1月1日に能登半島地震が起きた際、日本海沿岸にある原発への影響を心配した人は多かったのではないでしょうか。実際、この地震によって能登半島の志賀(しか)原発にはいくつものトラブルが起きていました。志賀原発の状況、そして事故の際の避難の難しさなどから、あらためて浮かび上がる原発再稼働の危険性について、NPO法人原子力資料情報室事務局長の松久保肇さんにご寄稿をいただきました。
2024年1月1日16時10分、能登半島の北東端、石川県珠洲市を震源とするマグニチュード(M)7.6(震源深さ16km)の地震が発生しました。最大震度7を計測する激しい揺れや、4mを超えるとみられる津波が能登半島の北岸などに到達し、きわめて大きな被害をもたらしています。今回の震災で亡くなられた方々に哀悼の意を表しますとともに、大切な方をなくされたご遺族と被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。
今回の地震で観測された最大震度7および地表面での最大加速度2,828ガル(Gal)は、震央から約60km離れた志賀町富来(とぎ)の地震計のものでした(志賀原発から11km)。ただ、震度の面的分布をみると、能登半島北部を広く強い揺れが襲ったことがわかります。また、遠く離れた新潟県でも強い揺れが観測されました(柏崎刈羽原発のある地域で震度5強)。
本震の発生以降、佐渡島沖で発生したM6.1など北東から南西にかけて横150km、縦30kmほどの広い範囲で現在に至るまで数多くの余震が発生しています。
政府の地震調査研究推進本部地震調査委員会は1月15日、今回の地震は「能登半島西方沖から北方沖、北東沖にかけては、主として北東-南西方向に延びる複数の南東傾斜の逆断層が活断層として確認されている。この活断層が今回の地震に関連した可能性が高い」、また、「北東の佐渡島西方沖にかけては、主として北西傾斜の逆断層が活断層として確認されており、この活断層の一部が今回の地震に関連した可能性も考えられる」とする見解を発表しています。
今回の地震では、能登半島北部の広い範囲で地盤の変動が観測されています。距離にすると約90km、面積では約4.4㎢、中には約4m隆起した箇所もあります。産業技術総合研究所が1月8日に行った調査によれば、輪島市鹿磯(かいそ)漁港で、港湾が大きく隆起したことを見て取ることができます。また、水平方向でも西側に2~3m移動しています。
能登半島の沿岸には能登半島の地下に向かって斜めに断層が入っています。ここで地震が起きたため、地盤がせりあがる形でずれたのです。なお、2007年能登半島地震(M6.9)でも最大40cmの隆起などが確認されています。
能登半島地震と志賀原発
能登半島の西側には2011年3月以来停止中の北陸電力志賀原発があります(1号機:54万kW、運転開始1993年、2号機:120.6万kW、2006年)。北陸電力によれば、今回の地震での揺れは、1号炉の原子炉建屋地下2階の地震計で最大加速度399.3ガルが観測されました。また、北陸電力は、原子炉建屋から少し離れた場所にある敷地内地盤観測用の地震計で取得した地震記録(最大加速度313ガル、標高-10m)を使って、暫定的に原子炉建屋底面での地震動をもとめています。これによれば、以前実施された耐震バックチェック(耐震安全評価)の基準地震動(周期 0.02秒の最大加速度600ガル)を超える周期帯がありました(0.47秒付近の周期帯で1号機が957ガル、2号機が871ガル)。
今回の地震で志賀原発は現在わかっているだけでも、たくさんのトラブルに見舞われています。その代表的なものをいくつか列挙しておきます。
〇外部電源のトラブルと変圧器の故障
