【番外編】草青むここは校庭だっただっただった(牧内麻衣)

東日本大震災と原発事故を経験した俳人で高校教員の中村晋さんとともに社会を見つめ直す連載「中村さんの俳句と福島の11年」を8回にわたりお届けしました。番外編の今回は、本編で語り切れなかったことや連載へ寄せられた反響などをご紹介します。

ウネラ 番外編ということでよろしくお願いします。

中村 よろしくお願いします。今回は、お恥ずかしながら短歌を紹介します。番外編なので、お蔵入りしていたものも出してしまおうかなと。

ウネラ 変化球! 良いですね。

中村 以前、震災後しばらく俳句ができなかったとお話ししましたが、実は俳句ができない代わりに短歌がぼちぼちできていたのです。同じ仲間の定型詩というところに一時避難していたのかもしれません。なぜ短歌だったのかはよくわからないのですが、俳句では消化しきれないものがあったのだろうという気はしています。ただ、〈春の牛空気を食べて被曝した〉の句ができて以降、短歌はあまり作らなくなりました。というわけで、次の二首が震災直後に生まれてきたものです。率直な感想をお聞きできれば幸いです。

被曝検査受けねば避難受け付けぬと雨を濡れ来し親子帰さる

ウネラ 確かこの時中村さんはご自身も被曝しながら、避難者を「帰す」役をさせられていたのではなかったですか。相当つらい経験だと思います。

中村 そうなんです。勤めていた学校が避難所になった時のことです。学校に来る避難者に対し「被曝検査の有無を確認して、まだ検査を受けていない人には入所できないと伝える」ことを校長から命じられていたのです。入所を断るのはきつい仕事でした。
 ただ、近くの学校で検査しているところがあったので、「今は入所できないけれどそこで検査したら大丈夫です」と伝えて安心してもらうことで、自分の罪を自分で許すことにしていました。嫌な仕事でした。避難して来た側からすれば、やっと避難してきたのに門前払いに会うわけですから、ひどい話です。そういう目に遭う人はいったいどれくらいいたのでしょう。それから私みたいにそういう目に遭わせる人も。今思えば、避難者を帰す側もたっぷり被曝していたのだから、あの被曝検査って一体何だったのだろうと思います。そういうことも含めて、当時の混乱した状況を記録した一首なのかもしれません。

避難所から通う園児が見せに来る白いおにぎりだけの弁当

ウネラ これは中村さんのお子さんが通われていた幼稚園での光景でしょうか。避難所から通う園児もいれば、自宅から通う園児もいる状況だったのですよね。お弁当にそのことがくっきり表れてしまうことに、胸がつまります。

中村 おっしゃる通り、息子が通っていた幼稚園でのことです。職員の方と何気なく話していた時、近くの体育館に避難している家族のお子さんが新しく幼稚園に通うようになって、なかなか大変そうだ、と聞いたんですね。この一首は、そのときのエピソードを短歌にしたものです。
 そのお子さんはうれしそうに「〇〇さん、今日の僕のお弁当はこれだよ」とその職員の方に見せに来たそうです。すると、そこには支援物資の食糧だと思われる真っ白のおにぎりだけがあった。その職員の方は、急いで自分のお弁当のおかずをその子に分けてあげたと、少し涙ぐみながら話してくれました。私も胸に何かがぐっと刺さるような思いがしました。それでこんな歌ができた次第です。これも、当時こういう状況にいた子どもや家族はどれほどいたんだろうか、と思うと切ないものがあります。そういう体験をした子どもたちも今では高校生ぐらいの年頃でしょう。
 この作品を思うたび、ひょっとしたら、白いおにぎりだけの弁当を見せに来た子がこの教室のどこかにいるかもしれない、なんて思ってしまいます。また、「311子ども甲状腺がん裁判」の原告の方々のことも考えます。当時、何も知らずに被曝して、その結果、今を、将来を苦しんでいる人たちがいる。そのことを心に刻まなくてはという思いです。

ウネラ こうした生々しいエピソードに触れ、当時の過酷な状況や人々の痛みを想像することがとても大事だと感じます。

中村 次に挙げるのは、震災から半年以上経過して、私も新たな学校に赴任してからの作品です。うまく表現できたという感触はまるでないのですが、忘れがたいものなので、恥を忍んで。

