世界中で争いが続くなか、「平和の実現は弁護士とは関係ない話でしょうか」と、EU法および国際法の研究者である須網隆夫氏は問いかけます。ヨーロッパでの平和を維持するために作られたEU、そこでの弁護士の果たす役割から、弁護士に開かれた可能性について考えます。[9月21日@渋谷本校]
国際法に平和を守る力があるのか
2022年からウクライナでは戦争が続き、昨年10月からはパレスチナ・ガザ地区でイスラエルとハマスとの戦闘も続いています。国際法は侵略を禁止していますし、戦闘行為についても国際人道法がルールを定めています。しかし、いま起きている事態を見ると、そういった国際法に果たして意味があるのかと思われても無理ありません。
しかし、国際法にはそれなりの力があります。もっとも日本の場合には、それを感じる場面が非常に少ない。おそらく、それは日本の裁判所で国際法を使う場面がほとんどない現実と無関係ではないでしょう。
一方、日本とは国際法の扱われ方が異なる国は世界にたくさんあります。特にヨーロッパでは、国際法の一種と言っていいEU法があり、それが国内裁判所での裁判に適用され、非常に大きな力を発揮しています。そしてヨーロッパの平和を維持するためにも重要な役割を担っているのです。
ブリュッセルの法律事務所で驚いたこと
自己紹介になりますが、私は今までに2回、1981年から1994年と、2005年から2009年に弁護士登録をしていました。1994年以降は主に、EU法(欧州連合法)及び国際法の研究者として仕事をしていますが、私がEU法と出会ったのは1988年から1994年にベルギー・ブリュッセルの法律事務所で働いていた時代です。
当時はEUができる前のECの時代でしたが、私が配属されたのがEC法部門でした。言うまでもなく、EC法はベルギーの国内法ではありません。けれど、そのEC法が企業間の取引などさまざまな場面に普通に適用されていて、ある意味で国内法と同じように使われていることに驚きました。
それ以前の6年間、日本で弁護士をしていた間に、国際法に関係するような事件を扱ったことは一度もありませんでした。それなのに、ベルギーの事務所では初日からEC法が出てくる。大学時代は国際法のゼミだったのですが、国際法は国家間に関係することだけで、企業や私人に国際法が適用されるという話は、少なくともゼミのなかでは出てきませんでした。
実は日本企業にもEU法が身近な理由
その後、ECはEUに発展したわけですが、「日本にいたらEU法なんて関係ない」かというと実はそうでもありません。最近では、日本を拠点に活動する企業にもEU法が適用される事案が増えています。EU域内で活動する企業にEU法が適用されるのは当然ですが、EU域外にある企業の行動もさまざまな場面でEU域内に影響します。そのため、EU法は、積極的に域外にも適用されることになります。
伝統的に有名であるのが「EU競争法」の域外適用です。たとえば日本の企業同士が合併、もしくは買収をしようとするときに、その企業がEU域内で一定程度の売上を上げていれば、EU域内に何の拠点もなくても、EUの行政執行機関である欧州委員会に届け出なければいけないと定められています。このEU競争法に違反すると、欧州委員会から多額の課徴金が課せられます。何百億円という課徴金を課せられた日本企業もあります。
それから、「EU一般データ保護規則(GDPR)」という個人情報保護法に相当するものがあります。個人情報保護法よりもGDPRのほうが規制は厳しく、EU域内にある子会社から日本の本社に個人に関するデータを移転することがあれば、GDPRが日本の本社に適用される可能性が生じます。EU域内のデータ保有者の依頼で、個人データの処理を日本の会社が行う場合にも、やはりGDPRが適用されます。そしてGDPRに違反すれば、やはり高額の制裁金が課せられるので、日本企業はこれを無視することができません。
こうしたEU法がEU域外に及ぼす影響を、一般的に「ブリュッセル効果」と呼んでいます。日本企業がEU域内に製品を輸出する場合にも、EUの規制に合ったものしかEU域内では売れないわけですから、EU法の基準に従わなければいけません。これもブリュッセル効果です。こうなると、企業からは「日本の国内法令をEU法に合わせてくれたほうが手っ取り早い」という意見が出てきます。そのため、域外国でEUのルールを国内法化する効果も生じます。たとえば、日本の個人情報保護法は何度も改正されていますが、その目的の一つは、GDPRとの整合性の確保にあります。気候変動対策である「排出量取引制度」も同じような経過をたどっています。このようにEU法は、実は日本企業にとって身近な存在になってきています。
