あなたの“つらい”を“笑顔”に ~弁護士マジシャンとして~ 講師:小野 智彦氏

本業の弁護士のかたわら、プロのマジシャンとして活躍する小野智彦さん。「人生において弁護士が呼ばれるのは、離婚、死亡、倒産など悪いとき。対してマジシャンが活躍するのは結婚式、誕生日、設立パーティなど良いとき。共通しているのは人を笑顔にすること。その二つをバランスよく楽しんでいます」とおっしゃいます。弁護士は人の人生を背負い込む過酷な仕事。その重圧に負けずに、楽しく弁護士人生を送る極意をお話しいただきました。[2023年9月16日@渋谷本校]

8回目の挑戦で司法試験合格

 私は静岡県浜松市で生まれ育ちました。中学校での成績は学年で10番前後といったところでしたが、高校に入ったときには420人中396番という有様でした。とくに理数系がだめで、大学受験するなら私立の文系しかないという消去法で、中央大学の法学部に入りました。中央大学は司法試験の合格率が高いことで知られていましたが、ぜひ弁護士になりたいといった目標もなく、六法全書片手にキャンパスを歩くのもいいかな、くらいの気持ちでした。
 大学では法友会という勉強サークルに誘われ入室、そこで人生の師となる白谷大吉先生と出会います。白谷先生は、刑事事件が得意で12件もの無罪判決を勝ち取った人権派の「マチ弁」でした。毎週末「人権ゼミ」を開催されていて、私は講義中は居眠りしているけれど、飲み会になると元気になって朝まで飲んで先生の家に泊まり込み、朝ごはんまでごちそうになるという学生でした。
 先生は飲むと必ず「弁護士ってのはなあ、庶民と一緒に泣いたり笑ったりできる、唯一の職業だぞ」と語り出します。そうか、おれも先生のような人情味のある弁護士になろうと、司法試験に挑戦することを決意しました。
 ところが5年連続で短答式試験に失敗、食べ物がのどを通らなくなり栄養失調で倒れ、親からは諦めて帰ってこいといわれるなど、万事休すとなりました。そこでもう一度基本書を読んでまんべんなく点数をとれるよう勉強方法を見直したところ、翌年に短答式試験に合格。論文は3回目に合格して、大学卒業から8年後の30歳で弁護士登録に至りました。
 静岡で過ごした司法修習の2年間は、勉強づけだった青春時代を取り戻したかのような楽しい日々でした。もともと音楽が好きだったので、レコード屋に入り浸って店の人と親しくなり、その縁で世界的に著名な演奏家と交流する好機にも恵まれました。
 また落語や講談も大好きで、神田愛山という講釈師と親しくなりました。あるとき彼から「法律を絡めた新作講談を作りたい」と頼まれ、法律監修をしたこともあります。プログラムに「法律監修」として自分の名前を見たときには、感動しました。

庶民とともに泣き笑いできる「マチ弁」に

 司法修習が終わって、東京都豊島区巣鴨にある白谷大吉先生の事務所に入りました。とげ抜き地蔵で知られる巣鴨は人情味あふれる庶民の街で、先生は毎日のように私を地元の居酒屋やスナックに連れて行ってくださいました。街を歩いていると、あちこちから「先生!」と声がかかります。学生時代ゼミで話されていたように、先生は本当に庶民と泣き笑いをともにしている弁護士なんだなあ、いいなあ、俺もこうなりたいと思っていたのですが、私が就職してから2年ほどで亡くなられてしまいました。
 先生亡きあとも事務所に残って、とげ抜き地蔵のあるお寺で行っている無料法律相談を手伝ったり、先生のなじみの店に足繁く通ったりしているうちに、私もいつか町の人から「先生!」と声をかけてもらうようなマチ弁になっていきました。
 1999年に東京弁護士会に登録して消費者委員会に所属したので、消費者問題にも携わりました。当時、情報提供者に代わって、電話会社が電話料金とともに情報料金を徴収する「ダイヤルQ2」という情報サービスが流行っていました。これを親が知らない間に子どもが利用して高額請求されるなどのトラブルが多発しており、その解決に当たりました。
 また「法の華三法行」という新宗教団体の被害者救済弁護団にも加わりました。「法の華」は、「先祖にたたられている」などと不安をあおって高額なものを買わせたり寄付を強要したりするなど、反社会的犯罪行為を繰り返し、多くの被害者を出していました。その弁護団として、教団を霊感商法に関わる詐欺罪で摘発、2003年には解散まで追い込むという貴重な経験をしました。
 少年事件も手がけました。私自身高校生のときに、ちょっとした悪さをして警察沙汰になったことがあるのです。共犯の友人は少年審判までいったのですが、私は少年法に守られて運良く放免されました。
 ある高校生の少年審判の付添人になったときのこと。少年審判の席上で、その子に「ところで君は将来何になりたいんだ?」と聞いたところ「先生のような弁護士になりたい」と言うのです。そのときは誰も本気にしていなかったのですが、数年後「先生、○○大学の法学部に合格しました」と電話が来ました。そして、その数年後法科大学院へ入ったという知らせがあり、しばらくしてついに「司法試験に合格しました」と電話が来たのです。「あいつ、すげえなあ」とびっくりするやらうれしいやら。「先生のような」とはどういう意味だったのだろう。多少は彼の人生に影響を与えたのかな、と鮮明に記憶しています。

