2019年7月北海道札幌市の街頭で起きた「ヤジ排除」事件。首相演説中にヤジを飛ばした2人の市民が警察によって排除され、「表現の自由を侵害された」などとして北海道警察に対して損害賠償を求めて提訴。第一審では勝訴したものの、二審の高裁では一人が請求棄却され、現在最高裁に係属しています。原告代理人弁護士の一人・神保大地さんに、裁判の争点や判決の意義、さらにはヤジと民主主義、表現の自由などについてお話しいただきました。[2024年5月28日@渋谷本校]
排除の根拠は警職法?
まず事件の経過を簡単に見ておきましょう。2019年7月15日、参議院選挙の応援のため安倍晋三首相(当時)が札幌を訪れ、駅前の公道で街宣車に乗って応援演説をしていました。それに対して、かねてより政府のやり方に疑問を持っていた市民(大杉雅栄さん、桃井希生さん)が、それぞれ別の場所から「安倍やめろ」「増税反対」などのヤジを飛ばしました。すると数名の警察官が飛んできて、彼らを取り囲み、手を引っ張るなどの有形力を用いて排除しました。また桃井さんに対しては、警察官が両腕を掴むなどして密着追尾し、長時間にわたってつきまといました。
これに対して大杉さんは19年12月、桃井さんは20年2月に「警察官に排除されたことで表現の自由、移動の自由、プライバシーの権利などが侵害された」として、北海道警察(道警)に対して損害賠償を求めて提訴しました。
警察権力が市民に対して身体拘束し、密着追尾したのですから、その法的根拠を明らかにしなければならないのは当然です。しかし、道警は事件の数日後に、新聞社の取材に対して「トラブル防止の観点から排除した」と説明したものの、「有形力を行使しての排除行為」の法的根拠をなかなか示そうとしませんでした。
そして事件から7ヶ月後の20年2月、ようやく示された法的根拠は警察官職務執行法(警職法)4条、5条と警察法2条でした。
警職法4条1項は「人の生命・身体に現実に具体的な危険が生じている場合は警察官がまず警告を発し、さらに急を要する場合は必要な措置を取ることができる」というものです。つまりは被害に遭いそうな人を救うための「救済」が目的です。その要件としては、危険な事態が起きそうだという可能性だけでは足りず、近くにある危険物が爆発するといった「具体的な危険が現実に生じている」こと。それほど切迫した事態というのは滅多にあるものでなく、直近2年で北海道において適用されたのは、札幌市内の住宅街に熊が出たときだけ。今回のヤジ事件は2件目ということになります。
一方、警職法5条は、犯罪がまさに行われようとしているのを認めたとき、人の生命・身体に危険があり、急を要する場合その行為を制止することができるというもので、こちらは犯罪の予防、つまり「加害者制止」が目的です。
これにも相当程度具体的な状況が必要で、加害者がすぐ近くにいる他者に殴りかかろうとしたなど、言ってみれば現行犯逮捕の一歩手前の、切迫した事態が要件です。
「具体的危険」があったのか
第一審で道警は次のように説明しました。
大杉さんに関しては、自民党支持者が大勢で大杉さんを攻撃する具体的危険があったので、被害の救済の意味で警職法4条を適用した。
一方で別の場面では、大杉さんが激高して安倍首相や周囲の人を攻撃したりする具体的危険があったので警職法5条を適用した。
また桃井さんに関しては、自民党支持者が桃井さんを攻撃する具体的危険があったので警職法4条を、また桃井さんが激高して周囲の人を攻撃する具体的危険があったので警職法5条を適用した。
桃井さんはその後も同じことをやるかもしれないので自制を促すために警察法2条(警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする)を適用した。
つまり道警は2人とも、何かしらトラブルの被害者にも加害者にもなりそうだったから排除したと主張したのです。
これに対して札幌地裁は、大半の行為について生命や身体に具体的な危険が差し迫っていたとは言えないと判断。警職法4条の「被害者になりそうだった」、5条の「加害者になりそうだった」という状況になく、適用要件を満たしていないとして、警察官の行為は違法と認定しました。
さらにはヤジの内容は公共的、政治的事項に関する表現行為だと判断し、「政治批判の機会を無理やり奪われた表現の自由の侵害で、違法」と原告側の主張を認めました。
しかし、これを不服として道警は控訴。札幌高裁は23年6月、桃井さんについては一審判決を支持し「排除は表現の自由の侵害にあたる」として賠償命令を維持しましたが、大杉さんについては排除を適法として賠償請求を棄却しました。
高裁で道警は「大杉さんは別の男性から手で押されてもヤジを止めず、揉め事に発展する危険が迫っていた」などと主張し、これが認められました。しかし、当日の動画を見れば明らかな通り、大杉さんは大勢に取り囲まれていたわけでもなく、一人に腕を押されただけ。排除した警察官は、暴行を止めもせず、被害状況の事後確認もしていません。本当に警職法4条の適用条件である「具体的な危険が現実に生じている」があったのでしょうか。
また、大杉さんが右手を上へあげた行為について高裁は「ものを投げるなどの危害を加えると判断して排除したのは社会通念上妥当だった」と述べましたが、数メートル離れたところから手をあげたことをもって、「犯罪がまさに行われようとしている事態」と言えるでしょうか。
