第10回:平昌五輪で南北融和、日本は「憲法をどうする?」(柴田鉄治)

 前回も触れたように、米朝両首脳の「核威嚇」で年が明けた2018年。米朝対決のまま1月が過ぎたが、2月に入るや平昌オリンピックに北朝鮮も参加、南北会談が実現し、南北の融和に世界中がホッと一息ついた。
 「さすがは平和の祭典、オリンピックだ」と、朝鮮半島旗を掲げての南北合同の入場行進や、女子アイスホッケーの合同チーム、北朝鮮の「美女応援団」、北朝鮮ご自慢の馬息嶺スキー場での合同練習など、もともと南北は同一民族、一つの国家だったことを強く印象づけた。
 北朝鮮のナンバー2、金永南氏や金正恩委員長の妹、金与正氏らが韓国入りし、文在寅大統領と親しく会談した。その際、北朝鮮側から「南北首脳会談」開催の申し入れまであったようだ。韓国がこれにどう対応するか、恐らく南北首脳会談は実現するのではなかろうか。
 ところが、こうした動きとは別に、米国のペンス副大統領は、北朝鮮の代表団とは会談せず、日本の安倍首相は金永南氏と会話は交わしたものの、拉致問題の解決を一方的に要求しただけに終わったと報じられている。
 それどころか、安倍首相はトランプ大統領に電話をして「南北融和ムードに騙されるなとして、平昌五輪で延期となった米韓合同演習を五輪終了後直ちに実施するように申し入れた」というのだから驚く。
 いかに「北朝鮮の脅威が安倍政権の支持率を支えている」とはいっても、日本が米朝の対立を煽るかのような態度をとるのはいかがなものか。その点、日韓関係も従軍慰安婦問題についての「日韓合意」をめぐってギクシャクしていることも気になる。
 日本のメディアも、もう少し南北融和の仲介役を果たせるよう、政府に迫ったらどうか。メディアにとって戦争を防ぐことは最も大事な役割であり、「ジャーナリズムの使命は権力の監視にある」のだから。
 それはともかく、今月の日本のメディアは、日本選手の活躍もあって、平昌オリンピック一色になった感がある。

安倍首相の悲願、改憲はどうなる?

 国内に目を転じると、戦後70余年、「日本のかたち」が変わるかもしれない憲法の改定の問題が浮かび上がってきた。改憲の発議に必要な衆参両院3分の2の議席を保っていることから、早ければ今年の秋にも発議が行われるかもしれない、と言われている。
 最大の問題は、9条をどうするかだ。昨年5月、安倍首相は「9条の第1項、2項をそのまま残して3項に自衛隊を明記する」という『安倍試案』を提案した。もともとの自民党の改憲案は「9条の2項を削除して国防軍を創設する」というもので、党としてそのどちらの方向性で行くのか、まだ決まっていない。
 目下のところ安倍試案のほうが優勢なようだが、9条の2項を残して自衛隊を明記すれば、憲法のなかに『論理矛盾』を持ち込むことになるので、容易なことではない。といって、従来の自民党案では、公明党などが賛成しないかもしれない。いずれにせよ、「どう改定するか」は、簡単なことではないのだ。
 そもそも日本国憲法には「三不思議がある」と言われてきた。1つは制定以来、一度も改定されなかったこと。たとえばドイツの憲法(基本法)は毎年のように改定されてきたし、米国の憲法も制定以来、18回も改定されたというのに、である。
 2つ目の不思議は「だからと言って国民の圧倒的な支持があるのかといえば、そうではなく、憲法に対する国民世論は真っ二つに割れている」ということだ。
 3つ目の不思議は、与党が改憲派、野党が護憲派、というところ。これも世界の常識とは正反対なのである。
 1991年の湾岸戦争で米国から自衛隊の出兵要請を受け、日本政府が「憲法9条があるから」と断ったことで、読売、産経新聞が「改憲して普通の国になろう」と主張し、「特殊な国でもいいではないか」と主張する朝日、毎日新聞と「新聞論調の二極分化」が起こった。
 その後、94年に読売新聞が「憲法改正案」を提示し、95年に朝日新聞が「護憲大社説」を発表して、「読売・朝日の憲法対決」の時代に入った。そして「戦後50年、日本が平和だったのは憲法9条のおかげだ」という朝日新聞と、「憲法のおかげではない、日米安保のおかげだ」という読売新聞とが、鋭く対立したのである。
 この勝負は、誰が見ても朝日新聞の勝ちだろう。読売新聞の言うように、どこかの国が日本に攻め込んでこなかったのは「日米安保」のおかげかもしれないが、日米安保がなくてもそんな国が出てきたかどうかは分からない。
 それに対して憲法9条がなければ、米国の戦争に日本が加担したことは、まず間違いない。ベトナム戦争では、米国は憲法9条に敬意を払って自衛隊の参戦を求めなかったが、韓国に出兵を要請して延べ30万人の兵がベトナムに送られた。
 湾岸戦争では日本政府が出兵要請を断ったが、イラク戦争では断り切れず、「戦後復興のためなら」と条件付きで自衛隊を派遣したのである。
 そのうえ、戦後一貫して「集団的自衛権の行使は憲法違反だ」としてきた日本政府の見解を、安倍首相が閣議決定で引っくり返し、条件付きながら米国の戦争に自衛隊が加担する道を開いた。
 安倍首相による「大義なき解散」により自民党が大勝して、衆参両院とも3分の2を確保したことで、いよいよ悲願の憲法改定に乗り出したところだ。

