敗者は「生活と労働」だった──竹信三恵子さんが語る、東京都知事選から学ぶこと

「この選挙の敗者は、生活と労働だった」。7月の東京都知事選の後、ジャーナリストの竹信三恵子さんがSNSに書かれていた言葉が、ずっと頭に残っていました。「生活と労働」が敗者だったとは、どういうことか。その背景には、どんな状況があったのか。総選挙目前の今、改めて振り返っていただきました。

 東京都知事選の後、メディア報道やインターネットでの議論を見ながら、ずっと「どこかもやもやした気持ちを抱えていた」という竹信さん。しばらく考えた末にたどり着いたのは、「もやもやするのは、都知事選での『本当の敗者』が語られていないからではないか」という思いだったといいます。
 「選挙戦でも選挙後の報道でも、都民の雇用を守り、生活を守るという、誰にとっても大事なはずのことが大きな話題にならなかった。そして、有権者もまた『生活と労働』を守るための選択をしなかった。『生活と労働』こそが敗北した──それが今回の都知事選の本質だったのではないかと思ったのです」
 その象徴的な事例として竹信さんが挙げるのが、東京都のスクールカウンセラー「雇い止め」問題です。今年1月、東京都で1年有期の「会計年度任用職員」として雇用されていたスクールカウンセラー250人が、都の契約更新の上限とされている5年目に、まとめて契約を打ち切られました。
 「教育現場で生徒や保護者の悩みを聞き、信頼関係を築きながら支援していくという非常に重要な仕事なのに、積み重ねたスキルや経験も評価されず、『任期終了だから』という理由だけで『自動的』に対象者が一斉にいったん契約を打ち切られて公募にかけられる。あまりにもいびつな仕組みだといえると思います」
 この問題について、当事者からの相談を受け、復職などに向けての交渉を続けていた「心理職ユニオン」(臨床心理士など心理職を対象にした労働組合)は都知事選の際、主要候補者に対して公開質問状を送りました。雇い止めを受けたスクールカウンセラーの復職を進める考えはあるか、また契約更新の上限をなくす(何度でも契約更新できるようにする)、これまで支払われてこなかった残業代の支払いをするなど、スクールカウンセラーの労働条件の改善に取り組むべきではないか、と問いかけたのです。
 結果的に得票数が1〜3位となった3候補者のうち、これらの質問すべてに「賛同し実現を目指す」と回答したのは、「非正規公務員の正規化」を公約にも掲げていた蓮舫さんのみでした。現職の小池知事はすべて「賛同できない」との回答、石丸さんからは最後まで回答なし。「それぞれの立ち位置を、明確に示す回答ですよね。人の生活を支える雇用についての姿勢が、これほどきれいに分かれた選挙は過去にもあまりなかったのではないでしょうか」と竹信さんは言います。
 しかし、その回答結果とは裏腹に、小池知事は290万票を集めて再選。唯一「賛同」の回答を出していた蓮舫さんは3位に沈みました。
 「都政の足元で働く非正規公務員が、機械的に短期で契約打ち切りされてしまうことを『問題ない』と答えた現職候補がトップ当選するというのは、非常に象徴的だなと思いました。もちろん、スクールカウンセラーの問題だけが『生活と労働』ではありませんし、公開質問状の回答や問題そのものを知らずに投票した人が大半だったでしょう。でも、弱い立場の人から雇用を奪ってよしとするこうした姿勢は、小池知事の他の政策にもさまざまな面で表れていたと思うのです」
 たとえば、と竹信さんが挙げたのは、コロナ禍における「夜の街」攻撃。小池知事などがコロナ感染の「震源地」として名指しした新宿・歌舞伎町をはじめとする夜の繁華街では、多くの人たちが仕事を失い、補償も受けられず苦しい状況に追い込まれました。
 「そうした労働者保護が弱い、社会的に脆弱な立場に置かれた人々が標的にされたのです。災害時に為政者が絶対にやってはいけないことの一つが『社会的弱者の排除』だと思いますが、まさにその『排除』が行われたといえるでしょう」
 また、「子育て支援に力を入れている」ともいわれる小池都政ですが、東京都の出生率は近年下降の一途を辿り、全国の都道府県でも最低となっています。その陰には、低所得で日々の生活も不安定、結婚や出産どころではないという人たちが大勢いるにもかかわらず、小池都政の「子育て支援」は、その人たちに目を向けることなく進められてきたのではないか。竹信さんはそう指します。
 しかし、そうした「生活と労働」に密接に関わる問題は広く認識されることなく、メディアにおいても小池都政には「目立った失政はない」かのような報道が目立ちました。本来なら都政の問題点を追及する場になったはずの公開討論会も、小池知事がテレビ局からのオファーを「公務を優先する」との理由で断り続けたことで実現せず。そうして「生活と労働」は、十分に語られることのないまま、選挙戦は展開していきました。
 ただ、そのように「都政の問題点が広く認識されなかった」のは、メディアが伝えなかったから、公開討論会が開かれなかったからだけとも言い切れません。そうした状況だったからこそ、本来はメディア報道に頼らない「直接的なネットワーク」が重要だったはずだ、と竹信さんは言います。
「たとえばスクールカウンセラーの雇い止めにしても、『知ってる? ひどいよね』といって周囲の人たちに話す人がたくさんいれば、問題がもっと広く共有されたかもしれません。そんなふうに、『あの政策ってこうらしいね』『この問題、こうなんでしょ』と話し合うことで、問題があぶり出され、政治が身近なものになっていく。だから口コミは重要なんです。『政治っぽい話は怖がられるから』などといって話さない人が多いけれど、まずは1人、2人でもいいから『話せる』相手を見つける。そこから輪を広げていくことが、社会を変えていく第一歩になると思います」

 都知事選から3カ月あまりが経ち、自民党総裁選を経て石破内閣が成立、拙速な(としか思えない)解散総選挙と、政治状況は急速に動きつつあります。総裁選では「金融所得課税の強化と再分配」などにも言及していた石破首相ですが、就任後は一気にトーンダウン。「手のひら返しばかりだ」との声もあります。
 ふたたび、私たちが守りたいはずの「生活と労働」が選挙の争点から抜け落ちることのないように。そして、私たち自身も気付かないまま、そこに目を向けないままの選択をしてしまわないように。メディア報道だけに頼るのではなく、あっちでもこっちでも、「語る」ことを続けていきたいと思います。

(取材・構成/仲藤里美)

竹信三恵子(たけのぶ・みえこ)ジャーナリスト、和光大学名誉教授。朝日新聞社記者などを経て現職。NPO法人官製ワーキングプア研究会理事も務める。2009年貧困ジャーナリズム大賞受賞。『女性不況サバイバル』(岩波新書)、『賃金破壊――労働運動を「犯罪」にする国』(旬報社)など著書多数。

『ゾンビ家制度 軍拡と社会保障解体の罠』(あけび書房)
竹信さんの発案で行われた、「家制度」をテーマにしたシンポジウムを書籍化した一冊。

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