EUは何を目的に生まれた組織なのか
本題である「平和」の話に移りたいと思います。ウクライナでもガザでも戦闘が続いていますが、平和はどうしたら実現できるでしょうか。18世紀以来、主張されてきたアイデアが国際社会を組織化することでした。
それぞれの国が独立して主権をもち1から100まで自由に振舞うのではなく、主権の範囲を1から70までにして残り30を国際的な制度に預けて、国際秩序を守るというアイデアです。これを実現したのがEUだと言えます。
現在のEUの出発点は、1952年にできた欧州石炭鉄鉱共同体です。高校の教科書には、欧州石炭鉄鉱共同体が生まれ、さらに欧州経済共同体ができたのは、ドイツとフランスの間に不戦共同体を作るためだったと説明があったのではないかと思います。
欧州石炭鉄鉱共同体は、1950年のシューマン宣言に基づいて、当時の西ヨーロッパ6カ国(ドイツ、フランス、イタリア、ベネルクス3カ国)でつくられました。このシューマン宣言には、これでもかというぐらい「平和」という文字が出てきます。宣言は、ヨーロッパで平和を実現するためには、ヨーロッパの国々が主権の一部を共同体に移し、それぞれの国がその分野を自由にできない状態を作ることが必要だと述べています。EUは経済のための組織だと思われている方が多いかもしれませんが、出発点での目的は平和なのです。
石炭鉄鉱共同体は、石炭産業と鉄鉱産業をコントロールする権限を、それぞれの国から切り離して共同体に移すというアイデアでした。当時の主要なエネルギー源は石炭で、「鉄は国家なり」と言われた時代です。しかも石炭鉄鉱産業は、軍事産業に密接に関係します。その権限を共同体に移して戦争できない状態を作ろうということなのです。
ヨーロッパはみんな仲が良いからEUのような共同体ができるのでしょう、という誤解がよくありますが、歴史を見ればわかるようにむしろ仲が悪い。たとえばフランスはドイツに何度となく攻められています。私がすごいと思うのは、仲が悪いにもかかわらず統合を進めていることです。仲は悪いけれども殺し合わないためには一体どうしたらいいのか、という発想から、この欧州石炭鉄鋼共同体はつくられました。第二次世界大戦後のアジアでは、一度も発想されたことのない国際関係の作り方じゃないでしょうか。
1958年には欧州経済共同体ができます。これは石炭や鉄鋼など部門を限定せず、いわば経済全体を統合していくもの。経済的な相互依存を強めることで、戦いたくても戦えない状況を作ろうと考えたわけです。欧州原子力共同体も含め、1950年代にできた3つの共同体をベースとする欧州共同体(EC)は少しずつ発展し、1990年代になって欧州連合(EU)として、いわばお化粧直しをしました。
「EU法の直接効果」と「EU法の優位」
現在のEUは27の加盟国より成り、大陸ヨーロッパのほぼ全域をカバーしています。EUは、2000年代後半までは比較的順調に歩んできたと言えるかもしれませんが、国際金融危機後のここ15年くらいはさまざまな危機にさらされてきました。簡単に触れると、2009年には、ギリシャの債務危機からユーロ危機が起きました。その後2014年には、ロシアによるクリミア併合があり、2015年からは中東からの大量の難民流入により、難民危機が起きます。これらの危機への対処では、加盟国間で意見対立も生じました。そして、2016年にはイギリスがEUからの離脱を決定しました。1952年に6カ国により共同体ができてから、加盟する国はあっても離脱する国はありませんでしたが、それが崩れてしまいました。さらに2020年からのコロナ危機、2022年からのウクライナ戦争と続きます。
さまざまな危機が生じて、普通の国際組織でしたら潰れているのではないかとも思うのですが、EUは健在であり、ユーロが暴落することもありませんでした。その大きな理由は、EU法という独自の法秩序がEUを支えていることにあると思います。