被曝の日々を振り回されし転校生模擬面接で夢語り泣く

ウネラ つらい歌ですが、あの過酷な環境下においても夢を持っていられたこと自体に同じ人間として、希望を感じます。生徒さんには、その時の自分を誇りに思っていてほしいと思います。

中村 当時、私が勤めていた学校には、転校生がかなり入ってきていました。避難を余儀なくされ、転校せざるを得なかった子どもたちがたくさんいたのです。事故を起こした原発がこの先どうなるかわからない状況でしたから、福島県内だけでなく、県外にも一時的に避難した子どももいました。
 この模擬面接を受けていた生徒は、高校3年生になるところで転入してきたのですね。確か医療系の専門学校への進学を考えていたと思います。高校3年生ともなると、入試の際の面接試験に備えて、その練習をする機会があるのですが、私がその担当になったのでした。とはいえ、私自身もその年の8月に異動してきたばかりだし、なにしろその生徒とは初めて会うという状況でしたから生徒のことが全然わからない。授業も担当していませんでした。担任の先生にどんな子なのか尋ねてみても、転入生なのでよくわからないんだなあ、なんて言われてしまう。内心、困ったなあと思いながら、模擬面接に入りました。とりあえず基本的なやり方、たとえば志望動機とか、将来どんなことやりたいとか、そんなところから入っていこうと。でも、それが裏目に出てしまいました。
 質問してみると、その子はぼろぼろ泣き出してしまって。一生懸命、自分のつらい被災体験を踏まえて、医療系の仕事に携わり、将来社会に貢献したいという夢を語ってくれるのですが、自分の体験を語るところで、言葉にならなくなってしまうんです。私にはその姿が彼女の希望なのか絶望なのかわからなかったです。とにかく、転校してここまでやってきたのが相当につらかったんだということ、そしてこの模擬面接も彼女につらい思いをさせているんだということ、それしかわからなかったですね。その模擬面接をどうやって終わらせたんでしょう。結局私は、何の指導もできませんでした。その子のつらさを想像しようとしていただけ。その後、その子どうなったんだろうなあ、と今でも思うことはあります。

ウネラ 面接で質問されるという機会に、心にしていた蓋が思いがけず開いてしまったのかもしれません。そうして緊張の糸を張りつめていなければ、日々の生活を維持していけなかったのだろうと想像します。苦しいですね。

中村 最後に、2020年春に飯舘村を回ってできた作品。実は俳句を作ることが目的で、実際に俳句も作ったのですが、なぜかそのときに短歌もできてしまったのですね。実際に見たものの重さが大きかったから、なんとか吐き出したかったのかもしれません。

除染という殺戮ありし旧校地に花壇を逃れ咲けりムスカリ

ウネラ 2020年というとつい最近ですね。被曝とは何か、除染とは何かを考え抜いてきた中村さんの11年が、ここに差し出されているような歌だと感じます。短歌は俳句に比べて情念が前面に出るイメージでしたが、この歌は発災直後の俳句作品に比べ俯瞰的な視点で詠まれていて、じわじわと募ってくる切なさがあります。

中村 短歌の「情念」かあ。私の場合「情念」は苦手なんです。だから俳句のように「モノ」に託して述べるほうが楽なところはありますね。しかし、やはりそれだけだと、どうしても言い切れないことも出てきて、つい短歌の方にノコノコやってきて、言いたいことを言いに来るのかもしれません。「殺戮」なんていう言葉を使ったのも、やっぱり俳句ではとても言い切れないものを感じたからなのでしょうね。
 私の中では、原発事故というのもナチスのホロコーストとか広島、長崎の原爆と通じ合うものがあって、とにかく命に対する殺戮に他ならないと感じてしまうんです。除染もそうです。根こそぎ地面に生えているもの、生きているもの引き剥がして、人間が住めるようにするために、他の命を殺戮する。でも、アウシュビッツや広島・長崎でもそうでしたが、必ず生き残る方が存在します。ここではそれがムスカリだったんですね。よく生き残っていたなあ、としみじみ思ってしまいました。
 この「旧校地」は、この歌を詠んだ時点ではまだ廃校ではありませんでした。おそらく除染されていて、放射線の数値も、それほど高くはありませんでした。校舎の時計も正確に時間を刻んでいました。しかし、今はその学校も廃校です。今、そこを訪ねたらどうなっているでしょうか。少し気になるところです。

