誰ひとり取り残されない社会を目指して~弁護士として、議員として~ 講師:打越 さく良氏

弁護士の打越さく良さんは、大学では教育学を学び、その後弁護士に転じて、選択的夫婦別姓訴訟弁護団、DVやヘイトスピーチ被害者の代理人を務めるなど、女性やマイノリティの人権救済に尽力してこられました。そして2019年からは立憲民主党参議院議員として、引き続き同様の課題に取り組んでいらっしゃいます。その一貫した信念は「人権の尊重」。誰ひとり取り残されない社会とは、その実現のためにすべきこととは? 弁護士として、議員としての経験から、お話しいただきました。[2023年12月9日(土)@渋谷本校]

おかしいと思ったら声を上げる──修習生時代の経験

 私は10代の頃から人の役に立ちたい、困っている人のために働きたいという気持ちがあって、大学では教育学を専攻しました。大学院に進み研究を続けたのですが、このまま学者になったとして世の中の役に立てるのだろうかという疑問が生じてきて、弁護士を目指すことにしました(当時の仲間たちから子どもの学びと育ちに関する政策についてさまざまな助言を受けてありがたく思っていますし、今では研究も本当に世の中に役に立っていると敬意を抱いています)。1999年に司法試験に合格し、大学院博士課程を中退して53期の司法修習生となりました。
 司法修習生時代、私の原点になった出来事があります。当時、なぜか「検察官になれる女性はクラスで1人だけ(女性枠)」という謎の決まりというか慣習があったのです。それっておかしくないですか? 人権や平等、差別解消のために法曹家になろうと勉強していながら、こんな不合理を黙って見過ごしていいのだろうか。そんな思いから「検察官任官における『女性枠』を考える修習生の会」をたちあげ、教官たちに異議を申し立てました。その声は大きなうねりとなって、「女性枠」は見直され、翌年は1クラスに複数の女性が検察官に任官されました。あれから二十数年、今年は女性の検察官任官が全体の50%を超えたと聞きます。「あのとき勇気を出して声をあげてよかった。不正義を見逃さない、正論を言うことは大切だ」と、あらためて思いました。
 2000年に弁護士登録し、社会で困難を抱えた人びとの底上げをしたいという思いから、DVやヘイトスピーチ被害者の代理人、児童相談所の嘱託弁護士、在日ビルマ難民弁護団、日本弁護士連合会の両性の平等委員会や家事法制委員会での会務活動など、弁護士としてさまざまな活動を続けてきました。
 そして2019年、第25回参議院選挙で新潟選挙区から立候補し、初当選しました。現在は参議院の厚生労働委員会、憲法審査会、北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会に所属しているほか、立憲民主党ジェンダー平等推進本部などで活動しています。
 こんなふうに、私は初めから法曹一筋、議員一筋で突き進んできたわけではないのですが、それがかえってよかったかなと思うこともあります。一つの例をあげましょう。
 2020年、新型コロナウイルスが世界中に広がって、日本にも感染者が出始めた2月末、当時の安倍晋三総理大臣は、全国の小中学校と高校、特別支援学校に対し臨時休校を要請しました。休校するか否かの判断は、地方自治体や各学校がするものであり、総理大臣の一声で決められるものではありません。しかも、休校が感染対策に効果があるという根拠もありませんでした。「家庭にはお母さんがいてずっと子どもの世話をしている」ことが前提になっていて、仕事を休めない親、給食がないと十分な栄養がとれない家庭などへの想像力が、まったくなかったのです。案の定世の中は大混乱に陥りました。
 その失態を挽回しようとしてでしょうか、安倍総理は今度は9月を新学期とする「9月入学」を唐突に言い出しました。これまで4月を起点に組まれていた制度を、理由もなく思いつきで行き当たりばったりに、数ヶ月で変えるなんてありえない話です。
 こんなバカな話をすすめてはいけないと、大学院時代に培った人脈や教育学の知見を駆使し、冷静に論点を洗い出し、問題点を明らかにしました。そして9月入学は必要性も妥当性もなく、実現不可能であることを示し、撤回させたのです。国会議員になって1年ちょっと、圧倒的に数の少ない野党議員に何ができるのか、模索していたときだったのですが、「政治がおかしな方向に行こうとしているときに、それを阻止、修正させるのも野党議員の役割だ」と実感した出来事でした。

