現場で憲法とともに歩む—若手弁護士の活動日誌 講師:熊本拓矢氏

熊本拓矢さんは、弁護士になってまだ3年半の若手弁護士です。30名弱の仲間と事務所を共同経営しながら、日々民事、刑事、家事などさまざまな事件に取り組んでいらっしゃいます。その原動力となっているのは、法科大学院時代「憲法にかかわる事件を扱いたい」と希望を語った熊本さんにかけられた「憲法訴訟なんてない」という先輩からのひと言。「普通の弁護士にとって、憲法は遠い存在なのだろうか……」。しかし実際に弁護士になって目の前の事件に取り組む中で、熊本さんのよりどころになったのは憲法でした。憲法という「希望」を持って、さまざまな問題解決に尽力される熊本さんの弁護活動をお話しいただきました。[2022年7月16日@渋谷本校]

憲法訴訟なんてない!?

 私が司法試験に合格したのは2017年、翌年名古屋第一法律事務所に入所して以来3年半、民事、刑事、家事などさまざまな事件に取り組んできました。
 もともと大学は法学部ではなかったのですが、中東の難民問題やホームレスの問題に興味を持つうちに、より人のために役立つ仕事がしたいと思うようになり、法律家を目指して法科大学院に進学しました。
 そのときに抱いていたのは「人権を守る弁護士になりたい」という思いでした。人権とは、その人にとって決して譲り渡すことのできないかけがえのないもの、その人であることを成り立たせているもののこと。その人権を守る仕事がしたいと、夢を膨らませていたのです。
 ところがある日、法科大学院の懇親会の席で、一人の先輩弁護士からこう言われました。「人権を守る仕事がしたいので、憲法に関する事件を扱いたい」と、将来の希望を語った私に対してその人は「熊本君、憲法訴訟なんて、そんなものないよ」と、鼻で笑うように言ったのです。
 たしかに憲法訴訟という訴訟類型はありません。ですが、どんな訴訟でも憲法と無関係な司法判断などありえない。一介のマチ弁(町の弁護士)であっても、憲法を使った裁判は出来る——今の私なら自信を持ってそう言い返すことができますが、そのときにはびっくりして返す言葉もありませんでした。その悔しさを胸に弁護士になって3年半、あのとき心の中で確信したとおり、日々のどんな仕事の中にも憲法が息づいていることを実感しています。その実例をいくつかご紹介したいと思います。

朝鮮学校無償化訴訟

 ひとつめは私の弁護士としての初仕事である「朝鮮学校無償化訴訟」です。原告は愛知朝鮮中高級学校の卒業生10名、高校の授業料無償化制度から朝鮮学校が除外され、補助金が不支給になったことは違法であるとして提起した国家賠償請求訴訟で、2018年4月の第一審の名古屋地裁では敗訴、同12月に控訴審が始まりました。
 高校の授業料無償化は民主党政権下の2010年4月に始まり、外国人学校も対象になっていましたが、朝鮮学校だけは審査中として、適用されないままでした。北朝鮮による日本人拉致問題が未解決だからという政治外交上の判断があったものと思われます。
 そして自公政権に交代後の12年12月、当時の下村博文文部科学大臣は朝鮮学校を無償化の対象としない方針を表明、それを受けて翌年には文科省が省令を改正し、朝鮮学校は対象から除外されることになってしまったのです。
 これは在日朝鮮人として民族教育を受ける権利、すなわち憲法の平等権、人格権、学習権を侵害する暴挙です。
 弁護団はこの控訴審で、原告の高校生(控訴時には卒業生)、学校関係者など、当事者の声をもう一度きちんと聞いてほしいと訴え、控訴審における証人尋問請求をしました。
 一般的に控訴審は書面審査のみで、証人尋問が認められることはまれです。ですが裁判所が人権を守る場であるなら、なによりも原告の声を充分に聞かなければならないはずです。ですから今この法廷で、あらためて当事者の生の声を聞いて欲しいと、私たちは訴えました。
 ところが案の定、名古屋高裁は私たちの証人尋問請求をすべて却下し、これにて結審しますと言い放ちました。
 控訴代理人たるもの、そこで引き下がるわけにはいきません。10人弱の弁護団は一人ひとり立ち上がって、異議申し立てをしました。
 私は「裁判官、あなたたちは机の上の書面の字面だけを読んで、子どもの権利を判断することができるのですか。そうであれば、この裁判は紛争解決の場といえない。当事者の話を聞かないで結審するなど、認められない。審理を尽くさないで、これが公正な裁判といえますか」と訴えました。
 そのとき私の念頭にあったのは、裁判を受ける権利を定めた憲法32条です。裁判を受ける権利とは、手続き的な問題のみならず、十分な審理を尽くす、その上で公平な結論を受けることを保障するものです。当事者の声を聞かない、すなわち十分な審理を尽くさないで結審するなど、憲法32条違反だと言いたかったのです。
 残念ながらこの裁判に勝つことは出来ませんでしたが、私が弁護士として手がけた初仕事でもよりどころになったのは、やはり憲法だったのです。

