改めて大崎事件を考える~再審弁護から法制度の改革へ 講師:鴨志田祐美氏

1979年鹿児島県大崎町で起きた“身内による殺人・死体遺棄事件”とされる大崎事件。これまでに3度の再審開始決定を得ながら、検察官の不服申立てにより取り消され、一貫して無実を叫び続ける原口アヤ子さんが95歳になった現在もなお、再審請求の闘いが続いています。弁護士登録以来18年、この大崎事件の再審弁護人として活動してきた鴨志田祐美弁護士は、現在の再審制度の不備を痛感、このままでは冤罪被害者を救済することは出来ないと、再審法改正に向けた活動に力を注いでいらっしゃいます。鴨志田さんに大崎事件の理不尽と、再審法改正の必要性を語っていただきました。[2022年11月12日(土)@渋谷本校]

大崎事件との運命的結びつき──事件の概要

 私は、大学は法学部だったのですが、在学中は司法試験とは縁がなく、卒業後に会社員、主婦、予備校講師などを経て、40歳で司法試験に合格しました。司法修習生のとき、弁護修習で配属された事務所の所長が大崎事件第1次再審の弁護団長だったという偶然が、私と大崎事件との運命的な結びつきの始まりでした。弁護士登録直後に弁護団に加入し、以来18年間、弁護士としての人生の全期間を大崎事件の再審弁護人として活動してきました。

 まず、大崎事件の概要からお話しします(元被告人原口アヤ子さん以外は仮名)。事件は1979年10月15日、鹿児島県大崎町という農村で原口アヤ子さんの義弟(当時の夫・一郎さんの弟)四郎さんが自宅横にある牛小屋の堆肥の中から遺体で発見されたところから始まります。
 捜査機関は遺体発見直後から「殺人事件」と断定して捜査を始め、四郎さんの兄の一郎さんと二郎さんを任意で取り調べました。すると遺体発見から二日後、2人は「2人で殺して埋めた」と自白し、逮捕されます。
 アヤ子さんは農家の長男・一郎のしっかり者の嫁でした。あとで説明しますが原口家の一族には、知的ハンディを抱えている人などがいたので、彼らが不慮の事故で亡くなることを心配したアヤ子さんは、一族に生命保険をかけていました。そのことを突き止めた捜査機関は、「近親者による保険金目的の殺人事件」という犯行ストーリーを描きます。
 その見立てに添って、一郎さん二郎さんを追及したところ、「アヤ子に指示されてやった」とアヤ子さんが首謀者であると供述、さらには死体遺棄については二郎さんの息子太郎さんも一緒にやったと、当初の自白とは違う流れになっていきます。
 一郎さん、二郎さん、太郎さんは公判でも争わず、有罪判決に対しても控訴せず、それぞれ懲役8年、7年、1年の刑に服しました。冤罪事件では、取り調べ段階で自白しても、法廷では「やっていない」と否認に転じることが多いのですが、3人はどの段階でも積極的に反論することはせず、裁判所の判断に従いました。ちなみに一郎さんは出所後まもなく病死、二郎さんと太郎さんは自殺しています。
 一方、アヤ子さんは「あたいはやっちょらん」と一貫して犯行を否認し続けました。にもかかわらず80年3月31日、首謀者として懲役10年の有罪判決を受け、控訴・上告するも棄却され、満期服役に至ったのです。

