性同一性障害特例法の第3条1項4号を違憲無効とした最高裁大法廷決定の決定の代理人弁護士として 講師:南 和行氏 吉田昌史氏

昨年10月、最高裁大法廷は、性同一性障害を理由に戸籍上の性別を変更するには生殖能力をなくす手術を受ける必要があるとする「性同一性障害特例法」の要件について「違憲である」とする判断を出しました。法律の規定を最高裁が「違憲」とするのは、これが戦後12例目。この判断が持つ意味や背景について、裁判の代理人弁護士を務めた南和行さんと吉田昌史さんに解説いただきました(お2人が話された内容をまとめています)。[2024年3月2日@渋谷本校]

性同一性障害特例法とは

 昨年10月25日、最高裁大法廷は性同一性障害特例法の第3条1項4号の手術による「不妊化要件」を違憲とする判断を示しました。日本国憲法の下で12例目となる法令違憲判断ということで大きなニュースになったのでご存知の方も多いかと思いますが、まず簡単に概要をお話ししておきます。
 性同一性障害特例法とは、性同一性障害であると医師に認められている方が、一定の要件を満たせば家庭裁判所での審判を経て法律上の性別取り扱いを変更することができるとする法律です。
「法律上の性別取り扱い」とは、具体的には戸籍に記載される性別のことで、男女別の立て付けになっている法律での扱いにも適用されます。特に影響があるのは婚姻です。現在日本の法律では、婚姻関係を持つことができるのは、法律上の性別取り扱いが男・女の組み合わせのみとなっているので、性同一性障害の当事者にとっては、法律上の性別取り扱いが性自認と一致しないために結婚できない場合があるわけです。 
 特例法では、変更の要件として以下のように定めています。

第3条1 家庭裁判所は、性同一性障害者であって次の各号のいずれにも該当するものについて、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる。

①十八歳以上であること。
②現に婚姻をしていないこと。
③現に未成年の子がいないこと。
④生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
⑤その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。

 今回違憲無効となったのは「④生殖線がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること」という、いわゆる「手術要件」です。これは生物としての生殖機能、男性であれば精巣とか精子を生成する機能、女性であれば卵巣、子宮をなくしてくださいということです。
 一方、④とセットで語られることが多い「⑤その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること」、つまり性器の形について、一般的に男性のあるいは女性の外性器の形に似ているように手術しておくことという「外観要件」については今回最高裁は判断せず、差し戻しになりました。

注)講演後の2024年7月10日、広島高等裁判所は本件の差戻審において、「外観要件」に手術が必須とするならば違憲の疑いがあるとし、必ずしも手術に依らなくともこの要件を満たすといいうる場合があるとして、本件についても「外観要件」を満たすものとして申立を認める決定をした。

 ④と⑤はいずれも「手術しなさい」とは明記していませんが、現実には身体にメスを入れなければできないわけで、そうでなければ法律上の性別取り扱いはいつまで経っても変更できませんよ、という立て付けになっています。手術したくない、手術を必要としない人に「あなた、法律上の性別取り扱いを実生活に整えたければ手術しなさい、と言うのはおかしい」というのが、今回の裁判での申立人代理人としての私たちの主張でした。
 今回の申立人は、男性の体で生まれ、戸籍は男、男の子として育てられた方です。しかし大人になってからは女性であると自認し、実際に女性としての生活もしっかり確立しています。にもかかわらず法律上の取り扱いはいつまで経っても男で、年月を経るごとに、実生活と法律上の性別のギャップが大きくなって、さまざまな不都合や困り事が生じている。長年のホルモン投与で生殖能力が減退するなどの状況もあり、医師からは手術は必要ないと言われているのに、手術をしなければ戸籍は男のまま変更できないというのはおかしい、という問いかけだったわけです。

性別は法律で決まるものではない

 ただ、前提として言っておきたいのは「特例法に基づく審判で性別変更が認められた日を起点に性別や生活が変わる」と理解されると、それはちょっと違うということです。そもそも人の性別というものは、法律によって決められるものではありません。戸籍がどうか、法律がどうかという前に、その人自身の生活として存在している。法律以前の「人のありよう」としてあるものなので、戸籍上の性別の記載が変わったその日を境に、ガラリと変わるものではありません。
 性に関わること、自分の性をどう捉えるかというのは、一人ひとり違って当たり前です。男はこう、女はこう、あるいは性同一性障害の人はこういう人と、一定の枠にはめ込んで考えるのは、間違いの元です。
 一方で、社会には男性、女性という概念が当然あって、良くも悪くも男女の違いを前提として枠組みが作られている。性同一性障害の当事者もまた、その中の一人として生きています。人と交わりながら生きていく中で、自分自身の性別を意識することはあっても、そのあり方は一通りではないのです。
 実は私たちも初めからこのような考えを持っていたわけではありません。今回の申立人になった方から相談を受けた当初は、私たち自身にも「性同一性障害とはこういうもの」という先入観があって、性自認が女性であるなら手術して体も女性にしたいと思うのが普通でしょ、と思い込んでいました。ご本人のお話をよくよく聞いて、医師の意見も聞き、ジェンダーやセクシュアリティの問題を勉強する中で、1年くらいかけてやっと「自分がこれまで当たり前だと思ってきたことは、どうやら違う」とわかってきたのです。
 弁護士なら、法律のことだけ考え「特例法の手術要件は憲法違反」とスパッと言ってしまえば、それでいいのかもしれません。でも、ご本人が求めているのはそういうことではない。大事なのは、その方が抱えているもどかしさ、生きづらさを理解した上で法律に沿って解決することだと気づきました。

