2008年6月、最高裁判所は、結婚していない外国人の母と日本人の父の間に生まれた子どもの日本国籍取得要件を定めた国籍法3条を「違憲」とする判決を出しました。国籍法の一部改正にも結び付いたこの裁判を法律家とともに支えたのが、日本人とフィリピン人の間に生まれた子どもたちを支援するNGO「JFCネットワーク」。その活動について、またNGOと弁護士の連携のあり方や意義について、同団体事務局長の伊藤里枝子さん、裁判の弁護団長を務めた近藤博徳弁護士にそれぞれお話しいただきました。[9月28日@渋谷本校]
特定非営利活動法人「JFCネットワーク」事務局長 伊藤里枝子氏
JFCネットワーク設立の経緯
JFCとは「Japanese Filipino Children」の略で、日本人とフィリピン人を両親に持つ子どもたちの総称。その多くが、日本人のお父さんとフィリピン人のお母さんの間に生まれた子どもたちです。私たち「JFCネットワーク」は、そうしたJFCたちを、さまざまな形で支援する活動をしています。
活動が始まったきっかけは、1980年代にさかのぼります。当時、フィリピンからたくさんの女性たちが日本に出稼ぎに来ており、その多くは「興行」の在留資格で入国しつつ、実際にはクラブやスナックなどで接客業に就いていました。そこでお店に客としてやってきた日本人男性と出会い、結婚したり、妊娠したりする女性がたくさんいたのです。
さらにその中には、女性が在留期限の終了とともにフィリピンへ帰国し、子どもを産んだものの、日本にいる男性との連絡が取れなくなり、子どもと2人で生活にも困っている、というケースが数多くありました。そうした女性たちから「子どもの父親を探してほしい」「認知してほしい」「養育費を払ってもらいたい」という相談が、フィリピンにあるNGOに殺到したのです。
しかし、フィリピンにいる母子が、日本にいる父親である男性たちを探すことは困難です。そこでフィリピンのNGOの職員が、知り合いの日本人の弁護士に「なんとかならないだろうか」と相談をもちかけました。こうした状況を深刻に受け止めたその弁護士は、日本各地の有志の弁護士約60名を集め、1993年、日本各地の弁護士約60名が集まって、JFCの権利を守っていくための「JFC弁護団」を結成します。さらに翌年、弁護士だけではなく、市民がかかわる体制を作るため「JFCを支えるネットワーク」が誕生しました。
1998年にはフィリピンのマニラに現地事務所「マリガヤハウス」がオープン。2006年にNPO法人となり、団体の名称を「JFCネットワーク」と変更しました。現在は、マニラだけでなくフィリピン南部のダバオを拠点に活動する団体とも連携し、日本とフィリピン全土に暮らすJFCやその母親からの相談を受けられる体制を整えています。
JFCと母親たちをサポートする
私たちの活動には、大きく分けて三つの柱があります。
まず、法的支援活動。寄せられる相談は、日本人の父親を探してほしい、認知請求や養育費の支払い請求をしてほしいといった内容が主ですが、それ以外にも親権者の変更、無国籍の解消、在留特別許可の申請など多岐にわたる相談があります。オリエンテーションやインタビューを通じて状況を把握し、東京事務所に必要書類が送られてきた後、必要に応じて弁護士につなぐことになります。
それから生活・教育支援活動。相談にやってくるJFC母子は、経済的に困窮しているケースがほとんどです。弁護士費用については日本弁護士連合会の制度を利用して当事者負担はないようにしていますが、必要書類を揃える費用さえ捻出できないなどの場合は、その費用を支援しています。
そしてもう一つが普及啓発活動。サポートしてくださる皆さんへお渡しするニュースレターの発行やスタディーツアーの開催、また日本政府へのロビー活動などを行っています。
メインの活動である法的支援においては、訴訟や調停はあくまで弁護士が中心となるので、私たちの役割はその周辺的なサポートということになります。
まず重要なのがソーシャルワーク的なアプローチ。認知を受けていない母子はほとんどの場合フィリピンにいますが、訴訟や調停は父親の男性がいる日本で行われます。離れた場所での裁判手続きを、モチベーションを維持しながら続けていくのはかなり困難です。裁判よりも明日からの生活を優先した結果、「裁判をやめる」と言い出したり、突然連絡が絶えてしまったりする母子もいます。そうした母子に対して、ソーシャルワーカーが寄り添い、サポートしていくことは非常に重要です。