マジック裁判、漫画裁判

 マジックを始めたのは、自分の子どもが2歳になったころ。毎日帰宅が遅く子どもと触れあう時間がなく、このままでは「知らないおじさん」扱いされてしまうのではと危機感を持ったのがきっかけです。
 あるとき、たまたま入ったおもちゃ屋で、マジック道具の実演販売をやっていました。箱に入れたコインが消えたり現れたりする様子にすっかり魅入られ、初心者用の安価な道具を買って帰りました。説明書を見ながら練習して、息子に見せたところ大喜び。それからはマジック商品の店に通って大人買いして、仕事の合間を縫って練習に励みました。折しも世の中はマジックブームで、私も人前で披露する機会に恵まれ、そのうちギャラをもらうようになり「弁護士マジシャン」と呼ばれるようになりました。
 ある芸能事務所の社長さんから「せっかく弁護士がマジックをやるのだから、あなたにしかできない法律ネタを作ったら?」と言われ、複数の輪っかがつながったり外れたりするリングマジックの口上を考えました。「リングは愛情があるとつながり、離婚を考えると外れなくなる。そこで愛情を持って調停にのぞめば、うまく外れる。ほらこの通り」。観客が感心しているとすかさず「実は私、弁護士なんです」。これをやるとその後まもなく、必ずと言っていいほど離婚調停の依頼が数件はいります。まさに手品は字の通り「手の三倍口がものをいう」のです。
 マジックを始めてしばらくたった2007年には、あるマジシャンから依頼がありました。本物の硬貨に精巧な細工を施してトリックのタネに使う道具を「ギミックコイン」といいますが、これが貨幣損傷等取締法に違反するとして刑事告訴されたというのです。
 貨幣損傷等取締法とは「貨幣を損傷し又は鋳つぶしてはならない」とするもので、戦後まもなくできた法律です。当時は1円玉を溶かしてアルミの弁当箱に加工して2円以上で売るといったことが横行し、それを禁じるためにできた法律ですが、現在でもそのまま生きているのです。裁判では「この法律の使命は果たし終えた。現在においてはその立法趣旨はあてはまらない。ギミックコインを禁じるのはマジシャンの表現の自由を侵害するもので憲法違反だ」と、無罪を主張しました。
 どうしたら勝てるか、いろいろ考えた末に思いついたのが、このマジックがどれほどおもしろいものか、裁判官に見てもらうという奇策でした。そこで日本奇術協会の副会長を法廷に招き、目の前でコインを用いたマジックを披露してもらいました。裁判官は壇上から身を乗り出して目を丸くして大喜び、一方検事は苦虫をかみつぶしたような顔、傍聴席からは拍手がわき起こるという事態になりました。これはいけると自信を持ったのですが、結果は敗訴。最高裁まで行きましたが、有罪判決を覆すことはできませんでした。
 『金色のガッシュ!!』という人気漫画の作者・雷句誠さんの裁判も、忘れられません。『金色のガッシュ!!』は小学館の「少年サンデー」に7年間連載されており、トラブルを挟んだものの完結しました。そこで雷句さんは原画を返却するよう出版社に要求したのですが、一部は紛失したとして戻ってきませんでした。そこで賠償請求したのですが、わずかな金額しか提示されず納得できないとして、漫画の原画の財産的価値を争う訴訟を起こしました。
 私はそれまで漫画には興味がなかったのですが、弁護人として読んでおこうと読み始めたら、これがおもしろい。すっかりはまってしまい、32巻全巻読破し、キャラクター商品やアニメのサントラ盤も買い集めました。作者の雷句誠さんのサイン本は、今も家宝として大切にしています。
 裁判では、原画の財産的価値については指標がないということで、和解に持ち込まれました。
 そこで雷句さんに紛失された漫画と似たような絵を描いてもらい、それをヤフーオークションに出したところ、数十万円の値がついたのです。これを根拠に和解をすすめ、それなりに納得のいく解決に至りました。
 この裁判は、軽く見られがちな漫画原画の財産的な価値を認め、漫画家の社会的地位を高めるものとして注目され、傍聴券を求めて早朝から列ができるほどでニュースにもなりました。