入管事件と憲法

 次にお話しするのは入管(出入国在留管理庁)事件です。
 現在約280万人の在留外国人が暮らす私たちの社会では、一般のマチ弁であっても、外国籍のかたからの依頼を受けたり、入管に関する事件に関わったりすることは珍しいことではありません。
 私が関わったそうした事件のひとつに、中国残留孤児の子どもである中国籍のAさんの在留特別許可請求があります。
 Aさんは、中国残留孤児であるお父さんが中国で婚姻外にもうけた子どもで、幼い頃に親に連れられて来日、以来三十数年日本人と変わらない暮らしをしてきた男性です。
 彼は数年前にある刑事事件を起こし刑務所に服役した経験があり、その前科故にビザの更新が認められず、オーバーステイとなって、入管施設に収容されてしまいました。私が面会したAさんは見た目もしゃべり方もまったく日本人と同じで、「なぜ自分がここに捕まっているのか、言葉もしゃべれない、知る人もいない中国になぜ送られなければならないのか理解できない」と訴えました。
 私たちはAさんが、中国残留孤児として日本国籍を取得した父親の実の子どもであることを証明するためにDNA鑑定を行いました。その結果、親子関係が証明され、Aさんは日本人の子どもとして在留特別許可を取得することが出来ました。
 その過程で印象的だったのは父親が入管に宛てた手紙の一節です。曰く「私を育ててくれた中国人の養父母は、私が日本人であってもほかの中国人の子どもと分け隔てることなく大切に育ててくれた。日本政府も、ずっと日本で生きてきた息子を、日本人と同じように扱い助けてやって欲しい」。このお父さんの切実な訴えは、今この社会に生きている人は国籍がなんであろうと、等しく人として扱われるべきという基本的人権の根幹にかかわるものでした。
 ですが現実は厳しく、入管事件で外国人が勝つのはとても難しい。その元凶は昭和53年の最高裁大法廷判決、いわゆる「マクリーン判決」(※)です。
 マクリーン判決は「外国人の在留の許否は国の裁量にゆだねられる」「外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、外国人在留制度の枠内で与えられているに過ぎない」と、基本的人権に制約を設けました。
 これはどう考えてもおかしい。日本に暮らしている人、今ここにいる人が憲法によって保護されないなどということはあってはならないはずです。このマクリーン判決はなんとしても覆さなければなりません。
 入管事件をやっていてもう一つ思い出すのは、2001年の「ハンセン病国家賠償訴訟熊本地裁判決」です。この判決は元ハンセン病患者の強制隔離について、単に憲法22条1項の居住・移転の自由の制限にとどまらず、「たとえ数年程度に終わる場合であっても、当該患者の人生に決定的に重大な影響を与え、人として当然に持っているはずの人生のありとあらゆる発展可能性が大きく損なわれる」として、より広く憲法13条の人格権侵害に当たると述べました。国の都合でこの社会に暮らしている人を施設に収容したり、国外追放にしたりすることは、強制隔離と同じようにその人の人生に重大な影響を与えます。熊本地裁の判決は入管事件に通じるものとして、生かしていきたいと思います。

