マガジン9創刊20周年を機に、あらためて「憲法」のことを一緒に考えたいと、マガジン9で連載中の執筆陣の皆さまに「わたしと憲法」のテーマでご寄稿いただきました。
祝!「マガジン9」20周年!!〜「憲法9条界隈」との出会いを振り返る(雨宮処凛)
今年は私にとって生誕50年、同時にデビュー25周年という「記念」の年だ。そしてなんとこのweb媒体「マガジン9」の20周年でもあるという。
思えば「マガジン9」との出会いは2006年、インタビューを受けたことがきっかけだった。
何を話したのかさっぱり覚えていないのだが、取材を受けている間中、編集部があるマンションのベランダで数羽のカラスが大暴れしていたことだけが深く印象に刻まれている。
数秒おきに響き渡る、「ギャーッ!!」という断末魔のような鳴き声と、バサバサバサッという激しい羽音。すりガラスなので外の様子はわからない。音だけの情報ゆえにどこまでも広がる想像力。
「なぜ、都内のマンションのベランダで、こんな『野生の王国』のようなことが繰り広げられているのか?」とインタビューどころじゃなかったのだが、編集部の人たちは気にする様子もなく「いつもこうなんです〜」とニコニコ笑っているのが「不条理劇場」のようだった。
当時は「マガジン9」ではなく「マガジン9条」だった頃。いわゆる「戦争反対」の人たちゆえ、争いを好まないからカラスの大暴れも受け入れているのだろうか? だけど、さすがにどうにかした方がいいのでは? 近隣住民もこれでいいのか? などなどの疑問がずーっと渦巻く不思議な時間。
結局、そんなインタビューからほどなくして連載が始まり、それから20年近く、ほぼ毎週原稿を書いてきた。現在、連載回数は700回を超えて712回。こうなったらギネスブックとかを目指したいものである。
さて、連載を始めたのは07年。『生きさせろ! 難民化する若者たち』を出版した直後で、ちょうど格差や貧困が社会問題として注目され始め、また「ネットカフェ難民」など新たな貧困が知られ始めた時期だ。
その翌年の6月には秋葉原で25歳の派遣労働者による無差別殺人事件が起き、9月にはリーマンショックが世界を震撼させた。それを受けて日本中に派遣切りの嵐が吹き荒れ、年末年始にかけて東京・日比谷公園には「年越し派遣村」が出現。住まいも職も所持金も失った500人以上が極寒のテントで年を越した。
そんな現場にいた私は毎週の連載の「ネタ」に困ることはなかったのだが(そして今も困ることはない。状況が全く良くなっていないからである)、「生きさせろ!」と生存権=憲法25条を掲げた活動を始めてすぐ、「風呂キャンセル界隈」ならぬ「憲法9条界隈」なるものがこの国に存在することを知った。
当時はちょうどアメリカの「経済的徴兵制」が注目された頃。イラク戦争の際、米軍が貧困層の若者を「大学の学費免除」などを使ってリクルートしていた実態が明らかにされていたのだ。
そのようなことから9条と25条は両輪であることに気付かされ、また戦争は大量の貧者を必要とすることなどから(イラク戦争には、世界の最貧国から戦場出稼ぎ労働者が集まったという側面もあった)、これまで「教科書の中のもの」でしかなかった憲法が急に私に近づいてきたのだった。そうして「憲法9条界隈」の人たちから「話を聞かせてほしい」「講演をしてほしい」などと声がかかるようになった。
が、思えば「憲法」との出会いはそれ以前にあった。
20代前半、いろいろうっかりしていて2年ほど右翼団体に入っていたのだが、その時に出会っていたのだ。
が、右翼団体なのでスタンスは当然「憲法改正」。当時は憲法を、「日本を堕落せしめし憎い敵」とまで思っていた。読んだこともないのにである。
が、ある時、右翼団体内で「日本国憲法について右翼と左翼にわかれてディベートする」という勉強会があり(真面目な団体だった)、そこで「憲法前文」を読み、うっかり感動。
だいたい右翼団体にいると毎日「大東亜戦争」のことばかり語り合っているので「戦争の悲惨さ」についての解像度は高い。そんな頭であの前文を読むと、あれほど凄惨な戦争があったゆえの切実な悲願、平和への渇望に思えたのだ。
なぜ、右翼はこれを全否定しているのだろう? っていうか、なぜ私は憲法前文を読みもせず、言われるがまま「憲法改正」とか言ってたのだろう?
何度も書いてきたことだが、そんな疑問が右翼団体をやめるひとつのきっかけにもなった。
が、思えば右翼に入らなければ「憲法」なんか一生触れることはなかったわけである。そんな遠回りをした果てに、06年からは自分も含めたロスジェネが貧乏すぎて「生きさせろ!」とデモなんかをしまくっていたら「憲法9条界隈」の人と出会い、今に至るという流れだ。
そうして18年にわたって「マガジン9」で毎週原稿を書いてきたわけだが、この700回以上の連載で書いてきたことすべてが憲法の話でもあると私は思う。
「生きさせろ」という、生存権を求める運動。反貧困を掲げた活動。
そうして14年前に起きた原発事故と、そこから燎原の火のように全国に広がった脱原発デモのうねり。
原発再稼働に反対して毎週のように数万人が国会前に集まった「紫陽花革命」。
特定秘密保護法への反対運動。
15年に広がった、安保法制に反対するデモ。
MeTooの動き。
20年からのコロナ禍での困窮者支援活動。
旧優生保護法のもとでの強制不妊手術に対する訴訟。
そして13年からの生活保護基準引き下げに対する違憲訴訟一一。
改めて列挙すると、こうしてここで書いてきたことすべてが憲法の話ではないか。
それだけではない。ヴィジュアル系バンドが大好きなバンギャである私が心おきなくライブに行けて推し活できることも、こうして毎週思ったことを書き散らせることも、バックに憲法がついてるゆえだ。
ということで、私にとってのこの20年ほどは、憲法を便利グッズやライフハックとして使い倒してきた20年とも言える。
現在もたまに生活保護申請に同行するが、そんな時、懐に忍ばせておくのが25条だ。
「憲法の話」とか聞くと、それだけで眠くなるけど、私はこうして「実践」のために使っている。
最後に。
「マガジン9」20年、おめでとうございます! そしてこれからも、よろしくお願いします!!
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雨宮処凛(あまみや・かりん) 作家。反貧困ネットワーク世話人。2000年、自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版/ちくま文庫)でデビュー。06年からは貧困問題に取り組み、07年『生きさせろ! 難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫)はJCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞。著書は『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『難民・移民のわたしたち これからの「共生」ガイド』(河出書房新社)など50冊以上。現在もバンギャで歴は30年以上。著書に『死なないノウハウ 独り身の「金欠」から「散骨」まで』(光文社新書)、『学校では教えてくれない生活保護』(河出書房新社)、『祝祭の陰で 2020-2021 コロナ禍と五輪の列島を歩く』(岩波書店)ほか多数。反貧困ネットワーク世話人。「週刊金曜日」編集委員。
マガジン9連載:雨宮処凛がゆく!https://maga9.jp/category/karin/