確定判決の問題点

 確定判決はどのように事実を認定したのでしょうか。そこにはまず背景事情として「アヤ子は一族の長男の嫁として、一家を取り仕切っていた。一方、四郎は日頃から酒癖が悪く、酔った先々で迷惑をかけたり酔いつぶれて道ばたに寝転んだりする厄介者だったため、アヤ子、一郎、二郎は日頃から四郎の存在を快く思っていなかった」と、一族の人間関係がことさらに書かれています。
 事件の経緯については以下のように認定しています。
 「遺体発見の3日前10月12日は、アヤ子の親族の結婚式があり、アヤ子、一郎、二郎、太郎は結婚式に出席し、午後7時頃帰宅。一方四郎は朝から酒浸りで結婚式に列席せず、午後5時半頃一人で自転車に乗って近くの食料品店に出かけて帰る途中、自転車ごと側溝に転落。何者かによって(誰かは分かっていません)引き上げられ、道路に寝かされているところを、午後8時頃、道路近くの住民に発見される。四郎の状況を知らされた四郎の近隣住民であるIとTが、午後8時半頃軽トラックで四郎を迎えに行き、荷台に載せて四郎方まで送り届けた」
 ここまでは争いのない事実として私たちも認めています。問題はここから先です。
 「四郎のことをIから知らされたアヤ子はI方に出向き帰宅途中、午後10時半頃四郎宅に立ち寄った。そこで土間に泥酔して前後不覚になっている四郎を見て、日頃の恨みが募り、この機会に殺害しようと決意。二郎と一郎に殺害を持ちかけた。
 そして午後11時頃、アヤ子は一郎、二郎とともに四郎方に行き、殴る蹴るの暴行を加えた末、アヤ子が持っていたタオルを一郎に渡し、一郎が四郎の首にタオルを巻いて力一杯締めて殺害、その後二郎は息子の太郎に死体遺棄の加勢を求め、翌13日午前4時頃、アヤ子、一郎、二郎、太郎の4名で四郎方の牛小屋の堆肥に穴を掘って四郎の死体を遺棄した」
 これが確定判決の事実認定です。
 私たち弁護団が問題にしているのは、近隣住民のIさんTさんが四郎さんを玄関土間に置いて帰ったとき、果たして四郎さんは生きていたのか、ということです。「四郎が生きて土間にいた」というこの認定を支えているのはIさんTさんの供述のみ。ほかに目撃者、客観的裏付けはありません。
 しかもアヤ子さんは「このとき土間に四郎はいなかった」と一貫して供述しています。自転車事故にあって、長時間路上に横たわっていた四郎さんは、生きて自宅の土間にいたのか、大いに疑問が残ります。

冤罪の構図

 確定判決の問題点に注目すると、冤罪の構図が浮かび上がってきます。
 まず指摘したいのが、警察が遺体発見直後から「殺人・死体遺棄事件」と断定して捜査を開始したという点です。
 遺体発見時に分かっているのは、誰かが遺体を埋めたという「死体遺棄事件」だけです。死体遺棄は必ずしも殺人が前提ではありません。殺人を前提としない「死体遺棄事件」もありえます。にもかかわらず、はなから殺人事件として捜査を始めたことで、抜け落ちてしまった重大な事実があります。
 それが、遺体発見3日前の自転車事故です。先にお話ししたように、夕暮れ時に四郎さんは酔っぱらって自転車に乗っていて、深さ1メートルほどのコンクリート製の側溝に転落しました。こうした自転車事故で死亡する例も珍しくありません。にもかかわらず、この自転車事故に関する証拠集め、情報は捜査対象からすっぽり欠落してしまっているのです。
 四郎さんの遺体は発見された日の夜、鹿児島大学の法医学教室に運ばれ司法解剖されました。その結果頸椎前面に出血が見られ、ほかに目立った外傷がないことから「頸部に加わった外力による窒息死」と推定されました。
 しかしこの解剖に要した時間はわずか1時間10分。通常司法解剖は、3時間はかかると言われていますから、堆肥の中に埋められて腐敗の進んでいた遺体の死因判定としては、あまりにずさんだったと言わざるを得ません。
 しかも例の自転車事故のことを、鑑定医は知らされていませんでした。その後この鑑定医は「解剖時には自転車事故のことは知らされていなかった。出血は首が反り返りすぎて起きたもので、事故死の可能性を示唆している。窒息死ではない。解剖の結果は間違いだった」と当初の見立てを変えています。この鑑定医の証言は、第一次再審開始請求の新証拠になりました。
 2点目は、検察の「保険金目的の殺人」という見立てです。
 保険金目的の殺人であれば、他殺を疑われないよう装うのが普通で、堆肥に埋めるなど、明らかに殺人とわかる方法をとるでしょうか。さすがに確定判決では「保険金目的」という認定はされませんでした。ならば保険金目的というストーリーに沿った供述、証拠もおかしいと見直さなければならないはずです。にもかかわらず「一族による殺人・死体遺棄」という見立てが揺らぐことはありませんでした。
 3点目は、鹿児島地方裁判所には、刑事部は一つしかなく、犯行を認めている男性3人の「共犯者」とアヤ子さんの裁判が同一の裁判官・法廷で審理、判決が行われたという点です。このように共犯事件で1人は否認し、残りの人は認めているという状況になったときには「公判手続の分離」といって、別々に審理をしなければならないことになっています。ところが鹿児島地裁には刑事部が一つしかありません。このため、公判の分離といっても結局は同じ裁判官が両方の審理をすることになりました。
 被告が自白している裁判はスムーズに進みますから、否認しているアヤ子さんの裁判は後回しになる。裁判官は男性3人の供述証書を見た上で、アヤ子さんの審理に入る——それがどのように影響するか、考えてみてください。

