【寄稿】アメリカの学生と『アイアム・ア・コメディアン』(日向史有監督/2022年)を観る(小嶋亜維子)

今年7月に全国で公開される映画『アイアム・ア・コメディアン』。『東京クルド』の日向史有監督が、お笑いコンビ「ウーマンラッシュアワー」の村本大輔さんに3年間密着取材したドキュメンタリーです。この映画をアメリカで一足先に鑑賞、勤務先の大学で村本さんをまじえてのディスカッションも実施したという米大学教員の小嶋亜維子さんが、その感想を寄稿してくださいました。
※この原稿に加筆修正した英語版がThe Asia Pacific Journal: Japan Focusに掲載されています。/An English version with additions and edits is on The Asia Pacific Journal: Japan Focus.

 シカゴの美術大学でGlobalizing Japanese Pop Cultureというタイトルの授業を教えている。現在北米における日本語学習の動機のほとんどが「アニメ・マンガ・J-Pop・ファッションへの興味」(92.1%)であるように(※1)、実際に授業を履修するのはほとんどがアニメ・漫画ファンだ。授業概要をよく読まずに来た学生の中にはこの授業がアニメの分析や批評ではなくポップカルチャーの事象を通した現代日本社会学だと知ってがっかりする者もいる。しかしそういう彼らにこそ漠然と憧れている“クール”で楽しいJapanから踏み出してクリティカルに日本という社会の現実を見つめてほしい、それによってより深く人間的に日本の社会に関わってほしいという願いを持って教えている。

 この授業をデザインしていた2017年の年末、日本のテレビで「事件」が起きた。一流漫才師が一堂に会する全国ゴールデン番組「The Manzai」で、ウーマンラッシュアワーというコンビが原発、災害復興、沖縄米軍基地など、日本では報道番組でさえなかなか正面から取り上げようとしない問題を次々とネタにし笑いをさらったのである。その時ニュースになっているキーワードで軽く言葉遊びをするような無難な“時事ネタ”ではない。堂々たる政治風刺、社会風刺だった。真冬になんの前触れもなく青嵐が吹き抜けた。圧倒的に新鮮な酸素が突然注ぎ込まれ、この場が淀んでいたことに初めて気付かされる。さまざまな社会問題に目を向けない国民の意識こそが一番の問題だとオチがつき、終わったと思ったその瞬間、村本大輔はカメラに向けてまっすぐに指を刺し「お前たちのことだ!」と言い放った。痛快だと笑っていた己に最後に突きつけられた真実の居心地の悪さ。天晴れであった。
 第二次安倍政権の発足以来、日本における言論の自由は目に見えて失われていった。報道の自由度ランキングは転げ落ちるように下がり続け、その年、2017年は史上最低の72位にまで後退していた(※2)。 森友・加計問題が明るみになりながら安倍首相(当時)の関与は明かされないまま、The Manzaiの数週間前には「忖度」という言葉が流行語大賞を受賞していた。そんな中このネタをThe Manzaiでやったウーマンラッシュアワーの、村本大輔の、決意と覚悟は明らかだった。フジテレビもよく放送したものだと思う。政治風刺をする芸人は他にもいる。しかしこれだけの人気と実力を備えたアイドル的な若手芸人がメインストリームのど真ん中で放ち、見事に笑いとして完成させたというのは前代未聞のことだった。ウーマンラッシュアワー、特に村本は強烈な賛否両論を受け、その後彼のテレビでの露出はなくなっていった。私は考案中のGlobalizing Japanese Pop Cultureのシラバスに「お笑いと風刺、政治性と非政治性、民主主義と言論の自由」の回を加えた。
 アメリカでは政治風刺こそがお笑いのメインストリームであり、村本についての記事を読ませると学生たちは状況のあまりの違いに絶句してしまう。毎年の恒例行事としてホワイトハウスに芸人を呼び、大統領の前でスタンドアップコメディ(一人で観客の前に立ちマイク一本で笑いをとるコメディ手法)をさせる国である。大統領本人であろうと、与野党の重鎮であろうと、争点になっている政策であろうと、構わず芸人は自由にジョークにしていく(ちなみにこのWhite House Correspondents’ Association Dinnerに参加を拒否した歴代大統領はトランプのみ)。逆に政治風刺が当たり前になりすぎ、マンネリ化を感じることすらあるという学生も毎年必ずいる。確かに風刺ならばいいというものでもなく、やはり面白いスタンドアップとそうではないものはある。コメディアン自身の体験や実感を元にしているものは笑いやすいようにも感じるけれど、例えば自身の人種をネタにしていても面白くないものは面白くない。村本は原発立地出身ではあるが、それ以外にも沖縄、アイヌ、在日コリアン、障害者など、必ずしも彼自身のものではない他者の体験をネタにし、そしてコメディとして成功させている。その差は何か。
 The Manzaiからの村本大輔の3年間を追ったドキュメンタリー『アイアム・ア・コメディアン』(日向史有監督)を観てはっきりとわかったのは、村本大輔は天性のエスノグラファーであるということだ。エスノグラフィーとはコミュニティの中に入り行動をともにしたり話をきいたりすることで、人々の行動様式や考えについての知識を得る、主に人類学や社会学でよく用いられる研究手法である。当然手法の理論や知見も蓄積されているが、実はエスノグラフィーが成功するかどうかには研究者自身の適性も大きく関わってくる。カメラは全国各地を訪れる村本を追う。切り取られた数分のシーンの奥に彼がその地の人々と積み重ねてきた潤いのある時間が透ける。

