第二次安倍政権が発足してから、特定秘密保護法、安保関連法、「共謀罪」法と、憲法の理念を破壊するかのような法律が次々と成立しています。また最近の森友学園・加計学園問題では、国家の私物化、権力の私物化が進行しているともいわれています。そのような民主政治の劣化は近年、日本だけではなく欧米にも広がってきました。
今回の講演では、政治学者の山口二郎先生が、民主政治の現状について分析。その上で、どうすれば自由な民主主義を回復できるかを提示してくださいました。
民主政治の劣化は日本からはじまった
今、日本でも欧米でも、民主政治が劣化していると指摘されています。選挙などの民主的な手続きを通して、多数意思でどんどん物事を決めていくことが民主主義だといわれています。そして、それがその国の憲法の大事な価値を損なっているのです。今日は、そうした現状をとらえて、いかに憲法の理念を実現するか、いかに民主政治を回復するかという問題意識でお話をしたいと思います。
民主政治の劣化は、日本では、2012年末に第二次安倍政権が発足してから進んできました。これは日本発の現象であり、その後アメリカやヨーロッパでも顕在化してきたので、日本が先頭を走ってきたという経緯があるわけです。
この民主政治の劣化には、いくつか特徴があります。自己愛の強い幼児的なリーダーが権力を握る、そのリーダーは批判に対して聞く耳をもたない、虚言やデマによって批判する敵を攻撃する、などです。最大の特徴は、政府が事実を隠蔽する点にあります。そして、事実を報道する役目を果たさなければならないメディアを抑圧する。
こうした政治のありようは「かこつけの政治」ともいえます。本来の狙いを隠し、もっともらしい言葉で目的を達成しようとする。例えば、南スーダンへの自衛隊派遣では、現地の人々の支援にかこつけて、自衛隊による武器の使用を可能にしました。また「共謀罪」法案は、東京オリンピックの開催にかこつけて強行採決しました。
いまや日本では「公」というものが危機に瀕しています。森友学園・加計学園の疑惑では、国有地の払い下げや学校の設立認可をめぐって、政権に近い法人に大きな優遇があったことがほぼ明らかになっています。行政官庁の官僚の堕落も目立ち、国会審議での官僚の答弁をみても、憲法15条でいうところの「全体の奉仕者」ではなく「自民党の奉仕者」になり下がっています。さらに安倍首相は、議院内閣制において、自民党総裁と内閣総理大臣の立場を自らに都合よく使い分けている。
本当にめちゃくちゃです。もはや議会政治が瓦解している。民主主義の根幹である議論に対する底知れぬニヒリズム、シニシズムを感じざるを得ません。
理念や建前をないがしろにする欧米政治
民主政治の劣化は、先に述べたように日本だけではありません。アメリカの大統領選挙、排外主義が跋扈するヨーロッパ諸国の選挙、イギリスのEU離脱をめぐる国民投票。日本の政治危機と時を同じくして、この数年、欧米諸国でも民主政治が危ういといわれています。
民主政治を危うくしているのは、他ならぬ各国民の多数派です。多数派の意思が、民主主義そのものを破壊している。自己破壊ともいえる現象が、世界のあちこちで起きているのではないかと思います。
では人々はなぜ、自己破壊的な行動をとるのか。その理由を遡ると、ひとつは世界的な経済の課題が、民主政治の前提を掘り崩しているということがいえます。
アメリカのデータをみていくと、アメリカの歴史において、富の集中のピークは2回ありました。1928年と2007年です。どちらも富の集中が進み、必然的にバブルを生み出しました。そのバブルが弾けたら、経済を大きく揺るがします。したがってアメリカでは富の集中がピークに達した直後、20世紀に世界恐慌が勃発し、21世紀にはリーマンショックが起きたわけです。
注目しなければならないのは、20世紀と21世紀では、アメリカ政府の対処の仕方が異なるという点です。1930年には、民主党のフランクリン・ルーズヴェルト大統領がニューディール政策を展開しました。それによって社会保障制度を整備し、弱者を救済し、貧困を解消していった。20世紀半ばには、アメリカでは格差が縮小して、全土に安定した中流社会がつくられました。
ところが21世紀のリーマンショック後は、そのような政策は行われませんでした。だから労働者は民主党に強い不信感を抱き、2016年の大統領選挙では、もともと民主党の牙城だった五大湖沿岸の工業地帯でヒラリー・クリントンが負けた。労働者は民主党を見かぎって、既存の政治を罵倒するトランプを選びました。
アメリカでも、イギリスでも、フランスでも、共通の問題があります。グローバル資本主義の中でないがしろにされている労働者が、生活の不安を解消したいと願う。そのときに民主政治と憲法の理念や建前を嘲笑う、過激なリーダーの破壊力、突破力、排外的な発言に飛びついてしまう。
しかし、基本的人権、個人の尊厳、平等といった人類普遍の理念や建前を「そんなものは理想でしかないよ」と否定してよいわけはありません。建前と現実がかけ離れているのは当たり前です。今、必要なのは、生活者への公正な分配をしていく政策を追求し、みんなで議論し、民主政治の回路を人々が作動させることです。
政治・社会・経済の危機が同時進行している
次に日本の現状について、政治、社会、経済の面から整理しておきます。
現在の日本の政治では、「言葉の崩壊」という現象が起きています。それはジョージ・オーウェルが、小説『一九八四年』で描いた、独裁国家の3つのスローガン「戦争は平和である」「自由は隷属である」「無知は力である」に通じるものがあります。安倍政権は、集団的自衛権の行使を容認する安保法制を「平和安全法制」と言い換えました。また自衛権を派遣した南スーダンの状況を「戦闘」ではなく「衝突」と言い募りました。
そして政治の制度上で問題なのは、立法・行政・司法の三権分立が機能していないことです。
議院内閣制においては、立法機関である国会は、多数派与党の自民党が過半数をもっていて、その多数派の総裁が行政権を掌握する内閣総理大臣です。つまり立法権と行政権が融合している。だから野党は国会で政府を追及するために、森友学園疑惑の解明に国政調査権を使おうとしても、与党が拒否すれば使うことはできない。司法もまた、内閣が裁判官の人事権を握っているため、裁判所は現政権に及び腰になってしまう。こうなると強権的な安倍政権のもとでは、三権分立は絵に描いた餅になるわけです。
それから社会的な面でいうと、憲法で謳っているすべての人間の生命、個人の尊厳を侮蔑するような風潮が一部で広がっています。障がいのある人、外国人、あるいはさまざまな弱者へのいじめが語られる。ヘイトスピーチもそのひとつです。
さらには経済面をみると、他の主要国と比べて、1人当たりの賃金が日本では伸びていません。企業収益と勤労者所得の変化でも、企業収益は上がっているのに、勤労者の所得は減っている。生活保護基準以下の貧困状態にある人は若い世代でも増加しています。
なぜ多数派は現在の社会に満足できるのか?