「共犯者」は供述弱者だった

 冤罪事件というと、検察や裁判所が悪いという話になりますが、大崎事件の場合は弁護側にも問題がありました。
 確定審の弁護人は、男性3人の「共犯者」らによる殺人・死体遺棄については争わず、「アヤ子さんだけが白」という弁護方針で臨みました。「共犯者」の自白の信用性などは裁判では一切吟味されず、彼らが四郎さんを殺したことは事実で、そこにアヤ子さんが関わっていたか否かのみを争点にしたのです。
 しかし一郎さん、二郎さんは、本当に四郎さんの首を絞めて殺したのでしょうか。なぜあっさり自白し、法廷でも争わず、控訴もしなかったのか、不思議に思いませんか。
 これが大崎事件最大の問題だと私は思っているのですが、実は3人とも知的障害を抱えた「供述弱者」だったのです。知的なハンディを抱えている人々は、しばしば取り調べでは誘導、暗示にかかりやすく、虚偽の自白をしやすいということが、今ではよく知られています。しかし当時はそうした「供述弱者」という認識がなく、障害に配慮ないまま過酷な取り調べがなされ、虚偽の自白に至ったと、私たちは見ています。
 法廷でも一郎さん二郎さんはほとんど語らず、質問にも答えられず、速記録には「……」と表記されているにもかかわらず、裁判官は疑問を抱くことすらありませんでした。それどころかすらすら語っているかのように作文された検面調書(検察官の取調べの際に作成された供述調書)を有罪の証拠にしたのです。このことだけで、充分に冤罪の疑いが濃厚であると言わざるを得ません。

無罪をはらすまでの2つのハードル──再審手続き

 一貫して無実を主張していたアヤ子さんは、出所後に再審に向けた闘いを始めます。再審とは、確定した裁判に間違いが見つかったというときに、裁判をやり直す制度です。後に説明しますが、現在の再審は「間違って有罪になってしまった無実の人を救うためだけ」にあります。
 再審には二つのハードルがあります。一つ目は裁判のやり直しをするかどうかを決める「再審請求」、そこを越えて行われるやり直しの裁判が「再審公判」、この二つ目のハードルである再審公判で無罪が確定して、ようやく無実の人が無罪になるのです。
 しかし現在日本には、一つ目のハードルである再審請求に何十年もかかっている事件が山のようにあります。そこで引っかかって、やり直しの裁判にまでたどりつけないのです。
 再審開始にはどのような要件が必要なのかというと、刑事訴訟法435条には「無罪を言い渡すべき明らかな証拠を新たに発見したとき」と規定されています。
 「明らかな」を「明白性の要件」、「新たに」を「新規性の要件」と言います。
 裁判所の目に触れたことがない、つまり裁判所が判断の対象にしたことがない証拠を「新規性のある証拠」と言います。捜査段階ですでに収集されていた証拠でも、確定判決までに提出されなかったものであれば、新規性があると評価されます。
 問題は「明白性の要件」です。「無罪を言い渡すべき明らかな」というと、真犯人が出てきたとか、DNA鑑定で別人と分かったなど「それだけで無罪を証明できる決定的で強力なもの」でなければだめなように聞こえませんか。しかしそれではハードルが高すぎて、ほとんどの冤罪事件は救われません。
 そこで1975年、最高裁は明白性についてこう判断しました。「その新証拠だけで無罪というところまでは持って行けなくても、確定判決を支えている古い証拠の中に混ぜて、総合的に評価して、その結果有罪判決が揺らぐとしたら、新証拠には明白性があると言える」。これが有名な「白鳥決定」です。
 しかもその判断には「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が適用されると、はっきり言っています。
 つまり再審請求する側は、無罪を証明する必要はなく、古い証拠の中に投げ込んで総合評価したときに、有罪判決に合理的疑いを生じさせる証拠があればいいと、明白性のレベルを下げる決定をしたのです。
 この白鳥決定が出たことで、免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件と4件続けて死刑事件で再審無罪を獲得、死刑囚が死刑台から生還するという画期的な時代がもたらされました。しかしその後強烈な揺り戻しが来て、解釈によって明白性のハードルが上げられるという実情もあり、大崎事件も苦しい闘いを強いられています。