「生の事実」をわかってもらう

 こうして相談を受けてから1年ほどたった2019年2月、家庭裁判所への審判申し立てをしました。これは家事事件手続法の別表1審判といって、性別の変更について家裁の許可を得る手続きで、誰かと争うというものでなく、裁判所との対話を重ね、審判を待つという手続きです。
 この家裁申し立てで私たちが注力したのは「性同一性障害という立て付けがあるのだから、法律の条文、文言解釈にはめ込んで判断すればいいと思われがちですが、そこに当てはまらない人もいる。にもかかわらず性同一性障害なら手術するのが当たり前というのはおかしいですよね」ということを、裁判官にわかってもらうことでした。
 家裁や地裁の第一審は、裁判官が当事者に面と向かって話を聞き、この人はこういう人で、こういうことで困っているという「生の事実」に触れる唯一の機会です。ですから具体的事実が何であるか、それをどう見るか、裁判官にどう伝えるかが、代理人たる弁護士の腕の見せ所になります。裁判官にとってはどれも「よくある案件」で、法律の文脈に沿ってさっさと判断しようと思えばできてしまいますが、それでは困る。申立人にしてみれば裁判までしないと解決しない重大な出来事なのだ、個別の事情があるのだということを、裁判官に理解した上で判断をしてもらいたいと思ったのです。
 ですから本件の第一審である家裁では、法律の要件が憲法違反かどうかはひとまず置いて、申立人の状況、心情をとにかくわかってもらう、裁判所に記録の中に全て書き込んでもらうことを目指しました。手術をしていないだけで法律上の性別取り扱いの変更をしてもらえないのは不合理だということを、裁判官になんとかわかってもらおうとしたのです。また医師の診断所見の裏付けとして、専門的な医学論文など、客観的な証拠も提出しました。
 

最高裁の法令違憲の判断

 その後、2020年5月に家裁で申し立て却下の決定が出ました。そこで高等裁判所に抗告申し立てをしたのですが、これも9月に棄却決定、最高裁判所への特別抗告申し立てをしました。そして2022年12月に大法廷回付が決定し、2023年10月に大法廷の決定が出されたのです。
 大法廷では、最高裁の裁判官15人が全員一致で「特例法④の手術要件は違憲無効」という判断を出しました。これは「身体への侵襲を受けない自由は、人格的生存に関わる重要な権利で、憲法13条に保障される」という、いわば「新しい人権」に言及した判断といえます。
 そして「性自認に従った法令上の性別取り扱いを受けること」は「重要な法的利益である」とも言っています。ただし、こちらは「人権」であるとまでは明言していない。ここがポイントです。
 論理構成としては「『重要な法的利益』の実現のために『人権』であるところの〈身体への侵襲へを受けない自由〉を制約することは(中略)許されない。ゆえに憲法13条に違反する」という、持って回ったような立て付けになっています。
 「性自認に従った法令上の性別取り扱いを受けることそのものが人権だ」と言ってくれれば、すごくスッキリすると思うのですが、それだと13条を広く解釈しすぎて「人権」が限りなく広がってしまうという懸念に配慮したのでしょう。
 最高裁には立法の機能はないので、法令違憲を乱発しすぎると社会的混乱を招く恐れがあります。だから、ちょっともどかしい理屈に思えるけれど、「身体への侵襲を受けない自由」という誰もが納得する概念に一旦落とし込んで、そこから④は違憲と導き出した。いきなり大鉈を振るうのでなく、無難な表現に納めたのは、さすが「最高裁芸」とも言えるかもしれません。
 今回、特例法⑤の「外観要件」について、最高裁は判断を示しませんでした。それには「ここがポイント」と申し上げた「性自認に従った法令上の性別取り扱いを受けることは重要な法的利益であるけれど『人権』とまでは明言しない」という判断が関係しているのでは、と思います。人権だと言ってしまったら⑤も人権侵害になって、当然違憲無効と言わねばならなくなる。「法的利益」に止めれば、⑤はそのままでも通じる。そんなバランス感覚が働いたのかもしれません。
 主文に続いて岡正晶裁判官が個別に示した補足意見も、このポイントから読み解くことができます。
 岡裁判官は「特例法のその他の要件も含めた法改正を行うことは当然に可能」と指摘、法改正では、ただ生殖機能をなくす手術の規定を削除するだけでなく、新たな要件を設けることも含めて、国会が「立法政策上の裁量権を合理的に行使すること」への期待を述べました。今の特例法は現実に対応しきれず、困っている当事者がいるのだから、立法府はちゃんと社会との調和や法体系上の整合性をしっかり議論してくださいよと、お願いをしている。それと同時に、「④⑤に代わる新たな要件を設ける事は可能です」とわざわざ言っているのです。
 つまり 性自認に従った法令上の性別取り扱いを受けることそのものが人権だと言ってしまったら、要件を設けること自体が人権侵害になる恐れが生じます。一方「重要な法的利益」であれば、④⑤より緩めの要件をつけることは可能となります。