歴史を見ると、EU加盟国においてEUに好意的な世論が強い時期もあれば、批判的な世論が強くなる時期もありました。しかし、政治的な推進力が失われた時期でも、EUによる成果はEU法によって塗り固められてしまうために、あまり後退しないのです。
このEU法は、加盟国の国内で、加盟国法とともに適用されています。EU加盟国はEU法を遵守しなければいけない義務を負っており、もし遵守しないとEU司法裁判所に訴えられる仕組みになっています。
EUの司法裁判所はルクセンブルクにあり、EU法に関する紛争について強制管轄権(※)を持ち、EU法の解釈を最終的に確定する権限を持っています。この「強制管轄権」がポイントで、たとえば国連の国際司法裁判所の場合は、その管轄権を任意に受託している国の間でしか訴訟は成り立ちません。しかしEU加盟国は、EUに加入するときにEU司法裁判所の強制管轄権を受け入れる約束をします。したがって、加盟国間の紛争は、EU法に関連すれば、すべて裁判によって解決されます。
EU法がEUを支えることができる理由は、EU司法裁判所が確立した判例法(※)にあります。2つの大きな原則が重要です。1つは「EU法の直接効果」で、つまり個人が国内裁判所で(一定の要件を満たした場合に)EU法を根拠に権利主張ができること。もう1つは「EU法の加盟国法に対する優位」で、EU法と加盟国法が矛盾した場合には、憲法を含む全加盟国法にEU法が優先することです。これら二つの原則により、国内裁判所の訴訟を通じて、EU法に矛盾した加盟国法の適用が排除されるという権限を、EU法が持つことになったのです。
※強制管轄権:国際裁判所が紛争当事国に対してもつ強制的な裁判権のこと
※判例法:裁判所の判決が後の同様な事件の判決を拘束することによって法と認められるもの
最重要判例を導いた「コスタ対エネル事件」
EUが平和のための組織であり、それを支えるためにEU法があります。そこで、EU法の強化のためにヨーロッパの弁護士が重要な役割を果たしていれば、それはヨーロッパにおける平和のために働いていることになります。
それを2つの点から説明します。第一に、「EU法の優位」という判例原則を作ってきたのがヨーロッパの弁護士であることです。EU法の優位は、欧州司法裁判所が1964年に下した「コスタ対エネル事件」先決裁定によって確立しました。イタリアに関する子の裁定は、EU法の最重要判例です。
当時イタリアは、電力国有化法を制定して電力会社を国有化しました。これに対して民間電力会社の株主だった原告が、国有化に反対し、イタリアの国内裁判所に訴訟を提起して、「電力国有化法案はEU法違反である」という主張を展開しました。
EU法が加盟国法より優先するので、イタリアは電力国有化法を適用できず、原告は国有化された電力会社(エネル)に電気料金を払う必要はない、という債務不存在確認の訴えです。
この電気料金は日本円にして約1000円でしたので、イタリアの少額裁判所で争われました。最高裁や憲法裁判所などでEU法が問題になるのではなく、日本でいう簡易裁判所でEU法違反が争われている点がポイントです。そして、原告コスタ氏はミラノの弁護士でした。一般の人が弁護士に訴訟を依頼すればお金がかかりますが、弁護士なら自分が訴状を書いて出せばいいだけです。ですから、日本でも弁護士が原告となって公益訴訟をしばしば起こしますが、こうした気風は万国共通だということです。この弁護士が自ら起こした訴訟の判決で、「EU法の優位」が判示されたのです。
ヨーロッパの弁護士たちは「EU法の優位」、「EU法の直接効果」という2つの理論を使って多くの訴訟を起こし、加盟国のEU法違反を国内裁判所で争います。このことがEU法を支える上で、とても大きな役割を果たしているのです。
平和に貢献するヨーロッパの弁護士
ヨーロッパの弁護士が国内裁判所でEU法を援用しようとするのは、国内法とEU法が矛盾していて、かつEU法が国内法よりも原告にとって有利だからです。本来、加盟国はEU法を遵守する義務があるので、EU法と加盟国法の間に矛盾があってはいけないはずですが、なぜEU法違反が放置されているのでしょうか。
EU条約では、EU司法裁判所が違反だと認定すれば、加盟国は判決に従って違反行為を是正することになっています。従わなければ、加盟国は金銭的制裁を受けます。