3回の開始決定、取り消し、そして4次再審へ

 現在大崎事件は第4次再審請求の段階にいます。最初に再審請求したのは1995年4月19日、7年かかってようやく2002年、鹿児島地裁で再審開始決定を勝ち取りましたが、2004年に高裁はそれを取り消してしまいました。それから2次3次と再審請求し、そのうち3回、地裁や高裁が再審を認める判断を出しましたが、いずれも検察の抗告を受けて高裁や最高裁で取り消されたため、一昨年4回目となる再審を申し立てました。
 私が弁護士登録したのは2004年10月。その2ヶ月後に第一次再審請求が高裁で取り消され、そのどん底から私は大崎事件の弁護人になりました。以来苦しい闘いを経て2017年6月、鹿児島地裁が第3次再審請求を認めてくれました。このときは本当にうれしかった。さらに2018年高裁もこれを支持、地裁、高裁と2連勝してこれで勝てる、アヤ子さんを無罪に出来ると確信しました。ところが2019年6月最高裁が請求を棄却、強制終了してしまったのです。

犯行ストーリーを崩す2つの証拠――4次再審請求の戦略

 第4次再審請求の戦略として、私たちは確定判決の犯行ストーリーが成立するための絶対的条件に着目しました。その条件とは「午後10時半の時点で生きている四郎さんが土間にいる」ということです。
 もし四郎さんがそれより前に死亡していたことを証明できれば、そして「生きている四郎を土間に置いて帰った」という近隣住民IさんとTさんの供述が噓だとしたら、「午後10時半にアヤ子さんは泥酔して土間に寝ている四郎さんを見て、殺意が募り云々」という検察の見立てた犯行ストーリーは入り口から崩れます。
 そこで私たちは埼玉医科大学総合医療センターの救急救命医・澤野誠教授に「医学鑑定」をお願いしました。
 刑事ドラマによく出てくる「法医学鑑定」と、「医学鑑定」の違いがわかりますか。
 法医学は、遺体またはその写真など死体の状況から逆算して死因、死亡時刻を判定します。一方医学鑑定は、人が病気や怪我でどのような経過をたどるか、すなわち生きている人がどのようにして死に至るか、法医学とは逆のアプローチをたどります。
 死亡時刻で言えば法医学鑑定では、「〇時から〇時」という幅を持たせてしか推定できないという限界があります。一方、日々瀕死の患者さんを治療している救命救急医であれば、適切な処置をしないとどうなるか、ほぼ正確に予測できるはずです。そこで私たちは救急医に、四郎さんの死因、死亡時期の鑑定をお願いしたのです。
 澤野鑑定では、四郎さんは自転車転落事故によって首が反り返り、頸髄を損傷して運動機能障害に陥った影響などで腸管が壊死し、大量出血死したと判定、また死亡時期に関しては、IさんとTさんがトラックの荷台に載せて四郎さん方に運ぶ途上、つまり四郎さん方に到着する前にすでに死亡していたと見立てました。
 路上に寝ていた四郎さんは、首はぐらぐら、重篤な状態だったわけで、それを無造作にトラックの荷台に放り込むとどうなるか。実は映画監督の周防正行さんがIさんとTさんの証言を元に、その様子を再現する動画を撮ってくださり、証拠として提出しました。それを見た澤野医師は、首を保護せずに軽トラックの荷台に乗せたため頸髄損傷が急速に悪化し、自宅到着時には既に亡くなっていたことが確実であると鑑定しました。
 もう一点「生きている四郎さんを土間に置いた」というIさんとTさんの供述が虚偽であることを明らかにするため、私たちは心理学とコンピュータ解析という、異なる手法による2種類の供述鑑定を、あらたな証拠として提出しました。
 これまでも供述心理鑑定という心理学の専門家による供述分析は提出していたのですが、さらにコンピュータ解析という別の手法による鑑定を加えたわけです。
 その結果、四郎さんの運び方、トラックの停め方、運び入れた場所など、二人の供述が食い違ったりあやふやだったり矛盾だらけだったり、「生きている四郎さんを土間に置いた」という部分にのみ、あきらかな矛盾が、双方の解析において同様に見られました。つまりコンピュータ鑑定と心理鑑定というまったく違う方法で鑑定したのに、結論はおなじ、故に相互に科学的鑑定としての信用性を高めていると主張しました。
 さらに弁護団は専門業者に依頼して3DCGを製作、二人の供述にもとづき「生きている四郎を土間に置いた」様子を再現していただき、供述の問題点をビジュアルに明らかにしました。
 二人の供述にもとづく確定判決の犯行ストーリーが成り立たないことは明らかで、ここまでやれば絶対勝てると私たちは思ったのですが、今年6月22日、鹿児島地裁は請求を棄却しました。私たちは高裁に即時抗告、闘いは続いています。

