マガジン9創刊20周年を機に、あらためて「憲法」のことを一緒に考えたいと、マガジン9で連載中の執筆陣の皆さまに「わたしと憲法」のテーマでご寄稿いただきました。
わたしたちの「やらかし」の反省文(岩下結)
「憲法とは?」そう自問して、最初に浮かんだのが「理性」という言葉だった。
海の向こうの超大国で、理性が吹っ飛んだ、というか、理性そのものを敵視するかのような政権の蛮行を日々見せられているせいかもしれない。
わたしたちは常に理性的とは限らない。間違い、失敗し、それを正当化してはまた繰り返す。
でも多くの人は理性的でありたいと願うはずだ。とりわけ大きな失敗をやらかしてしまった後には。
集団としての人間も、歴史上数え切れない間違いを重ねてきた。戦争や独裁、差別や迫害。その末にたくさんの命を残酷な方法で奪った。
そうした「やらかし」を後悔し、二度と繰り返すまいと誓ったとき、人は事実を記録し、後世に書き残そうとする。自分たちはこうして道を誤った。社会をこのように運営していれば愚かな過ちは避けられたはずだ──。そうして記された言葉の、もっとも凝縮された形が憲法なんじゃないだろうか。
日本国憲法は日本人だけがつくったものではない。もちろんGHQが主導したのだが、彼らは当時の世界中の憲法を調べ、国内の在野の学者たちの憲法案も取り込もうとした。全世界が、戦争で失ったものの取り返しのつかなさを感じていた時代の空気も取り込まれただろう。
だから日本国憲法は、世界中の知恵を詰め込んだ理性の結晶なのだと思う。
80年近くが経ち、世界のそこここで「自分たちこそ被害者だ」という情念がカオナシのように暴れ出している。知性や理性の産物をことごとく否定し、「後世なんて知ったことか」とやりたい放題だ。
わたしたちは常に理性的ではないが、理性的でいたいという願いを持ち続けることはできる。
自分の考えに自信が持てないなら、みんなの知恵を集めて考えればいい。日々に追われるわたしたちの代わりに、考えるプロとしての学者や思想家、ジャーナリストがいる。彼らが発見し考えたことを学び共有できれば、わたしたちはもっと賢くなれるはずだ。
紙の本であれウェブメディアであれ、言葉によるコミュニケーションがそれを媒介する。AIの出力などではなく、生身の人が発する言葉だからこそ、読者にも受け取った者としての責任が生まれる。
人間の理性を信じる。対話する姿勢を捨てない。歴史に磨かれた知識や事実を尊重する。
それだけのことがとても難しい時代になってしまったけれど、よりましな方へと這い寄り続けるしかないのだろう。
もうすぐ80歳になる憲法が、いつまでも現役でいられますように。
これ以上また巨大な「やらかし」を前に、茫然と立ちすくむ日を迎えなくて済みますように。
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岩下結(いわした・ゆう) フリー編集者。19年勤めた出版社を2024年に退職。2025年春に京王線南平駅前(東京都日野市)に本屋カフェ「よりまし堂」を開業予定。
マガジン9連載: 編集者だけど本屋になってみた日記 https://maga9.jp/category/iwashita/