※アメリカ国籍のロナルド・マクリーンさんの在留期間更新申請を、政治活動や無届けの転職を理由に不許可処分にしたことは憲法違反として訴えた裁判

ヘイトスピーチと現場で闘う

 3つめは「ヘイトスピーチ」を巡る事件です。
 2019年9月、「あいちトリエンナーレ2019」の中の企画展「表現の不自由展・その後」に対抗する形で、「反移民」などを掲げる政治団体が、愛知県の施設「ウィルあいち」で「日本人のための芸術祭 あいちトリカエナハーレ2019『表現の自由展』」と称する催し物を開催しました。
 この団体は差別的な言動で知られる団体であり、この催しでもヘイトスピーチに該当する内容が予想されたので、私たちは開催初日に会場に詰めていました。懸念していた通り、会場には韓国・朝鮮人に対するあからさまな差別を文言にしたカルタが展示され、その写真がネット上に拡散されました。
 このカルタが在日コリアンを著しく侮辱する不当な差別的言動に当たることは、疑う余地もありません。
 その施設の利用規則には、「施設内でヘイトスピーチがあった場合、所長は施設利用を中止することが出来る」とあります。そこで私たちは施設館長に対して、ただちに中止を申し入れました。ところが「展示物がヘイトに当たるかどうか、私の判断では決められない」と言うのです。それはおかしい、できないと押し問答になりましたが、その場では中止させることは出来ませんでした。
 しかし後日、大村愛知県知事は、催し物での展示内容はヘイトスピーチに当たるとして、当日に施設側が催しを中止させなかったのは「不適切だった」と述べました。
 また愛知県弁護士会は(表現の自由に留意しつつ)公の施設におけるヘイトスピーチ防止のために、利用制限の対象、手続きを明確化した条例やガイドラインを策定することを提言した会長声明を発表。さらに今年4月には「愛知県人権尊重の社会づくり条例」が制定され、そのなかで公の施設でヘイトが行われることを防止するための指針を定めるよう明示されました。
 私たちの現場での抗議がなかったら、この条例制定は実現しなかったかもしれません。ヘイトスピーチに対しては、迷わず現場で闘うことが大事、それが立法にもつながると実感した経験でした。

 以上3つの例をご紹介しましたが、このほかに刑事事件においても憲法に関わる案件はありました。わずか3年半の弁護士生活ではあっても、これだけ憲法と関わる経験をしているのですから、あの先輩弁護士の言葉が間違っていたことは実証できたと思っています。
 そもそも弁護士とは何か。弁護士法1条には、「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする」とあります。すなわち憲法に則って人権を守るのが職務だと言っているわけで、そこからしてあの先輩の発言は弁護士としての1丁目1番地を踏み外していると言えるでしょう。
 お金の心配をしないで勉強したい。国籍は違っても、普通の日本人と同じように普通に安心して暮らしたい。自分の考えを自由に表現したい。こうした人として当たり前の望みがないがしろにされている現状を変え、よりよい社会、よりよい人生を実現する、その手がかりとなるのが憲法であり、弁護士の仕事です。
 司法試験の勉強をしていると、合格することばかりに目がいって何のために法律家になるのか、何をしたいのかという本来の目的が見えなくなることがあります。そんなときにはよりよい社会、より幸せな人生を実現するという法律家の使命を思い出してください。あなたの今の努力は、憲法によって必ずや報われる日が来ると、私は信じています。

くまもと・たくや 弁護士。「名古屋第一法律事務所」所属。愛知県名古屋市出身。京都大学総合人間学部卒業。京都大学人間・環境学研究科中退。 同志社大学法科大学院修了。2017年、司法試験合格。2018年、名古屋第一法律事務所入所。

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