第16回:自民党総裁選、安倍三選で日本はいいのか(柴田鉄治)

 「もり・かけ疑惑」いや「もり・かけ汚職」で、首相の夫人や腹心の友のために国有地を超格安で払い下げたり、獣医学部を特別扱いで新設したり、財務省の官僚らが犯罪行為を繰り返したのに、捜査当局まで首相の意向を忖度して全員不起訴にしたのをいいことに、安倍首相も麻生財務相も辞任せずに居座ったまま、9月の自民党の総裁選を迎えようとしている。
 しかも、その総裁選で、安倍首相の三選が有力だというのだから、日本はどうなってしまったのだろう。各社の世論調査によると、安倍首相は信用できないという意見が圧倒的に多く、自民党の支持層について見ても半数近くが「信用できない」で、「信用できる」を上回っているのだ。
 ところが、自民党の党内を見渡すと、国会議員の7割が安倍支持だというのだから驚く。みんな「勝ち馬に乗ろうとしている」のか、それとも「支持しないと冷や飯が怖い」のか。8月中旬現在、安倍首相に対抗して立候補を表明した人は石破茂氏ただ一人で、安倍氏と一騎打ちになりそうな気配である。
 その石破氏の打ち出した争点が「正直・公正」というのだから驚く。さっそく朝日川柳に「そんなもん政治姿勢になりまっか」と揶揄されていたが、それが立派な争点になっているのだから不思議である。
 安倍首相が「もり・かけ疑惑」でどれほどウソをつき、夫人や腹心の友のために不公正な便宜を図ってきたか、石破氏は、その点を巧みに衝いた形である。
 ところが、国民はその争点がよく分かっていても、自民党の国会議員たちには通じないようだ。議員たちは安倍氏のウソや不公正は分かったうえで、「安倍一強」の人事権にひれ伏し、冷や飯を怖がっているのではあるまいか。
 一方、安倍氏の挙げる争点は憲法の改正だ。改憲の発議は国会のやることで、安倍氏の主張は筋違いなのだが、昨年の憲法記念日に読売新聞とのインタビューで「改憲・安倍試案」を発表して以来、改憲が自分の仕事だと思い込んでしまったらしい。
 もちろん改憲についても石破氏と安倍氏では基本的に意見が違うが、二人とも改憲派であるところは同じだ。それより、自民党内には本来「改憲に反対、9条を守れ」と主張している人たちが多数いたはずなのに、その声がいっこうに聞こえてこないのはどうしたことか。
 とにかく自民党の総裁選は、事実上の首相選びでもあるのだから、これからの1か月間になにが起こるか、国民は目を見開いて、しっかりと見ていよう。

翁長沖縄県知事が急逝、9月30日に知事選

 沖縄県の翁長雄志知事が急逝し、沖縄県知事選挙が9月30日に行われることに決まった。
「辺野古に基地はつくらせない」と決意を固めていた翁長知事の遺志を誰が引き継ぐのか、自民党の総裁選に勝るとも劣らない注目の的となろう。
 とにかく県民の意向ははっきりしている。本土の0.6%の面積しかない沖縄県に、日本の米軍基地の74%も集中しているのだから、そこへさらに新しい基地をつくるなんて、とんでもないというわけだ。
 それに対して政府は「辺野古基地が唯一の解決策」と譲らず、翁長知事と争う知事選の候補に宜野湾市長の佐喜真淳氏を立てて戦うことを表明していたが、翁長知事の急逝で知事選が早まった。誰がその翁長知事の遺志を継いで佐喜真氏と戦うのか、候補者はまだ決まっていないが、翁長知事の『遺言』もあって衆院議員の玉城デニー氏になりそうだ。
 いずれにせよ、今度の県知事選は大変なことになろう。もともと辺野古基地に反対していたはずの仲井真前知事が当選後に豹変して、辺野古基地の新設を認めたことが間違いだった。怒った県民は次の知事選で仲井真氏を落選させ、「辺野古に基地はつくらせない」と主張していた翁長氏を当選させた。その翁長知事が、仲井真前知事の埋め立て承認を撤回しようとしていた矢先の急逝である。
 辺野古につくられようとしているのは米海兵隊のための施設だが、米国の軍事専門家によると、もともと海兵隊の基地が沖縄にある必要はないそうだ。米軍としては四軍そろっていたいということなのだろうから、それなら広大な空軍の嘉手納基地に同居すればいいのである。そういう交渉を米国と本気でやろうという政治家が次の首相になれば、解決する話なのである。米国一辺倒の安倍氏では無理だが……。
 自民党総裁選と沖縄知事選、9月は日本の将来を決める大事な月となろう。