高裁の判断でそれ以上に問題なのは、「危険のないことを基礎づける事実」を認定していないという点です。私たち原告側は「(安倍首相に向かって)手を振るなど注目を集めるような行動をしている」「手には何も持っていないし、ポケットや鞄にも手を入れていない」などの行動からすれば、大杉さんには安倍首相や周囲の人に危害を加える危険性は皆無だったと主張しました。現場の警察官も、「選挙妨害になるからやめるように」とは発言していますが、「物を投げると思った」などとは言っておらず、「犯罪がまさに起こる」と認識していたようには見えません。しかし、これらの「危険のないことを基礎づける事実」について、高裁は判断を示していないのです。
この高裁判決の後、道警側は、地裁に続き賠償命令が出された桃井さん事案を上告。私たち原告側は「政治的表現の自由の制限場面では警職法の要件判断はより厳格なはず」として、大杉さんの事案を上告しています。
ヤジ排除は表現の自由の侵害
地裁判決で触れられた、憲法論の部分についてもお話ししておきましょう。判決文は、表現の自由について以下のように述べて、道警の行為が違憲であることを明確にしています。
主権が国民に属する民主制国家は、その構成員である国民がおよそ一切の主義主張等を表明するとともに、これらの情報を相互に受領することができ、その中から自由な意思をもって自己が正当と信ずるものを採用することにより多数意見が形成され、かかる過程を通じて国政が決定されることをその存立の基礎としている。
したがって、憲法21条1項により保障される表現の自由は、立憲民主政の政治過程にとって不可欠の基本的人権であって、民主主義社会を基礎付ける重要な権利であり、とりわけ公共的・政治的事項に関する表現の自由は、特に重要な憲法上の権利として尊重されなければならない…本件においてこれをみるに…いずれも公共的・政治的事項に関する表現行為であることは論をまたない
これに関して道警は、少しだけ反論をしています。「演説の妨害行為が何の権利なのか理解できない」「演説を聞く権利はヤジを飛ばす権利よりよっぽど正当性がある」「聴衆の邪魔をするような人間は排除されて当たり前」「ヤジは邪魔でしかない」といった、ポータルサイトYahoo! ニュースのコメント(ヤフコメ)を証拠として出してきたのです。
しかし、ヤジの排除行為による表現の自由の侵害について、憲法学者の阪口正二郎・早稲田大学教授は次のように述べています。「相手の行為に対して怒っている場合は穏やかな抗議では、その怒りが伝わらない。過激な表現方法を用いなければ、反対する市民の怒りは政治家には伝わらないのであり、政治的な表現行為に過度に行儀の良さを求めるのは民主主義にとって自殺行為である」「街頭演説は市民が政治家と直接コミュニケーションできる貴重な場である。そこでは市民を行儀のよい聞き手と位置付けるべきではなく、政治批判としてヤジを含めたある程度荒っぽい表現方法が認められるべきである」。
札幌地裁裁判長も判決言い渡しののち「この判決を報道で知る人の中には『原告らの行為は選挙の自由や演説を聞く自由を侵害するのではないか』などと感じられる方もおられるかもしれません。しかし本件では被告ですらそのような主張はしていなかったところです」と付言しています。
実際に道警は、「選挙の自由」とか「演説を聞く自由」を妨害したとか、するおそれがあったとかは一言も言っていません。そういった趣旨のヤフコメを証拠で出しはしたけれど、主張してはいないのです。
そもそも、「街頭演説を静かに聞く自由」などというものは、憲法上保障されていません。表現の自由を保障する以上、その表現行為はどうしても誰かの耳に入ってきてしまう。それを遮って「自分の聞きたいものだけを聞く」なんていう権利は保障されないわけです。これまでの判例でも、ヤジなどで演説自体がまったく聞こえなくなったり、継続できなくなったりする場合は別として、そうでなければ「演説妨害」にはあたらない、とされています。
なお、この憲法論に関連して、本年4月28日投開票の衆院東京15区補欠選挙における「つばさの党」選挙妨害事件を「ヤジ排除事件」と関連付けて語る声があります。警察がつばさの党代表らによる選挙妨害を止めさせなかったのは、「ヤジ排除事件の判決があったからだ。演説妨害を止めに入ったら、表現の自由を侵害したと言われる」からだというのです。
しかし「ヤジ排除事件」では、安倍首相はヤジに遮られることなく喋り続けていました。大杉さん、桃井さんの隣にいた人が一時的に聞き取りにくいことはあったかもしれませんが、演説を妨害したという事実はないし、道警もそれが排除の理由だとは言っていません。
それに対して「つばさの党」の事件は、拡声器を使って長時間怒鳴り続けるなどしており、明らかに演説が聞こえなくなっていたそうです。また、加害行為をしていたのが、候補者本人やその所属団体の者であったという違いもあります。このように「ヤジ排除事件」とはまったく状況が違っており、そこを関連付けて語られるのは心外だというのが、私たちの思いです。
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じんぼ・だいち 2006年3月、北海道大学法学部卒業。2008年3月、北海道大学法科大学院修了。2009年からさっぽろ法律事務所所属。