【寄稿】『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14部』河邑厚徳監督インタビュー(ウネラ=竹田麻衣)

11月3日~9日、フォーラム福島(福島県福島市)で映画『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14部』(以下、映画『沖縄戦の図』)が上映される。各地で戦禍がやまないいま、そして、福島第一原発の事故後12年を経てもなお、災禍のなかにある福島でこの作品が訴えかけるものは大きい。監督の河邑厚徳さんにメールを通じて話を伺った。(ウネラ=竹田麻衣)

絵に描きこまれた沖縄戦が語り始める

ウネラ:画家の丸木位里、丸木俊夫妻は、広島・長崎の核爆発の凄絶さを描いた「原爆の図」をはじめ、「南京大虐殺の図」「アウシュビッツの図」と、一貫して戦争の地獄絵を描き続けました。その丸木夫妻が晩年の1982~87年にかけて沖縄に通って完成させたのが「沖縄戦の図」連作14部です。
 ふたりは沖縄や近隣諸島に生々しく残る戦地を巡り、多くの体験者の証言に耳を傾け、6年の歳月をかけて凄惨な沖縄戦を描き出しました。まずは河邑さんが「沖縄戦の図」を取材し始めた経緯、テレビ番組にとどまらず、この全14部作を紹介する映画をつくられた経緯を教えてください。

河邑:2020年2月にはじめて、沖縄県宜野湾市にある佐喜眞美術館で「沖縄戦の図」を見ました。普天間基地のフェンスに囲まれた、小さい美術館の一番大きな展示室の正面の壁いっぱいに「沖縄戦の図」がかかっています。高さは400㎝、左右は850㎝の圧倒される大きさです。左右には集団自決が行われたチビチリガマ、シムクガマの絵(※)、入口の壁一面には沖縄戦を生き延びた体験者のパネル写真が絵に正対するように並んでいます。
 最初見た時、息をのみました。金縛りにあったようで、絵をどこからどう見たらいいのか分からず、呆然と立ち尽くすしかありませんでした。時間が経って少しずつ絵の中の死者の群像が、その絵を見ている私を見ている事に気がつきました。見ているはずの自分が絵から見られている――。一人ひとりが何かを語りかけているようでしたが、まだその言葉は聞こえません。気がつくと絵だけではなく、背中から沖縄戦の体験者たちが何かを伝えようとしている気配もしました。
 絵の中からどのような声があふれだし、どんな物語が秘められているのだろうか……。戦争の惨劇や沖縄の民衆たちが、強い筆で大胆に、場面によっては繊細に細部まで描き込まれていることも見えてきました。それは二次元の平面的な絵画としてではなく、出来事のドキュメントそのもののようでもありました。現場に立ちカメラを構え、絵を撮影したら今まで見えてこなかった映像が見えてくるように感じ始めました。
 作品は全部で14部あります。作品を最後まで見て行けば、絵の中に描き込まれている沖縄戦が語り始めるのではないだろうか。美術館を出た時には、この14部の全作品、アートだけで貫いて戦争を描く映像作品をつくり、世代を超えてこの絵を伝承したいという気持ちに火が付いていました。

※ガマ:鍾乳洞

「一番大切なことが隠されてきたのです」

ウネラ:この映画から私は、女性や子どもの視線を強く感じました。絵画や史資料、戦跡の映像などから伝わる凄惨な戦禍と、やわらかな「いのち」のイメージとのコントラストに圧倒される思いでした。

河邑:戦後作られた沖縄民謡「艦砲ぬ喰えー残さー(かんぽうぬくえーぬくさー)」は今も沖縄人の心をとらえ、「何も語りたくない、すべて忘れたい」というウチナーンチュの深層意識を浮き彫りにする名曲です。
 沖縄県民の4分の1が沖縄戦で亡くなり、“生き残った自分たちは艦砲射撃の食い残し”と表現した皮肉で痛切な歌詞に、みなが共感したのです。本土のヤマトンチュには理解できない戦争体験が、戦後沖縄の人々の心情を作っていきました。そこを理解しないで「沖縄戦の図」は描けません。