教え子たちからのコメント

ウネラ この連載企画には中村さんの教え子のみなさんからも感想が寄せられました。ご紹介します。

A.Kさん(2015年卒業)から

先生の言葉の感じが変わってなくてほっとしました。
原発関連の話ですが、私、いま、妊娠していまして、来月の1月に出産予定なんです。
あの頃の原発の影響が我が子に何もないといいなって思ってしまいます。そういう不安がちょっとあって。影響があるというのは、あまり聞かない話ですけど、可能性はゼロじゃないですからね。そうやって未来にずっと残り続けるのが憎いですね。

ウネラ 「言葉の感じが変わっていない」というのが素敵ですね。さらっと書いていらっしゃるけれど、ご本人の抱かれている不安は大変なストレスだと思います。未来に残り続け、ことあるごとに不安を呼び覚ます被曝の恐ろしさが実感として伝わってきました。

中村 他にも、声が聴こえてくるような感じがしましたという感想もありました。実際にはこの企画、メールでやり取りして、ワープロで文章を書いているんですけれどね(笑)。「言葉の感じ」をウネラさんがうまく生かしてくれているからじゃないでしょうか。A.Kさんの、これから生まれてくる新しい命に対するちょっとした不安、よくわかります。でも、なかなか言葉にしにくい。これがフクシマの状況なんだということがこの文面からさりげなく伝わってきます。とにかく体を大事にして、元気な赤ちゃんを産んでくださいね。

H.Tさん(2018年卒業)から

中村先生のお話ももちろんですが、ウネラさんの考え方や考察の仕方も素晴らしいなと思いました。
私も卒業制作で原発と福島のことを考えながら写真で作品を作ったので、今だからこそ考えることが沢山あるなあと思います。
私は恐らく、高校に入る前から周りの友人よりは原発の事や福島のことを考えていたような気もします。
当時は、自分がその話を出す事は、なんとなくタブーのような感覚が少しありました。でも、作品という遠回りな形であっても外に発信すべきじゃないか、と思うことが出来たのは中村先生の影響があると私は思ってます。
家族も私の作品のテーマが意外だったと驚いていました。

ウネラ 月日を経て、アートというかたちで原発や福島のことを表現され始めたとのこと。率直に素晴らしいなと思います。こうした営みが、次世代に事故を語り継ぐものとなるのですから。タブーと感じていた問題を切り拓いていった勇気に拍手を送りたい気持ちですし、ぜひ作品を多くの方に見てもらいたいです。

中村 H.Tさんは、高校時代、一眼レフのいいカメラを持っていて、よく写真を撮っていたなあと思い出しました。ただ、大学の卒業制作が福島や原発などを踏まえたものだったとは意外でしたが、思い返せばけっこう気骨のある子だったから、当然なのかもしれないとも思い返しています。私の影響なんて言ってくれていますが、もともと問題意識があったんだと思いますよ。見どころがある筋の通った子だなあと勝手に思っていましたから。
 高校卒業してから表現に向けて積極的になったというのはうれしいですね。この先もぜひ何らかの形で発信し続けてほしいです。そういえば、私も文化祭で彼女たちのバンドに混ぜてもらって一緒に演奏したことがありました。影響を与えたのはそれかな(笑)。とにかく、あれは楽しかったなあ。

R.Cさん(2018年卒業)から

俳句に関して知識がないので、自分だけでよむのは難しいけどお2人の話を拝読すると、面白いなあと思うし、こんなに短い文でこんなに広がっていくんだとびっくりします。
そして5回6回はとても共感する部分が多くありました。
夏に帰省したとき、深呼吸はしなかったけど目からも耳からもたくさん福島の空気感を味わったので余計に分かる〜となったのかもしれないです。
また、6回目の最後の生徒さんの作品をよんで、こんなふうに表現できるのってすごいなと思いました。私のお家でも柿を干していたことや、庭のアケビが生るだけ生って落ちたこと、家族の言い争いとか友達の転校とかに対してポロッと本音がもれそうなのを我慢したのを思い出しました。

ウネラ 連載第5回6回は「東北」がテーマでした。そこに共感していただけたとのことで、少しでも福島や東北の空気感が伝わったかなと嬉しく思います。6回目で紹介した句は〈フクシマに柿干す祖母をまた黙認〉でした。この句に描かれているのと似た体験をされているので、一瞬にして当時のことが思い起こされたのではないでしょうか。風景だけでなく「本音がもれそうなのを我慢」したといった細やかな心情も含めて……。俳句の持つ力は強いですね。