ところが、加盟国がその金銭を支払わなかった場合でも、EUは強制執行ができません。EUは独自の強制的な執行機関をもたず、加盟国の強制執行システムを使うことになります。しかし、ある国がEU司法裁判所によってEU法違反だと判断されても、その国の執行機関がEUの命令に従って自国政府の財産を差し押さえるかというとそれは難しい。EUに唯一できるのは、EUが加盟国に出す補助金から、その分を引くことです。
そこで、弁護士が依頼者のために国内裁判所で起こす訴訟が重要になるのです。国内裁判所が、「EU法の優位」を理由に国内法がEU法違反であると判決を下せば、今度は執行力があるので政府も従わなくてはいけません。これが加盟国にEU法を遵守させる、もう一つの手段になります。
EUの弁護士は、依頼者のために働くことにより、仮に意識はしていなくても、加盟国にEU法を遵守させる、ひいてはEU法の実効性を高めてEUを強化するという役割を果たしているのです。言い換えれば、それにより、EUを中心にしたヨーロッパの平和に貢献する役割を担っているのです。
この仕組みに気がついたとき、EUの弁護士は幸せだなと思いました。日本の弁護士は、残念ながらそのようなダイナミズムの中にいません。アジアにおける平和のために、国内訴訟が役に立つという枠組みは、日本を含む東アジアにはありません。
ちなみに、加盟国の国内裁判所がEU法に違反する国内法を排除する判決を下すためには、司法の独立が担保されていなければいけません。国内裁判所が政府の意向に従うようでは、いま言ったメカニズムは作動しません。したがって、EUでは司法の独立が、一般に言われる以上に重要な意味を持ちます。そのため、EU司法裁判所は、司法の独立についての判決を積み重ね、加盟国の政府に対する国内裁判所の独立を守ろうとしています。
弁護士の自由移動に見る、法律家の本質的な能力
もう一つ、これから法律家になる皆さんに、EUにおける「弁護士の自由移動」についても話しておきたいと思います。
EUは、加盟国市場の統合を目的にしています。それは、モノ、人、サービス、資本という4つの生産要素が、加盟国間の国境を超えて何の障壁もなくEU域内を自由に移動できる状態を作り出すことです。そして人の自由移動は、弁護士など資格を必要とする専門職にも適用されています。そのために、弁護士資格の相互承認が実現しており、例えば、フランスで資格をとった弁護士がドイツに行けば、ドイツ法についての実務ができるのです。
この話を日本の弁護士会で何回かしていますが、なかなか理解されません。「ドイツ法の教育を受けていないフランスの弁護士が、ドイツ法の実務をしていいのか?」というのが、多くの日本の弁護士の発想です。
しかし、そういう制度が1980年代後半には実際に確立して、以来30年以上機能しています。この事実は、法律家の本質的な能力は、条文や判例といった細かな知識にあるのではなく、「法律的にものを考える能力」にあることを示しているのではないでしょうか。ヨーロッパの法律家は、それぞれの国で、国内法に関する司法試験科目を勉強しながら、そのような能力を育てているのです。
みなさんは、いまは日本の法律を勉強しながら法律家の能力を磨いていますが、実はその能力は世界中どこでも使うことができるものです。ぜひ弁護士、法律家の大きな可能性を考えていただき、日本国内だけではなく東アジア、さらには世界に大きく羽ばたいてください。
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すあみ・たかお 早稲田大学大学院法務研究科教授、弁護士(渥美坂井法律事務所・外国法共同事業)。EU法・国際法の研究者。1979年東京大学法学部卒業、1981年弁護士登録、1988年コーネル大学ロースクールLL.M.修了、1993年カトリック・ルーヴァン大学LL.M.修了。1988年~94年、ベルギー・ブリュッセルの法律事務所に勤務。2005年~09年、弁護士法人早稲田大学リーガル・クリニック所長。主な著書に『ヨーロッパ経済法』(1997年、新世社)、『グローバル社会の法律家論』(2002年、現代人文社)、共編著『EUと新しい国際秩序』(2021年、日本評論社)、編著『平成司法改革の研究』(2022年、岩波書店)など。