 「隠されてきているのです。日本が負けたとかアメリカが勝ったという事ではないのです。その中で起きたもっと細かい、もっと大切なことが、いや一番大切なことが隠されてきたのです」

 丸木俊はそう語っています。

ウネラ:河邑さんは映画公式HPに「この映画は絵画だけで戦争の全体像を浮き上がらせようとする一つの試み」というメッセージを寄せていますね。

河邑:「沖縄戦の図」は画家がイメージで描いたものではなく、可能な限りの事実を積み重ね、結晶させた作品群です。その意味では、沖縄戦のルポルタージュ絵画なのです。
 描いた丸木位里と丸木俊は「水と油」の夫婦といわれます。水というのは、位里が水墨画家として注目を集め、前衛的で実験的な独自な画業を確立した画家であったこと。油というのは、俊が女子美術専門学校(現女子美術大学)で油絵を学んだ洋画家であったことですが、強い個性がぶつかり合う自由な夫婦であったということも、その言葉の意味するところです。一緒になることで、水と油は分離せずに爆発的な芸術表現を生み出しました。
 二人の共同制作の始まりは、世界的な作品となった「原爆の図」全15部です。1953年から70年にかけて世界中を巡回し、各地で衝撃を与えました。原爆のもたらす地獄がこの絵には凝縮していました。ピカソの「ゲルニカ」のような、平和への祈りを込めたアートとして、1995年にはアメリカの歴史学者がノーベル平和賞に推薦し、候補となりました。しかし今も、核兵器の廃絶は進まず、人類は核のもたらす惨劇を直視せず、政治的な駆け引きを続けています。

繰り返される戦争、世代を超えて伝えるために

ウネラ:映画のなかで、沖縄戦のことを継承しようとしつつその難しさに戸惑う現代の若者の存在、その等身大の姿が描かれている点も印象的でした。

河邑:丸木夫妻は晩年になって沖縄戦に取り組みました。

「原爆の図をかき、南京大虐殺をかき、アウシュビッツをかいたが、沖縄を描くことが一番戦争を描いたことになる」(丸木位里)

 長く映像ドキュメンタリーを作ってきた私は、一連の絵を見て今の時代が求める作品だと確信しました。画家たちが世を去って20年以上が過ぎていますが、芸術は永遠です。映像作品を作り、広く世代を超えて伝えていきたいと考えました。
 人間は戦争を繰り返します。ウクライナ、イスラエルとパレスチナ、迫る台湾有事……。改めてアートを通じ戦争の実像を伝えることが必要だと感じました。
 そこで私が選んだ方法は、絵が描かれた順番第1作から第14作までたどることでした。
 沖縄戦を二人の画家夫婦の図像だけから読み解くことで、人間がくり返してきた現代につながる戦争の罪悪と人間破壊を再発見しようと試みました。記録フィルムや体験者の証言で構成するノンフィクションではありません。

アートによって感性に訴えかける

ウネラ:世界中で次々と戦禍、災禍が起こり、そのたびに情報が氾濫する一方で、問題の本質や人間として乗り越えていくべき課題の解決について深く議論したり、立ち止まって考えたりする機会が極端に少ないように感じます。現状を打開するために、個々人の足元からできること、その時アートはどのように作用するのか、考えをお聞かせください。

河邑:アートを通して知性だけでなく感性に訴えるのが、映画『沖縄戦の図』だと思っています。アートによって、戦争が身近で現実的に理解できないだろうか。平和を作っていくためには、頭だけではなく心が動く必要があります。心が動いてこそ、行動につながるはずです。では、心に届けるためには従来の手法でいいのだろうか――。
 本当に戦争を知るためには、恐怖や共感、怒りが必要です。多くのドキュメンタリーが結局は、インパール、サイパン、レイテ、満州、沖縄、ガダルカナル…など「戦記物」になって消費されていきます。それではあくまでも点で留まってしまいます。
 それを線にするにはどうするか。戦後を支配した「厭戦」は平和へ向かうための正義の観念や、戦争悪を論理化してきたか。体験世代は次世代に何をどう語ってきたか。気分や情緒では不十分ではないか。体験者がいなくなるなかで国民的記憶をどう作り上げるか――。戦争のような社会的問題を世代が変わっても伝えていく事が急務だと感じます。
 この世界を、戦争に1ミリでも1センチでも近づけないようにするのが、ジャーナリズム、メディアの責任です。果たしてそれが機能しているでしょうか。次々と実施される、軍事費の拡大、南西諸島での新たな基地建設。止まらない辺野古基地建設の問題。原発事故処理水の海洋放出。平和だけではなく、環境問題にも無神経な政治が続いています。