中村 R.Cさんは、飯舘村出身の生徒さんでした。おとなしい感じの子でしたが、震災によっていろんな事が起き、いろんな経験をしているはずだから、決して通り一遍の対応ではいけないなあと肝に銘じていました。少しずつ話してみると、面白い感性を持っている子で、作文もずばっと核心を突く言葉があったりして、ユニークでした。震災のことや原発のことなどは、在学中はほとんど話さなかったんじゃないかな。この企画があることを伝えて、こうして感想をもらって、初めて彼女がこういうことを考えていたんだと知った次第です。感情や記憶も、ほんとうにあっという間に薄れてしまうものですから、句がきっかけになってそれを思い出し、こうして何かを語ることができるのは、よかったなあと思います。彼女にも、ぜひ何かを記録してほしいなあ。俳句やるといいんですけれどね(笑)。

Y.Tさん(2015年卒業)から

ついに最終回だったのですね!
毎回、なんだか懐かしい気持ちになりながら読ませていただいていました。
日常を見つめると、なんだかんだ平凡に過ごすって一番むずかしいことだったりするので今平凡に生きることも、なにか新しいことにチャレンジすることも両方大切にしていきたいなと思いました。
平凡でいることができるからこそ、その他のことが難しくも感じるし……。
何が言いたいかはよくわからなくなりましたが、まあ、私なりに生きてみます。笑

ウネラ 中村さんと過ごした日々を思い浮かべながら読んでくださっていたんでしょう。日常を見つめる、なんて意識もしない人のほうが実は多いのではないでしょうか。実際、私だって会社勤めに忙殺されている時はそうでした。大事にすべきことは何なのか。むずかしいですが、常に考え続けて生きていたいです。

中村 Y.Tさんが「懐かしい気持ち」と言ってくれるのはうれしいですね。でも、このマガジン9で語られていることって、彼女にとってはほとんど初めてのことばかりだと思うんです。にもかかわらず、「懐かしい」という言葉が出てくるところが不思議ですね。そして「平凡」という言葉にも何か深いものを感じているようで、若いのにすごいなあと思います。「平凡」とは何かという問いには答えなんかないですからね。ただ、答えは簡単に見つからないけれど、自分なりに答えを見つけられるように勉強しよう、ということは、彼女たちの学年の生徒たちにはよく語ったものでした。なんだか、そのことをまだ実践してくれているようで嬉しいですね。私も、少しは仕事していたようですね(笑)。

R.Sさん(2015年卒業)から

定時制の子たちのなんというか、満たされない感じというか、なんかズキっとくるよなあ〜。さりさりさりっていう句に関しては、せっかくこんないい句が生まれたのに、震災でもうその情景もなくなったんだなーって思うと悲しいな〜。ちなみにさりさりさりは、俺からするとなんか草木が風でなびいてる感じかと思った(笑)。
普通に平凡に生きるのが一番難しいよね世の中!
それから、子どもさん、もう高校生なのか?!(笑)

ウネラ ぶっきらぼうな口ぶりですが、なんだかとても優しさを感じるコメントですね。感受性が豊かな方なのだろうなと想像しました。平凡に生きるのが一番難しい、なんて達観したところもありつつ、中村さんのお子さんの年頃を気に懸けたりもしつつ。

中村 R.Sさん(いつもは「さん」づけで呼ぶことはしない生徒です)。男子のような荒っぽい言葉遣いなんだけれど、妙に優しいところがあって、なかなかかわいい子です。定時制の生徒にすうっと心を寄せられるのはこの子の美点ですね。先生の息子さん、もう高校生なんですか! という驚きの声は、他からもありましたよ。彼らが高校に入学したのと、息子が小学校に上がったのが同じ時期だったので、そのことを時折話したんだと思います。それをきっと彼らは覚えていたんでしょう。それで、今、あのときの小学一年生が高校生かと。生徒って、いろんなことを覚えているものですね。時間が経ってもこうして教え子たちといろいろやり取りできるのは、ほんとうにかけがえのないことです。教師にとって、生徒は財産だなあとしみじみ思います。