さらに踏み込んだ3人の反対意見

 今回はさらに主文、補足意見に続いて3人の裁判官名で反対意見が出されました。反対意見といっても多数意見の「④は違憲無効」には賛成で、それだけでなく「⑤も違憲無効にすべき」と追加した意見です。
 一人目の三浦守裁判官は⑤の「外観要件」も「身体への侵襲を受けない自由への制約として過剰であり、憲法13条に違反する」と明言しています。
 また、昨今「トランスジェンダーの風呂トイレ問題」として話題になっている外観要件に関する社会的懸念について、「性同一性障害者は身体的社会的に他の性別に適合しようとする意志を持った者で、あえて他の利用者を困惑させ混乱を生じさせると想像すること自体現実的でない」とし、⑤がなくなったからといって、「自称女性」が女性風呂やトイレに入ることが許されるわけはなく、不正な行為があればこれまで通り適切に処理すればいいのであって、「性同一性障害者の権利の制約と合理的関連性を有しないことは明らかである」と、述べておられます。
 トランスジェンダーの人に対する誹謗中傷や暴力が目に余る昨今の状況に対して、「それはおかしい。次元の違う話だ」と鋭い切り口でスパッと明言していただけて、よかったと思います。
 二人目の草野耕一裁判官は「⑤も憲法13条が保障する身体への侵襲を受けない自由を制約しているから違憲」とし、さらに⑤によって制限される特定の人の人権や自由、それと⑤があることで守られる公共の福祉を丁寧に比べ、⑤がないほうがより幸せや自由の幅が広がるのではということで、⑤も違憲無効と述べています。
 大多数の人には関係のない、むしろ面倒な問題かもしれないけれど、生きづらさを抱えている人を包摂する社会の方が、社会全体にとって生きやすい社会なのではないですかと、大きな社会のあり方まで論じていて興味深いと思いました。
 さらに三人目の宇賀克也裁判官は「性自認に従った法令上の性別取り扱いを受ける権利も、憲法13条により保障される人権」と、主文では明言をさけた判断をはっきりと示しました。そして「⑤は性自認に従った法令上の性別取り扱いを受ける権利と、身体への侵襲を受けない自由との過酷な二者択一を迫るもので、違憲である」としています。さらに「基本的人権の外延は変動の可能性を伴うのであり、変動する外延を確定していく努力は、判例や学説に委ねざるを得ないであろう」とも述べている。つまり、「憲法13条で何でも人権と認めていったら際限なく広がってしまう」などと言っていたら、憲法に書いていない「新しい基本的人権」は考えられなくなってしまう。判例や学説を積み上げて議論していく必要があると、「人権のインフレ化」への懸念にも答えておられるわけです。

目の前の人が生きやすい社会にするために

 私たち弁護士からしたら、裁判所、特に最高裁判所に対しては、もともとあまり期待をしていないというか、「どうせこんなことを言っても聞いてくれないだろうな」と諦めているところがありました。でも、今回は細かいところまで全ての記録をよく読んでくださって、温かみのある判断をしてくれたと、嬉しく思っています。
 今回、最高裁大法廷は、裁判官全員揃って当事者の話を直接聞く「非公開の審問」という場を設けてくれました。最高裁判所というところは、建物も権威の象徴そのもので、そこで陳述するのですから、申立人も私たちもとても緊張しました。最高裁は大上段に構えて法律論をかわすところで、申し立てた個人が置き去りにされて大きな波にのまれてしまうのではという先入観を、今回は改めることになりました。裁判所は、社会を構成する一人ひとりがどれほど生きやすく幸せになれるか、そのための法秩序を判断するところだという原点を思い知らされた気がします。
 いろいろお話ししてきましたが、実は大法廷決定の主文は「高裁の審理に差し戻す」なので、私たちのしんどい道のりは、まだまだ続いています。困り事を抱えて相談に来た目の前の人がどうすれば幸せになれるか、生きやすい社会になるか、まずは生の事実に真摯に向き合う──その法曹の基本に立ち返って、弁護士としてできる限りのことをしていきたいと思っています。

よしだ・まさふみ(写真右) 1978年大阪市生まれ。2000年京都大学法学部卒業。2006年司法試験合格、2007年弁護士登録。2013年同性カップルの弁護士“夫夫”による「なんもり法律事務所」設立。南との共著に『僕たちのカラフルな毎日 弁護士夫夫の波乱万丈奮闘記』(産業編集センター)。

みなみ・かずゆき(写真左) 1976年大阪市生まれ。1999年京都大学農学部卒業。住宅建材メーカー勤務等を経て2008年司法試験合格、2009年弁護士登録。2013年「なんもり法律事務所」を設立。単著に『同性婚 私たち弁護士“夫夫”です』(祥伝社新書)。

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