沖縄と福島に共通しているもの

ウネラ:福島の原発事故から12年が経ちました。福島の人々のなかには、沖縄の問題に福島の原発事故を重ねながら声を上げ続ける人、あるいはアートによって福島の問題を表現し続ける人も少なくありません。

河邑:はっきり言えば、ヤマト(日本本土)から見て沖縄は遠い存在です。明治以来、南の小さな島々を様々に犠牲にして来た歴史があります。地理的に遠いということが、そこでの現実が希薄に感じられてしまう原因になっていると思います。
 同じように、中央から見て東北を国策で利用してきた結果の一つが、福島第一原発事故ではないでしょうか。無能な政治に対して、個人が何をできるのかを考え続ける日々ですが、そこに明るい灯があるのだろうかと自問しています。
 希望があるとすれば、若い世代へ誠実に向き合い育てることと、自然を守ること、自然に力をもらうことかもしれません。

ウネラ:沖縄と福島――その距離は遠く離れていますが、そこにはいまも暮らしの一部に災禍があり、日々声を上げ続ける人々がいるという悲しい共通項があります。福島第一原発事故を経験した福島の地で、この映画が上映される意義は大きいはずです。


 この映画は、11月3日からのフォーラム福島での上映のほか、「『いのちを奏でる』アジア映画祭 in 小豆島Ⅱ」(10月29日、11月5日、11月8日)や、「第8回ねりま沖縄映画祭2023」(11月11日)、沖縄県石垣市の「カフェ・タニファ」(11月25日)、「石垣市民会館中ホール」(11月26日)などでも上映が予定されています。


かわむら・あつのり 1948年、愛知県生まれ。元NHKプロデューサー。1971年にNHK入局以来、現代史、芸術、環境、科学、宗教などを切り口に数々のドキュメントを制作。映画監督作に『天のしずく 辰已芳子“いのちのスープ”』(2012) 、『大津波 3.11 未来への記憶』(2014) 、『笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』(2016) 、『鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)』(2023)がある。

「フォーラム福島」上映情報
映画『丸木位里 丸木俊 沖縄戦の図 全14部』
作品公式HP: https://sakima.jp/movie/
期間:2023年11月3日(金・祝)から11月9日(木)各日10時から上映
場所:フォーラム福島(福島市曽根田町6-4) 
トークイベント:11月3日(金・祝)上映終了後 河邑厚徳監督ご登壇
料金: 一般1800円 フォーラム福島設定料金はこちら
お問い合わせ:フォーラム福島 ℡ 024-533-1717

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ウネリウネラ
元朝日新聞記者の牧内昇平(まきうち・しょうへい=ウネリ)と、パートナーで元同新聞記者の竹田/牧内麻衣(たけだ/まきうち・まい=ウネラ)による、物書きユニット。ウネリは1981年東京都生まれ。2006年から朝日新聞記者として主に労働・経済・社会保障の取材を行う。2020年6月に同社を退職し、現在は福島市を拠点に取材活動中。著書に『過労死』、『「れいわ現象」の正体』(共にポプラ社)。ウネラは1983年山形県生まれ。現在は福島市で主に編集者として活動。著書にエッセイ集『らくがき』(ウネリと共著、2021年)、ZINE『通信UNERIUNERA』(2021年~)、担当書籍に櫻井淳司著『非暴力非まじめ 包んで問わぬあたたかさ vol.1』(2022年)など(いずれもウネリウネラBOOKS)。個人サイト「ウネリウネラ」。【イラスト/ウネラ】