8月は戦争を語る月、今年もまた、首相に「反省」の言葉なし

 8月は6日のヒロシマ、9日のナガサキ、15日の終戦の日と、過去の戦争を深く反省し、被爆者や戦没者を悼み、核兵器の廃絶と二度と戦争を起こさない平和な世界を築くことを誓う月である。
 核兵器については、昨年7月に国連で122か国が賛成して「核兵器禁止条約」が採択され、それを推進した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)がノーベル平和賞を受賞したが、日本政府はこの核禁条約に反対している。
 昨年と同じく、ヒロシマの平和宣言では「日本政府が核禁条約に反対している」という事実には触れていなかったのに対し、ナガサキの平和宣言や被爆者の挨拶は「なぜ核禁条約に参加しないのか。被爆者の願いと違うではないか」と厳しく日本政府を批判した。その間、NHKの生中継のカメラは安倍首相の顔を凝視し続けるという、皮肉な演出がなかなか見事だった。
 一方、15日の平成最後となる全国戦没者追悼式では、天皇の「お言葉」には「深い反省」という言葉があったが、安倍首相の式辞にはアジア諸国に対する加害責任や反省の言葉は、今年もまた一切なかった。
 また、A級戦犯が合祀されて以来、靖国神社への政治家の参拝が注目されているが、今年は閣僚の参拝こそなかったものの、各省の副大臣らを含む大勢の国会議員らがそろって参拝し、中国や韓国を刺激した。これでは、中国や韓国との友好関係がなかなか築けないわけだ。
 過去の戦争を描く8月のNHKスペシャルは、昨年につづき今年もまた素晴らしかった。敗戦戦直後の戦災孤児の悲惨な姿を描いた「駅の子」も、日本軍が装備も兵力も考えず無謀な戦いに突入して大敗した事件を描いた「ノモンハン 責任なき戦い」も見事な出来だった。
 とくに「ノモンハン」は、関東軍の若手参謀、辻政信少佐の暴走を上司が止めようともせず、大失敗に終わるや、今度はその責任を別の罪のない部下に押しつけて自害させるという日本陸軍のひどさをあらためて痛感させる内容だった。
 私は、ノモンハンの戦車隊にいた作家の司馬遼太郎氏と生前親しく接し、「本当はこの陸軍のひどさを書きたかったのだが、小説にはなじまないので、日露戦争の時の日本人はもっとよかったぞと『坂の上の雲』などを書いたのだ」という話を聞いていた。まったくその通りだ、とテレビを見ながら思った。
 トップが責任を取らず、部下に責任を押し付けて済まそうとするのは、日本社会の特色だと言われている。そういえば、「もり・かけ疑惑」でも不祥事の責任をすべて部下にかぶせて、部下の一人が自殺までしたのに平然と居座っている安倍首相や麻生財務相の顔がふと思い浮かんだ。