DV、子どもへの虐待――女性と子どもの人権を守る

 私は弁護士として、DV被害者の代理人を務めてきましたが、そのときの経験知を踏まえ政治の場で政策に反映させた例をお話ししましょう。
 2023年5月、DV防止法が改正され、身体的暴力だけでなく精神的暴力も保護命令の対象になるなど、一定の改善が実現しました。さらに付帯決議に「被害者とその子が引き続き同じ住居に居住できるよう必要な対応を検討すること」が加えられました。
 DV被害者が子どもを連れて遠くに逃げるのは実際には負担が大きく、できればいまの住居に住み続けたいという当事者の声をたびたび聞いていたので、法律の中に生かすことができてよかったなと思っています。
 また「同性カップルも保護の対象にすること」も盛り込むことができました。自民党右派は同性婚には後ろ向きで、立憲民主党が提出している「婚姻平等法」も実現に至っていません。ですがそこで諦めるのでなく、相手が気づかないようにこっそり忍び込ませて、実を取る。正面切ってではなく、裏技的に婚姻の平等を実現させるのも一つの手だと学びました。
 もうひとつの成果は、2022年5月に成立した「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律」(困難女性支援法)です。この法律では「困難な問題を抱える女性」を「性的な被害、家庭の状況、地域社会との関係性その他の様々な事情により日常生活または社会生活を円滑に営む上で困難な問題を抱える女性」と定義し、包括的な支援の必要性を記しています。
 これまで、女性支援施策の法的根拠となってきたのは、1950年代にできた「売春に転落した女性を更正補導する」ための「売春防止法」でした。こうした時代遅れの“上から目線”の法律を、女性の人権、福祉やジェンダー平等という観点から作り直した新法は、大きな前進であり感慨深いものがあります。とりわけ、16条2項に、国及び地方公共団体の教育及び啓発に関する努力義務の中において「自己がかけがえのない個人であることについての意識の涵養に資する教育及び啓発」というかたちで、憲法13条の個人の尊重に沿う言葉が入れられたのは感慨深いです。本来は目的規定などに入れたかったのですが、超党派で与党とも調整しなければいけない以上、このようなかたちが精一杯でした。ですが、法制定の前後から女性支援団体へのバックラッシュが起きており、喜んでばかりはいられません。困難な問題を抱える女性への支援が全国各地で充実するように注意深く見守りたいです。
 児童相談所の嘱託弁護士を務めた経験を生かして、一昨年の児童福祉法改正にも取り組みました。そして「施設への入所、一時保護の際には、子ども本人の意見を充分に聞く」「裁判官に一時保護状を請求する等の手続を設けるなど、司法審査の導入をする」ことが制度化されました。
 この改正は大きな進歩だと思いますが、いかんせん児相の現場では人手が足りません。
 一人あたりの受け持ち件数が多いだけでなく、専門的な勉強をしたやる気のある若い児童福祉司が理不尽なクレームへの対応や無駄な書類仕事に忙殺され、疲弊していく現状を何とかしなければなりません。充分な専門職員を確保できるだけの予算が必要であることを重ねて主張していきます。
 子ども関連では他に、一昨年施行された「教育職員等による児童生徒性暴力等の防止等に関する法律(わいせつ教員対策新法)」があります。子どもたちを教職員などからの卑劣な性暴力から守るために法的対策をとることはもちろん必要ですが、事件を警察につなげて、教師を厳罰に処せば済む問題ではありません。性暴力被害を防ぐためには、大人にも子どもにも、人権教育としての包括的性教育こそが必要です。自民党右派は一貫して性教育に後ろ向きで、これでは性暴力をなくすことはできません。一昨年、自民党右派の方々の中には包括的性教育をバッシングしてきた宗教右派から選挙応援などをされてきた方々もいることが明らかになりました。個人の尊厳の尊重とは真逆の政治がなぜ続くのか。しっかり対峙していきたいと思います。

