝とは光ること蟻出でにけり

中村 まずはこの句の読み方のコツをお伝えします。この句は二つの部分に分かれています。「被曝とは光ること / 蟻出でにけり」。こういうふうに、五・七・五を二つの部分に分け、それを一つの句にまとめ上げる方法を俳句では常套手段にしています。「二句一章」とか「取り合わせ」とか「二物衝撃」とか、いろんな言い方をしますが、要するに二つのものを映像として対比させて、その二つのものの対立や響き合いの中から、読者に自由にそのイメージを読み取ってもらおう、という表現方法です。この句はその方法を取っています。
 「被曝とは光ること」と一気に読んで、そこでいったん切れて、そのあと、「蟻出でにけり」と続くわけです。散文的に訳してみると、「ああ、被曝というのは光ることだなあ。そして、いよいよ蟻が穴を出てくる季節になったなあ。」ということになるでしょうか。筆者が見ているものは、春も暖かくなって、庭などに出てきて這いまわっている蟻の姿。そして心の中では、被曝って光ることなんだなあ、としみじみ思っている。ただそれだけの句です。それ以上でもそれ以下でもない。
 とはいえ、「被曝とは光ること」という表現は尋常ではないですよね。しかしこれは被曝した者としては確かな実感です。何か目に見えない物質に貫かれているんだなという思いは、非現実的ではあるけれど、何か自分自身が放射能という見えないものに焼かれている、そんなイメージをもたらしました。そんなときに蟻が庭を黒光りしながら地面を這っているのを見るわけです。そして、ああ、この蟻たちも被曝し、光りながら焼かれているんだなあ、と思うんです。そんな思いとともにこの句が生まれたんじゃなかったかな。情景としてはありふれたものです。けれども、この句の肝は「被曝とは光ること」。蟻も人間も春の光の中で光っている。そして両者ともに放射能に焼かれて光っているかもしれないという想像。その不気味な感覚をこの句とともに思い出しますね。

ウネラ 生徒さんの句に「フクシマよ埋めても埋めても葱匂う」がありますね。ここでは「葱」がまさに被曝した季語と言えるのでしょうか。

フクシマよ埋めても埋めても葱匂う 野村モモ

中村 この生徒がこの句を作ったのは、震災から数年後でしたから、リアルタイムで情景を見て作句したというわけではありません。作者はいろいろ思い返すうちに、そういえば震災当時、あんな光景を見たことがあったなあ、と思い出したんじゃないでしょうか。ですから季語がどうのこうのなどとは、作者はあまり考えていないと思います。見たもの経験したことをそのまんま素直に五・七・五に乗せて俳句にした。これが「フクシマ」の現実だったのだと。それを書き残そうとしたんでしょうね。
 あえて言えば、被曝した季語の成れの果ての現実が俳句になったとも言えるかもしれません。でも私は、先ほども言った通り、生徒に俳句を教えるとき、あんまり季語がどうのこうのと教えないんです。変に教えて、大人びた俳句を高校生が作っても面白くもなんともないですから。この句を読んだ時、私自身はアウシュビッツを思いました。ホロコーストですね。埋められているのは「葱」ですが、同時に人間の生活が埋められているんですから。核(原子力)というのは、戦争と同じように人間の生活を奪い去ってしまう。そして「フクシマ」ではそんなことが平気で行われている。それを告発する句だと思いました。この句に触発されて、私もこんな句を作りました。

アウシュビッツは人フクシマは林檎埋めし

中村 生徒の句のほうが力ありますね。

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中村晋(なかむら・すすむ):1967年生まれ。俳人、福島県立高校教諭。1995年より独学で俳句を作り始め、2005年からは故・金子兜太に師事。2005年福島県文学賞俳句部門正賞、2009年海程新人賞、2013年海程会賞受賞。2011年の東日本大震災・原発事故以降は、勤務する高校の授業にも俳句を取り入れ、生徒たちと作句を通じ命や社会のあり方について考え続けている。著書に第一句集『むずかしい平凡』(BONEKO BOOKS/2019年)、『福島から問う教育と命』(岩波ブックレット/大森直樹氏と共著、2013年)など。

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ウネリウネラ
元朝日新聞記者の牧内昇平(まきうち・しょうへい=ウネリ)と、そのパートナーで元同新聞記者の牧内麻衣(まきうち・まい=ウネラ)による、物書きユニット。ウネリは1981年東京都生まれ。2006年から朝日新聞記者として主に労働・経済・社会保障の取材を行う。2020年6月に同社を退職し、現在は福島市を拠点に取材活動中。著書に『過労死』、『「れいわ現象」の正体』(共にポプラ社)。ウネラは1983年山形県生まれ。現在は福島市で主に編集者として活動。著書にエッセイ集『らくがき』(ウネリと共著、2021年)、ZINE『通信UNERIUNERA』(2021年~)、担当書籍に櫻井淳司著『非暴力非まじめ 包んで問わぬあたたかさ vol.1』(2022年)など(いずれもウネリウネラBOOKS)。個人サイト「ウネリウネラ」。【イラスト/ウネラ】