トランプ大統領の発言に米紙400余が一斉社説

 米国のトランプ大統領が、自らに批判的なメディアを「国民の敵だ」と執拗に攻撃していることに対して、米国の400紙以上の新聞が、ボストン・グローブ紙の提案を受けて、「報道の自由」を訴える一斉社説を掲載した。
 当のボストン・グローブ紙の社説は、「記者は敵ではない」「米国の偉大さは、権力者に真実を突きつける自由な報道機関に支えられているのだ」と書いた。各社に一斉社説を呼びかけた理由について同社の幹部は「米国民に報道の自由は民主主義にとって大切なものだ、と伝えたかった」と語っている。
 これに対してトランプ氏はツイッターで激しく反論した。「フェイクニュースのメディアは野党だ。我々の偉大な国にとっても良くない。だが我々は勝ちつつある」というのである。
 ボストン・グローブ社にはさっそく爆破予告があるなど、ネットでは賛否両論が渦巻いているようだ。
 さて、日本はどうか。トランプ大統領が当選した直後、真っ先に駆け付けた安倍首相が「私は朝日新聞に批判されているが、朝日に勝った」いうと、トランプ氏も親指を立てて「私もニューヨーク・タイムスに勝った」といい、意気投合した、と産経新聞が報じたほどだから、安倍首相のメディア観もトランプ氏に近いのだろう。
 恐らく「もり・かけ疑惑」などでは「メディアは国民の敵だ」と言いたいところなのかもしれないが、読売、産経のような安倍首相寄りの新聞もあるから言わないに違いない。それより、どこかの地方紙が提案して「安倍首相よ、ウソをつくのはやめましょう」という一斉社説を載せようと呼びかけたら、何社くらいが乗ってくるか。想像するだけでも興味深い。

今年のJCJ賞、朝日新聞の「財務省による公文書の改ざん」など5件

 8月18日、日本ジャーナリスト会議(JCJ)が優れた報道を表彰するJCJ賞の贈呈式があった。今年のJCJ賞は、『日本ナショナリズムの歴史』 (全4巻)の著者、梅田正己氏、「財務省の公文書改ざん」をスクープした朝日新聞取材班、「米の核削減に日本が反対」をスクープした「しんぶん赤旗」取材班、「沖縄へのデマ・ヘイトに対峙する報道」の沖縄タイムス編集局、「NNNドキュメント18、南京事件Ⅱ」の日本テレビの計5件。
 どれも61年の歴史を持つJCJ賞にふさわしい素晴らしい報道だが、今年は「大賞」がなかった。朝日新聞のスクープを大賞に推す意見も多かったが、「あのスクープがあっても安倍首相が辞めなかった。メディアの力が弱かったからだ」という反対意見もあって見送りとなった。責任を取らない安倍首相にメディアが根負けしたということだろうか。

今月のシバテツ事件簿
日航ジャンボ機墜落から33年、なお残る疑問

 1985年8月12日夕、羽田発大阪行き日航123便のジャンボ機が墜落してから33年。今年も群馬県の御巣鷹山に慰霊登山する人たちの姿が目立った。
 昨年8月の【シバテツ事件簿】にも日航ジャンボ機の墜落を取りあげたので、今年はやめようと思ったが、33年経ったいまでも不思議に思っていることが一つあるので、その点に絞って記してみたい。
 あの夜、墜落からその日の紙面の締め切りまで6時間もあったのに、どこに落ちたのか遂に分からず、翌朝の1面トップの見出しは「長野県に」となっていた。
 あの大きなジャンボ機が30分も迷走しながら御巣鷹山に墜落したのに、自衛隊機も米軍機も、さらに警察などのヘリコプターなどたくさんあるのに、なぜ墜落した場所がその夜のうちに特定できなかったのか。
 もし、墜落直後にその場所が特定され、救援隊が同夜のうちに駆け付けていれば、4人よりもっと多くの人命が助けられたのではないか、と思うから、その疑問は重大だ。4人の生存者は、墜落後にも生きていた人はもっといたようだと語っていたからだ。
 このような疑問を抱いている人は少なくないようで、最近になって元日航客室乗務員、青山透子著『日航123便墜落の新事実』とか、元日航ジャンボ機パイロット、杉江弘著『JAL123便墜落事故』とかいった書物がいろいろと出てきた。
 青山氏はジャンボ機に米軍機や自衛隊機が追随飛行をしていたという目撃証言などを根拠に、米軍機か自衛隊機が関わった「事故ではなく事件」なのではないか、と主張しているのに対して、杉江氏は「そんなことはあり得ない」と真っ向から否定し、「海上に不時着すれば、もっと大勢の人が助かったはず」と独自の見解を記している。
 私も2冊とも読んでみたが、何があったのかは結局よく分からなかった。謎はまだ残されている。

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柴田鉄治
しばた てつじ: 1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。