9条の改憲に国民世論は「反対」なのだが……

 改憲の発議はできても、その先に国民投票がある。これまでどの世論調査でも9条の改憲には反対意見のほうが多いのだ。その点を考えて「9条の1項、2項を残す」という「安倍試案」が出てきたわけだが、安倍試案では、先にも触れたように憲法の中に「論理矛盾」を持ち込むことになるので、どんな案文になるのか、まだ分からない。
 これから国会の論議にかける自民党の改憲案が、従来の自民党案「9条の2項を削除する」となるのか、それとも安倍試案に乗り換えるのか、現段階では予断を許さない。また、改憲派の読売新聞の社論も、従来の読売改憲案でいくのか、あるいは、安倍試案に乗り換えるのか、それも明確ではない。
 いずれにせよ、憲法の改定は大事なテーマなのだから、日本のメディアは、全力を挙げて改憲論議を追ってもらいたい。あとで「こんなはずではなかった」とならぬよう、細部にまでこだわり、丁寧に報じてもらいたいものである。

沖縄・名護市長選で、自民・公明・維新推薦の新顔が勝つ

 このほか今月のニュースとしては、沖縄の「辺野古基地新設の地元」名護市長選があり、自民・公明・維新の会推薦の新顔、渡具知武豊氏(56)が、現職の稲嶺進氏(72)を破って当選した。安倍首相ら政府与党は「これで辺野古基地に反対している沖縄の民意も変わるだろう」と大喜びしている。
 この選挙結果について、メディア各社はさまざまな解説をしているが、総じていえば、前回の市長選では自主投票で稲嶺候補に投票した公明党、維新の会の支持者が、今回は渡具知候補に投票したことが勝因だったと分析している。
 そのほか、名護市民の『辺野古疲れ』が遠因だと解説しているものも少なくない。辺野古基地への反対は変わらなくとも、「基地問題より生活が大事だ」と考える人が増えたのだろうというのである。それを見込んで、渡具知氏は選挙中、辺野古基地の「への字」も言わなかった
 また、その『辺野古疲れ』に便乗するように、政府・与党が沖縄振興予算を増やすかのような「利益誘導」がなされたことも大きかった。現に、渡具知氏の当選を受け、政府は名護市への交付金を復活すると報じられている。
 沖縄タイムスは、「この選挙の陰の勝者は安倍政権、陰の敗者は日本の民主主義だ」と論評している。
 いずれにせよ、この選挙結果で沖縄の民意が変わったとみるのは早計だろう。国土の0.6%の面積しかない沖縄に、米軍基地の74%が存在する「理不尽さ」は、何も変わっていないからだ。政府・与党は「沖縄の異常さ」を解消することに全力を挙げるべきだし、メディアもそれを支援することが大事だろう。