また、裁判が日本で行われるとはいえ、やはりフィリピンの法律や制度を知らないと、手続きがなかなか進まないケースも多くあります。しかし、担当してくれるのはフィリピン法や制度に詳しい弁護士ばかりではありません。私たちはフィリピンに現地事務所を置いていることもあり、現地の法律についての知識が比較的豊富なので、その点で貢献できることは大きいと感じています。また、当事者の母子が自分たちの言葉で弁護士さんに自分の意思を伝えられるよう、タガログ語や英語の通訳・翻訳の面でもサポートをしています。
最高裁違憲判決に至るまで
「国籍確認訴訟(国籍法3条違憲訴訟)」が始まったきっかけは、JFCの母親たちの声でした。
かつて、日本の国籍法3条1項は、結婚していない日本人男性と外国人女性の間に生まれた子どもが日本国籍を取得するには、出生前に父親から「胎児認知」を受けていること、もしくは出生後に認知を受け、さらに両親が結婚したことを要件として定めていました。つまり、父親の認知がないまま生まれた子どもは、出生後に認知を受けたとしても、両親が結婚しない限りは日本国籍を取得できなかったのです。
JFCネットワークの活動をする中で、同じ状況におかれているフィリピン人の母親たちから「どうして日本人のお父さんの子どもなのに、日本国籍をもらえないの?」と尋ねられました。そのたびに「法律がそうなっているから仕方ないんだよ」と答えるしかなかったのですが、お母さんたちにしてみれば「そんなのおかしいよ、差別だよ」と感じるのです。
考えてみれば、たしかにそうです。同じように日本人のお父さんと外国人のお母さんの間に生まれた子なのに、生まれる前に認知を受けていなかったというだけで、どうして国籍が認められないのか。やっぱりこれはおかしいということで、子どもたちに日本国籍があることを確認する集団訴訟を起こすことになりました。
呼びかけの結果、父親から認知を受け、在留特別許可を得て日本に住んでいる9人のJFCが原告になってくれました。9人とも当時、保育園児と小学生。父親と一緒に暮らしている子はいなくて、連絡を取り合っているという子も3人だけでした。
原告の子どもたち、その母親たちと毎月のようにミーティングを実施し、「なぜ日本国籍を認めてもらいたいのか」について話し合いました。そこで、多くの子どもたちが日本国籍を求める理由として挙げたのが「アイデンティティ」です。父親は日本人、自分も日本で暮らしていて日本人としてのアイデンティティを持っているのに、実際の国籍はフィリピン。そのギャップを受け入れられず荒れている子どもがいるという話も出ました。
それから、日本で外国人として生きていく上での困難を挙げた親子も多くいました。周囲からのいじめや偏見、また外国風の名前だと就職面接で拒否されるなどの職業差別、選挙権や被選挙権がない……。自分が子どもの父親の家族・親戚に「外国人だから」という理由で結婚を反対されたので、同じ思いを子どもにさせたくないという母親や、子どもと2人だけで暮らしているので、「自分に何かあったら、この国で『外国人』である子どもを誰が守ってくれるのか」という不安を口にする母親もいました。
ミーティングではもう一つ、「裁判に勝つために自分たちに何ができるか」についても話し合いました。そこで決まったのが、問題を多くの人に知ってもらうためにも、裁判所と法務大臣宛の署名集めをしようということ。まだオンライン署名も盛んではないころだったので、直接街で呼びかけて集めるしかありません。原告団はほとんどみんな母子家庭で、生活するだけでも手一杯なのに、貴重な休みの日も活動に時間を割いてくれて、最終的には3000筆以上が集まりました。
そして2005年4月に、東京地方裁判所に集団提訴。裁判では、子どもたち自身も意見陳述に立ち、自分たちの思いを言葉にしました。「学校で『外国人、外国人』と言われるのがとても辛い」「(胎児認知を受けていて日本国籍のある)妹と同じ国籍になりたい」などと語ってくれたことが印象に残っています。
高裁でいったんは敗訴となったものの、2008年には最高裁で、「現在の国籍法は『法の下の平等』を定めた憲法14条に反する」という判決を得ることができました。戦後8件目の違憲判決、そして外国籍の子どもたちが原告となった裁判としては、初めての違憲判決でした。これを受けて同年12月に国籍法が一部改正され、現在は、日本人の父親から認知を受けていれば、両親が婚姻していなくても日本国籍の取得が可能となりました。
*
弁護士 近藤博徳氏
NGOと連携するメリットとは
私は弁護士として、JFCネットワークのクライアントの皆さんが原告となった「国籍確認訴訟(国籍法3条違憲訴訟)」弁護団の団長を務めました。その経験から、NGOと連携しての弁護活動には、私たち弁護士にとっても大きなメリットがあると考えています。