こうして日本の現状を整理してみると、ほとんどいいことはありません。しかし、なぜか内閣支持率は大きく下がらない(5月20日現在)。安保法案の強行採決などで一時的に30%台まで下がっても、だいたい50%をキープしてきました。それはどうしてなのか。われわれ政治学者にとって悩ましい問題ですが、悩んでいるだけでは現状を転換できないので、安倍政権が支持される理由を考えてみました。
ここでキーワードになるのは、「恐怖」と「誇り」です。恐怖の対象は、中国の膨張と北朝鮮の核ミサイル。これは決して見過ごしていい危機ではありません。ただ、安倍政権はメディアを駆使して、ことさらに危険性を誇張している。恐怖心を煽る。それが強そうなリーダーを求める気持ちにつながる、そうした面は否定できません。
それと、もうひとつは誇りを求める気分もあります。バブルが弾けて25年が経過し、何か誇れるもの、自慢できるものをもちたい。それも安倍さんのように、威勢のいいことばかり言いたがるリーダーを求める理由といえるでしょう。
具体的なデータとしては、内閣府が今年春に発表した「社会意識に関する世論調査」があります。それによると、「現在の社会に全体として満足しているか」という設問に、65.9%の人が「満足している」と回答しています。そのほか「愛国の気分」「日本の美点」「民主政治への満足」といった項目なども、高いポイントを示しています。
大多数の人が「現在の社会に満足している」のは、不安の裏返しという面もあると思います。東日本大震災と福島第一原発事故が起こり、安全保障環境も変化している。そんな現実をわかっていながら「満足している」と言い聞かせようとする、心理的なメカニズムが働いている。では、どうしたら自分を「満足」させることができるのかというと、時間と空間を限定することで可能になります。
例えば、私は、福島や沖縄に対して、多数派が無関心であることに心を痛めています。なぜ多数派が無関心でいられるのかと考えると、原発事故はもう過去のものになってしまっている。そして本土から離れた沖縄の米軍基地は、視野に入れない。だから安倍政権の対応に問題があっても、自分の生活が直接脅かされないかぎりは、「満足」を得られるのではないかと思います。
希望を見出して選挙で現状を変えていく
さて、ここまで述べたような政治の現状を変えるにはどうすればいいのか。それには民主主義の仕組みにおいて、われわれ有権者が意思表示するしかありません。今のような権力の集中を許せば、本当に独裁が進んでしまう。それに対抗するには、選挙でレッドカードを突き付けるほかないわけです。
昨年2016年7月の参議院選挙では、市民と野党が協力して、32の一人区で野党統一候補を立てて闘いました。そのうち11の選挙区で勝つことができましたが、全体としては負けました。
ただ、選挙直後の朝日新聞の調査では、与党勝利の理由について「安倍首相の政策が評価されたから」は15%。「野党に魅力がなかったから」は71%。これは救いを感じるデータです。安倍政権の政策自体を支持しているわけではない。
多数派である無党派層には、現政権の問題点を示して、野党候補を立てれば投票してくれます。現に、冷酷非情な安倍政治が目に見える福島、沖縄では野党候補がしっかり勝ちました。それは10月の新潟県知事選挙も同じです。原発再稼働反対という争点を明確にしたことで、無党派層の3分の2くらいが、米山候補に投票しています。
次の総選挙に向けても、4野党の協力と選挙区調整は絶対に必要です。有権者の多数派を動かすには、野党間で共通政策をつくらなければなりません。そこで大事なのは、究極の理想を求めるのではなく、5年くらいのタイムスパンで日本の政治を建て直す政策を共有することです。
安倍首相は、2020年に憲法9条の改定をめざすと明言しました。ですから野党としては、例えば憲法の理念の堅持、段階的脱原発、税制改革と福祉国家の確立、近隣アジア諸国との信頼関係構築、個人の尊重と多様性を大事にするといった、5つくらいの柱を提示して選挙に臨んでほしいと思います。
私は、まさかこれほど民主政治が危機に陥る時代がやってくるとは考えませんでした。しかし、こういう厳しい状況でも希望を捨ててはいけない。魯迅は、小説『故郷』の中で「希望とは地上の道のようなものである。(中略)もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」と書いています。私たちが今、希望を捨てると、次の世代の希望も奪うことになってしまう。みんなで歩き続けて、民主政治の道をつくり直していきましょう。