選択的夫婦別姓、LGBT理解増進法

 選択的夫婦別姓も私が長年取り組んできたテーマです。
 2011から2015年までの第一次夫婦別姓訴訟弁護団では事務局長を務めましたが、当時は憲法学者のなかには、9条を守ることには熱心だけれど、婚姻の平等を定めた24条にはあまり関心がないという人も少なくありませんでした。一方、自民党保守派のほうは、2012年の憲法改正草案を出した段階で、「夫婦別姓は国のかたちを揺るがす大問題。絶対反対」と明言していました。
 保守派のいう「国のかたち」とは、ピラミッド型の家父長的家制度で、24条の個人の尊厳や両性の平等を真っ向から否定するものです。ちなみに旧統一教会の思想も、「全体の秩序が大事で、そのためには個人が犠牲になってもいい」というもので、自民党右派の世界観と一致しています。
 選択的夫婦別姓問題の根本は、この右派が嫌う「個人の尊重」にあると思います。安全保障だけではなく、家族の在り方を規定する法律がどうあるかも、憲法学における重要な問題のはずです。
 私たちが訴訟をしたことにより、憲法学者の中にも高橋和之先生など「これはまさしく個人の尊厳の問題ですね」と理解を示してくださる方もいらっしゃいました。訴訟は負けましたが、しかし今では選択的夫婦別姓は憲法の基本書においても厚くスペースを割かれていますし、世論も賛成が多数で、理解はぐんと広がりました。
 自分は自分、私の名前は「私」という存在と切り離せない。そして、日本しか今やないと政府も認める夫婦同姓強制制度のもと、95%もの夫婦で妻が改姓していることは、両性の本質的平等に明らかに沿っていません。私たちの問題提起により、「夫婦同姓を強制することは、個人の尊厳の尊重に背を向けている」という理解は広がっています。こうしたたたかいが、不断の努力(憲法12条)なんだと実感しています。
 家族が単位になり、個人が尊重されない。それは他の制度でもあります。
 例えば2020年6月、コロナ禍で全国民が対象となった特別定額給付金は、世帯単位で支給され、受給権があるのは世帯主とされました。そのため家族4人分すべてを家父長がひとりで使ってしまったといった例が続出しました。
 こうしたことが起きないように、制度設計の基本は個人にすべきと考えます。その意味でマイナンバー制度は、懸念すべき点は多々ありますが、個人単位へ転換する契機としては意義があると思っています。ですが現実には、公金の受取口座を個人でなく世帯主にしてしまったといった例が多発したように、その理念が制度を運営する行政側にも徹底周知されているとはとても思えません。それでは何のためのマイナンバーか。そもそもの意義に立ち返るべきでしょう。
 残念だったのは、今年6月に成立したLGBT理解増進法です。立憲民主党としては、多様性を認め合い互いに支え合う共生社会を実現するためには、「LGBT差別解消法」や同性婚を認める「婚姻平等法」が必要と主張したのですが、より広い支持を得るため、不十分ながらも理解増進法案を超党派でまとめ提出しました。ところが実際には、性的マイノリティが多数派を脅かす存在ととられかねない条項(「全ての国民が安心して生活することができることとなるよう留意するものとする」)が付け加えられてしまい、本来の趣旨から180度変わったかたちで成立してしまいました。
 参議院内閣委員会の審議において、自民党の議員から「海外から圧力がかかっているようだが、G7諸国にだってLGBTに特化した禁止法はないのではないか」という発言があり、外務省もその通りという答弁をしました。それに対して私は「G7諸国にはLGBTに特化した法はないけれど、アメリカの公民権法に代表されるような包括的な差別禁止法があり、性的少数者への差別もきちんと法的に禁じられている」ことを国会図書館から確認した上で、「人種、性別、民族、宗教、障害、性的指向など、あらゆる差別を禁止する包括的差別禁止法こそ日本に必要」と述べました。
 包括的差別禁止法と並んで必要なのは、人権侵害を調査し救済するための政府から独立した国内人権機関の設立です。1993年の国連総会では「国内人権機関の地位に関する原則」(パリ原則)が決議され、国際的な人権基準を国内で実行するために不可欠なシステムの設置を各国に求めました。こうした人権機関を現在120以上の国が設置していますが日本にはなく、今年7月に来日した国連の「ビジネスと人権」作業部会が調査後に出した声明でも、その点が指摘されました。
 この声明についても、日本の報道ではジャニーズ事務所の性加害問題がクローズアップされました。これは確かに重大な人権侵害ですが、同作業部会が指摘したことの一部に過ぎません。日本には他にも女性、部落、アイヌなどへの様々な差別、ヘイトスピーチなど取り組むべき問題がたくさんある、国内人権機関を設置すべきだとの同作業部会の指摘を無視する報道ばかりだったのは残念です。
 難民、LGBT、ヘイトスピーチ、入管法、生活保護、旧優生保護法、技能実習生問題等々、私が弁護士としてこれまで取り組んできたこと、国会議員として取り組みたい課題はさまざまですが、一言で言うとそれは「人権を守る闘い」です。入管法改正の審議のとき、「国益なくして人権なし」と発言したある保守系の議員がいて驚いたのですが、右派とリベラル派の対立軸は、ずばり「人権」。今の日本に必要なのは「人権保障」、具体的には包括的差別禁止法であり、国内人権機関の設置であると思っています。