この裁判は、JFCと母親たちの「両親が結婚していないからといって日本国籍が取れないのはおかしい」という声から始まりました。しかしそもそも、弁護士が日常の仕事の中で、「日本人の父親から認知を受けたが日本国籍がなく、在留特別許可を受けて日本で暮らしているフィリピン人母子」といったケースに出会うことは、外国人の問題を多く担当している弁護士でもなければ、そうありません。
仮に、直接そうした母子から「日本国籍が取れないのはおかしい」という相談を受けていたとしても、「日本の国籍法ではそうなっているから仕方ありません」と言って終わってしまったのではないかと思います。弁護士にそう言われて「いや、でもおかしいでしょう」と食い下がれる外国人の方は少ないでしょう。
しかし、NGOであるJFCネットワークは、そうした当事者の声をたくさん聞き、それを私たち弁護士につないでくれました。特に、日本に暮らす外国人は、日本人よりも多くの問題を抱えることになりやすいという現状があります。国籍の問題だけではなく、経済的なこと、家族関係、就労の問題、子どもの教育について……。NGOは、そうしたさまざまな問題を、すべていったん受け止めてくれる。そしてそれを、法的な問題であれば弁護士に、社会的・生活的な問題であればソーシャルワーカーに……と、専門分野へと振り分けてくれます。今回の裁判も、それが提訴のきっかけになったのです。
また、問題を抱える当事者は、社会的に孤立してしまっていて、同じような立場の人と問題を共有できない場合も多くあります。そうすると、問題が外に出て来なくなってしまう。NGOは、当事者に非常に近い立場として、孤立している人々の生の声を集約する立場にあります。そして、その集約された声を「社会の少数者のニーズ」として認識して、法的なサポートをしていくのが、私たち弁護士の役割なのではないかと考えています。
連携を通じて、大きな社会問題に取り組む
裁判を起こそうという話になった後も、JFCネットワークにはさまざまな役割を果たしていただきました。原告となる9人の子どもたちを集め、原告団を組織。さらに、毎週のように原告の子どもたちや母親たちとミーティングをしたり、問題を社会に訴えるための署名活動をしたり……。こうした部分も、なかなか弁護士だけでは手が回りません。当事者にとっても、私たち弁護士と直接対峙するよりも、間にNGOが入ることで安心できる面があったのではないかと思います。
また、法務局に届け出なくてはならない書類があったときに、母親本人だけで行くと窓口で追い返されてしまうかもしれない、やはり横でサポートする日本人が必要だという話になったことがあります。これについても、弁護士だけではなくJFCネットワークのスタッフがしばしば同行役を務めてくれました。そのため裁判で「本当に届け出をしたのか」ということが問われたときに、私たち弁護士の陳述書とともに、JFCネットワークのスタッフの陳述書が重要な証明となって、「届け出行為はあった」と認定してもらうことができたのです。
そもそも、国を相手に裁判をするというのは、日本人であっても、さらに言えば私たち弁護士にとっても、とても勇気のいることです。法律の専門家でもない外国人であればなおさらでしょう。それを地裁、高裁、そして最終的に最高裁での違憲判決にまでくじけることなく持っていけたのは、原告が団結して闘ったからというのはもちろんですが、やはり彼ら、彼女らを支える存在があったことも大きかったと思います。
この問題に限らず、弁護士はNGOを通じてさまざまな問題の当事者と接することで、一人のクライアントから話を聞くだけではなく、たくさんのクライアントの声を集約して聞くことができます。その問題について、より包括的に把握することができるのです。
また、NGOは多くの場合、通訳・翻訳のスキル、またさまざまな人や行政とつながるネットワークなど、弁護士にはない資源を持っている場合が多い。NGOと連携し、そうした資源を活用することで、より効果的な問題解決につなげていくことができるのではないかと感じています。
通常、弁護士の仕事は、個人や企業の依頼を受けて個々の事件を解決することですが、それだけではなく、NGOなどの団体と連携をすることで、大きな社会問題に接することができる。その解決に少しでも貢献できることは、弁護士という仕事の面白さの一つではないかと考えています。
*
いとう・りえこ(写真右) 特定非営利活動法人JFCネットワーク事務局長。JFCネットワークのフィリピン事務所である「マリガヤハウス」オープニングスタッフを務め、1998年6月より東京のJFCネットワーク事務所に勤務。タガログ語の法廷通訳も務める。
こんどう・ひろのり(写真左) 中央大学法学部卒業。1988年に司法試験合格(43期)。現在、TOKYO大樹法律事務所所属。日本弁護士連合会人権擁護委員会委嘱委員。共著に『二重国籍と日本』(ちくま新書)など。