趣味を持つ、キャラクターを立てる

 私はマジックの他、楽器演奏、写真撮影、手相鑑定など、たくさんの趣味を持っています。楽器はフルート、尺八、ウクレレ、パーカッションなど、一通り演奏しますし、写真も個展を開いたことがあります。器用貧乏なんですね。
 弁護士という仕事は常に紛争の渦中にあり、重圧に押しつぶされそうになる職業です。依頼者のためにできる限りのことを、と考えるときりがなく、どこかで線引きしないと業務過多になってしまいます。そこで有効なのが趣味を持つこと、それも読書や音楽鑑賞など受け身のものでなく、楽器演奏、マジックなど能動的な趣味をおすすめします。
 マジックをやっていると、ひたすら目の前の人を驚かせよう、楽しませようと必死になるので、仕事のことなどすっかり忘れてしまいます。楽器もひとりで練習していると雑念が湧いてきますが、人前で演奏するとスイッチが入って没頭できます。
 こうした能動的な趣味は、それなりに練習したり勉強したり、時間も体力気力も使いますので、仕事を忘れて夢中になれます。オンオフの切り替えに最適だと思います。
 また、現在は弁護士が増えて、資格があるだけで仕事が来る、食うに困らないという時代ではなくなりました。ですから、あまたいる弁護士の中から選んでもらうには、何かしらキャラクターを立てたほうがいいように思います。何もマジックでなくとも、笑顔がとびっきりすてきとか、どこか親しみやすさを感じる、面白そうと思ってもらえるなど、人々の気持ちに引っかかるフックがあるといい。時代は変わっても、弁護士には「お堅い、怖い、敷居が高い」という昔ながらのイメージが残っていますから、マジックはその殻を破るのにぴったりだったと思います。
 キャラクターを広く知ってもらうためには、SNSを積極的に活用するのが有効です。私はほぼ毎日FaceBook(FB)を更新し、仕事のことも趣味のことも積極的に発信しています。人間というものは他人のプライバシーを知ると親しみを覚えるものです。私の依頼者もFBの友だち、そしてその友だちや知り合いなどのつながりが多い。一世一代の難問や事件に直面したときに弁護士を頼むわけですから、まったく知らない人より、なにがしかの縁がある人に頼みたくなるのが人情でしょう。
 そもそも弁護士になるような人は営業が苦手で、そこにつけ込む業者もいます。「うちのポータルサイトに登録すれば、仕事がどんどん入りますよ」と言われて月10万円、15万円と払わされるケースが多々あります。しかし、そうしたサイト経由の仕事は、はっきり言って客筋がよろしくない。非常識だったり理不尽だったり、引き受けようと思う案件はほぼありません。
 広告業者に大金を払うより、日頃から人間関係を大切にして、まめに広げる努力をしたほうが、結果的にうまくいくことが多いと思います。

これからの若い弁護士へ

 最近の若い弁護士と仕事をしていると、ひたすらけんかを売る、火に油を注ぐような人が少なくないように思います。相手方の弁護士と膝を突き合わせて考え、「こちらはこの点について依頼者を説得するから、先生はこの部分で何とか」など話し合い、協力して紛争解決に導く。それが弁護士の仕事だと思うのですが、いかがでしょう。
 受験勉強では、判例の規範を当てはめるにあたって、判例と実際の事案のどこが同じでどこが違うのかを見極め、利益衡量できる能力が鍛えられます。その能力を実務のなかで高めて、経験知を重ねることが重要です。紛争解決能力は、どれだけ法律を知っているかではなく、どれだけ紛争を解決してきたかの経験知に基づくものだと思います。
 また、自分が実際に体験したことのある案件だと、依頼者の気持ちになれます。私の場合は、少年事件、離婚、交通事故の経験があり、当事者の感覚が分かるので、お客さんの信頼感も上がるのではないかと思っています。
 弁護士は人の人生を背負い込むところがあり、のめり込むと精神的に参ってしまうので、ある程度の「鈍感力」を身につけることも必要です。オンオフのスイッチの切り替え上手になって、弁護士人生を楽しんでください。

おの・ともひこ 弁護士 1968年静岡県浜松市生まれ。1991年中央大学法学部法律学科卒業。1996年司法試験合格、1999年4月弁護士登録(東京弁護士会)。巣鴨で「マチ弁」を15年務めた後、銀座の個人事務所で5年、その後、大本総合法律事務所へ入所。家事事件、少年事件が得意。

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