第一句集「むずかしい平凡」刊行

ウネラ ちょうど福島に越してきて間もない時に、東京新聞のウェブ記事で「むずかしい平凡」のことを知ったんです。思わず「この句集読みたい」となり、車ですぐに買いに出たことを覚えています。

中村 あの記事ですか。記者の出田阿生さんが素敵な文章を書いてくださって、そのあと句集を読んでみたいと、問い合わせがいくつかありました。ウネラさんもあの記事がきっかけだったのですね。出田さんに改めて感謝しなくちゃ。
 ところで、句集を作ろうと思ったきっかけですが、これといった理由もないんですよ(笑)。そろそろまとめようかなという思いはあったのですが、タイミングがつかめなくて。お金もかかりますし。でも、2018年に金子兜太先生がお亡くなりになり、いよいよ独り立ちしなくちゃいかんだろ、という気持ちにもなりました。とにかく作ろうと決めて、なんとかかんとか作り上げました。そのとき思ったのは「句集」がテーマなのではなく、「句集を作る」をテーマにしようということでした。お百姓さんのように、できることはなんでも自分でやってみようと。装丁も、編集も、句集の発送も、ぜんぶ自分でやろうと心が決まって、ようやく句集づくりに本気になった感じです。

ウネラ とても凝った装丁ですよね。白と黒のデザインがシックなのですが、紙の質感は柔らかくて、あたたかみも感じました。開くと、扉の前に薄く透ける素材の青い紙が挟まれています。帯も黒地に文字部分はシルバーの印刷ですよね。

中村 句集を作るというのは、単にまとめて本にするだけではないですから、そこが難しいですよね。どんな装丁にするか、作品のイメージはどうなのか、タイトルをどうするかとか、そこに一本の筋の通ったコンセプトがないとなかなかいい感じに仕上がらないと思うんです。そのイメージが思い浮かばないうちは句集を作ろうと思わなかったのですが、だんだんにこんなふうにしたいなあというのが湧いてきたんです。
 お手本としたのが、ヨーガン・レールさんの『On the Beach 1・2』。ヨーガン・レールさんは海岸に流されたプラスチックゴミを拾い集め、それをきれいに洗い、そこからデザインして素敵な照明にした方です。ファッションデザイナーとしても有名です。その本の造りがシンプルで、しかも格好よかったんです。薄く透ける青い紙も、その本からのヒントです。この薄紙を入れる、というのをやってみたかったんですね。
 もうひとつは堀江敏幸さんの一連の著作。シンプルで奥行きがあり、温かい手触りがある造本と装丁。本の帯は、かなり参考にしました。こういうお手本を印刷屋さんに見ていただいて、あれこれ検討しました。こんな紙を使って、こんなふうにしたいと。ところが、もうその紙は廃盤ですとか、この作り方はお金と時間がかかりますとか、いろいろうまくいかないこともありましたね。青い紙も、在庫限りだというので、デザインが最終的に決まっていない段階で、在庫を押さえたりして、バタバタしながら作っていきました。

句集の扉

ウネラ さりげない蟻の絵も印象的です。

中村 蟻の絵については、企業秘密、と言いたいところですが、たいしたことはありません。消しゴム判子で大きめに蟻の絵を彫って作ります。それをスタンプで押して、紙に映し出します。次にそれをスキャナーで取り込んで、パソコンに入れます。パソコンに入れたら、それを縮小させ、本の表紙のデザインに配置して、あんなふうになりました。表と裏など、微妙に位置を変えて動きを出して、遊んでみました。〈蟻と蟻ごっつんこする光かな〉という句をモチーフにしたのですけれど、デザインの作業も、判子を彫るのも楽しかったですよ。とにかく、本づくりの工程を楽しみながらできたのがよかったですね。
 手に取った方はわかるかと思いますが、この本にはISBNがついていません。この句集はまともな本の流通経路に乗らない本なんです。「BONEKO BOOKS」なんていうのも、自分で作った屋号。ですから、ある種、相当に時代遅れな本です。でも、自分としてはそこが気に入っています。ウネリウネラBOOKSか、著者に連絡しなければ手に入らない(笑)。時代に逆行することを楽しんでいる本でもあります。それはそれでいいんじゃないかなと。

ウネラ 手から手へ、というのは私も大事にしています。ウネリウネラBOOKSの造本は印刷所を含め、中村さんの「BONEKO BOOKS」をお手本にさせていただいています。