沖縄報道で、産経新聞が記事取り消しと謝罪

 沖縄とメディアと言えば、産経新聞は2月8日、昨年12月に報じた「沖縄の交通事故で米兵が日本人を救出した」という記事を取り消し、謝罪すると発表した。
 産経の記事は、米兵が日本人を救出した事実を沖縄の2紙、琉球新報と沖縄タイムスが報じなかったことに対して「報道機関を名乗る資格はない」「日本人として恥だ」という激しい言葉で非難したものだった。2紙が「そんな(米兵が日本人を救出した)事実はない」と反論したのを受けて、産経新聞が調べた結果、「取材が不十分だった」と記事を取り消して、2紙に謝罪したわけである。
 沖縄の2紙に対する激しい非難の言葉は、一昨年、自民党の若手議員の勉強会で「沖縄の2紙をつぶせ」という言葉が飛び交ったことを思い出させるものだが、産経新聞が記事を取り消して2紙に謝罪したことで、「メディア不信」を高めるケースとならなかったことは「不幸中の幸い」だったと言えよう。
 ただ、毎日新聞はこの問題を社説で取り上げ、「記事の間違いは仕方ないとしても、沖縄2紙への中傷の言葉は、極めて意図的なものだった」と厳しく糾弾していた。

今月のシバテツ事件簿
南極条約の素晴らしさを再確認した実体験

 米朝が核兵器を持って対峙する状況を見て、「人類は本当に進歩しているのか?」との思いを新たにしている昨今だが、地球上から戦争をなくすにはどうしたらよいのだろうか。
 「世界中を南極にすることだ」というのが私の持論である。1961年に発効した南極条約によって、南極は地球上で唯一の「国境もなければ、軍事基地もない」平和の地となった。世界中が南極になれば、戦争もなくなる理屈である。
 「なんと夢みたいなことを」と一笑に付されそうだが、私の実体験があるので、記してみたい。
 いまから61年前の2月、南極に昭和基地を造って帰途に就いた南極観測船「宗谷」が、氷に閉じ込められて動けなくなったとき、救出にきてくれたのがソ連の「オビ号」だった。当時は米ソ対立の激しい時代で、日本もソ連との仲はよくなかったが、南極ではそんなことは関係ない。日本国民も「オビ号」による救出にホッと胸をなでおろした。
 それから9年後、私が同行記者として参加した第7次観測隊が、昭和基地からの帰途、東隣りにあるソ連のマラジョージナヤ基地を訪ねた。電報で「訪ねたいが」と問い合わせると「どうぞ、どうぞ」の返事。パスポートも要らなければ、ビザも要らない。
 日本隊にロシア語のできる人がなく、ソ連側にも日本語や英語ができる人がいなかったが、身振り手振りで十分に通じ、大歓迎を受けた。さらに、基地の近くに停泊していた「オビ号」を訪ねると、船員が「これは私の宝物です」と言って、一冊の寄せ書き帳を見せてくれた。
 9年前、「宗谷」を「オビ号」が救出したとき、日本隊が「オビ号の皆さん、ありがとう」などと書いて贈ったものだった。それを見て、私は涙が出るほど感動した。「そうだ。これが本来の人類の姿なのだ」と。そのとき「南極条約の素晴らしさが世界中に広がれば、戦争はなくせる」と確信を持ったのである。

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柴田鉄治
しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。