志賀原発には、外部から5回線(志賀中能登線2回線、志賀原子力線2回線、赤住線1回線)が接続しています。志賀原発は、今回の地震の発生前、1号機は志賀原子力線から、2号機は志賀中能登線から受電していました。しかし、地震によって、原発外では、志賀中能登線は受電不可となり、原発内でも、2つの変圧器の配管が損傷し、大量の絶縁用油が漏れました。そのため1号機は赤住線、2号機は志賀原子力線からの受電に切り替えています。なお、地震により赤住線も一部損傷、志賀中能登線でもほかの箇所の損傷も発生しました。原発内外の損傷を総合すると、1号機は赤住線が送電不能となっていた場合、外部電源喪失になっていました。
志賀原発は停止中ですが、原発にある未使用の燃料以外の核燃料は発熱しています。そのため、燃料はプールにいれて冷やしています。このプールの水温は電源を失うと徐々に上昇し、水が蒸発していきます。水がなくなると燃料損傷に至る危険性があります。なお、志賀原発は停止して13年近くたつので、燃料も大分冷えています。また、外部電源を失ったとしても、非常用ディーゼル発電機や電源車などが用意されており、当面は冷却を継続できます。が、東京電力福島第一原発事故の要因の一つが外部電源の喪失だったことを考えれば、大きな問題だったと言えるでしょう。
〇使用済み燃料プールのトラブル
1号機使用済み燃料プールの水が地震によって飛散し(約95リットル)、燃料プール冷却浄化系ポンプも約40分間停止しました。また、2号機使用済み燃料プールの水も飛散しました(約326 リットル)。飛散したプール水は放射性物質を含むものですが、外部への漏えいはなく、ふき取りは完了しています。
〇敷地内の地盤の変化
志賀原発の海側には、海を埋め立てて造った物揚場(船荷を陸に揚げる施設)があります。今回の地震の影響で物揚場中央の埋立部分全体が沈下し、物揚場の護岸部分(岩着構造物)の間に最大35cmの段差が発生しました。また、1号機の放水槽防潮壁(鋼製、高さ4m)の南側壁が数cm傾きました。ただ北陸電力は倒壊する恐れはないとしています。さらに、高圧電源車のアクセスルートに3か所の段差が発生していることも確認されています。
今回の地震では、志賀原発では大きな地盤の変動は確認されていませんが、20km程度離れた能登半島北西部では大きな地盤の隆起が確認されています。もし大きな隆起が発生していれば、建屋の損傷に至っていた可能性もありますし、そうでなくとも、冷却水(海水)の取り込みが困難になった恐れもあります。今回、影響がこの程度で済んだことは幸いだったと言えるでしょう。
〇津波の到達
北陸電力は今回の地震で複数回、志賀原発にも津波が到達していたとしています。取水槽に取り付けられている水位計で3mの水位上昇が検出されています。なお志賀原発は物揚場の下から海水を取水槽に送っています。
事故時の避難困難性
今回の地震では、原発事故が地震によって起こった際の避難が非常に難しいことが明らかになりました。石川県の原発事故時の避難計画では、主に自家用車やバスでの避難が想定されていますが、主要な避難経路とされていた自動車専用道路の「のと里山海道」やその他の道路は、地震によって陥没などが発生し、しばらく全面通行止めとなっていました。道路が寸断された結果、能登半島全体だと1月5日時点で33地区3,345人が孤立状態に置かれていました(現在はすべて解消)。また、港湾も隆起などで使用が難しい場所が多くあり、空路も「のと里山空港」の滑走路が損傷したため、一時使用できませんでした。
原発事故時の避難計画では、原発から5km圏を即時避難させ、30km圏は一時屋内退避後、1週間程度以内に避難(空間線量によっては即時避難)することになっています。しかし、今回の地震では住家被害は現時点の発表で約45,000棟にのぼります。屋内退避が困難なケースは数多く発生したでしょう。ただでさえ地震への対応できわめて厳しい状況に置かれています。志賀原発から30km圏に居住する8市町15万人を地震に対応する中で避難させることができるのでしょうか。