今の再審法では冤罪被害は救えない

 再審については、刑事訴訟法「第四編、再審」に条文があります。刑訴法は全体で507条もあるのに、そのうち再審についてはわずか19条で、具体的な審理手続きの詳細を定めた条文はたった一つしかありません。条文が少ないということは、どうぞ裁判所は自由にやってくださいと、裁判所のさじ加減にゆだねられることを意味します。
 なぜこんなことになっているのか、歴史的なことを見ておく必要があります。
 1949年に施行された現在の刑訴法は、日本国憲法制定に伴って作られました。
 それまでの旧刑訴法は、国家権力の威信を持って悪いやつは残らずとっつかまえて処罰せよという必罰主義にウエイトが置かれていました。これでは当然冤罪も起きます。
 それに対して戦後、日本国憲法が制定され、人権救済、人権保障の観点から、被疑者・被告人に当事者の地位を与えて真実を発見しましょうと考えました。このようにして刑訴法は、裁判所主導による職権主義から、憲法が保障する人権尊重の当事者主義に生まれ変わったと言われるのですが、再審については改正が間に合わず、戦前の旧刑訴法の規定がほぼそのまま踏襲され、ほとんど変わっていないのです。
 通常審に関しては、被疑者・被告人の権利保障が少しずつ認められる方向で改正が進みました。証拠開示についても2016年の改正で、捜査機関は証拠の一覧表を作って交付しなさいという制度が作られるなど、不十分ながらもルール化が進みました。
 ところが再審については現行刑訴法の施行から70年以上改正されたことがない。というより、旧刑訴法が制定された100年前から変わっていないのです。

裁判官の当たり外れで決まる──「裁判官ガチャ」

 旧態依然の再審法でいちばん問題なのは、証拠開示をめぐる再審格差です。捜査機関は、税金と権力を使って強制的に地引き網のように証拠を集めます。そのなかには被疑者に有利な証拠もあるはずですが、検察官には有罪立証責任があるので、有罪に必要な証拠を厳選して裁判所に提出します。
 そうするとほかの証拠は捜査機関の手の内に眠ったままになります。それらは再審請求する際に提出した新証拠が再審開始の要件にかなう明白性を備えた新たな証拠かどうか裁判所が判断するために、捜査機関に対して「眠っている証拠を出しなさい」と言ってくれて、初めて日の目を見るわけです。
 そうやって「古い新証拠」が開示されたことで再審が開始されたという例は、布川事件、東電女性殺害事件、松橋事件など、いくつもあります。証拠の開示は再審開始の強力な原動力になるのです。
 大崎事件の第2次請求審では、鹿児島地裁はまったく証拠開示してくれませんでした。ところが次の高裁の裁判長が積極的に開示勧告を出してくれたところ、検察がないといっていた証拠が、新たに213点も出てきたのです。さらに第3次再審時には18点出てきました。
 同じ事件でありながら、裁判官の当たり外れで証拠開示が左右される、こんな不正義があっていいのでしょうか。私はこれを「再審格差」、最近は「(親ガチャならぬ)裁判官ガチャ」と呼んでいます。
 これを是正するには、どんなやる気のない裁判官に当たってしまっても、証拠を開示しなければならないというルールを作るしかありません。しかし、2016年の刑事訴訟法改正では、再審における証拠開示については先送りされてしまいました。法制審で周防監督ら有識者委員ががんばってくださって、改正法の附則で、再審における証拠開示について検討するように、と「宿題」を課してくださいましたが、遅々としてすすんでいないのが現状です。

