第606回:極秘で準備されていた「国葬級の葬儀」から考える。の巻(雨宮処凛)

 安倍元首相の国葬の問題で、世論が二分されている。

 政府は8月26日、国葬費用を閣議決定。警備費をのぞいて約2億5000万円かかるという。

 各社の世論調査をみると、どの調査でも反対が上回っている。

 さて、あなたはこの国葬、賛成だろうか、反対だろうか。

 私自身は反対だ。民意を無視して多大な税金が使われることにも疑問を持つし、法的な根拠がないというのも問題だと思う。また、反対意見を表明する人の中には、生前の安倍元首相の業績を理由にあげる人もいる。

 が、これらのことよりも、私にはもっとも大きな反対理由がある。それは、誰の死も、等しく政治利用されてはならないと考えるからである。

 例えば、国葬という言葉が出てきた時、真っ先に頭に浮かんだのは、自衛隊の国葬をめぐる話だった。

 2015年に出版された『自衛隊のリアル』 (瀧野隆浩・河出書房新社)には、03年に始まったイラク戦争への自衛隊派遣について、以下のような記述がある。

 「イラク派遣部隊の宿営地に積まれたコンテナの中には、一切開けられることのなかったコンテナがひとつだけあった。そこに棺桶が入っていたことを知っていたのは、各次群群長と幕僚数名だった」

 そのことが隠されていた理由は、「隊員たちの士気が下がるから」。著者はイラク派遣を通して、「陸自は隊員の『死』に対する部内の準備をほぼ終えたと考えている」と書く。

 「開かずのコンテナ」だけでなく、検討項目は以下のように多岐にわたる。

 「現場から中継地、そして帰国までに遺体を後方の安全な場所に搬送する方法。羽田空港での出迎え態勢。その参列者リスト。首相は無理か。だが最低でも、官房長の出迎えは欲しい。『国葬級』の葬儀が可能かどうか。場所は東京・九段の武道館でいいのかどうか。空いている日程は絶えず掌握された。武道館というのは、意外にも『仮押さえ』が多くて、融通が利くことを担当者は初めて知った。そして医官・衛生隊員は順次、『エンバーミング』と呼ばれる遺体保存・修復の技術を関西の葬儀社で研修させた。傷んだままの遺体では、帰国させられるはずもなかった。部内ではそれらのことを『R検討』と呼んでいた」

 これらのことが極秘に準備されていたわけだが、「国葬級の葬儀」が検討されていると知って思ったのは、「本人の意思は関係ないんだな」ということだった。本人だけでなく、遺族の思いも鮮やかに無視されている。

 例えば、「戦地」への派遣であれば、現場を知るが故に政府への複雑な思いを抱えていることだってあるだろう。場合によっては本人が、現場を何も知らない日本政府のずさんな情報収集能力に苛立ち、またあえて隠されている情報によって危険に晒され、そんな中での派遣を決めた政府への怒りを抱えているかもしれない。そして政府の情報隠し・無知などがその人の死に直結していたとしても、そんなことは全く関係なく「国葬級の葬儀」という形にされるのだとしたら。それが、「士気を上げる」ことに利用されるのだとしたら。それはどれほど無念で恐ろしいことだろう。ある意味で、死者に対する最大の冒涜ではないだろうか。そして本人が望もうと望むまいと、国葬級の葬儀というものは必ず政治的な意味を持ち、政治的に利用されてしまうのだ。

 ちなみに『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』(旗手啓介・講談社)には、カンボジアPKOに派遣された文民警察官が、いかに日本政府に軽く扱われ、正しい情報を伝えられず、また多くの組織の力関係などに翻弄される中で命を落としたかがあますところなく書かれている。

 「戦闘が起こると防空壕に身を潜めるしかなかった」「市街戦そのものの状況」「頭が狂い出しそう」「弾丸が顔の肌を舐めていく。その弾丸の風圧が顔の皮膚に伝わる。何発かが、長く伸びた頭髪の中を通過して、髪の毛がパラパラと落ちてくる。弾は容赦なく雨霰のごとく飛んでくる」一一そんな場所に警察官が派遣されること自体がありえないことだったのに、日本政府の都合で生身の人間が現地に差し出され、33歳の警察官が命を落とした。

 さて、安倍元首相はそのような形で亡くなったわけではない。しかし、故人の遺志を確かめようもない中、国葬がなされるということに疑問を抱く支持者もいるのではないか。私は国葬という言葉を聞いた時、亡くなってまで「利用」されるのかという違和感をまず持った。

 そして実際、遺族は難色を示している(「誰のためかわからない『国葬』 費用はかさみ、昭恵夫人の”難色”も無視、政府の迷走は止まらず」)という報道もある。

 記事によると、昭恵夫人の意思を確認する前に「国葬」の話が出てきたことに対して、夫人は難色を示しているのだという。昭恵夫人だけでなく、安倍家からは国葬辞退の意向も出ているというではないか。

 遺族が難色を示しているのに無理やり国葬がなされるとしたら。

 それはやはり政治利用であり、遺族の気持ちを踏みにじるものであり、いったい誰のための、なんのための国葬かという疑問が浮かんでくる。死してなお、その「非業の死」を利用される安倍元首相が気の毒にすらなってくる。

 さて、安倍元首相の葬儀はすでに済んでいることは多くの人が知るとおりだ。が、その死を悼みたい人がたくさんいることもわかる。ならば強引に国葬をするという後味の悪いものにするのではなく、自民党議員らでお金を出し合って開催する方がどれほど気持ちのいい会になるだろう。「反対」という声が響く中での儀式は、誰のものであっても悲しすぎる。だからこそ、本当に安倍元首相を大切に思っていた人たちでお金を出し合い、盛大に開催したらどうだろうか。

 なぜなら、今のままだとある意味で「最悪の光景」が生まれてしまうからだ。そしてこの国の分断は、より深まるだろう。

 事件以降、人々の関心は自民党と統一教会の関係にある。内閣支持率は急落し、毎日新聞の調査では4割を下回って今までで最低の36%に。

 これ以上民意を踏みにじる姿勢を見せてなお支持率を下げるならそれはそれでいいが、第7波の中、炊き出しや食品配布に並ぶ人々の数は過去最多を叩き出しているという現実にもしっかりと目を向けてほしい。

 この国には、食べるにも事欠く人たちが2年半かけて、じわじわと増えている。そちらにこそ、しっかりと予算をつけてほしいと思うのだ。

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雨宮処凛
あまみや・かりん:作家・活動家。2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)でデビュー。06年より格差・貧困問題に取り組む。07年に出版した『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)でJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。近著に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。