僕たちは、よくニュースで「情報」を得るとか、熊本の被災地の「情報」を教えてとか、よく「情報」という言葉を使う。テレビや新聞、ネットニュースからも「情報」を得る。僕が現場に行って知ったのは、僕が「情報」という言葉を使っていたその実態は「痛み」だった。誰かの痛みだった。

村本大輔『おれは無関心なあなたを傷つけたい』(ダイヤモンド社、2020)p.48より

 その声を無視され続けている人々が村本に話を聞いてもらおうとする。信頼と開放感に満ちた自由空間を可能にしているのは、彼の優れた共感能力と純度の高い好奇心──それは村本自身の原風景、抱えてきた痛みによるところもあるのだろう──に他ならない。それでいて村本は同情に溺れ留まることはない。安直なポリティカル・コレクトネスに飛びつくこともない。自身の感性で冷静に観察する視線を保ち続けているのである。なぜなら彼には全てを笑いとして表現するという決して揺らぐことのない目的があるからだ。
 『アイアム・ア・コメディアン』が映し出すのは村本大輔の芸人としての徹底的なプロフェッショナリズムと矜持である。相方の中川パラダイスとの執拗なまでの練習。一人黙々と英語を勉強するニューヨークの公園。随所に垣間見える、ある意味狂気すら感じさせる村本の笑いに対する情熱。政治や社会の変え方をめぐって父親と口論になった際、村本は言い返す。「俺はお笑いが、一番最高の、世界で一番すごい仕事やと思ってるから」。酔いにまかせて喧嘩腰に飛び出した言葉だったかもしれない。しかしそれは紛れもない村本の信念である。それだけ本気で紡ぎ出された彼の表現に出会う時、観客である私たちには笑うという反射以上の何かが起きるだろう。

 今年4月、Globalizing Japanese Pop Cultureで幸運にも映画を鑑賞し村本大輔本人をまじえて議論をする機会を得た。村本のコメディアンらしいユーモアによって終始笑いにあふれていたが、ディスカッションは学生にとってただ楽しいだけではなく、深く考えさせられる(”truly thought provoking conversation”)時間であった。クラスには日本以上に言論の自由が制限されている社会から来ている者も多くいる。政権批判をした人は消える(”they will be missing.”)という留学生もいた。別の留学生は「自由には話せない、でも黙っていたらそのままになってしまうから本当は話さないといけない」と意見を述べた。そうしたクラスメートの話を聞き、アメリカ人の学生たちは驚き(”genuinely sucks!”)、風刺が当たり前であるという状況が実はいかに恵まれたことであるか(”sort of priviledge”)、痛感していた。

ディスカッションの様子

 その上でさらに村本は学生たちに、SNSの普及により万人がお互いを監視し制裁を加え合っている中で、コメディや芸術はどうやって自由であり続けられるかを問うた。例えばトランス女性を攻撃し差別を助長しているとして非難されているコメディアン、デイブ・シャペルのことをどう思うか? マイノリティをジョークの対象にしてはいけないのか? 黒人のコメディアンであるクリス・ロックがジョークの中で黒人の差別的な呼び方(Nワード)を多用することをどう考えるか? これらの質問は、時として正しい/間違っている、許される/許されないという二元論的思考に陥りがちな若いアーティストたちにとって今までに考えたことのない問題を考えるきっかけになったようだった。ジョークにする者とされる者の当事者性の問題、コメディアンと観客の関係性、ジョークのコンテクストなど、笑いが成立するための多くの要素は、実はコメディに限らずあらゆる表現にも通じることである。ある学生はアートを制作するにあたって自分も同じ問題に取り組んでいるのだと気づいた(”we tackled the same issues in our art-making”)。
 アートもコメディもその表現によって人々の間に議論をおこさせるべきもの(“something that should create discussions”)という学生の意見は、『アイアム・ア・コメディアン』で描かれる村本大輔の追求するスタンドアップコメディに重なる。真に自由な表現とはなにか。「傷つけない笑い」と「キャンセル・カルチャー」の狭い隙間にこそ、誰かの痛みを受け止め、生きるエネルギーに変える表現のあり方があるのではないか。

※1 国際交流基金. 海外の日本語教育の現状:2021年度海外日本語教育機関調査より. 2023.
※2 Reporters Without Borders. World Ranking. https://rsf.org/en/index

村本さんを囲んでの記念撮影

『アイアム・ア・コメディアン』は2024年7月6日より、日本各地で順次公開。
公式サイト https://iamacomedian.jp/

こじま・あいこ シカゴ美術館附属美術大学 (School of the Art Institute of Chicago) 社会学教員。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。

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