原子力基本法では、原子力利用は「原子力施設の安全性の向上に不断に取り組むこと等によりその安全性を確保することを前提として、原子力事故による災害の防止に関し万全の措置を講じ」ることが求められています。全国の原発事故時の避難計画の根本的見直しは必須です。
志賀原発の基準地震動引き上げの歴史
日本の大半の原発は、建設当初に想定した最大の地震動と現在のそれが大きく異なります。志賀原発でもそうです。志賀原発の基準地震動(想定している地震による最大の揺れ、原発の設計に用いる)は、建設当初、S1(設計用最強地震:稼働中に起こる可能性のある地震)を375ガル、S2(設計用限界地震:起こる可能性は極めて小さいが発生した場合、サイトへの影響が大きい地震)を490ガルと設定していました。その後、2006年に耐震設計のための審査指針が改訂され、志賀原発も基準地震動を600ガルに引き上げました。さらに、福島第一原発事故後の基準見直しで、北陸電力はさらに1,000ガルまで引き上げ、現在、審査を受けているところです。
離れた断層の連動
志賀原発の地震想定では、今回の震源域にある断層は能登半島北部沿岸域断層帯の96kmとされていました。ところが、今回の地震では約150kmに渡って複数の断層が動いたとみられています。また、日本地理学会の断層調査グループは、今回の地震でずれ動いたとされる能登半島北部沿岸に伸びる複数の活断層とは別に、南におよそ20km離れた内陸部にある富来川南岸断層が連動して動いたことを現地調査で明らかにしています。これまでこれほど離れた断層が連動して動くことは想定されていませんでした。志賀原発だけでなく、他の原発でも地震の再評価は必須と言えるでしょう。
日本を救った反対運動
能登半島には北陸電力志賀原発以外に今回の震源地のほど近くで関西電力・中部電力・北陸電力の3社が珠洲原発を計画していました(高屋地点、寺家地点)。幸いなことに地元住民とそれを支援する全国の根強い反対運動の結果、2003年に計画は撤回されています。この珠洲原発の2地点の地盤について資源エネルギー庁は1977年、珠洲市長に対して「地盤が相当固く、原発立地には別段の支障がない」との判断を伝えていました。計画地点の至近が震源地になっていたことや地盤の隆起を考えると、珠洲原発が運転していた場合、大事故に至った可能性があります。反対運動は日本を救ったと言っても過言ではありません。
志賀原発は廃炉に
北陸電力が2023年に電気料金を値上げした際の申請資料によれば、北陸電力は2023年度~2025年度の3年間で志賀原発の設備投資に年間558億円、修繕費に97億円投じる計画です。これとは別の数字ですが、北陸電力の有価証券報告書によれば、2011年から2022年までに北陸電力が原発に投じた費用は人件費や減価償却費などを含めて6,098億円にのぼります。こうした費用は、全て電気料金に上乗せされて北陸電力の顧客などから回収されます。
志賀原発2号機は中部電力・関西電力と北陸電力の共同開発でした。そのため、中部・関西2社は北陸電力にたいして2006年の運転開始から15年間基本料金を支払ってきました。ただ、この契約は2021年に終了し、基本料金の収入もなくなりました。
今回の地震で、志賀原発の再稼働はさらに遠のいたと言えるでしょう。北陸電力とその顧客にとって、志賀原発は巨大なコストであるのみならず、事故という巨大なリスクでもあります。志賀原発は速やかに廃炉とする以外の選択肢はありません。
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まつくぼ・はじめ NPO法人原子力資料情報室事務局長。1979年兵庫県生まれ。2003年国際基督教大学卒、2016年法政大学大学院公共政策研究科修士課程修了。金融機関勤務をへて2012年より原子力資料情報室スタッフ。共著に『検証 福島第一原発事故』(七つ森書館)、『原発災害・避難年表 図表と年表で知る福島原発震災からの道』(すいれん舎)など。経産省の有識者会合「原子力小委員会」や、「革新炉ワーキンググループ」の委員も務める。