検察官による再審妨害

 再審制度におけるもうひとつの問題は、繰り返される再審開始決定に対する検察官抗告です。
 刑訴法450条には、再審開始決定に対しても不服申し立てできると規定されており、それを根拠に検察官は抗告するのですが、はたしてそれが妥当なのか、憲法に照らして考えてみましょう。
 憲法39条は「……すでに無罪とされた行為……同一の犯罪については刑事上の責任は問われない」と規定しています。これを「二重の危険禁止」といいます。
 国家権力が私たちを捕まえて処罰するということは、非常に人権侵害のリスクが大きい。最悪死刑にされてしまうのですから。そのような人権侵害のリスクのある刑罰の手続きに、同じ事件で2度かけることは避けなければならない。これが日本国憲法に保障された「二重の危険禁止」です。
 日本国憲法が制定されたことで、戦前は認められていた不利益再審(被告人の不利益になる再審)は禁止され、再審の目的は「無実の人が間違って有罪にされてしまった、それを正し無罪にする」すなわち「無辜の救済」のみとすると決められました。つまり再審とは、冤罪を晴らすためにあるのです。
 そうであるなら、再審における検察官はどのようにあるべきか、考えてみてください。三審制のもとで、検察官の訴追権限は尽きています。地裁、高裁、最高裁で主張すべきことはし尽くしたはずです。
 再審請求の審理は職権主義なので、裁判所が請求人の請求を聞いてどうするかを決めるものです。通常審とは違って、もはや検察官は対立当事者ではないのです。検察官には「公益の代表者」という大事な役割があります。再審においては、無辜の救済という裁判所の職権行使に協力することこそ「公益の代表者」としての検察官の役割ではないでしょうか。
 検察官が再審開始申し立てに抗告できないと、法の安定性に問題が生じるなどという意見がありますが、ほんとうにそうでしょうか。再審にはやり直しをするか否かの再審開始請求と実際の再審公判があるわけで、検察官は言いたいことがあれば、再審公判で言えばいい。公判で有罪立証すればいいのです。
 前さばきの段階で、いつまでもいつまでも抗告して争う必要性はないはずです。
 なによりも現実を見てください。名張毒ぶどう酒事件は事件から61年。2005年に再審開始決定が出ているのに、検察官が不服申し立てをして取り消され、9次再審途中で元被告人は死亡、92歳の妹さんが引き継いで現在10次再審中です。
 袴田事件は事件から56年、2010年に再審開始が決定されましたが高裁で取り消され、最高裁で差し戻し、やり直しの即時抗告審中です。
 そして大崎事件は事件から43年。アヤ子さんは95歳。検察は何回抗告すれば気が済むのでしょう。

冤罪救済のための再審法改正を

 このような状況を変えるべく、再審法改正に向けてさまざまな動きが起きています。市民団体としては当事者や家族らによる「冤罪犠牲者の会」、周防監督も関わっていらっしゃる「再審法改正をめざす市民の会」があります。
 地方議会から国会に対して再審法改正を求める意見書採択の動きも拡大しています。
 日弁連は2019年、再審における証拠開示の法制化を求める意見書を提出、さらに今年は「再審法改正実現本部」を設置、立法化に向けて本腰を入れて取り組んでいます。
 冤罪救済のために法制度を見直す動きは、諸外国で進められています。
 日本の再審法のルーツであるドイツでは1964年、再審開始決定に対する検察官抗告を立法で禁止しました。イギリスでは1995年、冤罪被害者の救済を目的として政府から独立した「刑事事件再審審査委員会」が設置されました。アメリカでも検察庁の中に有罪判決を検証する内部機関を作る動きが広がっています。
 台湾ではすでに2度にわたる再審法改正が実現し、韓国では検察庁内部で、意味のない抗告はしないよう慎重に行うべしというマニュアルが作成されるなど、欧米だけでなく、日本の法律を手本にしたといわれるアジアでも、日本を追い越す勢いで再審法改正は進んでいます。
 大崎事件のほか、袴田事件、日野町事件と、即時抗告審の判断が注目される再審事件が現在進行中です。いずれも再審開始決定が出されているのに、検察官の抗告で審理が長期化しているのです。元被告人本人は高齢又は故人になり、引き継いだ家族の高齢化も深刻です。再審法改正は待ったなしの緊急課題、もはや人権というより人道の問題だと共感を持っていただければうれしいです。

かもしだ・ゆみ 1985年早稻田大学法学部卒業、2002年司法試験合格。2004年鹿児島県弁護士会登録。2010年「弁護士法人えがりて法律事務所」設立。2021年京都弁護士会に移籍、Kollect京都法律事務所所属。日弁連「再審法改正実現本部」本部長代行。著書に『大崎事件と私――アヤ子と祐美の40年』(LABO 2021年)ほか。

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