中村 印刷所の方々にはほんとうにお世話になりました。印刷所の高い技術あっての句集でした。自分でものを作ってみると、ほんとうにいろんな社会の構造が見えてきます。そのことを体ごと学べたのは大きな収穫でしたね。
 それから、先ほど東京新聞の話がありましたが、句集を出したことで、いろんな方とのつながりが増えました。今回のマガジン9での企画もそうです。それ以外でもほんとうに多くの方、特に俳壇以外の方とつながりを持つことができました。それは大きなことです。文芸は、文壇や俳壇などがあってのものかもしれませんが、作品を作り発表するという点では、やはり社会全体へ問題を投げかける側面もあると思うのです。そもそも、作品そのものが社会の問題から大きな影響を受けているから、なおさらだと思います。作品を狭い範囲の中で安住させるだけでなく、広く多くの人と分かち合うことの大切さ、そんなことを句集を作ってみて実感しました。
 もとより、小さな俳句、小さな句集ですが、そんなものでもそれなりに力がある。そんなことにも気づかされました。
 ですから、時代に逆行していますが、やっぱりこの句集、読んでいただければ幸いです(笑)。

ウネラ 「むずかしい平凡」には収録されていない新作の俳句をご紹介いただき、番外編を閉じたいと思います。

中村 それでは、先述した、2020年飯舘村で生まれた歌と同じ場所でできた俳句を。

草青むここは校庭だっただっただった

ウネラ リズムが体に沁みこんでいくようです。3回繰り返される「だった」に無限のバリエーションがあると思うんです。クレッシェンドしていってもデクレッシェンドしていってもいい。無音の輪廻や微細な波動のようにも感じられます。哀しみ、怒り、やるせなさ……。人々の魂の音がこんなにも響く「校庭でなくなった」空間が、どこまでもがらんと悲しく感じられる一句です。

中村 冒頭で紹介した「除染という殺戮」の短歌の俳句版です。私の中では、あの短歌とこの俳句が深く通じ合っているんです。形はぜんぜん違うのですが。この句では「だった」を繰り返したらどうなるだろうと実験してみました。すると、不思議なことに3回繰り返すと響いてきたんですね。自分の句じゃないみたいになりました。
 短歌だと、俳句よりゆったりした韻律の中で次第に焦点が定まっていくという作り方をしていますが、俳句だとなにか一気に空間がばーんと広がる感じになりますね。短歌と俳句の違いですね。この違いは、自分でも面白く感じています。

ウネラ 中村さんにとって、さまざまな経験を思い出さざるを得ない連載企画だったと思います。句作を通じた抵抗は、今後も続いていくのですね。ここまでお付き合いいただき、感謝いたします。

中村さんの句集『むずかしい平凡』はウネリウネラBOOKSより通販でお求めいただけます。

 


中村晋(なかむら・すすむ):1967年生まれ。俳人、福島県立高校教諭。1995年より独学で俳句を作り始め、2005年からは故・金子兜太に師事。2005年福島県文学賞俳句部門正賞、2009年海程新人賞、2013年海程会賞受賞。2011年の東日本大震災・原発事故以降は、勤務する高校の授業にも俳句を取り入れ、生徒たちと作句を通じ命や社会のあり方について考え続けている。著書に第一句集『むずかしい平凡』(BONEKO BOOKS/2019年)、『福島から問う教育と命』(岩波ブックレット/大森直樹氏と共著、2013年)など。

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ウネリウネラ
元朝日新聞記者の牧内昇平(まきうち・しょうへい=ウネリ)と、そのパートナーで元同新聞記者の牧内麻衣(まきうち・まい=ウネラ)による、物書きユニット。ウネリは1981年東京都生まれ。2006年から朝日新聞記者として主に労働・経済・社会保障の取材を行う。2020年6月に同社を退職し、現在は福島市を拠点に取材活動中。著書に『過労死』、『「れいわ現象」の正体』(共にポプラ社)。ウネラは1983年山形県生まれ。現在は福島市で主に編集者として活動。著書にエッセイ集『らくがき』(ウネリと共著、2021年)、ZINE『通信UNERIUNERA』(2021年~)、担当書籍に櫻井淳司著『非暴力非まじめ 包んで問わぬあたたかさ vol.1』(2022年)など(いずれもウネリウネラBOOKS)。個人サイト「ウネリウネラ」。【イラスト/ウネラ】