マガジン9創刊20周年を機に、あらためて「憲法」のことを一緒に考えたいと、マガジン9で連載中の執筆陣の皆さまに「わたしと憲法」のテーマでご寄稿いただきました。
軍隊のある国、軍隊のない国(小嶋亜維子)
ホワイト・ソックスはここ数年パッとしないけれど、夏の野球観戦はやっぱり楽しい。チームの帽子をかぶってホットドッグを食べながら、試合を観る。シカゴの冬の寒さは本当に厳しくて(年に数日、南極より寒い、という日がある)、だからこうして外に出ていられることが格別にうれしいのかもしれない。息子ほど真剣なファンではないので、選手一人ひとりまで覚えてはいないけれど、誰でもいいから打てば大歓声をあげる。
シカゴといえばカブスと一般的には思われているけれど、だからこそサウス・サイド(ダウンタウンより南側の地域。カブスのある北側は白人、中流階級の住民が多いのに比べ、南側は黒人、低所得層が多い)のホワイト・ソックスへの忠誠心は強い。広々とした空の下、何とも言えない解放感を味わいながら、スタンドにあふれる地元愛を感じて、正直野球自体よりもその場にいることが本当に幸せに思える。
毎回試合も中盤に差し掛かる頃、イニング交代のタイミングでアナウンスが流れる。「本日の『ヒーロー・オブ・ザ・ゲーム』! 特別なゲストに敬意を表します!」。巨大スクリーンに軍服姿の人物が映し出され、手を振っている。この日は海軍大佐の男性。彼の経歴が紹介される。30年間軍に従事していること、どのような役割を担っているか、これまでに数々の戦争に参加したこと。スタンドの観客の多くが拍手を送り、立ち上がる人もいる。
わたしはその瞬間、どうしたらいいのかわからない。イラク戦争にも参加したって――大量破壊兵器なんて結局なかった、あの戦争、と思う。たくさんの劣化ウラン弾……。「Thank you for your service! (国へのご奉仕に感謝します!)」。拍手が一層盛大になる。心がギュッと小さく硬くなって、さっきまであんなに一体感を感じていたのに、一人だけ取り残されたような気持ちになる。
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スーパーで買い物をすると、日本とは違い、買ったものは店員さんが袋に詰めてくれる。その詰め方が下手な人もいて、ときには「自分でやりたいな」と思うこともあるが、よほどのことがない限りお任せする。
20年以上前のこと、用事で出かけた帰り、たまたまあった高級スーパーに立ち寄った。珍しい食材が並ぶ売り場は見ているだけで楽しかった。高いし、そんなに持ち運ぶこともできないので、普段のスーパーでは見たことのないヨーロッパからのお菓子やパスタなどを片手で持てそうな分だけ選んでレジに並んだ。若い女性がピッピッとレジを通してくれて会計をすませる。その後ろに黒人の年配男性が袋詰め係として控えていた。あまり器用そうではなかったが、買ったものが少ないので、特に問題なく詰め終えてくれた。
袋を受け取って立ち去ろうとしたとき、彼が「日本人ですか」と日本語で聞いてきた。不意を突かれたのは、彼が、わたしがこれまでに会った「日本語を勉強しそうなタイプ」では全くなかったからだった。まだアニメブームが起こる前のことである。日本語を勉強している人には特徴的なタイプがあった――日本の企業と取引があるビジネスマン、日本の美術や文学が好きな文化エリート(そこはかとない「良心的」オリエンタリズムも漂う)、日本研究を専門とする学者と学生。その黒人男性はどのタイプにも見えなかった。
「はい」と答えると、たどたどしく「沖縄にいました」と言った。ハッとした。彼は一生懸命日本語を思い出しながら、途中であきらめて英語に戻して、沖縄がいかに美しかったか、人々がやさしかったかを話してくれた。わたしは “So, were you in the military?”(軍隊にいたのですか?) と聞いた。彼はそうだと答えた。頭の中で、基地、沖縄米兵という言葉がグルグルめぐった。その言葉がわたしの気持ちの中で行き先を失っていた。そして、毎年年度末が近づくと貧困地域の高校でみかける軍隊のリクルートのことも思い出していた。
彼がどういう人生を送ってきたかは知る由もない。でも袋詰めという最低賃金の仕事に就いている年老いた彼にとって、軍隊が与えてくれた沖縄の日々がどれだけかけがえのない思い出になっているかを垣間見て、わたしは胸がつまった。
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ときどき軍服姿の若者の集団をダウンタウンで見かける。迷彩服だったり、水兵服だったり。毎年1学期だけ教えにいく大学には予備役将校訓練課程(Reserve Officers’ Training Corps, ROTC)があり、やはり軍服姿でキャンパスを歩いているのをみかけることがある。彼らは学費が免除になるかわりに、卒業後は軍に勤務することになっている。男性も女性も、軍服を着ていると、普通の洋服の若者よりも、なぜか顔の幼さが際立つような気がする。ピンク色の頬が柔らかそうで、迷彩にとても不釣り合いだと思う。ふと、友人が一晩中、特攻隊の手紙を読んでいたと言っていたことを思い出したりする。
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人生の半分以上をアメリカで暮らすようになっても、わたしはまだ軍隊のある国の「普通」に慣れることができない。それは人生の前半を、軍隊のない国で過ごしたからだと思う。どうかこのまま、日本が軍隊のない国でありつづけられますように。
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小嶋亜維子(こじま・あいこ)シカゴ美術館附属美術大学 (School of the Art Institute of Chicago) 社会学教員。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。イリノイ州における公平な公教育の実現を目指す団体「レイズ・ユア・ハンド・フォー・イリノイ・パブリック・エデュケーション(Raise Your Hand for Illinois Public Education)」理事。
マガジン9連載:シカゴで暮らす、教える、考える https://maga9.jp/category/chicago/