憲法審査会で取り上げるべき課題は

 私は憲法審査会にも属しています。現在憲法審査会では、衆議院議員の任期延長が喫緊の課題として議論されていますが、それよりもっと議論すべきテーマがあると思っています。そのひとつは「デジタル社会と憲法」「AIと憲法」といった、これまでとは違う社会のなかで憲法はどうあるべきかという問題です。
 現在、インターネットの世界では、プロでも見抜けないようなフェイクニュースや動画が出回っています。そうした偽情報が人間の行動や社会の流れを左右する事態も世界中で起きています。各個人が自分の意思で判断し、決定し、自由な言論を戦わせるためには、情報の公正性が担保されていなければなりません。フェイクがあふれるなかで、一人ひとりが自由な意思に基づいて物事を判断したり、選択したりできるでしょうか。「表現の自由」の名の下に、フェイク動画や偽情報の氾濫を放置していいのでしょうか。民主主義の根幹に関わる問題だと思います。
 「表現の自由」との兼ね合いで問題になるのが、ヘイトスピーチです。差別をあおる憎悪表現は、被害者を自死に追い込むことや、放火や殺人事件など凶悪なヘイトクライムに発展することもあります。人権を踏みにじり、時には命をも奪う「表現の自由」などあるはずもありません。
 表現の自由を最大限に尊重するといわれるアメリカでは、「差別的言論に対しては法律で規制するのでなく弁論で対抗すべき」という考えが主流です。ですが公民権法の中にはあらゆる差別を禁止する「包括的差別禁止条項」があり、その中にヘイトスピーチの禁止も含まれます。
 「表現の自由」はいつの時代にあっても大変重要な価値であることは確かです。ですが、その事由が成り立つ前提が、現代は激変しています。印刷や放送技術が貴重だった時代、情報発信や表現は新聞やテレビ、ラジオなどに限られていましたが、現在はだれでもどこでもいつでも、指一本で発信できる。その発信した情報が瞬時に世界中を駆け巡り、いったん広まると容易に消せない。そんな世の中にあって、「表現の自由」はこれまで通りでいいのでしょうか。今日の憲法のあり方を問う課題として、憲法審査会でこそ論議すべきだと思います。

国会の外から声をあげる

 日本弁護士連合会にはさまざまな委員会があり、私も両性の平等委員会、家事法制委員会に所属して活動してきました。国会議員になる前は、「こうした日弁連の活動が世の中の役に立つことってあるのかしら」と疑問に思うこともありましたが、政治家になってみて、とても大事なことだと思い直しました。国会議員は常に「この問題に対して日弁連はどう思っているのかな、何か声明を出しているかな」と関心を持って見ています。
 しかし、たとえば今年の通常国会の重要法案であった「改正国立大学法人法」。学問の自由、大学の自治を脅かす重大な問題であるのに、日弁連から意見表明がなかったのは、とても残念でした。日弁連の会務活動は、弁護士が思っている以上に意義があるので、ぜひ活動に参加して、声明や意見書を発信していただきたいと思います。
 国会の中にいると、外の動きがとても気になります。日弁連の会長声明、新聞の社説ではこう言っているとか、市民のデモや集会が国会を取り囲んでいるとか、そうした動きによって国会内の緊張は高まりますし、人数の少ない野党は勇気づけられ、粘ることができます。 
 世の中には、解決しなければならないさまざまな課題があります。それが政治家の頭のなかではどんどん積み重なって、上書きされ、大切な事案が下の方に埋もれてしまうことがあります。それでも浮上してくるのは、数は少なくても熱量のある訴え。難民、LGBT、DVなどの問題について、圧倒的な熱意で何度も陳情にきてくださる当事者や支援者、弁護士さんなど、熱量が高いと人は動かされますし、上書き保存され、政治課題としての優先度が上がります。
 声を上げ、戦うことは、勇気もいるし、労力もいります。でも、2020年の検察庁法改正案が阻止されたように、数人の決意と努力が、「社会は変えられる。変えよう」というエネルギーにつながり、その積み重ねで政治が変わる。私は、そのダイナミズムを確信しています。

うちこし・さくら 北海道旭川市生まれ。お茶の水女子大学附属高等学校卒業、東京大学教養学部及び教育学部卒業。東京大学大学院教育学研究科博士課程中途退学。2000年弁護士登録(第二東京弁護士会)。2019年新潟県弁護士会に登録替え。医学部入試における女性差別対策弁護団共同代表、第1次夫婦別姓訴訟弁護団事務局長、第2次夫婦別姓訴訟弁護団副団長、児童相談所嘱託弁護士、日本司法支援センター嘱託弁護士等を務める。『第3版 DV事件の実務 相談から保護命令・離婚事件まで』(日本加除出版)、『レンアイ、基本のキ 好きになったらなんでもOK?』(岩波ジュニア新書)、『なぜ妻は突然、離婚を切り出すのか』(祥伝社新書)などの著書がある。

*記事を読んで「いいな」と思ったら、ぜひカンパをお願いします!